嬉しいお誘い
このサイトを立ち上げたばかりの頃からお世話になっている料理研究家の櫻井さんは香港で料理教室を主宰しているその道のプロである。
その櫻井さんから私房菜での夕食をお誘いいただいた。
当初は私たちだけが参加させてもらうつもりだったのだが、成り行きで友人5名を引き連れて参加することになり、総勢14人プラス幼児という大所帯となってしまった。
無責任な話ではあるが、私房菜の名前も場所も全く知らない。
とにかくMTR灣仔駅に集合して、櫻井さんについてゾロゾロと目指す私房菜へ向かったのであった。
大通りに面したビルには看板もない。
ビルの脇にある細い階段を上がり何の変哲もないドアを開けると、そこはまるで別の世界。
ところどころ中国のアンティーク家具が置かれ、抑えた色彩でまとめられたギャラリーには絵画や陶器が品よく飾られている。
聞くところによるとオーナーは絵画や陶芸をする芸術家でもあるらしい。
食べることが好きで創作活動の傍ら週4日だけ上海料理の私房菜をやっているそうだ。
かねてからこちらの料理は化学調味料不使用で味もよいという話を櫻井さんから聞いていたので、期待してテーブルにつく。
「サイトで使うでしょう?」と櫻井さんがくださったメニューは、
◆滬江八小碟(上海風味の前菜)
◆年糕炒大蟹(餅と蟹の炒めもの)
◆碧緑發菜卷(髪菜入り湯葉巻き緑野菜添え)
◆松子桂魚(イシモチの唐揚げ甘酢ソースがけ)
◆鮮蟹肉冬瓜茸(蟹肉入りトウガンのすり流しスープ)
◆鮮菇扒姜汁勝瓜(ヘチマとキノコのショウガ風味炒め)
◆冰糖元蹄(豚ヒジ肉の醤油煮込み)
◆咸肉菜飯(豚塩漬け肉入り菜飯)
◆酒釀丸子(米コウジ入り白玉団子のシロップ煮)
という9品構成である。
櫻井さんの知人の方も集まってきて、楽しい夕食の始まりである。
滬江八小碟
醉雞(紹興酒風味の蒸し鶏)、薫魚(魚切り身の燻製風味)、茶葉薫素鵝(野菜の湯葉巻きの薫製風味)、香椿豆腐(豆腐のあえもの)、蘿蔔絲海蜇(大根の細切りとクラゲのあえもの)、糖醋茄子(ナスの甘酢風味)、酸甜小黄瓜(キュウリの甘酢あえ)、烤麩(グルテン・タケノコ・キクラゲのあえもの)。
オーナーの手による食器(こちらで使われている食器は全てオーナーの作品)に盛られた冷たい前菜である。
どの前菜も上海料理では定番のもので、見た目の華やかさはないが、どれもおいしい。
しかも、甘味、スモークの香り、酸味、辛味と、それぞれ味付けを変えてあるので単調に陥らず(案外それができない店が多い)、どの前菜も仕上が丁寧なのには感心する。
前菜の段階でオーナーの並々ならぬ腕前を感じてしまった。
次の料理への期待が膨らむ。
年糕炒大蟹
潮州料理でおなじみの立派な花蟹を年糕(韓国料理のトックに似た粘り気のない餅)と一緒に炒めたもの。
蟹は大きなものを2ハイ使っていて、視覚的にもかなり豪華な一品。
ところが皆さん遠慮のカタマリでなかなか手を出さない。
そこで一緒に行った香港人の友人が「今日は仕事は休みなんだけどなぁ」と笑いながら慣れた手つきでサービス開始…さすがはプロ。
手が汚れるのを覚悟で蟹と格闘すると、蟹の旨味のきいたソースのおいしいこと!
