Blue or Dark

  −前編−

 音もなく、ベッドの上に三枚のお札が降ってきた。
 都会のとあるラブホテル。陽はすでに暮れ、夜という名の世界。
 ベッドから降り立った男はお金だけ放り投げると、さっさと身支度をしだす。若いが、若者という風貌ではない。こういう場になれているようで、落ち着いている。
 手を休めることなく、男はため息ついて、
「どうでもいいが、愛想ぐらい振りまいたらどうだ? 次につながらないだろ」
 言葉を投げるも、返る言葉はない。
 部屋に存在しているのは男一人ではない。もう一人…少女がいた。
 ベッドの上の少女は眠っているわけでもない。男の言葉が届いていないわけでもない。 ただ、口を開きたくなかった。
「変なガキだ。まあ、体だけは良かったから、また相手してやってもいいぞ。それまでに少しは愛想を勉強しておけ」
 言うだけ言って、男はさっさと部屋から出て行った。
 ドアの閉まる音に次いで、息が漏れる。
「…何も知らないくせに」
 少女は起きあがる。何も身につけていない。誰もいないので特に隠す事もしない。男の言ったように、同年代と比べても少女の体は女性として大人びていた。
 依然ぺたりとベッドに座り込んだまま、どこを見るとでもなく、うつろな眼差しで、それでもお金だけはしっかりと握った。
 体を重ねる行為は早すぎるという年齢でもなく、染みつくほど大人でもない。
 自分のやっていることがどういう事か、理解している。
 理解しないでできるわけがない。
 綾凪ミツキ。
 名はあるが、行為の最中も帰り際も男がその名を呼ぶ事はなかった。
 冷たいとかじゃなく、知らないだけ。教える必要もない。
 そう、つまりそんな刹那的な関係。

 ホテルを出る。
 夜。でもまだ早いと認識されるだろう二十時。
 ミツキは私服。わりと地味な服。スカートが少し解れている。着ている物なんて関係ないような付き合いだから、気にしない。
 学校の制服は鞄に押し込んであった。
 眼差しは漆黒の闇のように暗く、流れる髪は逃れられない鎖のように長い。
 携帯が鳴った。
『終わった?』
 一言。着信の情報を見なくても、かけてきた相手は分かる。
「終わった。今ホテル出たところ」
『じゃ、南口のマックにいるから、ちゃんと来なさいよ』
 ミツキが返事するまでもなく、通話は切れた。
 歩く。この足は歩くためのもの。
 この身体は何のため?
 教えてくれる者はいない。
 それどころか、その答えを求めているのか自分でもよく分からなかった。


「五枚? シケてんなーあいつ」
 脱色した茶髪の少女、ミカリ。ミツキの差し出した紙幣を片手でぷらぷらともてあそぶ。
 駅前のファーストフード店はこの時間なかなかの混み具合だったが、二階の窓際の席の女子高生の三人組の会話なんていちいち広まらない。
 ミツキとテーブルを挟んで反対側には二人少女がいて、ミカリはその一人。
「五万プラス満足料で払えって言ってあったのにね」
 もう一人の少女、カオリ。不満そうに言ってから、向かいに座ったミツキを見る。
「あんたのサービス不足じゃないの? 真面目にやんなさいよね」
「私は!」
 テーブルの下でぎゅっと拳を握って顔を上げる。でも…
「何? まさかやりたくないから…とでも言う気?」
 カオリがにやにやとミツキの顔をのぞき込む。青くなるミツキ。テーブルの下の手が震える。横のミカリは笑い出して、
「そんな事言えないよねぇ? 明日から一人になっちゃうもんねー」
「……」
 ミツキは何も言えなくなった。視線をはずしてしまう。
 怖い…怖い。この人達よりも、一人の自分が怖かった。

 中学卒業と同時に遠くに引っ越して、高校から全く新しい暮らしが始まった。元々気が弱くて、中学の時でさえ、友人と呼べる人は少なかった。そんなミツキがゼロからのスタートだった。
 周囲となかなか話すきっかけが持てず、次第に周囲のミツキに対する評価は「暗い」「根暗」とか、マイナスなイメージになってきた。何となくさけられるような事も出てきて、余計に気持ちは沈んでしまう。
 そんなときに近づいてきたのが、ミカリとカオリともう一人、サキだった。
 初めは仲良くしてくれた。でも次第に少しずつミツキに対する接し方が変わってきた。
 彼女たちの評判がものすごく悪い事に気づいたのはさらに後。
 そう、遅かった。

