載 私の教材開発物語 第17回

     「アテルイ」 ブームに乗ったフィールドワーク

               佐藤 正寿

  

■ 夏休み、フィールドワークのチャンス

 間もなく夏休み。教材開発を楽しみにしている者にとっては大好きな季節で
ある。
 通常であれば、私は3つのパターンで夏休みのフィールドワークを行う。

1 夏季の研修大会で訪れた地でのフィールドワーク
 私がここ数年連続で参加している授業づくりネットワークの夏大会が、今年
は北海道で行われる。私の住む岩手からでも、北海道はやはり遠い地であり、
未知の部分が多い。どこを訪れようか今から楽しみにしている。

2 家族旅行を利用してのフィールドワーク
 毎年家族旅行をしている。行く先々が全て私にとってはフィールドワークみ
たいなものである。「何も旅行で仕事をしなくても」と思われるかもしれない
が、自分の意識の中では「フィールドワーク=仕事」という意識はない。むし
ろ趣味みたいなものである。調べれば調べるほど、楽しい。今年は日光・那須
行きを計画中である。

3 市の教育研究会のフィールドワーク
 これは公的団体のフィールドワークである。今年転勤をした水沢市の社会科
教育研究会で事務局を引き受けた。誰も希望をしないので、「よければ私がし
ます」と言ってなったものである。今までの勤務していた市の社会科部会でも
長いこと事務局を引き受けてきた。メリットは事業計画を思い通り立てること
ができる点である。フィールドワークもその一つである。
 公的団体であれば、個人では見せてもらいにくいような所も見せてもらえる。
また、講師の依頼もしやすくなる。
 今回のフィールドワークの話はこの市教育研究会のフィールドワークである。

■ 「アテルイ」ブーム

 市教育研究会の事務局を引き受けて、夏休みのフィールドワークの計画を立
てる時に、すぐに思いついたのが「アテルイ」のことである。

 7世紀に入り、律令国家建設を目指す朝廷が、東北のエミシ(私の住む水沢
市に当時住んでいた人々)征伐を開始する。8世紀後半になると、朝廷はエミ
シの本格的な攻略を試みるが、これに立ち向かったのがエミシのリーダーであ
る阿弖流為(アテルイ)なのである。
 『続日本紀』などの正史によるとアテルイは、802年に征夷大将軍・坂上
田村麻呂に降伏するまで3度にわたって朝廷軍と交戦している。この中でアテ
ルイの名を高めたのは、一回目の戦いである。朝廷軍5万人に対して、アテル
イらはわずか千数百人。それでいながら巧みな陽動作戦で朝廷軍は大打撃を受
ける。そこで、2回目の戦い、3回目の戦いとなるわけである。
 結局最後には坂上田村麻呂率いる朝廷軍に降伏し、都で処刑される。その年
が802年、つまり今からちょうど1200年前である。

 そこで、今、私の住む水沢市では「アテルイ没後1200年」事業がいくつ
か計画されている。博物館がアテルイの企画を次々と出したり、学習会やコン
サートが行われたりする予定である。
 この動きは、一地方都市水沢市だけではない。秋田の劇団「わらび座」が、
「ミュージカル・アテルイ」を全国公演で行うし、また、長編アニメ「アテル
イ」も製作され、間もなく上映される。さらに8月には、新橋演舞場で市川染
五郎主演「アテルイ」が公演される。
 これは一つのブームである。

■ なぜ、今アテルイか?

 なぜ地方の一指導者、それも1200年も前の人物が脚光を浴びるのか。
 一つは「町おこし」があるだろう。アテルイによって水沢市の知名度が上が
れば、市にとってはメリットが大きい。
 しかしそれ以上に、自分たちの住む地域から出た「英雄」のことを後世に伝
えたいという思いが人々にあるのではないか。圧倒的に不利な状況で朝廷軍
を破ったところに歴史のロマンを確かに感じる。
 私自身も水沢で育つ子供たちには、「自分たちの住んでいる地域では、千年
以上も前にこのような戦いがあった。そこで敗れはしたが、アテルイのことは
誇りに思っている。」と言えるようになってほしいと思う。
 そのような人物がどの市町村にもいるであろう。
 幸い、水沢市には戦いの跡の碑、アテルイの本陣となった山、田村麻呂にゆ
かりのある神社等、フィールドワークに相応しい場所がいくつもある。歴史に
詳しい市埋蔵文化センターの所長さんに講師をしてもらいながら、フィールド
ワークを行うことにしている。
 なぜブームなのか。どんな足跡がこの水沢にあるのか。その点を今回のフィ
ールドワークで確かめたいと思う。
 そして、2学期には担任している4年生の子供たちに特別授業を行いたいと
考えている。

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