第二場。

            帝都大学の一室。久馬板付き

 

久馬  例えば、始まりは非常に小さなものだったのかもしれない。世界にたったひとつのそれはやがて組織化され、広大な宇宙へと広がった。仲間を増やし、選別し優秀なものを残す。この進化の道は破滅への道でもある。物事は常に不可逆で、枯れた花は元には戻らないし、芸術品はゴミと化し、あり日始まった宇宙もある日終わる。命にも期限が付けられている。この有限の命のなかで人はなにができるだろう。本当に誰も気が付かなかったのか。いや本当はみんな気付いていたのかもしれない。自分のなかの最後の遺伝子の存在に。では、今日はここまで。

 

羽鳥  久馬先生。

 

いつのまにか生徒がいる。

           

久馬  えっときみは。このゼミでははじめてみる顔だが。遺伝子工学の授業でも見ない顔だが。

羽鳥  羽鳥です。羽鳥夏希。医学部の学生。

久馬  ほう、医学部の。

羽鳥  はい。遺伝子はこれからの医学には切っても切れないものだと思ってますから。このゼミに参加させてもらいました。

久馬  そうだと思うよ。科学において遺伝子の歴史は浅いが医学においては遺伝子治療は最先端の技術だからね。で、なに。

羽鳥  遺伝子技術における人間の応用についてどう思われますか。

久馬  私は反対だがね。しかし、現実はそうもいってられない。

羽鳥  といいますと。

久馬  広い意味では、体外受精や、遺伝子治療、種なし西瓜に、種なし葡萄も 人間にかかわってきてることだからね。車を発明して車に乗るなといってるみたいなものだね。反対するって事は。

羽鳥  もっと具体的に、では、クローンの人間に対する応用は。

久馬  クローン人間か。

羽鳥  ありえますか。

久馬  ありえるね。そう難しいことじゃない。原理的には三十年も前からいわれていたことだ。

羽鳥  クローンの人間に対する応用は倫理的にかなり問題がありませんか。神の自然の摂理に反する…。

久馬  そうさ。しかし科学というものはそういうものさ。原子の原子爆弾への応用も結局は人にたいして使われたのだし、人類は常に破滅への道に進んでいるんだよ。何もしなければ大きくみて物事は悪いほうにしか進まないものさ。エントロピーの法則さ。あっと話が反れてしまいそうだ。もういいかい

羽鳥  ええ、ありがとうございました。(久馬の原稿用紙を見つけて)あ、これ論文ですか。

久馬  え、これ?

羽鳥  はい。

久馬  宇宙論だ。「下駄箱の宇宙論」。大きな宇宙ではなく、ミクロコスモス限りなく小さなものに対する宇宙論だ。

羽鳥  すごい。学界に発表するんですか。

久馬  いや、日本ホラー大賞。

羽鳥  え?

久馬  すごすぎて学界じゃ相手にならないのさ。

羽鳥  はあ。

久馬  子供の頃さ、毎朝下駄箱あけるじゃない。でも、もし神様のいたづらで、下駄箱の中で宇宙が創造されていたらなんて思ってあけるのが怖かった日もあった。

羽鳥  よくわかりません。

久馬  これがロッカーに入っていた。

羽鳥  なんですか、これ。

久馬  六ヵ月前の弁当。中見入り。

羽鳥  夏越してますね、う、すごい匂い。

久馬  あける勇気はあるか。

羽鳥  いやです。

久馬  きっと宇宙が広がっているんだ。

羽鳥  ホラーです、怪奇です。

久馬  しかし科学者として未知に対する探求は忘れてはならない。

羽鳥  これと科学とどうゆう関係があるんですか。

久馬  科学には時には開けてはならない、パンドラの箱というものがあるんだ

羽鳥  あれは単なる弁当箱です。

久馬  あの箱に見えるのは果たして、希望か邪悪か。

羽鳥  絶望です。単なる好奇心で、痛い目を見るのはいやです。

久馬  羽鳥さん、きみはなかなかいいことをいう。こいつは捨ててしまおう。

羽鳥  助かった。

久馬  たしかに人類に希望などない、あるのは死への衝動だけだ。

羽鳥  今、何かおっしゃいました?

 

            秋野登場。

 

秋野  久馬先生、また学生からかって遊んで。

久馬  ああ、秋野先生。先生こそ現場の人間がアカデミーで油売っていていいんですか。

秋野  午後の診療は終わりましたから。そちらは、遺伝子工学の学生サン?

