あなたのこころをささえる聖書のことば


聖 書 (日本聖書刊行会 新改訳聖書 から)



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 *** あなたの「こころの渇き」メニュー ***
     ●心に平安がほしいとき・・・・・・・・・
     ●責任ある地位についたとき・・・・・・・
     ●失敗したとき・・・・・・・・・・・・・
     ●心配事のあるとき・・・・・・・・・・・
     ●失望しかかったとき・・・・・・・・・・
     ●悲しみのとき・・・・・・・・・・・・・
     ●誘惑を受けたとき・・・・・・・・・・・
     ●疲れたとき・・・・・・・・・・・・・・
     ●忙しいとき・・・・・・・・・・・・・・
     ●争い・・・・・・・・・・・・・・・・・
     ●恐れるとき・・・・・・・・・・・・・・
     ●近親の者を失ったとき・・・・・・・・・
     ●病気のとき・・・・・・・・・・・・・・
     ●信仰に力がないように感じるとき・・・・
     ●孤独なとき・・・・・・・・・・・・・・
     ●死・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     ●罪を犯したとき・・・・・・・・・・・・
     ●劣等感に悩まされるとき・・・・・・・・
     ●人に中傷されたとき・・・・・・・・・・
     ●試みのとき・・・・・・・・・・・・・・
     ●欠乏のとき・・・・・・・・・・・・・・
     ●目標をめざして・・・・・・・・・・・・
     ●忍耐・・・・・・・・・・・・・・・・・
     ●人をさばく心の強いとき・・・・・・・・
     ●損失を受けたとき・・・・・・・・・・・
     ●迫害のとき・・・・・・・・・・・・・・
     ●家庭・・・・・・・・・・・・・・・・・






心に平安がほしいとき


ヨハネ14:27
 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。

ローマ8:28
 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益として下さることを、私たちは知っています。



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責任ある地位についたとき


マタイ20:26-28
 あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。

マルコ9:35
 イエスはおすわりになり、12弟子を呼んで、言われた。「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」



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失敗したとき


ルカ22:31-32
 「・・・しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」シモンはイエスに言った。
 「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」

ヨハネ21:15-17
 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存知です。」イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」
 イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存知です。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい」
 イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか。」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存知です。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」



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心配事のあるとき


マタイ6:25-34
 だから、私はあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、体のことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物より大切な物、体は着物より大切な物ではありませんか。
 空の鳥を見なさい。種まきもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていて下さるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでものばすことができますか。
 なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、良くわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
 しかし、私はあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
 今日あっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておれられます。
 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。



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失望しかかったとき


2コリント4:7-18
 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。
 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスの命が私たちの身において明らかに示されるためです。
 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスの命が私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。
 こうして、死は私たちのうちに働き、命はあなたがたのうちに働くのです。
 「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。
 そえは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなた方といっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。
 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。
 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
 私たちは、見える者にではなく、見えない者にこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。



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悲しみのとき


2コリント1:4
 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。



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誘惑を受けたとき


マタイ4:1-11
 さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
 そして、40日40夜断食した後で、空腹を覚えられた。
 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」
 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るひとつひとつの言葉による。』と書いてある。
 すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、
 言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」
 イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」
 今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、
 言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」
 イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」
 すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。

マタイ26:41
 誘惑に陥らないように、目を覚まして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。



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疲れたとき


マタイ11:28
 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、私の所に来なさい。私があなたがたを休ませてあげます。



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忙しいとき


ルカ10:38-42
 さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村に入られると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。
 彼女にマリヤという妹がいたが、主の足元に座って、み言葉に聞き入っていた。
 ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとにきて言った。「主よ。妹がわたしだけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」
 主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。
 しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」



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争い


エペソ4:25-32
 ですから、あなたがたは偽りを捨てて、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。
 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。
 悪魔に機会を与えないようにしなさい。
 盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。
 悪い言葉を、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つ言葉を話し、聞く人に恵みを与えなさい。
 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。
 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。
 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦して下さったように、互いに赦し合いなさい。

ヤコブ4:1-3
 何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。
 あなたがたは、欲しがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。
 願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。



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恐れるとき


マタイ10:28-33
 体を殺しても、魂を殺せない人達などを恐れてはなりません。そんなものより、魂も体も、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
 二羽の雀は1アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。
 また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。
 だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりも優れたものです。
 ですから、私を人前で認める者はみな私も天におられる私の父の前でその人を認めます。
 しかし、人の前で私を知らないと言うような者なら、私も天におられる私の父の前で、そんな者は知らないと言います。

ルカ12:32
 小さな群れよ。恐れることはありません。あなたがたの父である神は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。



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近親の者を失ったとき


1コリント15
 −長いから聖書を読んでね!−

1テサロニケ4:13-18
 眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。
 私たちはイエスが死んで復活されたことを信じてます。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れてこられるはずです。
 私たちは主の御言葉のとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、御自身天から下ってこられます。それからキリストにある死者が、先ず初めによみがえり、
 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
 こういうわけですから、この言葉をもって互いに慰め合いなさい。



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病気のとき


ヤコブ5:14-18
 あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。エリヤは、わたしたちと同じような人でしたが、雨が降らないように祈ると、三年六ヶ月の間、地に雨が降りませんでした。そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。



