青春第七艦隊


 4

(ひどいよ、こんなの…)
 トモは拳を握った。
 祟りなんかない。やっとそう思えたばかりなのに。
 見上げる空はどんどん曇ってきた。雨はまだ降りそうにない。でも風はいっこうにやまなかった。
「お願い。こんな事、もうやめてよぉ…」
 手で顔を覆って泣き声。
「トモ…」
「……ミズキちゃん」
 トモは顔を上げた。涙目。
「神様探そうよ。探して、お願いしよう?」
「え? でも小屋にはそんな…」
 仏壇も、神棚も何もない。ただ大漁旗があって小物ちらほら。トモだってわかっているはずだ。
「小屋の奥にほこらがあるかもしれないんでしょう?」
 たしかに。あの大漁旗が海神に奉納されたものだとするなら、近くに神様がいるはずだ。古く、ゆがんで戸が開かなかったから、小屋の奥は誰も確認していない。
「思ったんだけど、小屋のまわりの縁側を行けば向こう側に出られると思うの」
 トモは後ろを振り向いた。今は正面の扉は閉じられている。確かに小屋の四方には梁というか縁側があって、人が通るには十分な幅があった。
「……」
 沈黙のまま見つめるミズキ。キヨヒコもそんな感じ。たらりと汗。
(なんで気づかないのよ!!)
 頭の中でミズキは怒鳴った。部屋の中にいるときは誰もが奥の引き戸から行くことしか頭になかった。いつの間にか裏にはそこからしか行けないという先入観が…なんか推理小説みたいだったが、あのミチヒロでさえ気づかなかった。でもまあ、そんな熱心に探すわけでもなくすぐ仮眠準備に取りかかってしまったし、もしそのあとで本格的に裏に行こうってなったらさすがに誰か気づいたろう。
「そ、そうかもね」
 ぎこちなくミズキは笑む。キヨヒコも苦笑だ。
「行って見ようよ」
 ぐっとミズキの手を握るトモ。あくまで真剣に。ミズキは気持ちを切り替えて頷いた。
「そうだね。行こう」
 ミズキの言葉を聞いて強く頷くトモ。
「トモさん!」
 まだハジメやミチヒロは戻ってきていない。だからキヨヒコも危ぶんだ。
「キヨヒコはここでハジメ達を待ってて。大丈夫。無茶はしないから」
 残った三人とも小屋の向こうに行くのは確かにまずい。戻ってきたハジメ達に見えない場所に行くからだ。
「キヨヒコ君、ごめんね」
 トモの言葉でキヨヒコもそれ以上の言葉を封じられた。
「行って来るね」
「あと頼んだわよ」
 そう言い残して、ミズキ先頭でトモを後ろで、二人は小屋の縁側づたいに奥に進んでいく。小屋の周りはすぐ木々に覆われていて、壁にまで枝も届いている。よけて押しやって、その枝をくぐって二人は進んでいく。二人の姿もすぐに枝葉の奥に溶けこんだ。
 はらはらするキヨヒコ。胸騒ぎが…ちらり…

   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

 ハジメとミチヒロが小屋まで戻ってきた。二人はやっぱり深刻な顔。
「波がやべーぞ。すぐにどうするか決めないと」
 息が荒かった。ミチヒロも。空を仰いで呼吸を落ち着かせている。キヨヒコもがちがちになる。

 そんな時だった。
 ばきぃッ!
 木材がブチおれた…そんな音。
 小屋の奥の方で。キヨヒコ、ミチヒロ、ハジメが、音に振り返った刹那、
「トモーーーーーッ!!」
 叫び声が響いた。
 何かが起ころうとしていた…