久馬  あ、いや。医学生だよ。医者を目指してるんだ。君の後輩さ。羽鳥さん、病院の秋野先生。僕の同窓さ。

秋野  医学生?

羽鳥  こんにちわ。あの、私帰ります。じゃ、また。

秋野  ごめんね、邪魔して。

羽鳥  いいえ。いいんです。

 

            羽鳥退場。

 

久馬  どうしたんだ。

秋野  医学部にあんな子いたかしら。この前、病院で実習があったんだけど。

久馬  とらなかったんじゃないか。

秋野  実習は必須よ。

久馬  見逃したんだろ。君が。

秋野  私、人の顔は一度見たら忘れないほうなんだけどな、患者の顔とか。医学生の女の子なんて、やっぱり少ないし。うーん。

久馬  君もめずらしかったしね。

秋野  そうでしょ。だから。

久馬  学年が違うとか、病理専攻かもしれないし。

秋野  そうか。外科かもしれないよね。私内科だし。

久馬  そう。あ。

秋野  どうしたの?

久馬  机のうえに、ファイルが。かわいいやつ。

秋野  不思議の国のアリスね。久馬君の?

久馬  違うよ。さっきの子が忘れていったのかな。(開く)……。写真だ。

秋野  何の?

久馬  人魚。

秋野  にんぎょ〜。上半身が女の人で、下半身が魚の?  やらしい。

久馬  違う、もっとグロテスクな奴だ。上半身が猿で、下半身が鯉。見せ物小屋であるような。

秋野  見せて。なに、これ。

久馬  キメラだ。

秋野  キメラ?

久馬  遺伝子操作で作られた異種混合体。きっと猿と鯉を掛け合わせて。

秋野  ちょっと久馬君、常識で考えて猿と鯉の掛け合わせって、哺乳類と魚類よ。あるわけないじゃない。合成写真よ。ぬいぐるみよ。

久馬  遺伝子的には可能なんだがなあ。

秋野  上半身が猿で、下半身が魚なんかになるわけがないでしょ。

久馬  ……。

秋野  悪戯よ。単なる。

久馬  でも…。なんでこんな写真を。

秋野  あなたが、遺伝子工学の講師だからからかわれてるのよ。大学ではよくあることよ。あなたもよく学生の頃いたずらしたでしょう。

久馬  そうだなあ、いやな先生には……。おれって嫌われてたのか。

秋野  あの、気にしないで。

久馬  …。

秋野  久馬くんも医学も専攻していたんだから、医者になれば良かったのに。

久馬  僕には人の命をあずかるなんてできないからね。

秋野  血が怖かったくせに。

久馬  それもそうだけど人が怖かったのさ。おかげでフラスコ相手に、もっぱら、研究、研究さ。

秋野  その研究の鬼が大学で教鞭をふるうなんて、想像もつかなかったわ。

久馬  僕も思いもしなかったな。

秋野  大学に戻ったのは最近?

久馬  一ヵ月ちょっと前さ。

秋野  一体どうしたの。

久馬  どうもしないさ。気分転換さ。でっ、今日はなんのよう。

秋野  あのさ、大学時代の…。

 

            河内松原登場。

 

河内  どうだ、久馬君、元気にやっとるかね。いい気分転換になったろう。

久馬  …おかげさまで。

河内  そう露骨にいやな顔をせんでも。うん、そちらは?

松原  どこの、お嬢さんかと思ったら、秋野くんじゃないか。

秋野  おひさしぶりね、松原さん。

河内  ん、なんだ知り合いか?

松原  大学時代の友達ですよ。久馬君と、秋野君は昔っから仲がよかったか

らなあ。まわりが妬くくらい。

久馬  今日は何の用事ですか。

松原  なんだ、久馬君その言い草は。河内助教授がわざわざこんな所までこられたんだぞ。お茶くらいお出しするのが礼儀だろう。

河内  いいんだよ松原くん。気持ちだけで。

久馬  すいませんねえ。気づきもしませんで。

 

            久馬非常に丁寧に人数分お茶をだす。

 

久馬  で、なんなんですか、今日は。

河内  君も早く白泉教授の研究室に戻りたいのではないかと思ってね。

久馬  ……。

河内  それで、例の論文の事だがね。

久馬  またその話ですか。

松原  久馬君、例のフロッピーと論文は研究室の君の机にはなかったが

久馬  じゃあ無いんでしょ。

松原  君と僕の間柄じゃないか、もうちょっとフランクにいこう。同期じゃないか。

久馬  入学したのは同じでも、お前の方が三つは上だろう。

松原  ム?

