目次へ


 青春第七艦隊


 ざざぁ… ざざぁ…
 繰り返す波の音。夏の暑い日。蒼天雲一つ無く、快晴。
 防波堤の先端で片膝立てて腰を下ろしている少年がいた。短いくせっ毛を整えるでもなくそのまま。Tシャツに半ズボン。名前はハジメ。島の小学校に通う四年生。
 ぼーっと一人で海を見ていた。
 瀬戸内海に浮かぶ小さな島、津久辛島。大きな島ではない。でも漁業と林業が盛んで、恵まれた自然環境を持つ。
 そんな、ごく普通の島。
「…おもしろくねーな」
 軽く舌打ちして、ハジメは海の水平線の彼方を睨むように目を細める。
 と、そんなハジメに背後から声がかかった。重そうな足音に、誰なのかは直ぐに見当がついた。
「ハジメー! ここにいたんだ」
 すぐ後ろまで来てのそっと体の大きな少年が全身で息をしていた。太めですぐに息の上がるハジメの友人の一人、キヨヒコだ。
「なにやってんだ…」
 もうあきれるしかない。八月も、もう後半。日差しはまだまだ暑い。それなのにわざわざ走ってくるあたり、キヨヒコらしい。
「ハジメは今度の海神祭に出る?」
 キヨヒコの言葉に、ハジメはすぐに目をそらす。
「さあな」
 どうでもいいような感じで答える。でも興味がないのではなく、考えないようにしていただけ。そんなハジメの微妙な心情には気付かずに、キヨヒコは勝手に震え出す。
「今年の海神祭…まずいらしいね」
「けっ」
 舌打ちして、ハジメは海を睨む。
 八月の二十二日。この島は海神祭と呼ばれる祭りが行われる。海の神を敬い、慰め申し上げて、海の恵みへの感謝と海の安全を祈願するための祭り。
 いつ頃から始まったのかは定かになっていない。しかし、毎年のように行われてきた祭り。この日ばかりは島民総出で祭りに取りかかる。
 日本で有数の祭り…にはほど遠い。でも、御輿もでる。盆踊りも練り歩く。
 この島にとっては夏の一大イベントと言っても良いほど。
 しかし、この祭りに一つだけ不吉なことがあった。
 祭りの当日。八月二十二日。この日が雷雨になると、その日から四日を待たずして島民に海難事故が起こる。代々伝えられた伝承ではない。でもジンクスのように海神祭に縛り付いている「謂われ」があった。
 実際に雷雨になった過去五回の記録をさかのぼってみても、島民に海の事故での死者が出ている。去年もそうだった。
 例外と言えるのか、雷雨になっても死者が出なかった年もあった。しかし、それは「謂われ」に恐れた島民が恥も外聞も捨てて、家に閉じこもり、四日の間、誰も海に近づかなかったからだった。
 事実は伝承よりも重い。もし、占いのような言い伝えだったら、ここまで深刻にならなかっただろう。しかし、海難事故が起こる事実。海に近づかなければ起きない事実。
 そして…
「台風が近づいてる」
 キヨヒコの言葉。ハジメは答えない。
「天気予報じゃ、この島が暴風圏にはいるのは…」
「キヨヒコ!」
 海を見たままハジメは強く言う。で、キヨヒコの言葉を切る。すっと立ち上がって、
「くだらないこと言うな。んなもん、迷信だ、メイシン」
 身を返して歩き出すハジメ。キヨヒコの横を通り過ぎるも足を止めない。やや遅れてキヨヒコもハジメを追いかける。
「でもさ、大人はみんなその話ばかりだよ」
 大人の雰囲気は不思議なくらい子供に伝わる。キヨヒコだけじゃないだろう。
「だったら、てるてる坊主でも作ってぶら下げておけよ」
「冗談なしでさ、ハジメ」
 どっちが冗談なんだよ!って思いっきり言ってやりたい。でも言えない。キヨヒコだけじゃない。そう、ハジメだって本当は海神祭のことが頭をぐるぐるしていた。
 そんなバカな考えを振りきりたくて海に来た。きれいな海。穏やかな海。そんな海にあんなくだらない一面なんてない。そう思いたくて海に来た。
「暑いから帰る」
 背中のキヨヒコに向かって声だけ投げる。どうせ情けない落ち込み顔してるんだろう。
 ついてくるだろうから、家でゲームでもしてバカな考えを追っ払ってやろうとハジメは思った。