 結局のところ、小屋の奥にほこらはなかった。ある気配もない。
「キヨヒコ! そこの樹にしっかり結べ!」
 小屋の奥の戸が開かなかったのも仕方がない。外側から釘で打ち付けてあった。
「トモー! トモーーーーッ!」
 先日の台風の雨で幾分木材は柔くなっていた。特にこちら側は木々のせいであまり陽が当たらない。湿気に露に、いっそう脆くなっていた。
「ミチヒロはキヨヒコと上でしっかり固定しててくれ!」
 だから余計に誰も入らないように奥の戸も殺してあったのかもしれない。
「トモ! トモ…」
 小屋の奥はわりと急な斜面になっていた。崖ではない。でも学校の階段ほどの角度はあった。小屋を建設した当時はもっとゆとりがあったのだろう。少しずつ崩れてきて…
「ハジメ! 見える?!」
 何もないと確認した少女二人は立ち上がる。背の高い女の子に続いて、小さな子が立ち上がったとき、その弾みで縁側の縁が大きく折れた。言葉を発するまもなく…

「トモーッ!!!」

「うるせぇっ!!」
 腰にロープを巻いたハジメが怒鳴った。しっかりした樹の幹に手をかけている。
 小屋の縁側に四つんばいのようにうずくまってミズキは泣き叫んでいた。ハジメの怒声にびくっと振り向く。
「泣くな! 大丈夫だ。お前はそこで待ってろ!」
 力一杯ハジメはミズキの目を見据える。
「行って来る」
 ハジメは足下を確認しながら、ゆっくり斜面を降りていった。
 小屋の中に戻ってロープをかき集めて繋げると結構な長さになった。それをミチヒロが繋げ、キヨヒコは小屋の裏口を全力でぶち破った。火事場の馬鹿力だった。
「ミチヒロはロープ」
「キヨヒコは裏口をぶち破れ!」
 トモが斜面に転落したのを聞いたハジメはすぐにそう指示した。
 みんな事態に混乱している中で、すごい判断力だと思った。何よりも、泣き叫んで今にも自分から降りていきそうなミズキに、
「お前はそこで黙って待ってろ!」
 とだけ言って、ミズキの動きを抑えた。
 風は依然やまない。雲行きも怪しい。
 でも…ハジメがいる。

   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇
 
 いつまでも転げ落ちるような斜面じゃない。木だって生えている。あまり考えたくなかったが、岩だってある。だから、そう遠くないところにトモはいるはずだ。
 慎重に降りる。十メートルも降りると、早速樹に阻まれて、それを避けると枝葉で上の様子がわからなくなった。
(くそ、俺のせいだ!)
 ハジメは奥歯をかみしめる。トモの転落。せめて焼きそばを食べて、すぐに帰っていればこんな事にはならなかったはずだ。ピクニックじゃない。遠足じゃない。ただ来ることが目的で、長居は無用。それなのに料理して食べることを決め、小屋を探検して、昼寝までした。
 海神祭のいわれの最中なのに。油断なのかもしれない
 それでも思い出が欲しかったのだろう。ハジメは舌打ちした。
 だから自分が一番許せなかった。

 ぱしゃ…

 音がした。はっと顔を上げるハジメ。見回す。風で揺れる枝の音。聞こえたのは水のはねる音。
「トモ!」
 音のした方にハジメは声を投げた。でも返らない。ハジメは足場を確かめながら、横に移動した。ロープが引っかかる。だから、自分の身体からロープをほどいて近くの幹に軽く結ぶ。
 今立っている辺りは思ったほど急じゃない。草をかき分けて、枝をかき分けて。
 ばしゃ!っとハジメの踏み出した足が水を踏み抜いた。水たまりだった。そして白い足。
 一気に動いて、ハジメは近づく。トモが仰向けで水たまりに倒れていた。
「トモ! おい、しっかりしろ!」
 上半身を抱き上げて、ぺちぺちと頬を軽く打った。でもちょっとうめくだけで目を覚まさない。
 見た感じひどい外傷はない。さすがに擦り傷は避けられていないが、それぐらいですめば安い物だ。とさっきのハジメの声を聞きつけて上で声があがった。
「トモ? ハジメー!」
 ミズキだ。声の感じでかなりせっぱ詰まっているようだ。
「トモは見つけた! てめーはそこにいろ! キヨヒコ!」
 トモを抱えたまま、ありったけの声で叫ぶ。
「ロープ伝いにゆっくり降りてこい。ゆっくりでいい、慌てるな! いいな!」
「わ、わかった!」
 キヨヒコの声を聞いて、ハジメは一息つく。少し揺すると、トモの瞼が動いた。
「トモ! わかるか!」
「ハジメ…君?」
 ゆっくり言葉を紡ぎ出したトモ。でもすぐに顔をしかめた。
「どこか痛むか?」
「足首が…ひねちゃったみたい。ごめんなさい」
「謝らなくていい。俺のせいだ」
「ハジメ君は悪くないよ…」
「それなら、みんなのせいだ。お前だけ責任感じるんじゃない」
「そうだね…」
 やっとトモは笑顔になった。
「他に痛いところはないな?」
「うん、擦り傷が少し染みるけど、大丈夫」
 大事にならなくて良かった。ハジメは安堵した。でもまだ安心できない。
「もうすぐ乗り物が来る。それに乗って先に上に行け」
 がさがさと音がした。ゆっくりこいって言ったのにあいつなりに急いで来たのだろう。わからないわけじゃない。
「乗り物?」
 トモがそう首を傾げたとき、草をかき分けてキヨヒコが現れた。
「……ハジメ君、ひどいんだ」
 と言って、トモは笑った。上の緊張感とは正反対に和んでいる二人を見て、キヨヒコは目をぱちくりさせた。

