劇団 人力列車の沿革
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1996年10月、
東京都内で2年半に渡って活動していた「劇団百華堂」(*1)が
突如解散。


路頭に迷った元団員、鈴木秀明、永吉みうは
以来一年以上に渡り
自堕落な生活を送っていた。


「浮上」する日を夢見るも、日々の生活の中に埋もれ、
酒を飲み、酒に飲まれて、飲みつぶれ
「このままやめてしまおうか。」
枕をぬらす夜も何度もあったという…。

月日は流れ…
1997年も押しつまり、街は「クリスマス」から「正月」への場面転換中のある夜、
鈴木家の電話が鳴る。


…永吉からだった。



「?」

「!」

すでに「言葉」はいらなかった。



鈴木が作・演出、永吉が制作をそれぞれ担当するという役割分担を決め、
年が明けるとさっそく劇場を押さえ、メンバー集めに取りかかった。

すぐに照明の花嶋孝生が賛同のアピールを送ってきた。
「良かった、これで明かりが入る。」
二人は
機械音痴だった。

危惧されていた役者集めも、始めてしまえばとんとん拍子に進み、
気付けば稽古場に9人もの役者が揃っていた。
「あと3人ぐらいは欲しいんだよね。」

演出は図に乗っていた。

しかし良いことばかりでもなかった。
永吉は頭を抱えていた。

「ところで、お金はどうするの?」
 
 「!」

金は無かった。

しかし、やがて鈴木が重い口を開いた。


「…丸井と西武が出資してくれるよ。」(涙)


こうして人力列車は
「見切り発車」された。


* 1
劇団百華堂:1994年4月、國學院大学演劇研究会OBの長沢康生、鈴木秀明、
同大学劇団娥夢の山下健太郎らが中心となり結成。
「ノスタルジック ストーリー」をコンセプトとし、長沢、鈴木のオリジナル作品を
交互に上演。計6回の公演を行い、1996年10月、解散した。
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