★津波証言集

 これは、津波記念誌「チリ地震津波より三十年 あの惨状を振り返って」(宮古市高浜
自治会発行)より、了承を得て転載したものです。(わかりやすくするために、一部編集
をしています。)


■チリ地震津波の思い出  中島三郎さん(当時の高浜小学校の校長先生)

□「よだ」(津波)が来るかもしれない
 昭和35年5月24日の未明、とつぜん消防団員の笹平さんに呼び起こされ、なにごとか
と聞きましたら、
「宿直の先生がいないようですね。」
「じつは、4・5日前に新しく出来た宿直室に引っ越しました。宿直は教頭先生です。いるは
 ずですが、何事かでましたか。」
「電話をおかりしたくてまいりました。じつは海の潮の流れが狂っているようですので、消防
 本部か測候所に問い合わせて、部落の人たちに知らせなくてはと思って」
とのことでした。
「職員室の向かいに宿直室ができましたから、島田先生に話して電話を使用してください。
 私もあとからまいりますから」
と言って、家族の者に、俺の直感では「よだ」が来るかもしれないから、高台に避難するよ
う命じて、さっそく私も職員室に走りました。
 窓越しに校庭を見ましたら、海水が県道を滝のように校庭に流れ込んできました。笹平さ
んや島田先生に、「これは津波だ。裏の山に逃げましょう。」とうながして、校舎の裏に出る
と、もう裏にも海水がまわっていました。島田先生と住宅の前にわたって、高台に避難しま
した。

□目撃した奇蹟
 少し間をおいて海水が引いたので、子供たちの着物でも持ってこようと坂道をおりて、途
中まで来ると、高台の方から、「海水の引き方が大きいから、今度は大波が来るから引き
返せ」と叫ぶので、高台に引き返して海を見たら、湾いっぱいの海水が7m、8mの高さで
押し寄せてきました。
 全く壮観というかすさまじい様相でした。内湾にのぞむ高浜、金浜、赤前、津軽石の地域
は津波にのまれて、一面海になったようでした。
 その間に目撃した奇蹟が二、三ありました。

(1) 下畑中の家屋が校舎の裏の便所に流れついたとき、二階の窓より廊下に降りたので
  安心しました。間もなく家は役目を果たしたというように、流れて行きました。
(2) 小舟に二人乗って、波にもまれながら沖に流され、岸に流され、それをくりかえしてい
  たので、はらはらしておいましたが、しばらくして、金浜の方から下畑中のおじいちゃん
  とおばあちゃんが来ましたので、小舟の二人はどうなったかと聞いたら、「あれは、私た
  ちです」。
   金浜の鉄道線路の上に流れついたので無事だったよし、同じ家の人たちが両方幸運
  だったと励ましました。
(3) 岩間由次郎さんのかわら屋根平屋が引き波に流されて、高台から見えなくなりました。
  皆さんの話を聞きますと、家に人がいるらしいということでした。大変なことになったもの
  だと思っておりましたが、後できいたら、磯鶏前に流れて行った屋根の上にいたのを漁
  帰りの岩間良二さんの船に救助されたと聞き、私の目撃した人命に関する事項は皆奇
  蹟的に無事であったことは本当に良かった。

□校舎は驚くばかり
 波が引いてから、島田先生と二人で校舎内外を見回りしたら驚くことばかり。
 教室の仕切りの壁が丸太でつき破られ、丸太が二教室にまたがっている。また、窓ガラス
や校具はもちろん、影も形も見えない。ピアノは音楽室から流れ出て東昇降口にあった。生
徒の机、イス、職員室の事務机、イス等は講堂の床板が水圧で浮き上がり、その下に流れ
込み、床が下がって、一部分のすきまから床下が見えるという始末。
 また、校庭を見れば、雑物が散乱している。かこう岩の門柱が倒され、6、7m移動してい
た。
 なお、罹災地の状は、あぜんとするばかり。
 島田教頭先生と話したが、津波がもう1時間半も遅れて、登校時間になっていたら大変だ
ったであろうと・・・。

 災害後、校舎やその他の施設は使用不能となったので臨時休校にし、職員は家庭訪問を
してお見舞いのかたわら、児童の確認を実施した。
 市ならびに教育委員会等に磯鶏小学校の西井校長、晴山先生から働きかけてもらい、磯
鶏小学校を借用して、バス通学で授業を開始した(10月ごろまで)。
 その間被災校舎の応急復旧後、授業は再開されたが、校舎の移転を部落民から強く要望
されて、南高台を選んで校地が定まり、翌年6月20日にブロック建のモダンな校舎の落成を
見た。


■昭和35年5月24日   岩田アイさん

□信じられない光景
 ドンドンドン。
「アッコ姉さん、津波だ。早く早く。」
 おばの声に自分の目を疑った。
 庭一面の大水、それがどんどん押し寄せ、みるみるうちに縁側にせまってくる。
 「大変だ。早く子供たちを。」とあせる。なかなか、かぎが開かない。「貴重品、それからそれ
から」。頭が混乱し、手近の着替えを包む。
 ひざ上までの水の中を子供達と裏山に登る。近所の人々も続々のぼってくる。皆くちびるが
白く声がふるえている。
「実家の父は、弟妹は」
 いてもたってもいられない。
「あっ、来た」
 皆、たんぜん姿だ。
 波に追われるように山にはい上がる。眼下は、今はもう道も畑も呑み込まれ、小学校も2階し
か見えない。
 大きなラワン材がすごい速さで流れてくる。「ドーンドン、バリバリッ」。次々に家が浮き上がる。
「あーっ、家が流されるー」
 皆大声で泣き叫ぶ、今はもう悪魔と化した巨大な濁流は、つい数十分前まで平和で美しかった
村のほとんどを、家もろとも何十年間蓄えた家財も思い出も一瞬にして、黒い海の底に呑み込み、
引きさらい、一面の廃墟と化してしまった。
 信じられない光景に今は皆ぼうぜんと立ちすくみ、やがて静かに絶望の涙を流した。異常に寒い。

□助け合いの有難さと大切さ
 茫然自失の私たち被災者に、立ちあがる力を最初に与えてくださったのは、高台で被害にあわな
い親せきおよび近所の方々の温かい援助と励ましであった。皆、二世帯も被災者を受け入れてくだ
さり、どんなにうれしく心強かったことか、今改めて感謝の気持ちで一杯である。
 また、親せきや知人友人の方々の真心のこもった見舞いの数々、励ましは一生忘れてはならない
ことである。
 河南中の皆さんの奉仕活動も本当に有難かった。
 全国各地、赤十字等からの衣類・毛布・鍋・食品等の見舞い品はどんなに助かったことか、頭の下
がる思いであった。宮古の小百合幼稚園でいただいたブルーのガウンと同じ色の目をした神父さんの
笑顔も忘れられない。
 この時、私は助け合いの有難さと大切さを痛切に感じた。
 自分たちのことで精一杯だった私達被災者のため尽力してくださった行政、消防団、各要職の方々
の陰の力があって、今の高浜の発展があると感謝している。

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