   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇
 
「心配かけてごめんなさい」
 トモは謝った。大漁旗の小屋。そこに戻っていた。キヨヒコに背負われて、トモは戻ってきた。
 すぐに中に入れてシートで簡易ベッドを作って横にさせた。
 トモは水たまりに落ちてびしょぬれだったから、男子は追い出されて、着替えることになった。
 と言ってもトモは着替えを持ってきてないから、ミチヒロの予備シャツを徴収した。抜かりない奴だ。でもサイズは十分以上だから問題はない。 
 許可が出て男子が中にはいると、トモは横のままで、掛け布団のように大漁旗を掛けていた。
「ううん、大けがじゃなくて良かった」
 ミズキ。まだ涙のあとが痛々しい。
「ハジメ、どうする?」
 すっかり薄着になったミチヒロ。
「どうするもこのまま泊まるのは怖い。トモが風邪を引いたらやっかいだ」
 頷く面々。風邪が怖くないのは薬が整っていて、十分に休める状態が確保されているときだ。そのどちらもここにはない。
「海を渡るのもこの人数で行くのは危険だ。だから俺とあと誰かで先に渡って、救助を求める。それしかない」
「危ないよ」
 人数が減ったからといって楽になる波じゃない。でもそれはハジメだってわかっていた。
「俺一人で行くよ。それなら最悪…」
 ハジメが言いかけたとき、どたまがどつかれる。
「何すんだ!」
「ふざけたこと言ってんじゃないわよ」
 ミズキが睨む。ハジメは睨まれる。でもミズキの怒る気持ちがわかったからハジメは黙る。
「誰か気づいて探しに来てくれないかなぁ」
 ぺたりと床に座ったキヨヒコ。ハジメは口元に指を当てて考え込む。ミチヒロがメガネを正して、
「まだ難しいな。僕らが集まっているのが分かって、いないのも分かって、探し始めるには午後四時はまだ早い。もっと後の話だ。それでその時間にはもう外は暗い。ただでさえ海に近づかないってなっているから、離れ島を探すより島の中を探すだろうね」
 言ってて気が滅入ったのか、息を付く。
 確かにまだ午後四時。日が暮れるには十分時間があり、子供の時間とも言える。遭難したと気づくには早すぎだ。
「電話があればね…」
 キヨヒコ。まあ、黙殺された。そんなモノがあったら初めから悩んでいない。
「イガ爺なら気づくかも…」
 ハジメのつぶやき。顔を上げて。
「あのじじいなら来るかもしれないぞ」
「イガ爺が? なんでよ?」
「今朝あのじじいに会ったんだ。キヨヒコとの待ち合わせの前だったけど、道でばったりな」
「ハジメ、じゃ、イガさんはこの計画のことを知って?…」
「いや、誤魔化しておいたぞ。『こんな早くに何してるんじゃ?』って聞かれたから、『ツチノコ探しだ!』って答えておいた」
 ハジメの言葉を聞いて、一同黙り込む。ハジメ本人は笑っているけども。
「じじいは『青い鳥探しだ』って言ってた。やっぱバカだなあのじじい」
(ええ、両者一歩も譲らないバカだわ)
 ミズキは思うだけにしておいてあげた。
「でもそれだけだと、僕らがこの島に来たと判断できないんじゃないか?」
「大丈夫だ。あのボートのことを聞いたのはイガ爺からだからな。ぶっちゃけあのじじいの船だし」
 爆弾発言。
「あ、あのさ、ハジメ?」
 こめかみ辺りをぴくぴくさせてミズキ。
「こういう状況になったからいいけど、もし何も問題なくて無事にすんでいたら、その線からバレてたんじゃないの?」
 ただでさえ無断借用なのだ。と、ミチヒロが口を挟む。
「ミズキさん、ハジメは…」
「ま、何とかなるなと思ってな!」
 と笑い出した。ミチヒロはあっけにとられる。ミチヒロに向けるハジメの背赤は『言うな』って言っているようだ。
「あのじじいも海神祭のあれは良く思っていない。もしかしたらあのボートがないのに気づいて、探しているかもしれない」
「手を振れば向こう岸からも見えるかもね」
 離れ島と言ってもキヨヒコのひとがんばりで漕ぎ着けるほどの距離。
「手だけじゃキツイかも」
 キヨヒコ。
「これ、使えないかな?」
 トモはそういって自分の身体にかかっている大漁旗をつまんで見せた。
 一同の視線がトモの指先に。
 ニヤリハジメ。
「よし! さくさく行動するぞ!」
 ハジメの勢いにみんなの気持ちも軽くなった。仮にも艦長。でも伊達に艦長じゃない。

