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  Blue or Dark

  −後編−
 
「いい人紹介してあげるよ」
 そう言われてカオリに連れて行かれた家の男に、初めてを奪われた。それからカオリやサキに紹介されて、そのあとに少しお金をもらえることが続いて、場所もホテルになり、金額も大きくなった。
 友達料と称してそのほとんどを持っていかれた。それでも誰かとのつながりが欲しかったミツキは深く考えることなく、お金を渡していた。
 確かに学校内では話しかけてくれたし、一緒にいて文句もあまり言わない。
 ほっとしたし、うれしかった。何かが違うということは考えないでいた。
 あの人達のそばにいられなくなったら本当に一人だったから。

 ミツキはその場をしばらく動けなかった。
 それでも立ち上がって真っ青な顔で屋上をあとにするミツキ。
 足取りもおぼつかない。
 廊下ですれ違う生徒もいたが、奇異な目を向けるだけで近づいてこない。声もかからない。心配の声も、非難の声も。
 あの三人同様、問題児の烙印が押されているから…
 遠目の視線がちくちくと刺さる。
 助けて! と叫びたい。
 でも…何から助かりたいのだろうか。

 校門を出た。
 孤独な時間の始まり。
 始まり?
(何言ってるんだろ。ずっと一人みたいなものじゃない)
 一緒にいてくれるだけで友達なら、あの人達はそうなのだろう。
(私だけ汚して…仲間にも入れてくれないで……ずるい)
 ずるいと言ってミツキは立ち止まる。
「そう…ずるいよ。私だけ一人にして。何のためにあんな事…」
 沸々と沸き上がってくる感情があった。下唇をかみしめる。
 悔しさで震えてくる。
(付いてこないでよね。ホント、むかつく…)
 カオリの言葉。それを聞いていた二人も否定もしないのだから、三人に言われたと同じだろう。拳を握りこむ。
「なによそれ! 私から奪うだけ奪って、何もくれないくせに!」
 暗い何かはミツキの心をとらえた。染みこんでくる。
 それはミツキの恐怖を押さえ込むかわりに、ためらいと冷静さを薄めていった。
(こんなに苦しんでるのに……私だけだなんてずるい)
 再びミツキは歩き出した。しっかり顔を上げて。
(あなた達も同じくらい苦しみなさいよ)
 そして、どこかの店で、ミツキは果物ナイフを一つ買った。

『地獄を見ても前に進め』

 どこかで見た言葉。読み流しのように見た言葉なのに、しっかり覚えていたようだ。
(そうよ。どうなったっていいの。こんなに汚れてしまったんだから。あの人達から解放されたい。同じ一人なら、もう嫌なことはしたくない。あの人達から解放されたら、私…前へ進める)
 解放されたい。ただそれだけならとても簡単だった。あの人達にそう言えばそれだけで済むだろう。その次の瞬間から無視されるだろうけど、解放される。
 あることないこと言いふらされるかもしれないけど解放される。
 解放される…
 でも、それだけじゃ無性に悔しかった。
(何も苦しんでない…)
 自分が離れても、あの三人は何も痛くない。それが許せない。
 ミツキはうつむいたりはしなかった。瞳にも力がこもる。深い、深い暗い色。
(あなた達も汚してあげる。それで平等よね)


