三たびレンベ海峡へ(7/11-7/20.2003)
レンベ・リゾート
これだけ狭い海域にこれほど多くの妖しく小さな生きものたち「クリッターズ」が凝縮して生存しているところは、私の限られた経験ではあるが、まだほかに例を見ないのだ。つまり私にとっては世界一のマクロの宝庫なのだ。そのレンベ海峡(スペリングからすると「レンベー」と伸ばす方が正しいと思われるのだが)へ三度目の訪問である。今回の滞在は、前2回のクンクンガン・ベイ・リゾートではなく、昨年12月その対岸に新たにオープンしたレンベ・リソートだ。
http://www.lembehresort.com/index.html

クンクンガンが既に約10年の歴史もあり、この海域を訪れる著名な水中写真家の宿としても名声を確立しているのに比べ、このリゾートは新しいだけにコテージその他の施設が綺麗で、ダイブセンターやライブラリーなどなお充実すべき点はあるものの、既に全部が一応整っている。これからまだ増設・拡張の予定らしく、中庭にはプールも建設中であった。クンクンガンからの眺めが、前に横たわるレンベ海峡とレンベ島しかないのに比べ、ここのコテージのベランダからは、青い海峡の向こうに秀峰クラバト山やドウア・スダラ(双子の兄弟)山が望まれ、そこからの涼風が絶えずリゾートを吹き抜けて誠に清々しく心地よい。ベランダに干した洗濯物など一晩のうちにカラカラに乾いてしまう。

コテージの部屋は、ベッドルームだけで20畳くらいはある大きさで、それにリビングと屋外バスルームと広いベランダがついていて家族4人でも十分住めるほどである。レストランは中庭にあるペンタゴン風の建物の2階にあり、一階にはオフィスとライブラリーがある。有料だがオフィスのパソコンでインターネットも可能だ。レストランのメニューはそれほど多くはないが、「テリヤキ」とか日本風の名前のものもある。それもそのはず、挨拶に現れたチーフクックのジェフは最近まで12年間日本にいて、最初は六本木の「ブンガワンソロ」で、次いで新宿の「ジュンパタンメラ」で働いていたと言う。10月には、いまもなお日本で働いている弟を訪ねて来日するのだそうだ。
ダイビング・ガイド
ダイビング第一日目の朝、ブリーフィングを始めようとしていたチーフ・ガイドが、私の顔を見てニコニコ笑っている。「あんたは去年もクンクンガンに来ただろう?」というのだ。隣のサブ・ガイドもニヤニヤしている。よく見ると見覚えがある。ロナルドとセミュエルだ。昨年末このレンベ・リゾートがオープンしたとき、クンクンガンからここに移ったのだそうだ。このリゾートのダイブセンターは、メナドのミューレックス http://www.murexdive.com/ がやっている。だから彼等はいまやその社員としてここで働いているのだ。ここのマネジャーは、気が向くと自分でもガイドするブルースというカナダ人だが、ここに来る前はメナドのノボテルで6年間働いていたとのことである。
お前もサッカーやるのかと聞いたらそんな暇ないと答えたロナルド(^^)は、顔から飛び出しそうなダルマさんのような大きな目で、ほんのちっぽけな生物でもくまなく見つけ出し、こちらがOKと言うまで例えばウミシダを掻き分けて被写体をレンズの前に保持し続けてくれるから、思う存分時間をかけて撮影できるのだ。まさしくクンクンガン流のガイドだ。私は計20本のダイブで、時折のビデを撮影のほか、約1,000回デジカメのシャッターを切ったが、ハウジング1台とダイブ一本につき36枚撮りプロビア1本しか持ってこなかった同行のTさんは、毎ダイブ途中でフィルムを撮り切ってしまい悔やむことしきりであった。プロの水中写真家マイケル・ハウ氏などは、毎回ハウジングを2台抱えて撮影していた。
二人で130歳のダイバー
滞在中日本人客は、そのTさんと私の二人だけであった。Tさんは日本ヒマラヤ協会会員、日本山岳会会員の山男(現在はアクテイブではないとの本人の弁だが)であり熱心なテニスプレイヤーでもあり、海に潜ればガイドも舌を巻くほどエア持ちがいいベテラン・ダイバーでもある。私と同様感動の人生を求めることに熱意を燃やすオジサンで、Tさんと私の二人の年齢を合計するとなんと丁度130歳になる、なんてどうでもいいことだが。(^^) プロの写真家としてはシドニーからの上記マイケル・ハウ氏と6年ぶりにパラオからカリフォルニアに帰国すると言うイーサン氏がいたが、ファンダイバーとして何人かの欧米人が入れ代わり立ち代わり訪れていたほか、小さい子供連れのファミリーも二組ほど前の海でスノーケリングを楽しんでいた。
プテラポゴン・カウデルニの口内保育
私にとって世界一美しいテンジクダイの「プテラポゴン・カウデルニ」にも3度目の見参である。そもそもこの私を2年前レンベ海峡に引っ張ったのはこの我が恋人であった。その美しさは例えようがないほどだ。勿論日本では採取されていないから正式な和名はないが、俗名の「アマノガワテンジクダイ」はその美しさを存分に表している。英名の「バンガイ・カーデイナルフィッシュ」は、2年前訪れた鳥羽水族館では「インドネシアン・カーデイナルフィッシュ」となっていた。いまやバンガイ島にしかいないことではなくなったからであろうか。
2年前初めてこの海域でこの魚を見たときは、まだ「クリッター・ハント」というポイントでガンガゼの間に潜む10数匹の成魚と僅かな幼魚、「ポリス・ピア」なるポイントでイソギンチャクに身を寄せる数匹の成魚しか見当たらなかったが、昨年はその両ポイントで成魚に混じる可愛らしい幼魚たちが目立ち、うん、繁殖しているな、の感を強くした。ところがどうだ。今年は「ポリス・ピア」の脇では、明らかに業者が飼育のために作ったと思われる直径5mほどのネットの囲いから、幼魚が雪崩のように溢れ出ているのだ。そればかりか、もともと初めて住みついた場所と思われる「クリッター・ハント」と「ポリス・ピア」 から1キロ近くも離れたほかのいくつかのポイントでも幼魚が散見されるのだ。いづれは「インドネシアン・カーデイナルフィッシュ」の英名も変わるのであろうか。
NHKテレビ「生きもの地球紀行」で林公義先生によって紹介されたあの感動的な産卵と口内保育のシーン、私も一度は見てみたいとの切実な思いから毎年この海峡に通っているのだ。毎回僅か数日の短期滞在では到底叶わぬ夢とは知りつつも。でもチャンスがあれば是非見たいという希望はガイドに伝えておいた。そしたら或る日ガイドの一人となったブルースが「ポリス・ピア」で私に向かって、レギュレーター外し、頬を膨らまし、、口をパクパク開けては自分の口とプテラポゴンの一部を激しく指差すのだ。明らかに口内保育中の個体を示そうとしているのだ。ズームにしたビデオで執拗にそれを追った。デジカメでも寄れるだけ寄って何枚か撮った。口内にあるのは卵だろうか、稚魚にも見えるのだが。
恐ろしいほど多様で数多いクリッターたち
このリゾートのライブラリーに、クンクンガンに5ヶ月間滞在しこの海に320本潜り、25,000枚のスライドを撮ってそのうちの280枚の映像を使って創ったという、ギリシャ人の写真家コンスタンチノス・ペトリノス氏による写真集「Realm
of The Pigmy Seahorse ピグミー・シーホースの王国」があって、その中に Lembeh
Strait is undoubtedly the frogfish capital
of the world という記述がある。正にその通りで、どのポイントに潜っても必ずどれかの種がいるほどで、ポイントによってはそれこそ各種があちこちに散らばっていて、もう勘弁してほしいと言いたくなるくらいである。


