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(注)作品は作者より許可を頂いております。許可のない、複製は固くお断りいたします。

かちこむ

 鍛え込むことを、讃岐の方言でかちこむという。
 嫁いで間もなくのことであった。
 「まあ、あんたも、そのうちにかちこんでくるわな」
 近所のおばさんが、私の細い体を見まわしながら言った。
 あのときから四十余年、少しずつ地域のしきたりや農作業にも慣れ、気がつくとかちこんだ農婦になっていた。ひざを痛めて正座をできないほかは健康で、風邪一つひかない。

 周囲には、日焼けした顔に深いしわが刻まれた、かちこんだ人たちばかりいる。
 隣のAさんは、直角に曲がった腰で毎日野良に出ているし、向かいのBさんも、九十歳近いのに軽々と草刈機を使う。

 色あせた麦わら帽子をかぶっているだけで、私のように日焼けを気にしてタオルやサングラスで顔を包んだりはしていない。

 先祖から引き継いだ田畑を、休耕したり手放したりすることには抵抗を感じる私たちの世代である。
 Aさん、Bさんの姿に、私は自分の二十年後を見ているようで複雑な気持ちになる。

 農業にしばられたこんな暮らしの中にも、私たちには趣味の俳句と随筆があり、生きがいとなっている。趣味の世界に逃げ込むと、かちこんだ農婦も幸せでリッチな女性に変身する。神様が与えてくださった宝物として大切にしたい。

 最近、嫁のが家庭菜園をはじめた。子ども達が小学校と保育所へ行くようになり、少し時間がとれるから私の農作業を手伝いたいと言ってくれた。裏庭に続いた四アールほどの畑を、自由に使っていいと任せた。

 嫁は、毎日、スコップを使い汗びっしょりになり耕している。
 「帽子、帽子。紫外線きついよ」
 台所の窓から、私は声をとばす。
 ひと畝作るのに、一日がかりだ。
 「まず、ああやって土になじますこっちゃな。そのうちかちこんでくるわな。」

 嫁の懸命な姿を見てある人が、私の耳もとでささやいた。それは、私がかつて聴かされた言葉と同じであった。

 嫁は、家庭菜園の本と毎日にらめっこをしている。手入れの行き届いた畑には、草の一本も生やしていない。今年の夏は、サニーレタス、サラダ奈、トマトと毎朝かごに取り、母屋の私に届けてくれた。
 新鮮な野菜をおいしくいただきながら、私が農作業ができなくなった時は嫁が引き継いでくれるかもしれないと思ったりした。

 けれども、採算の合わない農業は、私の代で終わりにできないだろうかとも考える。
 機械化した現代の農業は、昔と比べてずいぶん楽になったと思われがちだが、老人と女性だけにゆだねられた肉体労働はきついものがある。

 嫁の白くてやわらかい手や顔が、紫外線と汗と土ぼこりにむしばまれてい汚れていくのはかわいそう。
 いつの時代にも、年老いても、女性は色白でふくよかなのがいい。嫁には、かちこんでもらいたくない。
 そんなことを考えながら、私は化粧をおとした自分のこちこんだ顔のうつっている手鏡を、そっと伏せた。

平成十二年「ずいひつ遍路宿」秋の号より