(3)カイコ (カイコガ科) 6首

 人類が長年月かけて作り上げた唯一の「家畜昆虫」であると云われるカイコは絹糸の原材料として知られている。
 日本における養蚕の歴史は古く『魏志倭人伝』にその記述がみられる「〜紵麻蚕桑緝績出〜」(〜麻を植え、蚕を飼い糸を紡ぎ〜 )とある(『新訂魏志倭人伝 他三編』石原道博編訳 岩波文庫)。
 このことから3世紀以前から養蚕が行われていたことが判る。
 また有名な『聖徳太子の十七条の憲法』(604年)にもクワの栽培を重んじた条文が見られる(『日本書紀』「推古天皇紀十二年夏四月三日」)。
 万葉の6首の歌の中4首には「たらちねの 母がかう蚕(コ)の」と云う句がつかわれており、養蚕が主婦(農家の主婦か)の仕事であったことを偲ばせる。
 巻11−2495「たらちねの母が養ふ蚕の繭隠り 隠れる妹を見むよしもがな」
(蚕が繭にこもっているように家に隠れている娘に逢うすべがほしい)というほどの意味で、初句の「たらちねの母」は監視者としての母親に多用される形容とある(中西進訳による)。
 巻12−2991「たらちねの母が養ふ蚕の繭隠り いぶせくもあるか妹に逢わずして」も想う娘に逢えないせつなさを詠んでいる。
 このように、蚕が繭を作るという行為を繭に隠れると表現し、母が飼う蚕が繭に隠れることから母が隠す、娘の監視者と云うような意味をもたすようになって来たのではないかと想像する。
 6首中3首に「母がかう蚕の繭隠り」と云う語が使われており、慣用句になっていたと思われる。
 このほか巻7−1357「たらちねの母がそれかう桑子すら 願へば衣に着すといふものを」とか、巻14−3350「筑波嶺の新桑繭の衣はあれど〜」のように繭を紡いで衣にすると云うことが常識になって居り、そのことが自分の思いを表す言葉として歌に詠み込まれて居るほどにカイコが身近なものであったに違いない。
 カイコが養蚕技術や紡績、製織技術と共に大陸から渡来したものか、渡来したのは技術だけでカイコまたはクワゴはもともと日本にも居たのかは判らない。


(4)カ 3首

 カはノミ、シラミと共に三大害虫とされて居る。
ノミ、シラミはDDTのおかげで激減したと云われるが、カは今も活躍して居り時に日本脳炎を媒介したりする。

 パナマ運河は当初スエズ運河を作ったフランスのレセップスが手掛けたがマラリヤの猛威に挫折し、アリカが引き継いで成功した。
 アメリカ政府は工事に掛かる前に当時の金で2百万ドルを投じて徹底的にカの駆除を行ったと云われる。

 カよけと云えばまず思い浮かぶのが「蚊取り線香」であるが、これは明治の中頃から普及し始めた(「虫の文化史」)といわれ、それまでは蚊遣り火としてスギ、マツ、クスノキ等の青葉をくすべて居た。
 蚊遣り火は夏の風物詩としてしたしまれ?てきたが、巻11−2649「あしひきの山田守る翁が置く蚊火の 下焦れのみわが恋ひ居らく」も蚊遣り火を詠んだ歌である。 このほかに巻10−2265「朝霞鹿火屋が下に鳴く河蝦(カワズ)声だに聞かば我恋ひめやも」、巻16−3818「朝霞鹿火屋が下の鳴くかはず しのびつつありと告げむ児もがも」の二首があるが「鹿火屋」の「鹿」が「蚊」の借字なのか、もともとシカよけのために火を焚く小屋なのか不明である。
 ただ巻10と巻16の歌の「カビヤ」は「カワズ」に掛かる枕詞的な用法と考えられる。いずれにせよこれらの歌はカを詠んだものでないことだけは確かである。
 清少納言は「にくきもの」として「ねぶたしと思ひてふしたるに、蚊の細声に侘しげに名告りて、顔の程にとびありく。 羽風さへその身の程にあるこそいとにくけれ」と『枕草子』に述べて居る。
この方がカに悩まされる状態をよく表現して居るが歌にはなりにくいかもしれない。


(5)ジガバチ (ハチ)3首

 ハチの種類は多くアシナガバチ、スズメバチ、ミツバチ等がごく一般的に知られて居るが万葉集ではスガル(須軽、酢軽、為軽などと当てて居る)と詠まれて居る。
 『万葉集名物考』には「酢軽、蜂に似て細腰なり、俗に似我蜂(ジガバチ)と云うものなり。常陸(かそり)、信濃(ぢすがり)、仙台(つちすがり)」とある。
 石坂洋次郎の小説に、東北地方を舞台にした『暁の合唱』と云う作品があり、そのなかに、河原にピクニックに行ってスガルバチに襲われるくだりがあったと記憶するが、今手元に資料がないのでどのような描写であったの定かではないが、この地方には「スカルバチ」と云う名前が残って居るものと見える。

 ハチも万葉の歌では主題となっていないが巻10−1979「春さればすがるなす野の 霍公鳥 ほとほと妹に逢わで来にけり」は3首の中で唯一ハチの生態を詠み込んだと思われる歌である。
 歌意は「春になると一斉に飛ぶスガルバチのような野のホトトギス、殆どあなたに逢わずに来るところだったなあ」(中西進訳)
 ただ解説に「何がスガルの如きか不明、諸訓、諸説ある」とある。
 『万葉集名物考』では「この蜂は桑の木の虫を負い来て己が巣にて七日咒すといへり、その子は一度巣を立ち去りて再び巣には帰らぬものとぞ、さるをスガルなすののホトトギスとよみたり」と述べて居る。
 しかし内藤ハチ博士は「ヂガバチは群棲しないので群がり飛ぶとは考えられない、群がり飛ぶのはミツバチの仲間で、このハチは恐らくニホンミツバチかウツギミツバツであらう」と述べて居る。 兵庫県山東町の楽音寺と云う寺の境内にウツギノヒメハナバチが巣を作り卯の花の咲く頃一斉に巣立つと云う。その数30〜40万匹、兵庫県の天然記念物に指定されている。 その光景はまさに“すがるなす野”そのものであらう、一度見てみたいものである。
 ウツギノヒメハナバチ;ミツバチ上科ヒメハナバチ科で日本には約80種が棲息しているようである。 
 『ミツバチの文学誌』渡辺孝著筑摩書房によると、「スガルとかスガリと云うのは今でも全国各地に残って居るが、いずれもハチ類一般を指すもので、ヂガバチを指す例は一つも無い。
 斎藤茂吉も「此のスガルはミツバチだらう」『新選秀歌百首』と述べている。」

 他の2首は巻9−1738「〜すえの珠名は 胸別の ひろき吾妹 腰細の すがる娘子の その姿の 端正しきに〜」とか巻16−3791「〜とのの甍に 飛び翔る すがるの如き 腰細に 」のように「美女の形容」として用いられて居る。
万葉の昔も、バストの豊かなウエストの締まったスタイルが美女の条件とされていたようである。