   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

 小屋を飛び出した三人。でもすぐにハジメは立ち止まってしまう。
「ハジメ?」
 ミズキも止まって振り向いた。ハジメは苦い顔で空を見上げていた。
「また風が強くなってやがる」
 確かにと、ミズキも周りの木々を見てしまう。
「ミチヒロとミズキは船のある浜からやってくれ。俺は上に行く」
「上?」
「ああ、この島の頂上だ。樹で邪魔されない高台がちょっとだけ見えてた」
 ボートでこの島に来たときに海上からも見えた。ミステリーで犯人とか追いつめそうな場所だな!とか思ったが、洒落にならないので言わなかっただけだった。
「無茶するなよ!」
 ミズキと、ハジメと同じく大漁旗を持ったミチヒロを見る。
「アンタに言われたくない!」
 ミズキは反発した。
「同感だね」
 ミチヒロは頷いた。で、三人で笑ったあと、
「行くぞ!」
 それぞれ走り出した。
(海神、てめえの思うとおりになんかさせるか!)

   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

「そこまで波きてたの? ヤバイじゃない」
 ボートのある浜まで走りながら。
「あれからまた時間がたってるから、船のところまで水が来てるかもしれない」
 そういうことを一応考えて船を浜の上まで引き上げたのだが、やはり子供の体力では、まず大丈夫だろうところまでは運べなかった。
 樹のトンネルを抜け、きしむ階段を駆け下りる。浜の砂地を踏みしめた。
 ボートはあった。ただ、船の中腹まで波が来ていた。
 揺れ、行き来する波はさらに強くなっていた。手漕ぎボートで脱出はもう出来ないだろう。それでも必死にミズキとミチヒロはボートに飛びついた。手にした大漁旗セットを船の中に放り込む。
「冗談じゃないわよ! これなくなったら帰れないじゃない!」
 ミズキはボートの船尾に回る。海水に踏み込むことになるが、そんなことかまってられない。
 ミチヒロも来た。そして二人で力一杯船を押し上げる。でも子供二人に力では大して動かない。そして焦って、不安だけが…
「どうしよう…」
 まだすぐに船が波に持って行かれるという状況ではない。でも時間の問題なのは確かだった。
 そして救助を待つにしても、風が収まるのを待つにしても、いつになるかメドなんかたっていないのだ。苦しそうな顔でうつむくミチヒロ。ミズキの視線に気づくと目をそらせてしまった。
「どうしろって言うんだ! 分からないんだ! どうしたらいいか、全然…」
「ミチヒロ…」
「何が優等生だ! 何がハカセだ!」
 ギリギリと両手の拳を握りしめる。
「こんな時に何も出来ない。どうして僕は子供なんだ! ボートを引き上げる力もない。救助を待つ以外の方法も思いつかない……クソ!」
