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(注)作品は作者より許可を頂いております。許可のない、複製は固くお断りいたします。

父のアルバム



 父が撮影したアルバムが一冊、実家にある。それぞれの写真の下部には、
漢字と片仮名で説明が書かれている。

 六十年の歳月を物語るかのように、とじ糸もゆるみ、写真もなくなりコーナーだけ
残っている頁も多い。

 写っている人物の大半は、故人となっているが、土の道と木の電柱、
火事の時にも打ち鳴らす半鐘、枯れた水草と藁のくろ、祭りの奉燈など、
ふる里の昔が納められている。

 そして何よりも、「妻ヲ撮ス」、「祭リノ日ニ」、「春光ノ元ニ育ム」、
「子ヲ守ル幸子」、「仲良キ姉妹」など、この中には幸せな家庭がある。

 毎年正月には、実家の姉とこのアルバムをめくりながら父をしのぶ。

 父は村から頼まれ、義勇軍として農業大学を経て茨城県の内原訓練所へ出向き、その地で亡くなった。

 文学を愛し、、農作業のできない雨の日には、琴平の図書館で読書をし、
帰りには山下有文堂に立ち寄り、写真の材料と文学書を買うのを楽しみにしていたという。
貧しい五反百姓の父だったが、剣道にも励み、村内では文化人的存在だったと姉は話してくれる。

 享年三十五歳。命日は、昭和十七一月二十一日とある。

 父が亡くなった時、母のお腹の中には八ヶ月になる弟がいた。
したがってこのアルバムに弟の写真はない。

 仏壇の中には、昭和十二年初夏に自分でタイマーをセットして撮った、「土ニ生ク我」と題された写真が
アルバムから取り出され、遺影として置かれていた。モッコとスコップをかたわらに、
田んぼで一服しているものである。

 毎晩家族そろってお経をあげるとき、私はこの父の遺影ばかりを見ていた。

 日記帳も何冊かあったが、実家の改築の時捨てられたらしく見当たらない。
父の顔を覚えていない私には、このアルバムだけが父を知ることのできる唯一のものである。
 
 「秋ノ子供」美智子三歳ノ秋。十五年十一月初、サクラパン、八重引伸。コスモスの乱れ咲く野に、
着物に白いフリルのあるエプロンをつけ、無邪気に笑っている私がいる。

 もう一枚は、「四歳ノ春ニ」美智子。
<三人姉妹ノ中デ最モ強健ナノガ美智子デアル。先々ハ不知。現在ノ所中々頭モシッカリシテ居ル、
少シ心ガ強過ギハセヌカ=三月中旬、晴、自製引伸、皿現像>
と、白インキで几帳面な字が書いてある。

 背後に母の姿があり、実家の庭で撮ったものである。草履ばきの足をやや広げ、下げた両腕に力が入っている。
口元はきりりと結ばれ,力士の土俵入りを思わせる。

 父が気に入っていたのだろうか、二枚ずつあったのでもらて帰り文箱に入れてある。

 気が弱世渡り上手の私は、困難に出合うとすぐくじけそうになる。
そんな時この写真を取り出す。”少シ心ガ強過ギハセヌカ”というところを何度も口にする。

 父が書いてくれた文章は、私を勇気づけてくれる。

 母も弟も亡くなり、姉も私も老いた。そして父を知るものも少なくなった。

 広いコスモス畑の真ん中に、三歳の私が立っている。
少し離れたところに三脚を据えた父が、レンズをのぞいている。
私は目を閉じ、そんな六十年前の光景を想像しながら「お父さん」と呼んでみる。