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 青春第七艦隊


 5

「ハジメ君が?」
 小屋にいた三人は声をそろえて驚く。キヨヒコなんて真っ青だ。
「とにかく引き上げないと!」
 そして、急いでキヨヒコがロープをかき集め、ミチヒロとミズキでそれを繋いでいた。さっきトモを助けたときに使ったロープもあったが、もっと延長しようと考えた。上り坂を手助けするためのサポートじゃない。落ちたら絶望的な、失敗の許されない引き上げ。
 ハジメが落ちたところまではロープを繋げなくても届きそうだ。
 でも、引き上げるのは子供三人。不安はある。だから、崖から一番近い木の幹にまずロープを結んで、それからハジメのところに垂らす。そのためにはもっとロープを延長する必要があった。
 簡単にほどけない結び方はミズキが熟知している。
「ミズキさん、ハジメは起きれないで寝たままだったんだよね」
 ロープを結びながら、ミチヒロ。どこまで耐えられるか分からないが、このロープに賭けるしかない。頷くミズキを見て、
「ハジメ、ケガしてるかもしれない。ただロープを垂らしただけじゃ登れない可能性がある」
 ミズキも気づいた。あのハジメが、崖から落ちてそのまま何も行動しないとは思えない。したくても出来ない。多分そうだ。
「先を輪っかにして、中にぶら下がれるようにしよう。イガさんを待っている時間もなさそうだ」
 漁船を接岸できる場所は限られている。そこまで回る時間。それにここまで来て状況を把握する時間。確かに待っている余裕はなさそうだ。
 ミズキは輪っかを固く結んだ。ミチヒロをサンプルに実験して、頭、肩を入れてしがみつけば、手の力が弱くても何とかなりそうだ。
「よし、行こう!」
 ミチヒロが立ち上がった。ミズキも立つ。
「あの、トモさん」
 申し訳なさそうにトモを見るキヨヒコ。トモは察して、にっこり笑う。
「私は大丈夫。ハジメ君を助けてあげて」
 トモの視線。キヨヒコの視線。
「うん。ごめん!」
「がんばってね!」
 キヨヒコはしっかり頷くと、ロープの束を抱えた。
「ハジメ、待ってろ!」
 キヨヒコは先頭を切って走り出した。いつになく真剣な顔。
 ミズキにミチヒロもそのあとに続いた。
(もしかしたら、トモさんはハジメのことを…)
 考えてしまう。でも、だからどうしたって言うんだ。それでもハジメは大切な友達だ。だから…
「絶対に助ける!」
 小屋の出口から地面までジャンプした。そして…コケた。

   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

 わりと太い樹の幹。それにロープを巻き、固く結んで、ミズキは走った。
 ハジメは変わらずそこにいた。ミズキの呼びかけで、視線を向けた。
「ハジメ、しっかりすんのよ! アンタみたいなどチビ、楽勝で引っ張り上げてやるからッ!」
 目を見開くハジメ。
「てめ……覚えてろよ…」
「べーだ!」
 さらに何か言おうとしたハジメの近くに、ロープが振ってきた。先が輪っか上になっていた。
「ハジメ、輪の中に身体入れて。死ぬ気でしがみつきなさいよ!」
「どっちにしろ死ねってか…上等だ、こら」
 ハジメはもそもそと動き出した。本当にじっとしていたのだろう。ちょっと動いただけで、ぱらぱらと土屑が落ちる。左手を伸ばして、ハジメは何とかロープを掴んだ。でも動きがちょっと止まった。すごく痛そうな顔。ミチヒロの言ったとおり、負傷している。だんだん崩れる地盤。ハジメはロープの輪をたぐりよせるようにして、左肩までを輪の中に入れた。
「ハジメ! しっかり!」
 ミズキの声。ハジメは歯を食いしばる。
(さっきのは無しだ。やっぱり絶対に生きて帰ってやる。てめえの戯れ言もこれまで……)
 ガラ! 一気に崩れる。ロープがぴんと張って、それを支える者に一気に重しがかかる。
「ハジメ!」
 ミズキが叫んだとき、下の海面に土のかたまりが落ちた。しぶきをあげて飲み込まれる。
 ハジメはぶら下がっていた。両腕がしっかり輪の中に入っていて、ハジメはしがみついてじっとしていた。反動でふらふら揺れ動いていた。
「そのままでいんのよ!」
 叫んで、返しの言葉も待たずにミズキはハジメの視界から消える。
「せーの!」
 合図とともに、崖の上で、ミチヒロとキヨヒコがロープを引く。ミズキも参加して、力を合わせた。三人がかり。確かにゆっくりだけど、たぐり寄せられる。
 ロープの古さを考えるとそう時間は掛けられない。ハジメの体力だって心配だ。
 キヨヒコは死にものぐるいで力を込める。
 ミチヒロもがむしゃらに力を込める。あのハジメが死ぬなんて考えたくない。これも海神の影響かもしれない。だとしても関係ない。ハジメを助ける。
 目算で判断して、ミズキはロープを掴みながら少しずつ前に移動していく。三人の火事場の馬鹿力は伊達じゃない。
 ミズキが崖の先端。ロープの支点のところまで前進したとき、ハジメの頭が見えた。ミズキは後ろを向いて、二人に目線で合図する。引くのではなく、その場の維持に全力を駆ける二人。
 身を乗り出して、ミズキは手を伸ばす。
「ハジメ! 掴まって!」
 ハジメが左手を伸ばす。ミズキの手と、ハジメの手が……繋がった!
「うおおお!」
 また合図で、またロープを引く、ミチヒロにキヨヒコ。
 ハジメよじ登る。ミズキも全力でハジメの手を握る。ハジメの上半身が乗り上がる。ミズキは素早くハジメの半ズボンのケツのところを掴む。
 ハジメの身体がほぼがけの上に乗り上げた。
「うおおおお!」
 ぎゅっと目を閉じて必死に引っ張るキヨヒコにミチヒロ。ハジメはしばし引きずられた。
「いてーぞ、ちくしょう!」
 ハジメの叫びにようやく気づく二人。そして顔を輝かせる。
「やったー!」
 引きずられた文句は聞いちゃいない。それよりも大の字に寝ころんで大きく息を付いた。
(生きてる。俺、生きてんぞ…)
 力無く歩いてきて、ハジメの脇でミズキも脱力で座り込んでしまった。
 風は嘘みたいに収まっていた。それに波模様も落ち着きを見せ始めていた。
 ハジメ達は勝ったのかもしれない。

