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マリ わが人生の師

マリちゃん
(1980〜1996)
生きることの厳しさ、強い意志と自信、人が生きるうえで必要なことをすべて教えてくれた


1995年1月17日午前5時46分、突然大きな揺れを感じた。  

一緒に寝ていたマリが「ニャア」と声高く叫ぶ。私は飛び起き、ギシギシと音を立てて大きく震えいまにも倒れそうな三面鏡を、両手を広げ全身で押さえ続けた。なんだ! いったいどうなってるんだ! 初めて経験する激しい震動は永遠に続くように思えた。同居人は「もうあかん、どうせ、ひとは死ぬんやから」と訳のわからないこと叫びながら、ふとんをかぶって揺れに人生を任せている。


クリの姿はどこにも見えない。


揺れがおさまった。カーテンのすき間から見える南西の空は、赤みがった不気味なオレンジ色に染まっている。子どものとき想像していた「地球最後の日」は、ちょうどこんなイメージだった。うちはマンションの7階だが、幸いどの部屋の家具も倒れていない。壁が揺れを吸収したのだろうか。よく見ると、壁紙が何個所も裂けていた。


ふとマリの方を見ると、なんと、頭を両手で抱え込み、からだを丸めて眠っているではないか。いつもの「おねむスタイル」だ。まるで何事もなかったように。さっき、おびえて鳴いたのを忘れたのか。コイツはホントにアホなのか、大物なのか。


昼過ぎにマリは目覚め、「ニャー、ニャーン」と、食事をうるさいくらいしつこく催促した。この地震で多くのひとびとが家具の下敷きになったり、火災で亡くなったりして大変なときなのに。生き埋めになって救出を待ち続けているひとが近くに何人もいるというのに(しかし、そのときはまったく知らなかった)。


いつでもマイペースのマリに非常時は存在しないのか。
震災直後もマリは毎日決まった時間に、当然のように食事と水を要求した。私たちは大きなリュックサックを背負って何キロも歩き、電車を乗り継ぎ、猫のエサと砂を求めて大阪まで買い出しに行くはめになってしまった。


クリはどうしていたかって?


地震直後、クリはどこを捜しても見つからなかったが、2日目にどこからともなく地を這うように現れた。手足の関節を折り曲げた低い姿勢で、まだ警戒のポーズをとっている。よほど怖かったんだろう。猫として正常な反応だと思うけど。



マリがやってきたのはルンナと別れて半年ほどしてから。引っ越先のマンションの3階の廊下を、脚を引きずりながら歩いているのを同居人が保護したのだ。白地に黒と茶の斑点が顔とからだにバランス悪く配置され、やせて薄汚れている。みるからに醜い子猫だった。のちに「飛び三毛」という模様だとわかった。そんな汚い猫を連れ込まなくてもと本気で思った。私もそのころは猫の美醜はわかるようになっていた。まして美猫中の美猫、ルンナのあとだから、なおさら醜さは目立った。猫を顔で判断した最初の出来事だった。


名前だけはせめてかわいくあってほしいと思い、「マリ」と名付けた。


脚が治るまでうちに置くことにしたが、脚が治ってもマリは出ていかなかった。それどころか、その後私たちは3回引っ越しをしたが、どこまでもついてきた。結局亡くなるまで16年間、一緒に暮らしたことになる。



マリは自分の顔のユニークさを恥ずかしがっている様子でもなかった。それどころか自分のことを美猫だと思っているふしがあった。


ペット禁止のマンションなのに、マリは近所の子どもたちの人気者になった。毎日のように「マリちゃん、マリちゃん」と、マリちゃんコールが廊下に面した窓側で起きた。マリは、一瞬、どうしようかなというように私の顔を見てから、子どもたちのコールにこたえるべく、急いで窓際へ走っていった。



ひとが訪ねて来ると、必ず玄関に見に行った。足のにおいをかいで、慎重にチェックをする。ひとを怖がることはなかった。だれに頼まれたわけでもないのに、人前に出たがりのマリは、「番猫」としての重責を果たしていた。


震災後、ボロボロに破れた壁を張り替えにきた職人さんを、背後から3日間、監督していたこともある。マリに仕事の出来具合、進み方を監視され続けた職人さんは、うちの仕事が終わったあと、入院したという。「猫にずっと見つめられ、手抜きも休むこともできなくて、胃潰瘍になった。猫に監督されたのは初めてや」とぼやいていたそうだ。


10歳を過ぎたころからマリは、一本、筋のとおったおばさん猫になっていた。


たとえば、食事がしたいときは、自分の欲求が満たされるまではあらゆる手段を試みた。夜中であれば、まず、ザラザラの舌で私の顔をなめ始める。次に髪の毛に手を入れ爪をたててとかす。これが結構痛い。しかし、これで起きなければ、サイドテーブルに積んでいる本をかたっぱしから投げる。これが顔に当たると、本当に痛い。まだ起きないと、電気スタンドに桜色の肉球でふれ、スイッチを入れて明かりをつけ、目つぶし作戦に出る。


しかし、まだ起きないとなると、きわめつけは電話作戦。電話機の上に乗り、でたらめにボタンを踏みつけるのだ。一度、どこかへ電話をかけたことがある。



どんな手を使ってもヒトがやるべきことをやらせるのだ。ヒトがやるまで決してあきらめないのだ。そこにマリの確固とした信念と、強い意志を感じた。優柔不断な私は腹が立つのを通り越して、尊敬の念さえ感じた。猫を尊敬したのは初めての経験である。


震災から1年半がたった1996年8月13日午前2時過ぎ、マリは永眠した。


前日の夕方、私の前に三つ指をつくように、ちょこんと座ったマリの目は赤く充血していた。「もっと生きたいけど、でも病気にはかてませんでした」と、別れのあいさつをしているように思えた。

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