 吐き捨てるように叫ぶ。ミズキは驚いた。あのミチヒロがこんな弱音を吐くなんて。
 どもどこかでほっとした自分もいた。
 まさかこういう日がこようとは…
 右手を大きく後ろにそらす。手のひらは開いて。背中に向かって伸びをするようなしなりに似ている。すっと息を飲み込むミズキ。そして容赦なく、発射!
 ばっち〜ん! ミズキの張り手がミチヒロの無防備な背中に決まった。
「いっ……つ、ミ、ミズキさん?」
よほどの衝撃で思わず涙が出たミチヒロ。背中を弓なりにはって、痛みをこらえていた。
 ミズキはそんな一撃を全く悪気に思っていない顔で、
「しっかりしなさいよ。何にも出来ないなんて、そんなのとっくに分かってるよ」
「……」
「私だってそうよ。トモだってキヨヒコだってそう。まあ、あのバカだってそうよ」
「でもハジメは動いてる。僕が気づかなきゃいけないことなのに、どれも先を越されて……」
 はっとしてミチヒロは青ざめる。気づいてしまった。本当に悔しかったのは何も出来ない自分じゃない。いつの間にかどんどん指示を出すハジメにだった。
 この航海に参加したのも、海神祭のいわれへの不満もあるが、ハジメのサポートをしてやろうと自信満々だった。それなのに、いざ事が起こると動転してしまって、気がつくとハジメの言葉を待っていた。そしてその指示通りに動いて疑問を感じていないことも。悔しかった…
(僕は最低だ)
「あのさ、ミチヒロ。深く考え過ぎよ。ハジメだってミチヒロのことを頼りにしてる。だから一人で上に行くなんて好き勝手できるんじゃない。一人じゃ何も出来ないから五人いるんでしょ」
「でも、僕は…」
 上げた視線をまたおろしてしまう。ちょっと止まったミチヒロの間をミズキは逃さない。
「だいたいさぁ」
 苦笑するミズキ。どちらかというと笑顔よりで。
「ここでヘコんでる暇なんてないよ。ちがう?」
 ミズキはまっすぐミチヒロをの目を見る。
「ハジメがいるから何とかなるって言ったのはアンタだからね。責任とってもっと信じてあげなよ」
 ミズキの言葉。ミチヒロは黙ってかみしめる。息をついて顔を上げた。
「そうだね。確かにそんな暇はないな。ハジメがいる。確かにそうだ」
 ようやくミチヒロの顔にも明るさが戻った。
「ありがとう」
 ぽかんとするミズキ。にははと笑んで、
「まあ、私もミチヒロのヘコんだ顔っていう、レアなもの見られたし。役得役得」
 目を背けるミチヒロ、口をとがらせる。
「君って結構意地悪いね」
 まーね!とブイサイン。あきれてため息付くミチヒロ。でも心はずっと軽くなっていた。
 感謝しなければならないなと思った。
「さて、このボート早くどうにかして、ハジメより先に救助船見つけようよ、ミッチー」
「ミッチーって言うな!」

