★教え子の結婚式  パート3・4

 今年の5月・6月と連続をして教え子の結婚披露宴に出た。ともに初任で
担任をした子である。27歳。あの子たちの6年生担任の時の年令と同じで
ある。自分も結婚はしていた。もうそういう年令なんだなあと感慨深くなった。
 まずはその時の様子を日記から。

■教え子の結婚式(5月31日の日記)

 8時の新幹線で東京へ。
教え子の結婚式のためである。ご家族・ご親族と一緒。Kさん。賢く何事に
もチャレンジする学級のリーダー。学業優秀と同時にスポーツも秀でてい
た。今まで、男の子二人に招かれていたが、女の子は初めてである。

 5時すぎに披露宴会場の明治記念館へ。Kさんと会うには中学生の時
以来である。長身になっていて驚いたがケタケタ笑う姿は、十数年前に
教室で笑う彼女と同じであった。明治記念館は由緒ある式場で、披露宴
会場は明治時代に天皇陛下や伊藤博文らが憲法や教育勅語の御前会
議に使ったとか。その名残りのある会場であった。

 Kさんの中学校以降の進路は知っていたが、大学での活躍ぶり、今の
お仕事について知る。ずいぶん頑張っているのだな・・・と感じる。教え子
の近況についてはいつも励まされているのであるが、今回も同様であっ
た。自分の専門を生かした仕事ぶり。彼女自身の小さい頃からの積極性
を思うとうなずける。

 途中で私もスピーチさせてもらった。小学校時代のミニバスのこと、
出会いに日にトイレ掃除に率先して立候補し、日記にその理由をびっし
りと書いてきたこと等を話させてもらった。スピーチはなかなか決まらず
行きの新幹線で絞ったものだ。思いは伝えることができたと思う。スラ
イド上映では市内の水泳大会に引率した写真が紹介。15年前の彼女
と友達、そして自分。タイムスリップだ。教師なりたててで未熟そのもの
だった当時のことをあれこれ思い出し、宴を終えた。

■教え子の結婚式(6月22日の日記)

 今日は教え子の結婚披露宴。初任の時に担任した子である。この2
年あまりで4人目。全部スピーチ。有難いことである。力のない時の担任なの
に・・・と本当に思う。新郎Y君。一番のノッポだった子だ。ミニバスの練習を共
に3年間がんばったことが思い出される。6年生の時にスポーツ面で頭角を
表し、走り高跳びは市内1位、200mも入賞。弟たちもミニバスで活躍。お父
さん、お母さんにはPTAバレーの時にいろいろとお世話になった。

 スピーチは今回はわりとざわざわした中で。笑いを入れた時点でシーンとな
って聞いてくれたのが嬉しかった。披露宴には細かな演出や仕掛けがたくさ
ん。二人の思いが詰め込まれたものになっていた。

 参加された方の中には愛宕小時代の保護者がわりと多く、当時の話を懐か
しんでする。子どもたちの近況を聞いて嬉しくなった。結婚してすでに2児の母
になった子、ミニバスの指導者になって今母校の子どもたちを教えている子・・・
担任していた当時の姿が浮かんできた。初任で担任した子たちは、今26か
27歳。自分が6年生を担任していたときの年齢である。十分な大人であるが
どうしても「〇〇くん」「〇〇ちゃん」と言ってしまう。私の中ではやはり小学校
時代の印象のままなのだ。

 Y君を始めとして教え子たちの活躍ぶりから自分も元気をいただいた。やは
り今までと同様に教師冥利。有難き機会であった。

■ 「担任」だからこそ招かれる

 いつも思うことであるが、彼らを担任した時代は自分に教師として力がない時代
であった。3〜6年の担任。全てが初めてのことばかり。授業技量も低い。ただ「より
よい教師になろう」という気持ちは(誰にでもあると思うが)もちろん強かった。
 そのような時の担任であっても結婚披露宴に招かれる。しかもスピーチをしてくだ
さいとまで言われる。Y君の披露宴では中学校時代の担任も招かれていた。
 「小学校時代の先生が招かれるのは珍しいですね。しかもスピーチですからね。」
と言われた。その点では本当に教師冥利につきる。担任だからこそである。

 彼らを担任した当時とは違って、今はある程度授業には自信がついた。「よりよい
教師になろう」という気持ちは今も強い。(そのような気持ちがなくなったら私は教師
をやめようと思っている。子どもにとって迷惑である。)
 しかし、子どもたちとのつながりはどうだろうか。初任の時に担任した子どもたちは
一人一人の名前はもちろん、具体的なエピソード、表情も全て鮮明である。今、担任
している子どもたちにも同様になるように努力しなければいけないなと思った。


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