 偶然なのか。
 あの人達がよく行く喫茶店は知っていた。繁華街にあるオープンカフェで、わりと人気のお店。
 無意識のことでかもしれない。
 繁華街の小角を曲がってその店の前を通ったとき、その声は聞こえた。店を利用したわけじゃないから声が届いただけ。
 オープンカフェとは背の高い植木に囲まれていて、それが壁になって道からはテーブルの様子は良くは分からない。それでも聞き間違えるはずはない。嫌なほど染みこんでいる。
 ミツキは立ち止まる。響く鼓動。
「…だっからさー、バカだねーって言ったのよ。普通そんなことしないって」
 カオリの言葉。そのあとに笑い出す。
 手に持つ鞄の取っ手を握りしめて、耳に集中してしまうミツキ。垣根でこちらは見えないから、盗み聞きのようだった。
「何、あいつまだコクってなかったの? おっそいねー、誰かに寝取られちゃうんじゃないの?」
 とミカリ、で彼女も笑い出す。かちりとカップの音もする。サキもいるのだろう。サキは三人の中の中心人物。いないはずもない。
「私さ、アタックしてみようかな。彼、結構いいじゃん?」
 少しためらいが感じられる声でカオリ。
「カオリが? 嘘、あんなのタイプだったの?」
 会話自体はよくある色恋の話し。どこでも普通に見られる風景。
 会話の中に入っていないミツキとはとりあえず無関係ではある。それでも耳は集中してしまう。
「いいでしょ。でも、どうしたらいいかな?」
 それまで聞き手だったサキが。
「まず日頃の行いを直さないとね」
「言えてる」
 とミカリ。サキと一緒に笑い出す。
「ひどい。私、真剣なんだからね」
 カオリの怒ったような叫び。楽しそうな空気。
 ミツキは立ち聞きをやめて、その場を離れてしまった。とっさのことだった。ミツキがいることを気づかれたということではなかった。動揺した。
 来た道をちょっと戻ってビルの壁に背を預ける。もうあの三人の声は届いてこない。
 息を落ち着かせてミツキは自分の気持ちをたぐる。
(何だろ…この感じ)
 体が震える。肩を抱く。頬が少し引きつる感覚。でも、自分がどんな感情なのか、ミツキは判断できなかった。得体の知れない感情は確かにある。

 怒り?
 当然の感情だろう。でも違うような気がする。怒っていないわけじゃないが、それ以上に冷静な何かがある。

 くやしい?
 あの会話の輪の中に入れてもらえなくて。
 それも違う気がする。なぜか全然うらやましくなかった。

 悲しい?
 近いように思えても、それも何か違った。
 目頭は熱くなっている。涙も出そうではあるけれど。

(何だろう、何だろう)
 必死に探すミツキ。
「………い」
 ふと何気につぶやいた言葉。はっとして息をのむ。自分からそんな言葉が出てくるなんて思いもしなかった。無意識の感情。
「……バカみたい」
 もう一度、しっかりと言ってみた。そうしたら涙がこぼれた。頬を熱い雫がつたたり落ちる。一度こぼれると抑えが効かなかった。
 バカみたい。本当、バカみたい。
 心の中で何度も繰り返した。
(私にあんなに事させていた人たちが、「アタックしてみようかな?」「タイプだったの?」。…そんな手順をいくつも省略したようなことさせておいて、自分は初歩のことを悩んでて…)
「バカみたい」
 顔は見えなかったけど、簡単に想像ついた。ミツキの前では決して見せないような顔。、弱みを含んだ油断した顔。
 あんな人たちが恐がれてるなんて…
「バカみたい…」
 言って、ミツキは涙をぬぐう。でもなかなか止まらない。
 涙の一番の理由に気づいたから。
(バカみたい。あんな人たちを怖がっていたなんて、私が一番バカみたい…)
 ミツキは顔を上げた。涙をしっかりと拭う。
 一つ決心をした。さっきまでの決心とは全く違う決心。
(もう、あんな人たち汚さなくていい)
 肩の力が抜けていた。震えも収まる。
 そのあと、ミツキは一度銀行に寄ってから家に帰った。