その王国に棲むピグミー・シーホースも毎年撮影するが、まだどうしても正面からの顔を撮ることが出来なかった。今回は曲がりなりにもそれに近いものを撮ることが出来たのではないかと、ややハッピーな気持ちでいられるところだ。

典型的な所謂マック・ダイビングの対象であるイッポンテグリとその幼魚、ツノカサゴ、ヒメオニオコゼ、ツマジロオコゼなどはいつもどおり健在だが、今年は不思議とミナミハナイカの数が少ない。昨年現れてクンクンガンも沸いたニセボロカサゴも今年はまだいないと言う。


前回、前々回の経験から、今年は絶対忘れまいとして持参した図鑑「海の甲殻類」が当たって、お陰様で今回は大いにエビ、カニ類の勉強になった。コマチテッポウエビの黒バージョンなども初めて撮ることができた。



デジカメ撮影には格好の対象であるウミウシ類はいつも通りどっさりいて、その多種多様な色彩を楽しむことができるが、ことしはなぜかその交尾シーンがやたらに目立つ。シーズンなのであろうか?


ニシキフウライウオやオオウミウマに類も非常に多い。絶対見つけてやると威信をかけたかのような形相で、黒い砂地の海底を泳ぎまくって遂にオオウミウマの白バージョンを見つけたときのロナルドの鼻高々の顔は忘れられない。


イカ、タコ類にも頻繁に遭遇した。しかしワンダプスには比較的早い段階で会えたが、ミミック・オクトパスには探せども探せどもなかなか会えなかった。とうとう見つけたのは最終日の前日だった。昨年から持ち越しの宿題であるヒゲハギとゼブラ・バットフィッシュの幼魚は、今年も仕上げることが出来なかった。まあ来年もやってくるための励みにもなることだし、よしとするか。

8.9.2003記
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