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信仰に力がないように感じるとき

使徒1:8
 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。

2コリント12:9
 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んでわたしの弱さを誇りましょう。



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孤独なとき

ヨハネ14:18
 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻ってくるのです。



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2コリント5:1-10
 私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。 わたしたちはこの幕屋にあってうめき、この天から与えられる住まいを着たいと望んでいます。それを着たなら、私たちは裸の状態になることはないからです。確かにこの幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。 それは、この幕屋を脱ぎたいと思うからでなく、かえって天からの住まいを着たいからです。そのことによって、死ぬべきものが命にのまれてしまうためにです。 私たちをこのことにかなう者としてくださったかたは神です。神は、その保証として御霊をくださいました。 そういうわけで、私たちはいつも心強いのです。ただし、私たちが肉体にいる間は、主から離れていると言うことも知っています。 確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。私たちはいつも心強いのです。 そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。



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罪を犯したとき

1ヨハネ1:9
 もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。



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劣等感に悩まされるとき

1コリント7:17-24
 ただ、おのおのが、主からいただいた分に応じ、また神がおのおのをお召しになったときのままの状態で歩むべきです。わたしは、すべての教会で、このように指導しています。
 召されたとき割礼を受けていたのなら、その跡をなくしてはいけません。また、召されたとき割礼を受けていなかったのなら、割礼を受けてはいけません。割礼は取るに足らぬこと、無割礼も取るに足らぬことです。 重要なのは神の命令を守ることです。おのおの自分が召されたときの状態にとどまっていなさい。奴隷の状態で召されたのなら、それを気にしてはいけません。しかし、もし自由の身になれるなら、むしろ自由になりなさい。奴隷も、主にあって召された者は、主に属する自由人であり、同じように、自由人も召された者はキリストに属する奴隷だからです。 あなたがたは、代価をもって買われたのです。人間の奴隷となってはいけません。 兄弟たち。おのおの召されたときのままの状態で、神の御前にいなさい。

2コリント4:7
 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。



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人に中傷されたとき

1コリント4:3,4
 しかし、わたしtにとっては、あなた方による判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分を裁くことさえしません。私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。わたしを裁くかたは主です。



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試みのとき

1コリント10:13
 あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。

ヤコブ1:2-4
 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、者となります。



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欠乏のとき

マタイ6:24
 だれも、二人の主人に 仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。

ピリピ4:12
 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。



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目標をめざして

1コリント9:26-27
 ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。 私は自分の体を打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。

ピリピ3:12-16
 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、後ろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです。
 ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。 それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。



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忍耐

ヘブル12:1-13
 こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前におかれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。
 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。 あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。
 「わが子よ。  主の懲らしめを軽んじてはならない。
  主に責められて弱り果ててはならない。
  主はその愛する者を懲らしめ、
  受け入れるすべての子に、
  むちを加えられるからである。」
 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生児であって、ほんとうの子ではないのです。
 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。
 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。
 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。また、あなたがたの足のためには、まっすぐな道を作りなさい。足なえの人も関節をはずすことのないため、iやむしろ、癒されるためです。



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人をさばく心の強いとき

ルカ6:37-42
 裁いてはいけません。そうすれば、自分も裁かれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。
 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押し付け、ゆすりいれ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。
 イエスはまたひとつのたとえを話された。「いったい、盲人に盲人の手引きができるでしょうか。二人とも穴に落ち込まないでしょう。弟子は師以上には出られません。しかし十分訓練を受けたものはみな、自分の師ぐらいにはなるのです。あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか。
 自分に目にある梁が見えずに、どうして兄弟に、「兄弟。あなたの目のちりを取らせてください。」と言えますか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけることができるのです。



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損失を受けたとき

ピリピ3:7-9
 しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。
 私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、キリストの中にあるものと認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。



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迫害のとき

2テモテ3:1-4
 終わりの日には困難な時代がやってくることをよく承知しておきなさい。そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神を汚すもの、両親に従わない者、感謝することを知らない者、穢れた者になり、情け知らずのもの、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、


ヘブル13:12-14
 ですから、イエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、身元に行こうではありませんか。
 私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。


1ペテロ1:6-7
 そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、信仰の試練は、火を通して精錬されてもなお朽ちていく金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉にいたるものであることがわかります。



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家庭

エペソ5:22-6:4
 妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がその体の救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。協会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。
 キリストがそうされたのは、み言葉により、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければ成りません。
 自分の妻を愛するものは自分を愛しているのです。誰も自分のみを憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。
 私たちはキリストの体の部分だからです。「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、二人は一心同体となる。」この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とを指して言っているのです。それはそうとして、あなたがたも、おのおお自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。
 子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。


コロサイ3:18-21
 妻たちよ。主にある者にふさわしく、夫に従いなさい。夫たちよ。妻を愛しなさい。つらく当たってはいけません。子どもたちよ。すべてのことについて、両親に従いなさい。それは主に喜ばれることだからです。父たちよ。子どもをおこらせてはいけません。彼らを気落ちさせないためです。


1ペテロ3:1-7
 同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、み言葉に従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。
 それは、あなたがたの、神をおそれかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。あなたがたの、神を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人柄を飾りにしなさい。これこそ、神のみ前に勝ちあるものです。むかし神に望みをおいた敬虔な夫人たちも、このように自分を飾って、夫に従ったのです。
 たとえばサラも、アブラハムを主と呼んで彼に従いました。あなたがたも、どんなことをも恐れないで善を行えば、サラの子となるのです。
 同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。



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