 翌日の放課後。
「話があるって何?」
 つんとした顔を向けるカオリ。いつもの屋上の片隅。
 それにミツキを面白そうに見ているミカリ。サキもいた。
 ミツキは大事な話がありますと呼び出した。
「もう、あんな事したくないの。だから、終わりにしてください」
「何それ? 本気?」
 思わぬ言葉だったのだろう。カオリは声を荒げる。ミカリもびっくりしている。サキだけはじっとミツキを見つめる。
「本当です。もう嫌です」
 ミツキはしっかりと答えた。今まではこの人達に意見するなんて考えられなかった。だけど、もう流されない。この人達より私の方がずっと苦しんだ。あんな苦しみに比べたら、こんなの何でもない。
「何をふざけたこと言ってんのよ! そんなに一人になりたいの!」
 カオリがつい叫ぶ。
 その言葉はこの人達にとって最大の脅し文句なのだろう。実際ミツキもそのことを何よりも怖がっていたから。ミツキは目を背けない。
「一人でいいです。あんなこともうしたくない」
「ふざけないで!」
 カオリの手が飛んだ。頬を打たれてもすぐに顔を上げ、ミツキはカオリの目を見つめ返す。カオリは思わず一歩後ずさる。
 ミツキは持っていた鞄から銀行の封筒を取り出して、カオリではなく、唖然としているミカリに差し出した。状況を飲み込みきれずに、つい受け取ってしまうミカリ。
「それ、今までもらっていたお金をためていたのです。使うの嫌だからみんなあげます。だからこれで終わりにしてください」
 最後に一度ミツキは頭を下げた。そして上げた顔はもう弱さの陰もない。
「待ちなさいよ。こんなんで済む分けないでしょ!」
 帰ろうとしたミツキの前に、カオリが立ちはだかる。すごく睨んでくるが、やや引きつっているのは気のせいだろうか。ミツキは必死に昨日の風景を思い起こす。
(こんな人たちに負けたくない)
「どいてください。…殺しますよ?」
 ミツキの手に力がこもる。いつかミツキ自身が言われた言葉。ミツキは本気だった。
 ミツキの視線の力に押されたカオリはびくっと震えて、目をそらしてしまう。おびえの色が確かに浮かぶ。道をあけてしまう。
 あっけないぐらいに。
 ミツキはカオリの横を通り過ぎた。
 線を越えたような気がした。
 心臓がすごく高鳴る。高揚感に達成感。それ以上に鎖を断ち切った…安心感。
 ミツキは解放された。


「ちょっと、サキ。いいの?」
 ミカリがサキを見る。ミツキの姿はもうなかった。カオリは立ちつくしたまま、ミツキが出て行った屋上の出入り口を見ている。サキは落ち着いた声で、
「いいじゃない。自分から一人になりたいって言うんだから。毎日知らん顔して、それでおしまい」
 サキはミカリが受け取った封筒を手にとって中身を見てみる。サキの落ち着きとは正反対に慌てているカオリは、
「だからってあんなナメた態度許せって言うの?」
 動揺したのか冷や汗かいていた。サキは一度息を付いて、カオリを目ねつける。
「カオリが必要以上にミツキを追い込むからでしょ。ミツキに文句言ってもいいけど刺されても知らないからね」
「さ、刺すって…サキ」
「そういう覚悟決めちゃった目をしてたよ。あんな真面目な子がそうなったらもうお手上げなの。ためらいなんてないからね」
 そんな印象を薄々気づいていたのか、カオリも黙る。ミツキの眼差し…得体の知れない何かがあった。
「もう、あの子には関わらない。一人になってもらえばいいじゃない。手切れ金で十五万なら悪くないよ」
 かるくサキは封筒を指で弾く。中には確かに一万円札が十五枚入っていた。
「あの子の稼ぎ悪くなかったのにね。仕方ない。次探しますか」
 とミカリ。そうそう、と頷いてみせるサキ。
 うつむくカオリの肩を叩きながら、ミカリとカオリは屋上をあとにした。
 二人が出口に消えても、サキは一度立ち止まって小さく笑う。
「…でも、そんなんで強くなったと思ってるなんて……笑っちゃうわね」
 誰に言うとでもなくつぶやいて、彼女も屋上から消えた。


 もっと動揺してドキドキすると思ったのに。
 案外そうでもなかった。
 うれしいはずなのに、笑顔にはなれなかった。
 学校を出て、ミツキは足の向くままに歩いていた。無意識に歩いていたはずなのに、そうでもないかもしれない。公園を目指しているに気づいていた。
 敷地の広い総合運動公園。一人になって考え事をするにはうってつけの広い公園。
 『殺しますよ』と言ったとき、何かがふわっと心に沸いた。果物ナイフを買ったときにも感じたのだけど、口に出してみるとそれ以上に強く浮かび上がった。
 人なんて簡単に殺せる。殺せないまでも、重傷を負わせるぐらいわけはない。
 お互いが戦いを覚悟した場合ならともかく、何もしてこないと高をくくった相手からの不意の一撃をかわせる人はそう多くないはずだ。
 学生の鞄の中になら誰にでもありそうなシャーペン。それでさえ強く喉にでも突き刺したら…
 そこまで考えると背筋にぞくっとふるえが走る。
(そうだよ。私は弱い人間なんだから、これぐらいないとダメなんだよ)
 鞄の中には未だに果物ナイフが忍ばせてある。これが今のミツキの力。
 どくどくと恐怖でなく胸が高鳴る。
(もうあんな人たちにいいようにはされない)
 顔を上げて少し笑う。瞳の色はまだ暗い。それにミツキも気づけない。
 公園の入り口が見えてきた。


