★ 教育実習の日々

  今まで教育実習生を二人受け持ちました。自分が今まで学んだことを、実習生
 にはできる限り還元しようと努めました。自分が教育実習生の時に指導してくだ
 さった先生方に、そうされたのと同様にです。
  これらの学級通信は、教育実習生を受け持った時に発行したものです。

★ 学級通信「トゥモロウ」 130号(平成11年11月4日)、131号(5日)より

    教育実習の日々

■その1  教官に怒られる

 教育実習の初日のこと。
 誰が何の授業をするのか割り振りをすることとなった。
 同じクラスに配属された実習生6人で話しあうのである。
 そうじの前に、そのことについて放送があった。
「実習生の皆さんに連絡します。授業計画用紙をできるだけ早く出してください。」と。
 目の前で子供たちは机を運び始めた。実習生6人は、そうじに行ったらいいのか、計
画作りを優先させたらいいのか、わからなかった。
 そのうち一人が言った。
「実習生室に行って相談しよう。」
 そうじの時間に、授業計画はできた。そして、5時間目の授業に臨んだ。

 ところが放課後、担当のY教官に怒鳴られてしまった。
「子供たちのそうじも見ない実習生がどこにある!」
 (こっちにはこっちの理由があるのに!)と思ったが、教官が怒った真意をよく考えてみ
た。
 子供たちが学校にいる限りは、何事も子供たちのことを優先すべきという当然の原則
がある。私たちはそれを間違えていたのである。何も「今すぐに」授業計画を出すのでは
ない。
 「そうじを優先させるべきだった」・・・このことを悔やんでも後の祭りである。

 この件で実習生たちはがっくりしてしまった。アパートに帰ってからも怒鳴られたショック
が尾を引いた者もいた。
 「いやだなあ」と思いつつ、翌日Y教官に接すると、昨日のことには全く触れない。それど
ころか、子供たちに接するのと同じ笑顔で私たちにも接する。
 「ふだんはやさしいが、怒るとこわい」・・・教師にとって大切な資質を私たちにも示してく
れた教官だった。

■ 45分間の授業が1分の説明に負ける

 怒鳴ったY教官は算数が専門であった。
 実習生の中にT君がいた。数学研究室である。当然実習授業も算数を選択した。

 そのT君が顔をゆがめる。平行四辺形の問題で、プリントを一生懸命説明するのである
が、子供たちは(わからない)という顔をしている。
 T君は、さらに説明や質問を加えるものの、説明をすればするほど、子どもたちは困惑し
たような顔をする。

 授業の原則の一つに「発問はやたら変えてはいけない」ということがある。発問がころこ
ろ変わったのでは、子供たちは混乱するばかりである。
 ところが、実習生の悲しさ、そんな原則など知るわけがない。

やがてチャイムが鳴る。次の授業もある。
 やむを得ない。Y教官の登場である。その説明、わずか1分。子供たちが「わかった、わ
かった」と生き生きとした顔でうなずく。
 その様子を見ていたT君。実習生の我々の席に戻り一言。「悔しい」
 この時ほど、プロとアマの違いを感じたことはなかった。

■ 気になる子

 考えてみると、私が教育実習に行ってから16年も経つが、子供たちの名前はけっこうす
らすら出てくる。
 担任の先生に「学級委員長がそんな態度でどうする!」とよく怒られていた大川君(仮名)。
私の家庭科の授業で子どもがなかなか集中せず「まさとし先生がかわいそうだった」と言っ
てくれた仲田ヨシノさん。(仮名)いつも、ひょうきんなことを言って、実習生たちを笑わせてく
れた西君(仮名)・・・・といったようにである。

 ところが逆に名前は忘れてしまったが、その子の発言や表情を特に覚えている子がいる。
 その女の子は、実習生の誰に対しても心を開くことがなかった。それどころか、何か話しか
けると怒ったりするものだから、実習生の中には、「私、あの子には話しかけたくない」と言う
者も出る始末だった。
 その子はマラソンが得意だった。ちょうど実習期間中にマラソン大会があり、その子は2位
に入った。
 廊下でその子に会った時に、私は「2位になってよかったね」と声をかけた。そうしたら、その
子はニコリともせず、「(1位になれない)イヤミだ、イヤミだ」とつぶやいて怒るように走って行
った。
 私もムッとしたが、その場はそれで終わった。
 
 実習最後の日、子供たちが実習生全員に書いた手紙をもらった。その子がどんなことを書
いているか興味があった。読んでみると・・・。
 
「マラソン大会のことで、声をかけてくれてありがとう。わたしはなかなか自分から先生たちと
 話ができません。だからとてもうれしかったです。」
 
 実習生に対するすねた態度は、「自分にも声をかけてほしい」というサインだったのである。
 子供たちは、誰でも先生と話したがっている。そして、先生にどんな態度をとっても、子供た
ちは教師の声がけを待っているものなのだ、ということを感じさせてくれた子であった。

■ 担任の思い

 中学校の教育実習はわずか1週間であった。
 そのころは「荒れる中学生」という言葉がマスコミをにぎわせ、校内暴力の嵐が全国に吹き
荒れていた。大学の教官からは、「あなたたちが教壇に立つ頃は、小学校高学年で校内暴力
があるかもしれない。」と脅かされたりしたものであった。

 さて、その中学校は校内暴力はないものの、あまりよいとは言えない状態であった。
 3年生の学級に配属されたが、まず担任の話を聞こうとしない。帰りの会など、平気で席を立
ったり、変な声をあげたりしている。
 担任の女の先生が、「静かにしなさい!」と声をふりしぼっても、子供たちには関係なし。日直
の「さようなら」という声で、教室は飛び出すように出ていってしまう。私たちはビックリしてしまっ
た。
 
 その様子を見たのは実習初日。放課後、担任の先生との打ち合わせがあった。
 さぞかし、「困ったものです」といった言葉が出てくるのかと思った。ところが、その先生は開口
一番、次のように言われた。

「あの子たちは、一人一人見るととてもいい子たちです。ただ、集団になると歯止めがきかなくな
 るだけです。」


 確かに一人一人と話をするととても感じがよい。担任の言っている意味が、わずか1週間であっ
たが、よくわかった。
 「子供たちを信じる」・・・たとえ、どんな状況でも担任である限り、このことは大切にしなければ
いけない。そんなことを感じさせてくれた中学校の教育実習だった。

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