久馬  あ、卒業したのはお前の方があとだったけ。

松原  誉められてるのか、けなされてるのか。

秋野  どう聞いてもバカにされてるでしょう。

久馬  いうことはそれだけですか。じゃあ、今日はわざわざお越し頂いてありがとうございました。また近くにお寄りの際はお越しください。

河内  いくら、君が研究して書いた論文だとしても、君みたいな若い人が発表しても意味がないんじゃないか。もっとネームバリューがある人間が発表したほうが。

松原  そう、例えば白泉教授みたいな。

久馬  け、あんなでんでんむしバカ。

河内  白泉教授のことをなんていうのかね。その道では権威と呼ばれる方だぞ

久馬  そんな権威の方が、私に用事があること自体おかしいじゃないか。

お帰りください。

河内  君はまだわからんのか、君が発表しても誰も見向きもせんぞ。

久馬  あれは外に出す気はありませんから。

河内  どうゆう意味だね。

久馬  あれは発表しません。

河内  君はあの論文の価値がわかってないのか。

久馬  河内助教授、内容ご存じないでしょう。

河内  君のやっていた研究は大体わかるぞ。「ヒトゲノムの解析」に関することだろう。今学会ではセンセーショナルな話題だ。さあ、論文を私に。

久馬  いやです。

河内  君は自分のいってることがわかっているのか。君だって早く研究所に戻りたいだろう。

松原  僕だって、君がいないと淋しいよ久馬君。君はなんといっても同期のなかで一番才能があった。

河内  あれは十年先に研究だ。あれを発表すれば学界は一大センセーションだ。なあ、久馬君。

久馬  帰ってください。

河内  なに。

久馬  あれは誰がなんていっても渡せないんです。

松原  久馬…。

河内  (松原の言葉を遮って。)もういい。君も、君の父親も何考えてるかわ

からん。

久馬  父がどうかしたんですか。

河内  君の父親も遺伝子を研究していたな。まだDNAの存在が見つかって間無しの頃だ。あいつも、遺伝子に関して何か発見したんだ。論文には書いたんだろうが、発表せずに死んだ。

久馬  その論文はどこにあるんですか。

河内  そんなこと私が知るわけないだろう。子供である君がしらんのだったらな。

久馬  そんな話しはじめて聞いた。

河内  久馬博士の三つの論文の話は結構この筋では有名な話だ。

久馬  三つの論文?

河内  今となってはどこにあるかわからないがな。結構おもしろいことが書い

てあるらしい。まあ、見つかったら、君の論文ごと白泉教授が引き受けよう。まあ、三十年前の論文では今となっては古いかもしれないがな。おっとこんな所に長居は無用だったな。何かあったら、私の所に相談に来たまえ。力になろう。じゃあ失礼しよう、松原くん。

松原  はい。

河内  久馬君、きみは父親に似ているな。

久馬  ……。

 

            河内退場。

 

松原  久馬君、こう見えても僕はきみのことを心配しているのだからね。何でも相談に乗るよ。早く大人になりたまえよ。僕はいつでもきみの味方さ。研究室で待ってるよ。

           

             松原退場。

           

秋野  すごい気分転換ね。

久馬  まあな、あんな大人にはなりたくないよ。

秋野  久馬君すごい論文書いたの?

久馬  いや、大したことはないさ。今度の小説のネタさ。

秋野  聞きたい。

久馬  秘密。

秋野  ケチ。お父さんの論文て。

久馬  それはオレも全く知らない。死んだんだよ。三十くらいでオレの生まれる前に。研究者だったらしいけどね。知らなかった?

秋野  聞いたような気もするけど。あの、ごめん。お母さんもいないんじゃ。

久馬  母は、僕が十才くらいの時に死んだんだ。

秋野  ごめん。

久馬  姉がいるよ。

秋野  あ、そうだ、西岡さん覚えてる?  私たちのひとつ上の。

久馬  西岡がどうしたの。

秋野  会いたいっていってきたんだ。

久馬  告白だ、告白。

秋野  私と久馬君に。

久馬  え、オレも?