「私たちに無視されたら、アンタ誰からも相手されなくなっちゃうよ。結構評判悪いみたいだしねー」
 けらけらとおかしそうにミカリは笑う。
「あ、アンタが言う?」
 カオリもミカリと顔を見合わせて笑った。
「で? 何言いかけたの?」
 そのままの笑顔をくるりとミツキに向けてた。
「ほら、言いなさいよ」
 二人にとって、ミツキの回答なんて分かりきっていること。聞くこと、言わせることで、ミツキの意志をくじこうとする。
「…何でもないです」
 悔しい。でもどうしようもない。でも、一人は怖い。
「そう? それならいいんだけどね。ま、今日はこんなもんでしょ」
 とミカリは立ち上がる。カオリも。ミツキから回収したお金は一枚だけ残して、残りは自分の財布にしまう。ミツキの目の前にぽつんと一枚の紙幣が残る。
「また見つけておくからしっかりやりなさいよね。じゃないと本当に絶交するからね」
 そんなセリフを残して二人は帰った。
 ミツキただ一人が残される。
(ははは…私、なにやってるんだろう)
 乾いて何の力もない…声。


 朝が来た。
 普通に起きて普通に家を出た。見た目は普通。
 心の中のもやはいっこうに晴れないが。晴れるわけもない。
 学校までの道のりも普段と変わらない。ミツキと同じ制服を着た生徒は数多く歩いているが、話せるぐらいミツキの横に並んでくれる者はいない。悲しいけどそれも普通の風景になっていた。

 援交をしている。
 不良と付き合っている。
 家に帰らないらしい。

 そんな噂が校内に広まっている。教師に呼び出された事もあった。具体的な証拠もなく、注意されただけに終わったが。でも噂は真実以上に伝達は早い。
 気が付いたときには誰の目にも「援交少女」としてミツキはうつっていた。
 実際当たっているのだから仕方がない。


 小さな雪玉がね。
 坂道を転がっていくの。
 きれいな坂道じゃない…泥だらけ。
 その泥をどんどん雪玉は巻き込んで大きくなっていくの。
 ころころ転がるの。
 止まったら消えちゃうから、必死で転がるの。
 転がる先に何があるのか分からない。
 もしかしたら何もなくて、永遠に泥を吸い続けて、転がるだけかもしれない。
 どこかに壁があって、衝突して…弾け散るかもしれない。

 でも、そうしたら泥がなくなってきれいになれるのかな?
 元のきれいな白い雪玉になれるのかな?

 雪玉は弱いから、芯まで全部はじけて何も残らないかもしれない。
 それは嫌だな…
 だったら、転がり続ける方がいいな。
 何も考えないで、ただころころ…

 寂しいけど、消えたくないから 


「ミツキ。今日さ、ここに行ってよ」
 カオリがにやにやしながら、手書きの地図をミツキに手渡した。
 昼休み。屋上の一角。
 誰もいないわけでもない。フェンスがしっかりと張られているから、昼休みは憩いの生徒で賑わっていた。 
 びくびくしたミツキにカオリにミカリ。そしてサキがいた。
「サキがさ、友達にアンタの事話したらね、ぜひ会いたいって」
 ミカリが小さく笑う。恋愛物語でほのぼのと語られるような「会いたい」じゃないのは言われるまでもなく分かっていた。意志も拒否権も与えられていないミツキは受け取るしかない。と、横のカオリもけらけらと笑って、
「会うだけ?」
 言わなくてもいいことなのに蒸し返すように。
「まっさかー!」
 お互い吹き出して笑った。ミツキはうつむいてしまう。
 それまでミツキを見ていたサキが笑んで、
「あいつ結構かっこいい方だし、少しやりがいあるんじゃないの? アンタにはもったいないぐらいね」
 このメンツでは一番落ち着いている。でもその分得体の知れないところがあった。
 長い髪もミツキに似ているが、何よりも整った顔が見る者の目を引く。
 薄く脱色していて、視線はいくら口元で笑みを浮かべても、笑うことはない。
 瞳の奥の暗さはサキの内面を表しているかのようだ。
「うらやましいなぁ」
 そんな事全く思っていない顔でカオリ。
「結構払ってくれるみたいだよ? 金持ちじゃん」
 ミカリ。ぽんと、ミツキの肩を手で叩く。
「行くの? 行かないの?」
 サキが問う。ミツキは顔を上げられない。口元まで出かかっている気持ちはある。
 言いたい。素直に従っていいことなんてあるはずがない。
 泣きたい。でも…
(転がらなきゃ……私が消えちゃう)


