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■□「子供たちに伝えたい・日本大好き5分間話」□■
第2号 H13・4・6
発行:佐藤正寿<fwnf1104@mb.infoweb.ne.jp>
http://homepage2.nifty.com/masa555satou/index.htm
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★☆★ 「異国の孤児に捧げる愛」 ★☆★
孤児を育てることは大変なことである。かつて、それを異国の地で愛を捧
げて行った人たちがいた。
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1 韓国から贈られた勲章
今から40年近く前に、韓国政府から文化勲章をいただいた日本人が二人
いました。一人は、曾田嘉伊智、もう一人は田内千鶴子という人です。
その頃の日本と韓国は今ほど、仲が良くはありませんでした。かつて、戦争
によって多くの悲しい出来事があったためです。
そんな中で、韓国から文化勲章をいただくことは、特別なことでした。それぐ
らい、先に紹介した二人は韓国という異国の地で人のためになる行いをした
のです。
いったいどんな行いをしたのでしょうか。それは、共に「孤児を育てる」という
ことでした。
2 ハヌルアボジ(天の父)、ハヌルオモニ(天の母)
山口県で生まれた曾田嘉伊智が今の韓国に渡ったのは、1905年、彼が
38歳の時でした。台湾旅行で、山の中で倒れていたのを韓国人に助けても
らったのがきっかけです。彼は、「韓国人のために何かをしよう」と考えます。
最初は日本語教師として働いていました。そんな彼が十年ほどして、拾い
子や孤児のお世話を妻のたきとするようになりました。
その頃の韓国には事情があって、町の端にすて子をする人も少なくなかっ
たのです。そんな子供たちを見殺しにできない曾田夫妻。
ソウルの曾田夫妻の家は、そんな子供たちでいっぱいになりました。やが
て日本語教師をやめて、その子供たちのために保育園を開きました。
保育園といっても、曾田夫妻に十分なお金があるわけではありません。食
料や衣類がなくなると、あちこちに古着や食料品をお願いして、ただで集め
ました。なりふりかまわずです。
心ない人々はそんな彼らの姿を見て、「国のはじ」と笑いました。
皆さんだったら曾田夫妻を見て、どのように思うでしょうか。
「はじ」と思われても、曾田夫妻には、大きな支えがありました。それは、「
アポジ(父さん)」と慕ってくる子供たちです。むろん、曾田夫妻が最大の愛情
を持って、子供たちに接したからでした。
その心は、人々にも伝わります。異国の孤児のためにつくす曾田夫妻を
「ハヌルアボジ(天の父)・ハヌルオモニ(天の母)」と言うようになりました。彼
らの保育園がまさに、「天国」のような楽園だったからです。
30年以上にわたって彼らによって育てられた子供の数は、千人を越すの
でした。
3 「韓国孤児の母」
今から4年前、高知県で一人の女性を称える記念碑が建てられました。そ
の女性の名は田内千鶴子。
その碑の周りには、三千個の小石がおかれています。それは千鶴子が韓
国で育てた孤児三千人にちなんでいるのです。彼女はその三千人の母だっ
たのです。
田内千鶴子は高知県に1912年に生まれました。7才の時に両親の仕事
で、今の韓国に渡ります。
やがて彼女は一人の韓国人と出会います。孤児院を営む伊致浩(ユンチ
ホ)という青年です。貧しいながらも、孤児に愛情を捧げる彼の姿に、打た
れたのでした。
やがて戦争が終わり、日本は敗れました。韓国では日本人に対する非難
が起こりました。千鶴子の夫も白い目で見られ始め、やむをえず彼女は実
母や子供たちと一緒に高知に帰ってきます。
しかし、孤児たちへの思いがどんどん強くなってきたのでしょう。千鶴子は
また夫と孤児たちへのもとに帰っていきます。そして、孤児たちに愛情を注
ぐのでした。
さらに悲劇は続きます。今度は、国の中の戦争で、千鶴子の夫が行方不
明になってしまうのです。
今まで支えとしてきた夫。夫がいたからがんばって守ってきた孤児院。
でも千鶴子は、女手一つで孤児院を続けることを決心し、以後も十数年間
に渡り、孤児を守り続けたのです。
彼女のそのがんばりぶりには韓国の人々も共感していました。亡くなった
時には、3万人の人がお葬式に来たほどです。
彼女が夫と育てた孤児院「木浦共生園」は今も存在しています。千鶴子が
亡くなってから息子さんの基さん、そして現在はお孫さんの緑さんが孤児の
お世話をしています。千鶴子の思いが脈々と受け継がれているのです。
なお、千鶴子をモデルにした「愛の黙示録」という映画も作られ、千鶴子は
より多くの人々に知られることとなりました。
4 異国の地で愛を捧げた人を知ることの大切さ
曾田夫妻や田内千鶴子を支えたものは何でしょうか。
それは、「人間に対する愛」と考えます。自分が今、愛を注ぐべき人(孤児
達)がいたからこそ、異国の地でがんばることができたのだと思います。
そのような人々を誇りに思います。そして、そのような人々が亡くなっても
その行いは、ずっと人々の記憶に残り、語り継がれていきます。
このような日本人がいたということを知ることが、日本と韓国の交流のかけ
橋にもなると思います。
日韓のつらい歴史を語るだけではなく(それはそれで大事なことでしょうが)、
このような尊い事実も語り合いたいものです。
★参考図書 「日本人の力」(滑川道夫編・小峰書店)
★参考にしたホームページ
「愛の黙示録」 http://www.fsinet.or.jp/~oak-wood/tauchi/tauchi.html
「田内千鶴子記念碑」http://www3.ocn.ne.jp/~stterra/tauti.html
「木浦共生園」http://member.nifty.ne.jp/zen1999/Kyouseien.htm
☆前号のホームページ紹介で誤りがありました。
誤「桜と花の民族」 → 正 「酒と桜の民族」
お詫びして訂正いたします。
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