秋野  告白じゃないわよ。彼、どこかの深窓のお嬢様の主治医やってるじゃない。どうしても難しい病気だから、て私たちに相談したいって電話があったのよ。

久馬  いつ会うの?

秋野  今から、だから来たんだけど。

久馬  え、きゅうだな。

秋野  近くの喫茶店で待ってるってさ。だめ。

久馬  いいけどさ、別に。用事があるんだ。あとから行くよ。

秋野  わかったわ。先にいってるから。

 

            秋野退場。

 

久馬  父の論文か。どうして死んだ人間に悩まされなきゃいけないいんだろう椅子に座って考える。)それもあったこともない男に。

 

            久馬心のなかの芝居。少年、猫、こうもり登場。

 

少年  なあ、おかあさん。

こうもり  なあに、はじめ。

少年  どうしてうちにはお父さんおれへんのや。

こうもり  はじめ。

少年  どこのうちにもお父さんおるんやで。なんで家にはおれへんのや。なあおかあさん。

こうもり  はじめ。

    はじめ、お母さん困らせたらあかんよ。お父さんはな、死んでしもたん

や。はじめが生まれる少し前に死んでしもたんや。

少年  なんで。

こうもり  (よよと泣いている。)

少年  お母さん、どうして泣くん。

    病気やったんや仕方ないんや。そうゆう運命やったんや。

少年  みんないつもそればっかりや。ぼくお父さんのこといっこもしらへん。お姉ちゃんはお父さん見たことあるん?

    私は、知ってるよ。

少年  ずるいわ。

こうもり  はじめ、はよ大きくなり。もうちょっと大きくなったら教えてあげる。

少年  ほんまやな。

こうもり  ほんまや、お前は大きくならなあかん。長生きせなあかん。

少年  いつ教えてくれるん?

こうもり  もう少し大きくなってか……。う。(倒れる。)

   お母さんどうしたん。

少年  おかあさん。

    お母さん。

こうもり  だいじょうぶや、だいじょうぶやさかい。

久馬  おまえら、なに?

少年  逃げろ〜

 

            少年、猫、こうもり退場。

 

久馬  いこ。

 

            久馬人魚の写真を持って退場。しばらくして、羽鳥登場。

 

羽鳥  久馬先生。なんだ、いないのか。ファイル見てくれたかしら。(といって机など物色しはじめる。)

 

            しばらくして、河内、松原登場。

 

羽鳥  河内教授。

河内  どうだ、何か見つかったかはどり。

羽鳥  いいえ、どこにも。

河内  用心深い奴だ。論文もフロッピーも残してないとは。

松原  彼は本当に「ヒトゲノムの解析」をおこなったのですか。

河内  三十億塩基すべての解析を行なったとは思わないが、何か重大な発見をしたのは確かだ。

羽鳥  「ヒトゲノムの解析」なんですか、それは。

河内  きみも科学者のはしくれだろ。そんなこともしらんのか。今や一大センセーショナルな話題だぞ。「ヒトゲノム」というのはだな、まあ簡単にいうと遺伝子の本体であるDNA、そのDNAを構成する三十億塩基対のことだ。その塩基対をすべて解析しようというのがヒトゲノム解析計画だ。

羽鳥  三十億ですか、壮大ですね。

河内  そうあまりにも壮大なため、各国が資金と力を注いでいる。久馬はそのヒトゲノムに関して何か重大な発見をしたと思われる。

羽鳥  何かよくわからないけどすごいじゃないですか。

河内  まだきみはわかってないのか。

羽鳥  すごいということはわかりました。

松原  それを白泉教授が発表することになるんですね。

河内  バカか、松原。白泉教授はもう老齢だ。ほっておいてもじきお亡くなりになる。大体あのぼんくら教授に何ができるんだ。

松原  と、すると。

河内  次期教授の私が発表する。

松原  なるほど。

河内  人類の未来をも決定づける研究だ。もし久馬の研究を学界に発表すれば

羽鳥  有名になる。

松原  我々の名前が教科書に載る。

河内  元素の名前になったりする。メンデルのように。

松原  カワチウムとか。マツバリウムとか。

羽鳥  ハドリウムとか

河内、松原  (口々に)それはない。あほかお前。

 

            羽鳥ぼこぼこにいてこまされる。

 

 

 

暗転