ソースがからんだ年糕もこたえられないおいしさだ。
この料理の決め手はソースかもしれない。
碧緑發菜卷
中国の正月で縁起物として食べられる髪菜という海藻のようなもの(実際は陸地に生えるという高級素材で発音が同じことから「發菜」と書き換えられることが多い)とキクラゲ、ニンジンなどを湯葉で巻き、さらに薄く切ったヘチマで巻いて蒸し、薄味のスープであんかけにして仕上げたもの。
湯葉の中身は割合しっかりとした味付けで、味のしみこみにくいヘチマとのバランスもよい。
あんかけにしたスープも野菜の味を引き立てている。
大人数だけに華やかな盛り付けになっているが、巻きものにしたヘチマの大きさや薄さはバラつきもないところに、素材を選び、手間をかけたのかがよくわかる。
野菜の料理ではあるが十分な味わいを感じられる素晴らしい一品であり、今でも語り草になるほど印象深かった一品でもある。
松子桂魚
「淡水石斑魚(淡水にすむハタ)」といわれるイシモチを姿揚げにして、松の実を散らした甘酸っぱいあんをあんかけにしたもの。
上海料理店では、この料理は麗々しく飾り立てられて出てくることが多いのだが、これは家庭料理の風情。 これも上海料理店でおなじみの料理だが、ありがちなケチャップ味の強いチープな感じがしないところが好ましい。
魚もちょうどよい加減で揚げられているのでパリパリの部分とホックリした部分の両方が楽しめる。
鮮蟹肉冬瓜茸
トウガンを細かくしてスープに溶かし込んだような食感のスープだ。
蟹の身も贅沢に使われている。
プロでないにもかかわらず、化学調味料を使わずによくもこれだけレベルの高いスープを作れるものだ。
サラリと口の中でトウガンが溶けていくような感じで旨味の余韻が残る。
鮮菇扒姜汁勝瓜
キノコとヘチマをサッと炒めてショウガの絞り汁で仕上げたもの。
シンプルこの上ない料理だが、かといって素っ気ない味でもない。
箸休めにピッタリなこんな野菜料理は市井の上海料理店でお目にかかる機会は案外少ないものだ。
オーナー自身が野菜好きなのだろう、野菜好きにはとても嬉しい。
冰糖元蹄
皮付きの豚のヒザ肉を氷砂糖と醤油で甘辛く煮込んだもの。
風味づけにショウガの薄切りが数枚。
丁寧に下処理をしてからしっかり煮込んでいるので、臭みもなくホロリと軟らかく仕上がっている。
皮もプルプルで口の中でとろけるようだ。
見た目に惑わされそうだが、味はほどよい甘辛さ。
上海料理店では「紅燒元蹄」という名前で出ていることも多い。
咸肉菜飯
豚の塩漬け肉のみじん切りとチンゲンサイを炒めて土鍋で炊き込んだご飯。
お約束のお焦げもバッチリだ。
塩漬け豚肉の味のおかげでこのままでも十分おいしいが、冰糖元蹄と一緒に食べてもまたおいしい。
ご飯好きにはこたえられない一品。
惜しむらくは小さな茶碗1杯しか食べられなかったことだ。
酒釀丸子
黒ゴマあんの入った白玉団子をキンモクセイのシロップ入りの温かい砂糖水に浮かべたもの。
黒ゴマあんの白玉団子とキンモクセイの香りのする温かいシロップのおいしさを同時に味わうことのできる贅沢な一品だ。
経験的に言うとこのデザートに出会えたのは10年前に1回だけだ。
いわば幻のデザートであったが、こちらで再会できたのはちょっとした感激であった。
これこそ私房菜
今夜は私たちだけの貸し切り状態。
洗練されて落ち着いたインテリアの中、寛いで食事ができたのが嬉しい。
梓桐堂は昨今の私房菜ブームが始まる前から、こういった食事の提供を行っていたという。
知る人ぞ知る存在であったのは、それが内輪で行われていたからだろう。
確かにこちらの料理は商業ベースでは全く採算のあわない手間暇かけたものばかりで、大勢を相手にしていては成り立ちにくいと思わせるものであった。
それにしても、どの料理も下手なレストラン顔負けの出来栄えでありながら、それでいてレストランとも家庭料理とも違う味わいであった。
これこそ私房菜と唸らせるようなもので、私房菜本来の姿を見ることができたと思う。
レストランのように自分が食べたいものを選択するという自由はないが、また是非行ってみたいと思わせる魅力がある。
周菜のように引退したプロの料理人が始めた私房菜もあれば、この梓桐堂のように素人の家庭料理から発展して独自の世界を築いた私房菜もあるのだ。
こんな世界があるということを教えてくれた櫻井さんに心から感謝したい。
【2005年5月】
◆梓桐堂 香港灣仔皇后大道東100號
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