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■□「子供たちに伝えたい・日本大好き5分間話」□■
第6号 H13・5・4
発行:佐藤正寿<fwnf1104@mb.infoweb.ne.jp>
http://homepage2.nifty.com/masa555satou/index.htm
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★☆★ 「ブラジルのシュバイツアー・アマゾン先生」 ★☆★
医者として外国に渡り、その国の人々のために尽くした・・・・そう聞いて、
野口英世を連想する人は多いであろう。しかし、野口だけではなく、昭和
の戦前・戦後にブラジルで一生涯を地域医療のためにつくした日本人が
いたのである。細江静男 ー 彼は「ブラジルのシュバイツアー・アマゾン
先生」と呼ばれた。
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1 無医村ブラジルで働く志
世界で活躍した日本人医師といえば、野口英世を思い浮かべる人が多い
ことでしょう。
1歳半のころ、いろりに落ちて左手に大やけどを負うというハンディを乗り
越えて医師となり、世界中の人々の命を救った人です。
その業績をたたえて、世界のあちこちに野口英世に関わる施設がありま
す。たとえば、メキシコには野口医学研究所がありますし、ブラジルには、
野口博士記念公園があります。
野口英世が亡くなったのは1928年です。その2年後、1930年にブラ
ジルの無医村に大いなる志を持って日本から渡って行った青年医師がい
ました。細江静男です。
ブラジルは日本の二十数倍もある国です。静男が見たものは、はてしな
くつづく原始林でした。夜になればあたりは真っ暗闇。もちろん、医者はい
ません。
もともと、医者がいない所で働きたいという夢を持っていた静男です。そ
のさびしさに不安をかかえつつ、「人々のためにがんばるぞ」という思いを
強くするのでした。
2 夢を実現させようとする強い意志
静男は1901年に岐阜県下呂(げろ)町に生まれました。
とても貧しい村でしたから、真っ白いご飯を食べることなど、めったにあり
ませんでした。
そんな貧しい村で働いている時に、村の人々のくらしをよくするために、何
かできないものかと一生懸命に考えました。
「医者になろう。この村には医者がいない。そして、この村をもっとよくしよう。」
そう考えました。
しかし、医者には簡単になることはできません。自分の夢の実現のために、
村をから東京に出てきました。働きながら中学校(今の高校)を卒業して、大
学の医学部に合格します。さらに7年勉強を続けて、ようやく医者になったの
でした。
村を出てから10年の月日が流れていました。
その間、彼を支えていたのは何でしょうか。やはり、「医者になる」という夢を
実現させようとする強い意志でしょう。「村のためにいつか尽くす」という気持ち
があったからこそ、がんばることができたのです。
ところが、「村の医者になろう」と思った矢先、大学でお世話になった先生か
ら、ブラジル行きの誘いを受けます。
ブラジルには、日本から移り住んだ人々がたくさんいました。しかし、日本と
は違って、そこには医者がいませんでした。しかもとても広い土地です。医者
がいないといっても、日本の村より深刻でした。
悩みに悩んだ末、静男はブラジル行きを決意します。「より大変な人々の役
に立とう」という気持ちからでした。
3 辺境の地での医療
ブラジルについた静男を待っていたのは、数多くの患者でした。
しかも、アマゾン川流域の日本人開拓地で、すぐに治療をしなければ、全め
つしてしまう・・・といった状態でした。
最初は、「まず勉強してから」と思っていた静男でしたが、いてもたってもい
られなくなりました。
アマゾン川流域というのは世界でも有名な大ジャングルです。その中に、「待
っている人がいる」と言って、一人で入り込む。何と勇気のあることでしょう。
バストスという村に行き、さっそく医者としての活動を始めた。皮膚病や赤痢
など、熱帯地方特有のさまざまな病気の患者でいっぱいでした。何と、400キ
ロ離れた村からも、多くの患者がトラックで運ばれてくる有り様でした。それぐら
い医者がいなかったのです。
あちこちの地区で治療をして、すぐに医局に戻り、また治療に出かける・・・・
そんな日が続きました。
患者さんたちも、静男から治療してもらうことに次々と「先生、どこにもいない
で、どうかここにいてください」と感謝の声を出すのでした。
ところが、アリアンサという村で森林黄熱病の診察をしているときに、静男自
身が森林黄熱病になってしまいます。熱は40度をこえ、汗も涙もみな黄色に
なってしまう恐ろしい病気です。
もちろん、静男以外に医者はいません。でも、そこには今まで静男が治療し
てきた人々がいました。日本人の開拓者や原住民の人々が「自分たちにでき
ることはないか」と、くだものを持ってきてくれました。その人々にとって、静男
は神様みたいな存在だったのです。
3ヶ月ほどして、奇跡的に病気はなおりました。人々の祈りが通じたのです。
4 静男を支えたもの
バストスで働いたのち、静男はブラジルで一生をささげようと決意で、ブラジ
ルでの医者の資格を取りました。そして、またアマゾン川流域の無医村に入り
ました。そして三十数年にわたり、治療を続けました。
それだけではありません。
いろいろな土地に移住した15万人の日本人が、十分な医療を受けられるこ
とを目的に、サンパウロ市に日本病院を、結核の診療所をカンポス市に建設
しました。今もそれらは、存在しています。
また、日本のボーイ・スカウト連盟によびかけて、たくさんの青少年たちを日
本からブラジルに呼び寄せ、ブラジルで一緒に働きました。
その功績に日本政府から勲章が送られるほどでした。
細江静男を支えたものは何だったのでしょうか。
それは、人々と触れ合って強く感じた「志」だと思います。
自分が生まれ育った貧しい村をよくしようという志。
何百キロも医者がいない地域のために、働こうという志。
自分を助けてくれた人々のために、一生尽くそうとする志。
その志があったからこそ、「ブラジルのシュバイツアー」と呼ばれたのだと思
います。
1975年に細江静男はブラジルで亡くなりました。でも、その偉業はずっと
アマゾンで語り継がれていくことでしょう。
★参考にした本 「日本人の力」滑川道夫編・小峰書店
★参考にしたホームページ
「知られざる岐阜」
http://www.pref.gifu.jp/kouhou-c/manmannaka/vol20/20sira.htm
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