   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

「お邪魔しまーす」
 キヨヒコはよくハジメの家に遊びに来ていた。だから勝手しったる…なのだろうけど、人見知り強のキヨヒコはいつも緊張していた。
「あら、いらっしゃい」
 ハジメのマンションの玄関口に、ハジメの母親が出てきた。
 傍若無人なハジメの母親とは思えないおっとりとした人。美人でもあってキヨヒコもドキドキだ。
「かーさん、スイカ」
 ハジメはさっさと自分の部屋に向かう。キヨヒコも母親にぺこりとしてその後に続いた。
 ハジメの部屋。もうキヨヒコは慣れたものなのだが、ハジメの部屋に初めてきた人はまず驚く。天井まで届きそうな段々の本棚。びっしり本が詰まっていた。
 しかもマンガはほとんど無く、小説、それも文庫本からハードカバーまでがぎっしり収められていた。中には国語の教科書の中でしか見たことのないような文学のタイトルもあって、普段のハジメのイメージからは連想できない。
 そしてこれも親の趣味じゃなくて、本当にハジメの所有しているモノなのだった。
「Gーファイトでいいか? 確か俺が五連勝中だったな」
 早速ゲーム機を取り出して準備するハジメ。キヨヒコは適当に座って頷く。ハジメ得意の対戦格闘ゲーム。画面にデータがロードされている間、ちらりと部屋を見回すキヨヒコ。
「また本、増えたの?」
 前回ハジメの部屋に遊びに来たのは一週間前。その時よりも本棚のぎっしり感が増しているような気がした。
「ああ、ミチヒロからまた借りてきた。…やべ、そろそろ返さないと」
 そんなハジメの罪悪感も、Gーファイトのオープニングが流れるとあっさり消し飛んだ。


 本って言うのはな、世界だ。
 ハジメがいつか言っていた。
 ホントのことでもマンガみたいなことでも、一冊の中にみんな押し込められる。そしてそれをするのはただの人なんだぜ?
 すげーじゃねーか。ただの人間が、世界をつくっちまうんだ。
 世界征服なんて考えるよりよっぽど簡単じゃんよ。

 子供らしい強引な思考かも知れない。でもそんなことを考えてしまえるハジメはたぶんすごいヤツなんだとキヨヒコは思っていた。

   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

 午後二時になろうとしていた。さんさん照りの日差しも落ち着きを見せ始めさせる頃合い…かも知れない。
 すでに対戦ゲームもハジメの六連勝で幕を閉じ、おやつ代わりにスイカを食べていた二人。ハジメもキヨヒコもその辺にあった本を読んでいた。マンガもあるにはあるので。
「そだ、釣りにでもいこーぜ」
 がばっとハジメが跳ね起きた。唐突だったからキヨヒコはぽかんとハジメを見る。
「磯釣りだ、磯釣り!」
 そうと決めたらどんどんキヨヒコを追い立てるハジメ。
「釣りって僕も?」
 島育ちなのにあまり釣りになれていないキヨヒコ。ハジメはさっさとゲーム機をかたしながら、
「ただでさえ太いのに、さらにスイカ太りしてもしらねーぞ!」
 あんまりだ、とキヨヒコは思った。