 放課後が終わって、ミツキはもう行くしかない。
 場所は繁華街から少しはずれたところにある撮影用のスタジオみたいなところだった。
 場所はミツキにも何となく分かった。訪れたことはない。風景を見知っていた程度だった。迷えもしなかった。架空の建物でもない。
 だから、逃げられない。
「お、可愛いじゃん」
 初めに迎え入れてくれたの男がミツキを見るなりそう言った。その男の少し後ろにもう一人。
「ようこそ。パラダイスへ」
 長髪の男。適度にしまった体つき。顔も男性モデルのように隙のない整いよう。しかし、眼光だけは容赦なく鋭い。その奥に怖すぎる力も感じて、ミツキは怯んだ。
「入れ」
 一言。逆らえはしない。
 室内にはドラムやギター。ベース、アンプなどの機器。防音設備もしっかりした本格的なところのようだ。ミツキはその方面の知識に疎いから詳しくは判断ができない。もとよりそんな余裕は微塵もないのだが。
 それでもミツキは認識するしかなかった。
 普通に相手して終わる。全然普通じゃないのだけれども、それで済むと思っていた。
 スタジオの中に迎えに来た二人の他に三人も男がいた。
 扉が閉められたあとで気づいて、立ち止まって震える。
(騙された…)
 あまりにも簡易的にしかれているマット。その上にシーツが無造作に敷かれている。スタジオだけに照明設備も充実している。
(騙された? ううん、ちがう)
 震える手を力づくで押さえ込む。
 ひどい事をされるのは初めから分かっていた。だから、騙されていない。
「あーあ、怖がっちゃって声も出ないようだぞ」
「新鮮でいいじゃねーか」
「そうそう。穴が二つありゃいんだから関係なし!」
「三つじゃねーの?」
「ははは! おまえ、変態!」
 ミツキをかくも男達が笑う。
(私は雪玉…)
 ミツキは目を閉じた。
 自分を守る方法はいくつもない。非力な自分はこういうときどうすれば一番悲しくなくていいか、分かりはじめていた。身体の力を抜く。もうここは夢だと思いこむ。
(ただ転がろう…)
 ミツキの目の色がゆっくり変わった。深い、暗い…沈み込む。感情が死が死んだように息を潜める。
「お、覚悟できたみたいだぜ」
 ミツキは乱暴に押し倒された。
 周囲を覆う機材に火が入った。


 たばこの煙とすえた何かの臭い。
 時間の感覚はまるでなかった。
「おら、さっさと服着ろ」
 顔に衣服が投げつけられる。無言でミツキは身支度をする。
 シャワーなんて気遣いはなかった。
「世話かけんじゃねえ」
 ミツキは答えない。ただうつむいて衣服をつける。
「けっ、薄気味悪い女だな」
 舌打ちする男。名前なんて知らない。知りたくもない。
 サキが知り合いといったこの中ではリーダー格の男は、
「本当に体だけなんだな」
 と言って、投げ捨ててあった自分の上着から、しおれた封筒を取り出してミツキの膝の上に放る。まだ生気の戻らないうつろな瞳でミツキはそれをじっと見つめる。
「十万ありゃ十分だろ」
「お、なんか太っ腹じゃん、いいのかよ」
「別にいいさ、俺の金じゃない。また集金すれば済むことだ」
「違いねぇ」
 そして周囲の男達の馬鹿笑い。何とか身支度をすますとそれを確認するなり、
「ほら、さっさと帰れ。金落とすんじゃねーぞ。ま、どのみちすぐにサキに流れるんだろうがな」
 容赦のない声。
 ミツキは立ち上がる。振り返りたくない。黙ったまま、スタジオの出口に向かう。
 ここで何があったかなんて思い出したくもない。忘れたい。
 どうでもいいと覚悟して望んでも、でも消えてくれない何かがあって。
 悲しくないなんて事はなかった。当たり前だった。
(嫌だよ…こんなの!)
 雪玉は自分の力で止まれるのだろうか。


 帰宅した。すでに灯りがついていた。いつも遅い母親はもう帰っていたらしい。
 玄関にはいると待っていたように母親が現れて、不機嫌そうに、
「ミツキ。あなた最近帰りが遅いみたいじゃない。遊んでばかりいないでしっかりしなさい」
 ミツキを見るなり、母親は注意した。ただいまを言うよりも前にむすっと口を閉じてしまう。
(何よ。たまに早く帰ってきたからって、それ?)
「気をつけるよ」
 振り向かないまま一応返事だけは返してミツキは息を付く。
 母も父も仕事の虫。そのおかげで自分が生活できているのは分かっている。
 世間ではまだ子供の部類。でもミツキは一人の人間。
(お母さん、私…すごく汚れてるの。想像できる?)
 洗面所の中で押し殺すように少し笑う。安心とは無縁の笑み。
 そんなミツキの心情に気づくことなく、母親はため息ついて声を投げる。
「まったく。これで成績まで落ちたらどうするのよ」
 やれやれと腰に手を当てて、息を付いて、母親は自室に戻ったようだ。
「自分の娘の変化にも気づかないで…それでも親?」
 ミツキは声に出してみた。声は届かない。
(気づいてよ…助けてよ…)
 ミツキはバスルームに飛び込んだ。
 自分はこんなに苦しんでいるのに、何事もないように時は過ぎていく。
 涙もすぐに排水溝に消えた。