 あの人達はミツキが一人になるために用意周到だった。
 人の多いところでわざわざ大きな声で、いつも一緒にいる友人が援助交際をしていると話し出す。周りの目は気にしない。違う、周りに聞こえるようにだった。
 あの三人の近くにはいつもおびえるようにミツキがいた。つまり、援交のことで話しているときにいない人物がそうなるわけで、消去法でミツキといいうことになる。
 偶然その場を目撃したことがあって、そのとき本当に震えて怖かった。
 自分の噂は何となく知っていた。ミツキの印象から流れたのだとばかり考えていたのだけど、全く違ったのだ。
 いい人じゃないと分かっていたはずなのにすごくショックだった。
 逆に、この人達を裏切ったら、どうなるかと恐ろしくなった。
「今はどうなのかな…」
 ゆっくり考えてみた。
 公園のベンチにミツキは座っていた。
 この公園は広いだけでなく、緑も多い。ジョギングコースもあって、小さい子が適度に遊べるぐらいの広場が多い。小さな子供を連れた親子連れが目立っている。
 まだ陽は高い。ミツキの座っているベンチの向こうの広場からも砂場からも、子供の声が聞こえた。
「もう怖くない」
 そう思った。学校でまた何か言われても言い返せると思う。ただ相手の目を見て、言葉を出しただけで、あれだけミツキをおびえさせていたカオリが道をあけた。
 カオリもただ威張っていただけ。だからもう負けない。
 力もある。
 ちらりと横に置いた鞄を見るミツキ。
(そう、力…)
 別れ道があるような気がした。
(私だって誰かを支配できるかもしれない)
 体が芯から震えた。思い切った発想だった。
「そうよ。あの人達のやり方は知ってる。援交なんかしてくれなくていい。でも絶対に私を裏切らないで、いつもそばにいてくれる人…」
 そんな人を。
(作れるかもしれない)
 背筋を悪寒が走る。嫌な気はしない。できると確信もした。
(そうよ。私は強いんだもの。弱い人を捕まえて…脅せば!)
 裏切らない。いつもそばにいてくれる。ミツキに嫌なことを要求しない。
 そんな素敵な存在が作れるかもしれない。
(一人より、誰かがいてくれる方がいいに決まってる。だから)
「強くなるんだ」
 ミツキは立ち上がる。瞳は強い光。口元が怪しくつり上がる。


 ぽーん、ぽーん、ぽん……ころころころ…

 ふと、ミツキの足下にバレーボールほどの大きさのピンクのゴムボールが転がってきた。向こうの広場から勢い余って飛んできたようだ。
 ミツキが視線を投げると幼稚園生ぐらいだろうか。小さな女の子が二人駆けてきた。
 ゴムボールとミツキに目をとめると、その子達は急に立ち止まった。
 それで急に不安そうなおびえるような眼差しでミツキを見た。もう一人の子も先に走ってきた子の陰に隠れるようにして震えた。
 ミツキを怯えの眼差しで…
(……えっ?…)
 その子供達の目を見たとき、ミツキの身体は硬直した。
 背筋をずんと貫かれたような衝撃。戦慄に近い。もう震えることはないと思っていた膝が震える。目の焦点が定まらなくなる。
 ミツキを見る女の子二人から、視線だけは離せない。
(嫌…そんな目で見ないで!)
 その子の目。ほかでもない。今までずっとミツキがあの三人を見ていた目だ。怯えて恐れて…
 吐き気がした。目眩がした。今までがんばって積み上げてきた強さが崩れていく。
(やめて! 私はあの人達じゃないの! お願いだからそんな目で見ないで!)
 声は出ない。出せない。ついには涙もこぼれた。
 気づいた。気づいてしまった。
(私、あんな目で見られたいんじゃない!)
 ミツキがあの三人の中に入ってしまったのも、ある願いのため。