   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

 ハジメが釣り竿を二本持って、その後ろをキヨヒコが、バケツと餌や針の入った道具箱を持って歩いていた。ハジメの父親が釣り好きで、道具もなかなかあったので、ハジメとキヨヒコの二人分拝借してきた。
 未だ炎天下の道を歩く。ハジメもキヨヒコも帽子をかぶっているものの、この熱気には口数も少なくなっていた。
 ハジメは白の野球帽だったが、キヨヒコは麦わら帽子だった。いつだったかハジメが押入をごそごそしていて見つけたもので、母親の昔のものらしい。
 結構な時間、太陽の下にいそうなのでキヨヒコに貸したというわけだ。しかし、明らかに女性用で、さらにピンクのリボンもついていたのだが、キヨヒコは気付いていない。ギャグのつもりでハジメが手渡したのに、深く確認することもなく素直にかぶってしまったキヨヒコ。まあ、いいかとハジメはそのままにしておいた。
 キヨヒコがハジメを探しに来た堤防を少し先まで行って、脇からちょいと下に降りる。一応は海辺の岩場だけど、それほど難解ではなく、海も落ち着いているので子供二人でも危なくはないだろう。釣りの絶好のポイントではないが、暇つぶしの釣りなら打ってつけだ。すぐ近くに車も通る道もあって、奥まったという感じもない。
「勝負しようぜ」
 陽の下。生き生きとした顔でハジメ。
「勝負って、ハジメ…」
 反対に早くも意気消沈なキヨヒコ。汗汗な風体と無理難題をいいつけられた苦行人のような絶望の表情が涙を誘い。そんな頭に乗っているピンクのリボンつき麦わら帽子が笑いを誘う。
 根っからの気弱星人で、プレッシャーに弱い。「勝負」という言葉でさらにびくつく。
「先に釣り上げた方が勝ち。負けた方はジュース奢りな」
「うわ、そんな!」
 本気で動揺するキヨヒコ。でも勝負に妥協はないとばかりに、無理矢理竿を手渡すハジメ。そしてピンク麦わら帽のキヨヒコを振り返ることなく、竿をセッティングしていくハジメ。武士の情け。キヨヒコの竿はすでに調整済みのヤツだ。つい先日ハジメの親父さんが使用した竿とも言う。
 そんな内情はどこ吹く風で、キヨヒコは面白いぐらいに慌てて、針に餌をつけていく。
「おっさきー」
 とハジメはにやりと笑って、海に向かって第一投。しゅるるるるー!っとリールから風のように飛び出していく糸の音が心地良い。
「わ、そんな!」
 キヨヒコが絶望な顔で叫んだとき、ぽとりとせっかく針につけた餌が落ちた。慌てて拾ってまた針に…ぐさ!
「ぎゃ!」
 声に振り返ってハジメ。ふぅと息をついてハジメ。
(何やってんだ…あいつ)

◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

「うわ! またバラけた! くそ!」
 悔しそうに唸ってがんばってリールを巻くハジメ。
 そんなハジメを隣でキヨヒコが苦笑顔で見ていた。
 キヨヒコも慣れたのか、ぎこちなくも普通に竿を振っていた。そして傍らには闘拳美茶の缶。
「ついてないね」
「うるせー! こっからだ!」
 とギロリとキヨヒコを睨む。果たして本日何度目の風景か。最初の賭の早釣りはあっけなく幕が切れた。指をふーふーしながらやっとの事で針に餌をつけられたキヨヒコが、海に…まあ、それなりの距離は出たけどビジュアル的にはひょろひょろ〜と、頼りない音で飛んでいった餌が、海面に着水。重りが沈んでほっとした直後に…ぐっ!っと強い引き。ハジメ驚愕。そして幕切れ…
 そんなことも逸るハジメの釣り心をさらに追い立てた。
 一方のキヨヒコも、食いついたのは最初の一回目だけで、あとは掠るか、餌だけとられたかで、まあ、のんびりやっていた。
 まだ暑い日差しの午後三時辺り。腰を下ろせそうな岩場にどっと座って、キヨヒコは体力温存モードに入った。日差しには閉口していたが、つば部の広い麦わら帽は影を多く作り、割と辛くない。しかし、その麦わら帽に付いているピンク要素にはまだキヨヒコは気付いていない。
 と、じっくりなキヨヒコと、攻撃的な、でも気合い空回りのハジメに、背後から声がかかった。
「へったくそー!」
 第一声に、さらにいっそう怒気の増した顔でハジメは振り返る。声ですでに誰かの判断はすんでいたらしい。
「うるせー! バカ女! 邪魔するな!」
 子供らしい実に子供な暴言。はははと笑んでキヨヒコも振り返る。キヨヒコもその声の主は良く知っていた。
 ハジメ達の背後。ちょっと土手高になった道路のガードレールに自転車が二台。ハジメ達と同じ小学生な女子が二人。
 その長身で健康的な天然日焼け肌の少女。きれいな黒髪を素直に後ろに流している。細身な身体をめいっぱい伸ばしてハジメに声を刺したのはこの人。その後ろで、自転車から降りて、対照的に小柄な少女がにこにこ顔でハジメとキヨヒコに手を振っていた。
 キヨヒコ一瞬にして沸騰。
「アンタみたいなバカに引っかかる魚なんて、瀬戸内には一匹もいないわよ! ばーか!」
 長身の少女がそれはもう挑発的に。言い合いのウチにハジメの竿が引くというのはありがちなのだが、ぴくりとも動かない。
「ミズキ! てめ、ケンカ売ってんのか!」
 拳を握り混むハジメ。短気というか、単純というか…
 日焼けの少女はミズキ。ハジメと同じ小四で、クラスも同じ。そしてお互い攻撃的な(?)性格で天敵同士でもあった。
「トモさん…」
 そんなハジメとミズキの喧噪など耳に届かないように、赤くなってキヨヒコはもう一人の少女に目を向けていた。キヨヒコと同じく麦わら帽子をかぶって、白のワンピースが微笑ましいぐらい似合っていた。
 名前はトモ。同じく小四。これまたミズキとは対照的に、肩までないショートスタイル。
「キヨヒコ君も、こんにちわ」
「ばかー!」
「クソアマー!」
 火花を散らす二人。そんな二人をトモとキヨヒコはあきれ顔で見ていた。

◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

「で、キヨヒコのそれは何のギャグ?」
 少し遠回りして自転車少女二人はハジメやキヨヒコのいる海辺まで来た。
 そしてまあ、当然のようにキヨヒコの帽子の違和感に気付いた二人。
「え? ギャグって…?」
 きょとんとウラのなさ過ぎる顔でキヨヒコ。ミズキはすぐに察してため息ついた。
「このバカ! 言うんじゃねーよ!」
 吠えるハジメ。キヨヒコははっとして、まさかと思って頭の麦わら帽子を外して…
 ピンクのリボンが風に揺れる…
「うわあ! ハ、ハジメ!」
 オタオタあわあわ! 
「今頃気付くなよ!」
 仕掛けた訳じゃないが、天然的なおもしろさがなくなってハジメはミズキを恨む。
「全く、こんなバカに振り回されるキヨヒコが不憫ね」
 憂いの表情。でも演技くさいので余計にハジメのかんに障る。
「んだと! てめ、勝負するか!」
 拳を握る!ガンもいっぱいつける。と、ミズキはそんな視線には動じることなく、人差し指を軽く唇に当てて……にまり。
「いいわよ。そうね、負けた方がお茶奢るでどう?」
 しなやかな長身でハジメを見下ろすミズキ。負ける気などない。
「上等だ!」
 交渉成立。ミズキは隣のキヨヒコから竿を受け取る。
「先につり上げた方が勝ちだ!」
 びしっとミズキを指さしてハジメ。
「大丈夫? さっきもそれで負けたば…」
 おろおろとキヨヒコ。とそんな言葉を断ち切るように、
「だー! うるせえ! キヨヒコは黙って見てろ!」
 赤くなって、焦りも少しで怒鳴る。クスッとミズキは笑う。
「なに? キヨヒコにも負けたの? ハジメ、よっわー…」
「くそ、とっとと始めるぞ!」
 ガニ股でまた海と向き合うように歩き出すハジメ。
「はいはい…」
 手で竿をとんとんさせながらミズキ。ちらりと傍観状態だったトモの方を見て、自分も海に向き合う。
 ミズキは地元の漁師の娘。うねうね動く餌を針につけるのも躊躇はない。それどころか親の影響で釣りも十分になれている。それでもああも簡単に勝負を挑んでしまえるハジメは根が素直というか、単純というか。でも純粋なのだろう。

 ハジメ VS ミズキ バトル中。

 穏やかな波模様。瀬戸内の海は今日も立派に海だった。
 潮風が暑さを少し軽減させている。
「よっと!」
 ミズキ、振りかぶって竿を振る。
「穏やかすぎて魚は寝てるのかな」
 リールをくるくる回して調整。
 先ほどのあっさりな決着とは違って、ミズキにもハジメにもすぐに引きはこなかった。
 「C」字の赤い野球帽を少し深めに被り直して、波間を見つめる。
「性格が悪いからだ」
 針を戻して、餌の交換に取りかかる。
「うっさいわね。アンタに言われたく…」
 言い返そうとしてミズキの視線が止まる。
 岩場の日陰に移動した観客…もとい、キヨヒコとトモ。大きな樹の木陰にある倒木。長さといい、太さといい、ベンチにはうってつけなのだ。そこにちょこんと座る二人。
 キヨヒコは結局あの帽子をまたかぶっていた。恥よりも夏の日差しに負けたと言うことだろう。
 そんなピンク帽子のキヨヒコをトモはにこにこした顔で見て、
「キヨヒコ君、カワイイ」
 女の子らしい仕草で微笑んで、麦わら帽子の上からキヨヒコの頭を撫で撫で…
「そ、そうかな?」
 めいっぱい顔を赤くして照れるキヨヒコ。
「……」
 ハジメ&ミズキ。
「ダメだな、ありゃ…」
「そうね…」

◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

「ずっとこんな穏やかな海だったらいいのに…」
 ぽつりつぶやいたトモの言葉に、キヨヒコははっと顔を上げた。連想してしまう。
「トモ!」
 トモの隣に座っていたミズキの少し強い声。
 ミズキも移動して、倒木のところまで避難していた。キヨヒコとトモ、ミズキが座っていた。
 脇に二人分の釣り具とバケツ。自転車一台。
 ハジメの姿とミズキの自転車はなかった。
 二連敗したハジメは全員分の飲み物購入にパシられていたから。
「ごめんなさい。でも、やっぱり考えちゃうよ」
 うつむいて暗い顔になるトモ。
「あんなの迷信だって」
 海神祭にまつわる不吉な謂われ。事実の積み重ねは小学生でさえ、縛り付ける。
「でも、でも…また誰か死んじゃったらやだよ。おじいちゃんみたいに…」
 事実だから、なんて言ったらいいかミズキもキヨヒコも分からなかった。
 トモの祖父が亡くなったのは去年の八月二十四日。朝からの嵐で中止になった海神祭の二日後。
 嵐のあとの海はしばらくは荒れ模様で、漁には適さない。しかし、嵐の海神祭の次の日、さらに翌日と、嘘のように海は静まり、普段の穏やかな瀬戸内と変わらなくなった。 それでも漁を再開したのはトモの祖父ただ一人。それ以外の漁師はみんなあの海神祭のいわれを恐れ、船に近づきもしなかった。
 トモの祖父は海神祭のいわれなど全く信じていなかった。

『海に感謝するのはいい。恐れるのもいい。しかし、自分の妄想を押しつけてどうする。海は海。それだけだ』

 島でも名人と呼ばれるほどのベテランであり、職人でもあった。
 海の様子だけを見て、その日、トモの祖父は船を出した。好漁期の海と何も変わらない。 しかし、不意の暗礁に船底を砕かれ、投げ出された老漁師は帰らぬ人となった。
 もし海が荒れていて、漁をするのが困難な状況だったら、違う見解もあったかも知れない。でも、その日の海は穏やかで、風もない。
 船を操るのは瀬戸内海を極めたともいうべき名人。不安な材料など皆無に近い状況。そして嘘みたいな暗礁の出現。
 何か神懸かり的な要因が…
 嫌でも海神祭のいわれを強固にしていった。