「へえ、ずいぶんもらったじゃない」
 翌日。放課後の屋上。
「ホントだ。やるじゃん、ミツキ」
 くすくすと笑うのはミカリ。サキはしなれた封筒を受け取る。
「どんなことされたの?」
 無邪気にカオリが聞いてくる。答えたくない。思い出したくもないこと。
 当然カオリはそれをわかっていて聞いてきている。顔を背けるミツキ。と、その態度が気に入らなかったのか、カオリが睨んできた。
「何? その態度。せっかく話してあげてるんだから、ちゃんと答えなさいよ」
 ミツキの肩をちょっと小突いてきた。
「答えたくても答えられないんじゃない?」
 ミカリは笑うが、カオリはまだミツキをにらみつける。震えて顔を上げられないミツキ。
「答えなんてどうでもいいのよ。私は態度のこと言ってるの。ちょっと優しくしたからって調子のるんじゃないよ。殺すよ?」
 声を張り上げるカオリ。身をすくめるミツキ。背筋からくる震え。
「ご、ごめんなさい」
 言葉の暴力。鼓膜まで縮んでなくなりそうなほどの恐怖。
「カオリこわーい」
 ミカリも怖がる仕草をするが、、ミツキを助ける気はさらさら無い。
 それでもまだ機嫌収まらなくて、ミツキに絡もうとするカオリを制するように、
「まあ、今日は何も予定入れなくていいね。こんなにあるし」
 とサキは満足そう手に持つ封筒をはじく。
「確かにね。良かったじゃない、ミツキ」
 笑顔でミカリがミツキの顔をのぞき込む。ミツキはうつむいたまま、まだ顔を上げられなかった。カオリはふんと、一度鼻を鳴らすと、ミツキから視線をはずす。
「ねー、ちょっと服とか見ていこうよ。ぱーっとさ」
 カオリが現金に明るい声で提案した。怒気から解放されてミツキはやっと顔を上げられた。ほっと胸をなで下ろした。
「あー、いいね。ついでにお茶してさ」
 ミカリも同意して、早速とばかりに歩き出す。サキも続く。
 ミツキもあとに続いた。と、カオリが立ち止まる。
「ちょっとさ、ミツキ。まさか付いてくる気?」
 睨まれて、ミツキは歩みをとめてしまう。サキもミカリも振り返るが黙ったまま。
「あの、私も……」
 弱い声で紡ぎ出す言葉はあっけなく断たれる。
「悪いけど、アンタとの契約料じゃ学校内がいいとこなのよ。学校だってできるだけ静かにしててほしいわ。ウザイだけだし」
 嫌な表情でミツキをにらみつけるカオリ。嘘とか冗談じゃない。視線がすごく怖い。ぼろぼろなミツキの心に突き刺さる。また震えがわき上がる。
「でも…」
「でも、じゃない! あったま悪いわね。学校以外じゃ近づかないでって言ってるのよ。こっちが呼び出すんじゃなくて、アンタからね!」
 叩きつけるように言葉をぶつけるカオリ。ミツキは身をすくめてしまう。びしびしと心に響く。ズキズキと痛む。
「付いてこないでよね。ホント、むかつく」
 カオリはきびすを返して先に行ってしまう。ミツキはただ手を握りしめていた。視点が定まらない。今にも座り込んでしまいそうなほど足がおぼつかない。
 とことことミツキにミカリが近づいてきて、
「あーあ、怒らせちゃったね。ま、そういうことだから一人で遊んでてね。これは…お駄賃」
 とミカリが一万円札をミツキの制服のポケットにねじ込む。そして振り返ることもなく屋上から消える。サキもじっとミツキの顔を見ていたが、声をかけることもなくすぐに出口から消えた。
 残されるミツキ。
(…どうして?)
 顔から血の気が引く。膝もがくがく…しゃがみ込んでしまう。
(こんなの…ひどいよ!)
 あんなに嫌な想いをして、それでも嫌われないように努力して。ひどい人たちだとは分かっているのに、ミツキが求めていたのは「仲間」という空間。
 バカにされてもいい。使い走りにされてもいい。財布代わりになってもいい。
 それでもミツキが望んだのは誰かの中にいる自分だった。
 こんな風に屋上でひとりぼっちになるために、自分を売っていたんじゃない。
(連れてってよ…私も一緒に連れてってよ……)
 涙をこらえきれずに…ミツキは泣いた。



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