 みんなの中にいられる自分になりたい。

 それは強制でとか、脅迫でとかじゃなかったはずだ。それなのにミツキがしようとしていたことはあの人達と何も変わらない。
(そんな強さはいらない)
 泣いた。うつむいてミツキは涙した。顔を両手で覆う。
 いまだ女の子達はじっとミツキを距離を置いてみている。ぽたりと、足下のゴムボールにミツキの涙が落ちる。
(誰かを従えるだけの強さなんていらない。私はみんなの中に仲良くいられたらそれでよかった)
 たぶんミツキは明日から本当に一人になる。授業中の社交辞令のような会話はあるだろう。でも、新しく話しかけてくれるような人はいないと思う。
 それだったら、強引にでも、誰になんて言われても、自分のためにいてくれる人を作っておいた方が得かもしれない。その人に恐がれても…
(ちがう、ちがうちがう!)
 首を振った。沸き上がった思考を振り払うように。
(そんなの悲しいだけ。悲しいのは身をもってしってるじゃない!) 
 悲しいからって他の人に同じ事をしたらただの八つ当たりでしかない。その先に何があるかミツキ自身証明した。
(悲しいだけ…何もないの)

 転がった雪玉は、壁にぶつかるまでどんどん転がるだけ。
 黒い怖い泥をまといながら…

 一人は怖いけど、怖いからってあの人達と同じになりたくない。
(なりたくないの!)
 ぐずっと鼻をすすって、ミツキは手の甲で涙をぬぐう。そしてしゃがみ込んで、足下のゴムボールを手に取った。
 そして、本当に…本当に、がんばって何とか笑顔を作った。
 涙で腫れた目、お世辞にもいい笑顔にはほど遠い。
 でも、がんばった。
 ミツキはゴムボールを女の子達の方に放った。てんてんてん、とゆっくりと弾んで、その子達の方に転がるボール。後ろの女の子をかばうように前にいた女の子がそれを両手で受け取った。そしてボールを見て、それからミツキを見た。
「ありがとう! おねーちゃん!」
 とても元気な声。続いて後ろの子も出てきて同じようにありがとう! とミツキに言った。
 一瞬、きょとんとするミツキ。その子達の顔にさっきまでの怯えも、恐怖も感じられなかった。演技じゃないだろう。いったい何があの子達の怖さを解いたのか。
 元気に手を振って、女の子達は親がいるだろう広場の方に駆けていった。ミツキが投げ渡したゴムボールを大切に抱えて。
 体中の力が抜けて、ミツキはまたベンチに座り込んでしまう。
 風を感じた。顔を上げて視線を巡らす。
 初めて、公園の風景を見たような気がした。
 緑があって、土があって、
 子供がいて、小鳥がいて、
 道があって、ベンチがあって、
 そこにミツキが座っている。
 公園に入ったときには全く気づけなかった風景。
 追いつめられて思考が縛られてしまったからだろう。
 怖く、怖く…追いつめられて。
 鞄の中のナイフ。果物を切る以外に何をさせようとしていたのか。
 今の自分が強くなったとは思えない。
 明日から一人ぼっちだということは、たぶん変わらない。
 一人でいいと覚悟しても、すごく悲しいだろう。
(がんばったらきっと大丈夫かな?)
 自分にそんな力があるんだろうか。
(でも、私はもう解放されたんだ。だから)
 最悪の地獄だとは言えない。でも辛すぎる状況から、ミツキは確かに一歩踏み出した。
 それだけは胸を張っていいだろう。

『地獄を見ても前に進め』

 顔を上げた。とても自然な笑顔になれていた。
 今まで忘れていたような笑顔。でも身体は覚えていてくれた。
 まだ赤い目でも、しっかりと頷く。
 優しい風がミツキの頭を撫でるように吹き抜ける。
(前に進もう!)



 END