   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

 片戸だけ開いた小屋。また風で閉まらないように石で固定してあった。
「また風少し強くなったのかな…」
 視線だけ向けて寝たままのトモはつぶやいた。起きられない怪我ではないけど、少しだるかったのでそのまま横になっていた。
 ブルーシートを折って折って重ねて、タオルを敷いた簡易ベッドは寝心地は良くない。でも贅沢は言えない。それに、身体にかかる掛け布団代わりの大漁旗。トモのおじいちゃんの船の物を拝借した。埃を良く払ったけど、幾分痛んでいるので最適じゃない。それでもトモにとっては特別な物。一番新しいイガ爺の旗はハジメが持っていった。
「大丈夫。絶対元気に帰れるよ」
 トモの近くに座っていたキヨヒコ。ハジメにトモのところにいろと厳命された。トモのそばならとうれしくもあったが、行動することが多い外だと、足を引っ張ることしか出来そうにない。それがちょっと悔しかった。
「どうしたの? キヨヒコ君」
 いつものにっこり顔をキヨヒコに向けた。赤くなるキヨヒコ。でも…
「なんでもない」
 苦笑してしまう。
「ハジメ君、すごいよね。どうしたらいいか分からなかったのに、どんどん行動してる」
「そうだね」
 確かにハジメはすごい。機転というか、発想というか。とっさに思いつくというのはなかなかできることじゃない。
「ごめんね」
「え?」
「私が勝手なことしなければ、こんなに迷惑かけなかったのに」
 申し訳なさそうに。
「違うよ。トモさんは海神様を捜したんだ。勝手な事じゃないよ。ダメなのは僕の方だ」
 居たたまれず、キヨヒコはトモから顔を背ける。
「ハジメやミチヒロ君に、ミズキさんも外でがんばってるのに僕だけ何もしてない。トロいし、鈍くさいし、バカだから何もできない。情けないよ」
 それもトモの目の前で。ハジメの評価とは対照的に。悲しくて涙が…
「キヨヒコ君」
 名前を呼ばれた。振り返るとトモの真剣な顔が待っていた。
「キヨヒコ君は本当に何もできてないの? 私、今一人じゃないからとても安心だよ。もし誰もいないこの部屋に私だけだったら、さびしくって泣いてたと思う。でもキヨヒコ君がいてくれてるから大丈夫。何も出来てないって事はないよ」
「でも…」
「いつも私を過保護にするミズキちゃんが、安心して行っちゃった。信頼されてるんだよ? 坂を落ちた私をおんぶして登ってくれたのはキヨヒコ君だよ。それでもまだ何もできてないの?」
「……」
「ハジメ君はハジメ君。キヨヒコ君はキヨヒコ君だよ。とっても優しい。大丈夫だよ!」
 純真なにっこり。
「トモさん…」
 キヨヒコは泣いた。うれしかった。
 がんばろうと持った。僕だって……

   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

 棒に結んであった紐を解く。と、強い風にあっという間に広がってなびいた。
 大漁旗。本来は進水式や、文字通り大漁の祝いなど、めでたいときに掲げる旗。精一杯目立つデザインで、船名を彩る。
 『乱詠丸』の大漁旗がなびいた。旗の持ち手はハジメ。
 見渡す先は遠くに島の海岸。
 大漁旗のハデなデザインは目立つのにいい。こんな時はことさら。
 正直まだ一刻を争うような事態ではない。トモの怪我は幸い、ねんざと擦り傷、水たまりに落ちて、体を温めることが出来なかったから、風邪の心配はある。でもどうやら落ち着いている。
 でもそんな事じゃない。一刻を争うような事態になっては遅いのだ。
 手漕ぎボートではもう渡るのは不可能な波模様。ただ変な小屋があるだけの小さな小島。電話も無線もありゃしない。ある意味無人島に近い状況。
 万が一があってはダメだ。五人をまとめる艦長として、ハジメは意気込んで、そして、旗を振り出した。帰ればおそらく盛大に怒られるだろう。
「いつまでも海神にビビってんじゃねえ!」
 叫ぶ! この急な天候の変化ももしかしたら海神の意志かもしれない。いや、たぶん五人全員がそう思ってしまっている。閉じこめられたとしか思えない。
「ふざけんな!」
 だからこそだ! 絶対に負けねえ!
 ハジメもまだ小学四年。知識も腕力も成長段階だ。困難に大して出来ることは多くない。それでも『あきらめない』ことはできる。あきらめなければ海神にだって勝てる。
 ハジメの視線は強い。
 この小島で大漁旗の小屋より高いところ。目の前はすぐに海。足下はすぐに崖。学校の屋上ほどの高さでしたには岩礁。波しぶきが勢いよく砕けていた。
 でも一番目立つ場所。横にデカイ水平線も眺められる。こんな時でなければこの眺望に感動したかもしれない。この眺めのためにここを訪れても十分なくらいだ。
 強い風の中、ハジメは大きく旗を振る。風に揺れるままに振り、風を裂くように振る。
 ハジメの凝視する津久辛島の岸にまだ動きはない。
「じじい! 気づきやがれ! てめえの旗だぞ! 」
 乱詠丸の所有者。イガ爺。島きってのおもしろ爺さん。でも、島に残る数少ない海の名人。
 ハジメと同じく海神祭のいわれに憤りを持っていた老人。トモの祖父のように。
 強風。正面から。ハジメは手を交差して耐える。旗をくくる棒を必死に握る。一歩踏み込む。
 勝手な思いつきでみんなを巻き込んだ。海神祭への怒りも本当。でも思い出も欲しかった。
 この島での最後の…
 青春第七艦隊。誰にでも自慢できるものにしたい。だから!
「負けるかッ!」