 トモは大のおじいちゃんっ子で、当時の悲しみようはひどいものだった。あれから一年。違う、一年しかたっていないのだ…

「こんな事ってないよね。どうして天気が悪かっただけで神様は人を殺しちゃったりするんだろう」
 顔を上げたトモ。でも悲しそうな…辛そうな…
「キヨヒコがバカだからだ!」
 声、にみんな振り向く。いつの間にかハジメがいて、ミズキの自転車から降りた。かごには四つの缶ジュース。
「え! ぼ、僕?」
 動揺するキヨヒコを放っておいて、ハジメはトモを見る。レモンティを渡してから、
「それぐらいバカなことだって事だ。神様じゃない、大人がバカだからだ」
「何変なこと言ってるのよ」
 自分の自転車のかごから、緑茶を奪うようにとって、ハジメを睨む。
「どいつもこいつも変なこと信じこんでんじゃねえ!」
 怒鳴る。思わずミズキもびくっとして後ずさる。ハジメの目が…真剣だった。
「ハジメ君は怖くないの?」
 トモ。キヨヒコ、ミズキの視線もハジメに。
「神様なんていない、だから怖くない。仮にいたって天気が悪くなっただけでへそ曲げるような神様なんて、やっぱ怖くねえ」
 ハジメらしいまっすぐな意見。
「ハジメ君は強いね」
 本当はトモだってそう思っていた。でも口に出せる勇気がなかった。島の住民なら誰もが関わりの深い海。その海の神様を否定する。子供には酷なことかも知れない。
「ハジメが単純バカなだけよ」
「じゃあ、ミズキは雨が降ったら人が死ぬって思ってるのか?」
「そ、それは…」
 ミズキもうつむいてしまう。誰も本気で信じちゃいない。でも縛られて否定できないのは…
「ハジメ、簡単に言うけど…」
 沈黙を破ったのはキヨヒコ。
「海神祭の日が荒れて、それで海に出て何もなかったときがないんだ。仕方ないよ」
「それだよ!」
 指を弾くハジメ。でも不発。それよりもまたみんなの目がハジメに。
「海に出て何もなかった日がないからダメなんだ! 海の事故と海神祭のたたりが関係ないっていう証拠がないからダメなんだ。確かに過去に続けて事故が起きている。でもそれは偶然に偶然が重なって続いただけで、これから先はそんなこと起きないかもしれない。なのに、怖がって、誰も海に出なければ海難事故は起きないって、バカな選択肢増やしてる場合じゃない!」
 誰も海に近づかなかった。だから海難事故は起きなかった。それを確立してしまったのは八年前。
 去年、トモの祖父が亡くなったとき、『海に近づかなければ良かったものを…』と言う声は多くはない。でも確実にあった。
「おじいちゃんは海の神様に殺されたんじゃ…ないの?」
 トモの弱い声。でもハジメを見る視線は逸らさなかった。
 嵐の海神祭から四日立たないのに漁に出たから、事故で死んだ。海神に怒りをかって殺された。書類上は事故でも、島民の認識では…
「当たり前だ!」
 大きく叫ぶ。ハジメの視線に力がこもる。ぽろりとトモの瞳から涙が…
 誰にでも起こりうる事故ならまだ納得できた。でもあれだけ海が好きで尊敬して感謝していた老漁師が、そんな海に殺されたなんて…そんなバカなことない。
 でも世間の認識ではそんな老漁師も海神に殺されたことになっていた。
 否定したい。でも援護できる事実も、考えも、味方もいなかった。
 トモは…泣き出してしまった。慌てて駆け寄ったミズキの腕で堰を切ったように泣き出してしまった。ハジメは息をつくと、そのままの真剣な眼差しで海を見た。
「証明…出来るかな?」
 ぽつっと言ったのはキヨヒコ。
「簡単だ」
 にんまりと笑みを浮かべるハジメ。トモもミズキも視線を向けた。
「海神祭の日が嵐になったらだな、四日以内に…乗り込むんだよ」
 ぐっと拳を握るハジメ。
「ど、どこに?」
「決まってる。あの離れ島だ!」
 びしっとハジメは指さす。この島に隣する小島。小島と小さな丘のようなところで、標高で見ても三階建ての建物ほどもない規模。それに林と石段があって、古い神社が一つある。例の海神祭の御神体はそこにあるとされている。
 安全面から見ても、風習から見ても立ち入り禁止の地帯で、こんなに近くにありながら島民でもそこに行ったことがあるのは数えるほどしかいない。
「そんな無茶な!」
 言葉にしたのはキヨヒコだったが、たぶんトモもミズキも「無茶」だとは思っただろう。それくらい島民にとって、それも小学生にしてみれば「禁忌」な場所なのだ。
「無茶ぐらいでちょうどいい。俺とキヨヒコとあと…どうする?」
 ハジメはトモとミズキを見た。涙目でもトモはもう泣いてはいない。瞳に力が宿る。
「な、なんで僕がもう数に入ってるんだよ!」
 の声はハジメは全く無視。
「私…行く」
 ミズキから体を離すトモ。ミズキは驚いてトモの手をつかむ。
「ちょっと、トモ! なに言ってんのよ。危ないだけじゃすまないのよ!」
「危なくないよ。ハジメ君もキヨヒコ君もいるし」
 の言葉でぴたっとキヨヒコの「慌て」が止まる。
「それに…」
 ちらりとトモはミズキを見た。
「わ、私は…」
 うつむいてしまうミズキ。
「トモ。確かに無茶で危ない。行きたい奴だけでいい」
 ハジメ。ハジメもミズキを見る。でもその目にからかい要素はなく、ただ真剣に…
 それはミズキも分かって、でも視線を逸らしてしまった。
「そうだね。ごめんね、ミズキちゃん」
「トモ…」
 あんなに泣き虫だったトモ。そんなトモが急に強くなったような気がした。でもよく分からない。ハジメの無茶な言葉にも、もう怖がっていない。あっさりミズキに追いついて、さらに追い越されてしまったような…焦りを少し感じた。
 一年前、あんなに悲しんだトモが、また海と向き合おうとしている。
 トモの友達として、自分はいったい何が出来るだろう…
「よし、じゃ計画だ…」
 ハジメがどかっとそのまま砂地に座る。
 倒木にトモ・ミズキ・キヨヒコと座って、その三人に対する教師のような位置にハジメ。
「ま、待ってよ」
 声を上げたのはミズキだった。視線がミズキに集まる。
「私も行くわよ」
 ハジメに向かって強く。瞳に迷いはなかった。ハジメは目を見開く。
「ミズキちゃん…」
 ミズキはトモの方は見なかった。心配されているのがすごく分かる。だからハジメだけを見た。
「いいのか?」
「あったりまえよ! ハジメみたいなバカにトモを預けたんじゃ、不安で死んじゃうわよ!」
 うがーっと叫ぶミズキ。ハジメはにやっと笑って、
「上等だ、コラァ!」
 しばらく、口げんかみたいなのが続いた。

◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

 少し西の空が紅くなった頃。ハジメとキヨヒコは磯の岩場を移動していた。
 釣り具はさっきの倒木のところに置いてきた。ミズキとトモは帰った。
 少々厳しくなってきた岩場をハジメは軽快に、キヨヒコは苦戦して進んでいく。
 この辺りになると相当な釣り好きか、何か用事でもない限り来そうにない場所だ。
「ハ、ハジメ〜、どこまで行くんだよぉ」
 情けなさMAXの声。
「いいから死ぬ気でついてこい」
「そ、そんなぁ…」
 声をまたもや無視してハジメは岩場に駆け上がる。
「う、うわあああ!!」
 突然の声! キヨヒコの悲鳴に慌ててハジメは振り向く。
「ど、どうした!!」
 キヨヒコは岩場にうずくまって丸くなっていた。
「カニがいた!」
 …ブチッ!
 怪鳥蹴り炸裂。

◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

「まさか、これで?」
 キヨヒコの驚愕の声。かなり深い岩場の奥。もう浜からも道路からもここの確認は不可能だ。だからこそこんなモノがあるとも言えた。
 岩場の猫の額ほどの砂地。
「これが俺達の足だ」
 にやりと不適な笑みのハジメ。
 船があった。といっても漁船じゃない。もっと小さなボート。定員は大人四名といったところか。船外機を取り付けられるタイプだったが、このボートにはついていない。壊れて取り外した形跡があった。
 捨てられたのか、ここに置いているだけなのか、最近人が利用した形跡はなかった。外装もややはげていて、風雨にさらされた時間は多そうだ。
「でもこれって壊れてるんじゃ…」
 キヨヒコ。でももっともな意見だ。
「浮けばいいだろ。見たところ穴空いてないようだし、人力でどうにかなるだろ」
「じ、人力…」
 うへぇっとし顔になるキヨヒコ。
「確かキヨヒコの家にオールあったよな?」
 いつかキヨヒコの家に行って物置を漁ったとき見た記憶があった。
「あるけど…まさか離れ島まで…こ、漕ぐの?」
「どうにかなるだろ」
 不適な笑み。その自信は果たしてどこから来るのか。キヨヒコは怖くって仕方がない。
「でも持ち出せるかなぁ」
「持ち出すんだよ。冒険だ、ぼーけん!」
 もう満足したのか、ハジメは船を軽く叩いて、さてと…と身を返した。
「じゃ、最後にあそこに行くぞ!」
 言うなり、キヨヒコを置いていきそうな勢いで、来た道を戻り始めるハジメ。キヨヒコは慌てて追いかける。
「ど、どこ行くのさ!」
 腰ぐらいまでの岩場に一気に駆け上がって、ハジメは振り返る。
「あと一人…勧誘だ!」
「ええ!」


次へ