★ 8年越しの実践
平成14年の夏。この夏は自分にとって特別である。
8年前(平成6年)に担任した子供たちが20歳になるのである。
この子供たちには「20歳の自分への手紙」を書かせていた。
以下、実践の概略である。
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教師になってから10年目。2度目の6年生担任として卒業させることになった。
その時にたまたま見ていたビデオ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を見て閃いた
ことがあった。子どもたちに、「20才になった時の自分への手紙」を書かせるという
ことである。その時のレポート(1995・3月)から抜粋をする。
■レポート
自分の未来に思いをはせる・・・・それはロマンあふれることである。そして、自分
が思いをはせた時のことを、未来の自分が知ることは興味のあることである。
その方法の一つとしてタイムカプセルがある。ただ、「〇才になったらあけよう」と
いっても、その手間ひまは大きなものである。
もっと気軽に自分の小学校の時の思いが伝わる方法はないかと考えた。それが、
8年後の自分への手紙である。ちょうど子どもたちは青春真っ只中。
国語の時間を利用して、手紙を書かせた。
20才の私へ
こんにちは。
私は過去からきた12才のあなたです。今日は、3月16日。あと3日で卒業式
というところです。
あなた(私)は今、何をしていますか。
「自分の店がほしい」という夢はかなっているかしら。今は、どこで暮らしている
の?車は何にのっているの?
まあ、(この手紙を書いているこの年から)8年後には、分かることだけど。
それより「同窓会」でもしたいね。一度やってみたかったんだ。「同窓会」というも
のをね。いったい何人集まるのかな。楽しみ。ぜったいやろうね。「同窓会」を。
12才の私 より
これを自分あての住所を書き、教師が保存する。
8年後に発送するだけである。ただ、これだけのことであるが、
子どもたちは大喜びであった。中には、思い出の写真やプロミスリングを入れるも
のもいた。
私自身も発送が楽しみである。(レポート終わり)
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この手紙の保管場所は我が部屋。輪ゴムで束ねられた手紙を見るたびに、もう
すぐ発送だなと感じていた。また、その後担任した子供たちに「20歳の自分への
手紙」を書かせるたびに、あの子たちの発送まであと〇年だなあと思ったものであ
る。
さて、いざ発送。子供たちの夢をのせてである。転居した子が3名いたが、調べに
調べて何とか全員分とどけることができた。
すぐに数人から反応があった。
★手紙届きました!HPも拝見しました。お元気そうでなによりです。日曜にYさんと
遊んだ時、この手紙の話をしてたんですよ!!
私は今、〇〇の〇〇科に通ってます。就職が厳しくて大変です!この不景気ホン
トどうにかしてほしいです・・・。
15日の成人式、みんなどれほど変わっているのか楽しみです☆
では、これからもお仕事がんばって下さい!手紙ありがとうございました。
★ご無沙汰しております。
小学校6年生の時に手紙を書いたこと自体忘れておりました。
私は今、〇〇大学の〇〇科2年に在学しております。
いろいろと思い出が甦ってきました。
これからも自分の目標に向かって頑張りたいと思います。
大変ありがとうございました。
★正寿先生お久しぶりです、お元気ですか?僕は、元気かな?