 ブオーッ!

 汽笛の音が…した。
 ハジメが確認すると同時に、明らかに遠くの港から動き出した漁船があった。動きが分かっただけで、こっちに気づいたのか、判断できない。でもハジメは思わず笑みをこぼす。
「やった。誰か船に乗りやがった。まだ海神祭の危険な日だぞ。分かってんのか」
 言葉と裏腹に顔に光が差す。そう、船を動かす。ボートなんかじゃない。漁船だ。つまり大人。海神祭のいわれのまっただ中の日に海に出てきたと言うこと。
 そう、これをハジメは待っていた。
 その船は颯爽と港を離れた。ハジメは旗を振るのを忘れて、呆然と見ていた。『乱詠丸』の大漁旗。今は力無く垂れ下がっている。
 はっとするハジメ。風が…弱くなっていた。
 これも現実的な事じゃない。海神のいわれと同じだ。でもハジメは確信した。あの無謀で勇敢な漁船の誰かのおかげで、運気が変わった。さらに凝視して気づく。あの漁船の名は『乱詠丸』。
「おっしゃー! でかした、クソじじい!」
 心の芯から沸き上がってくるものがある。感動。安心以上の興奮。ハジメは元気にまた旗を振る。今度は祝いの旗だ。
 ぶぉ、ぶぉ、ぶぉ!
 と三回合図のように汽笛。間違いない。ハジメかミチヒロ達かは分からないが、とにかくこっちに気づいた。まだ波は荒い。でもイガ爺なら楽勝でやってくるだろう。
 棒の絵を握ったまま、体を曲げて力をため、一気にジャンプ。ガッツポーズ!
「うっしゃー」
 吹き上げる拳。羽ばたく旗。突風、今度は背後から。
「…な!」
 林の向こうから突き抜けるように吹いた風。ハジメの身体を押す。着地していないハジメの落下の軌道がずれる。大漁旗を握りしめていたから、その分よけいに抵抗を持ってしまった。
 すぐ目の前は崖。思わずギリギリまで近づいていた。
 着地。右足。でも前屈みになり、たまらず左足。最後に右足を踏み込んで十分踏みとどまれる。
 右足……ガラッ!
 崩れる足下。時間が止まる。
 ハジメは崖の向こう側に消えた。

   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

 その音に気づいて、二人は顔を見合わせた。
「ミチヒロ、あの音!」
「ああ、漁船の汽笛だ」
 目を凝らしてみる。確かに船が近づいてきていた。あんなに時間がかかったのは手漕ぎだったからだ。漁船ならそうはかからないだろう。
「ハジメ、気づいてるかな?」
 ミズキも顔にぱっと光が差した。ミチヒロも同じく。
「気づいたさ。やったよ、あいつ」
 ミチヒロは手に持っていた旗を、ボートの中に投げ込む。結局二人だけだとあまり動かなかった。だからボートはあきらめて、今から旗を振ろうかと考えていたところだった。
「トモ達に知らせよう!」
「うん、行こう」
 ミチヒロとミズキは駆けだした。風も急に止んで一気に希望が広がった。きっとハジメも小屋に向かっているはず。たまには褒めてやろうかとミズキは思っていた。