手紙、今日(昨日?)届きました。僕はこの約束、ずっと覚えてましたよ。そして、
正寿先生は本当にこの約束を覚えていたんですね。すごくうれしかったですよ。こ
んな素敵な先生やっぱりいるんだなぁって。今も、そしてこれからも素敵な先生で
あり続けてください。
★先生、お久し振りです。
岩小では、いろいろとお世話になりました。
「20才の自分への手紙」届きました。ありがとうございます。
おかげさまで、私も20才になりました。先生もお元気そうでなによりです。
来春に卒業(予定)、その後の就職も内定しています。今は夏休み中で、江刺の
〇〇でアルバイトをしながら過ごしています。楽しい毎日です。
★ 先生、お久しぶりです。岩谷堂小学校を卒業してから、早いもので八年も
経ったんですね。今、私は水沢にある専門学校に入学し、現在2年生です。
就職の方はプロバイダーの方に決まりそうです。
先生から届いた手紙を読んで、少しだけ小学校の時のことを思い出し、少し
センチになりました。先生の怒った顔、笑った顔、泣いた顔、印象に残って
ます。 また、卒業式の日も泣いてた顔、今でも忘れません。
また、先生からヤンチャがすぎて度々、「愛のムチ」をいただきましたね。
本当に感謝しています。間違った道にそれないでこれたのは先生のおかげです。
俺、小学校〜現在まで無遅刻・無欠勤?で頑張ってます。当たり前のことです
が… 勉強の方も頑張ってますよ。では、そろそろこの辺で、乱文で申し訳ご
ざいません。そうそう正寿先生のHPもみましたよ!
それでは、先生お仕事頑張ってください。 でも、健康にも気おつけてくださ
い。 自分もこの手紙を励みにがんばります。
★今日は先生に心からお礼を言いたくて、筆をとりました。「8年前からの自分から
の手紙」は、この夏一番の衝撃でした。先生から手紙が届いた時、初めは困惑
しました。なんで8年前の先生から?と思ったのです。いや、封筒の裏に12歳の僕
と先生の名前が書いたあったことが、一番僕の頭を悩ませました。封を切り、中身を
見ると、僕は顔が紅潮するのを自覚しました。先生からの手紙を読んで懐かしさと嬉
しさがこみ上げ、自分からの手紙を読んで年月の経過を思い知ったのです。恥ずか
しながら、先生の言葉どおり、小学校6年の時に書いた手紙をすっかり忘れていた
ぼくは、この手紙のことを家族に、そして大学の友人にも自慢しています。自慢と書
くと語弊があるかも知れませんが・・・。「小学校の時の自分から手紙が届いた!担
任だった先生が保管していて、それを届けてくれたんだよ!!」
先生の学級にいたことを僕の誇りに思います。
うれしい声・声・声であった。親御さんからもメールをいただいた。
反応は期待していないといえば嘘になるが、なくても構わないと思っていたのは事
実である。そんな中次々と来たメールや手紙の有難さ。格別の嬉しさである。
だが、一人だけ本人に手渡せなかった子がいる。
昨年交通事故で亡くなった子である。
知ったのは今年の6月。その日の日記である。
6月17日
今日、衝撃的な連絡が入った。
昨年の12月に8年前に担任した子が、交通事故でなくなっていたというものだ。
私が宮古にいたので、連絡が遅くなってしまったようである。
5年生の途中で転校して、最初は学級になじめない子であった。日記に困り事
をよく書いていたことを思い出す。途中で私のアメリカ研修もあり、親御さんが心
配していた。それでも、無事卒業し、中学校で元気に部活をしているということ
だった。ソフトボールのユニフォーム姿が似合っていた。
この学級では卒業する時に私とひとつの約束をしていた。「20才の自分への手
紙を書き、それを佐藤先生がみんなが20才になった時に送る」というものだ。
その20才の手紙を送るのが、この8月であった。
改めてその子の「20才の自分への手紙」を読んだ。
「20才の自分はどうなんだろう。20才になるまであえないけどね。
それまでさようなら。20才になったらあえるから。」
今となってはこの言葉は天にしか届かない。無念である。
この手紙を読みながら、つくづく人生の不公平さを感じる。
もっともっと生きてほしかった。
親御さんにはのちほど、直接この手紙を届けにいくつもりだ。
それが自分の使命だ。(日記おわり)
実際に母親に手紙を届けた。涙・涙でお母さんとその子の思い出を
語った。つらい話である。
この手紙を本人に読んでほしかった。そして笑ってほしかった。
写真の中のY子の笑顔を見てそう思う。
でもあなたの思い出は永遠に心の中に残っていますよ。
合掌。
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