   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

「ハジメ!」
 叫んで一気に小屋に飛び込んだ。ミズキ。びっくりする中の二人。
「ミ、ミズキちゃん! びっくりした…どうしたの?」
 上半身を起こしたトモ。祖父の大漁旗を上着のように羽織っていた。
「ハジメはまだ戻ってないよ? 何かあったの?」
 キヨヒコ。ミズキは周りを見回して、一息。
「船がね、こっちに来てるの。たぶん私たちに気づいてる」
 ミズキの言葉にトモとキヨヒコは顔を見合わせる。
「ほんと! やったー!」
 バンザイにっこりトモ。元気も出てきたようだ。キヨヒコもほっと安堵。脱力。
「真っ先にハジメが戻ってると思ったんだけどね。何やってんだろ、あいつ」
 とまで言って、ミズキは急に黙り込む。少し青ざめた顔になった。
「どうしたの? ミズキちゃん」
 ミズキにも分からない。でもなんかすごく嫌な予感が沸いてきた。
「ごめん、ハジメ探してくる」
 そう言って振り返らずに、ミズキは小屋をまた飛び出した。ミチヒロは外で待っていた。
「ミズキさん?」
 すごい慌てるミズキにミチヒロも驚く。
「ハジメ探してくる。ミチヒロはここにいて!」
 いうなり、ミチヒロも置き去りで駆け出す。
 船も来た。風も止んだ。トモも元気になった。何も不安はなくなったのに。
(何? この胸騒ぎ…)
「あの……バカッ!」

   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

 頬に当たる風で目を覚ました。そのあとに激痛がきてハジメは顔をしかめた。まだ思い出せない。
 地面に倒れていた。不思議なのは地面に倒れているはずなのに、海が眼下に見えることだった。
「……ちくしょう。そういうことかよ」
 理解した。崖から転落した。まともに落ちたらやばすぎる高さ。
 でもハジメは生きていた。でも無事じゃない。
 崖の崩れたところから。たぶん四メートルほど。落下して、側壁の出っ張りのようなところにハジメは落ちていた。
 激痛の出所は右肩。経験はないから確証はないが、最低でもひびいってそうだ。少し力が入るだけで痛みが走る。崖の側壁をよじ登るなんて出来そうにない。
 それ以上に今、ハジメが落っこちている出っ張りが崩れそうな感じだ。
「これもてめーの魂胆かよ」
 吐き捨てるようにぼやく。
「簡単だな。トモが助かりそうだから、代わりに俺って事か。わかりやすいじゃねーか」
 それにとハジメは視線を下の方に。岩礁。落ちたら間違いなくなく海に飲み込まれるだろう。
 つまり海難事故だ。
 そうなら満足なんだろ? 神様さんよ。
(いいぜ)
 不適な笑みを浮かべた。
「俺の命くれてやるよ。だから、もうこれ以上、他の奴を巻き込むんじゃねーぞ。それが条件だ」
 ぱらぱらと…
 そんなつぶやきを漏らしたハジメの顔に、砂粒が落ちてきた。視線だけをハジメは上に向けた。
 目を見開く。
「何、勝手にあきらめてんのよ! この、バカッ!」
 ハジメのちょうど真上に、崖の先端から顔だけ突きだしたミズキがいた。
「あぶねえ、下がれ!」
 驚いた。でもすぐに叫んだ。
「ふざけないでよ! そんなこと言ってる場合じゃないじゃない!」
 簡単に崩れた崖の足場。今ミズキが顔を出しているところだ。また崩れない確証はどこにもない。
「てめーまで落ちたらどうすんだ」
「落ちないわよ! すぐどくから!」
 涙目だった。どこまでも真剣に、本当に怒っていた。
「絶対引き上げるから! 待ってなさいよ!」
「やめろバカ! あぶねーぞ!」
 叫んだ勢いでまた激痛が走る。ミズキはひるまない。
「ぜったい引き上げるからッ!」
 射るような視線をミズキは倒れたままのハジメに刺す。ハジメの目を見る。
 ハジメは目を閉じた。力を抜いた。
「…たのむ」
 聞くなり、ミズキは立ち上がって、来た道をダッシュで引き返す。
(俺は…俺は…)
 ハジメは泣いた。



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