   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇
 
 どどどどどどどどどど…エンジンの音が響いている。もうすっかり辺りは夕模様になっていた。
 漁船「乱詠丸」船首を向けるのは近くて遠かった津久辛島の港。
 ハジメ、キヨヒコ、ミチヒロ、ミズキ、トモ。
 五人とも船に乗っていた。トモは狭いながらも船室に行って横になっていた。キヨヒコも付いていった。他の三人はすっかり静かになった夕闇の海をそれぞれ見ていた。言葉はあまり無かった。
 安心してどっと疲れが来て、そんな気力が萎えていた。
 助けに来てくれたのはやはりイガ爺で、どうも気になって船を見に来たら、離れ島になんだか動くものを見つけたという。まさかと思って岩場に行くとボートがない。
 それで今朝ハジメに会ったのを思いだして、あいつならやりかねないなと思って船を出したとのこと。全く予想通りの見つかりようだったわけだ。
 近くに来るにつれ、離れ島の浜にボートがあるのを双眼鏡で確認して間違いないと思ったようだ。
 船に乗ってきた大人はイガ爺と、診療所の先生。あのハジメがああも「見つけてください」ってサイン出すなんて何かあったと思ったらしい。
 幸い、トモはねんざと擦り傷以外、なんでもないとのこと。ほっとした面々。
 ただ、さすがにイガ爺は無線で地元に知らせていて、港には各隊員の親御さんが集まっているようだ。げーっとする面々。間違いなく、すごく怒られる。
「ははは、覚悟しておくんじゃのぉ。た〜っぷりしぼられるぞ」
 にんまりと舵を取りながら笑うイガ爺。七十の年にふさわしい白い髭と日焼け肌。アロハシャツが意見の分かれるところだろうが、似合うは似合っていた。
「うるせえ、クソじじい。騒ぎ大きくしやがて」
「なんじゃ、覚悟しとったんじゃないのか?」
 意外そうな顔。ハジメはそっぽ向く。
「みんな俺の責任だ。第七艦隊の隊員に罪はない」
「第七?」
 さすがのイガ爺も首を傾げるしかない。
「まあ、何にせよ、無事で良かった」
「無事じゃねー!」
 包帯でぐるぐる巻きにされた右肩。ひびが確かに入っているようで、でもそれだけだった。
 イガ爺は声高く笑った。
「まあ、ハジメの気持ちもわかるわい。ワシだって海神様の祟りだなんて思いたくない。まさか子供だけで離れ島に乗り込むなんて予想もできんかったがのう」
 笑いながら、イガ爺は余裕で船を操っている。まだ波のうねりはある。でも船の安定感は確かにある。バカさで隠れがちだけど、操舵の腕前はやはりすごい。
「小屋にはびっくりしたじゃろ」
 の言葉にハジメが顔を上げる。
「それだ、それ! 神様なんかいねーじゃねーか!」
「かかか、やっぱそう思ったか。でもな、神様ならいたぞ」
 どことなくうれしそうにイガ爺。
「大漁旗はいっぱいあったか?」
「ああ、腐るほどあったぞ」
「それが御神体代わりじゃ」
「へ?」
 あんぐりハジメ。ミズキやミチヒロも聞くだけだったのに、顔を上げてイガ爺を見た。
「正確に年数は決まってないんじゃが、何年かに一度、島の漁協長が、名人を選んでな、その漁師の船の大漁旗をあの島に奉納するのじゃよ。代々の名人を神様に見立てて、それにあやかろうって事だな。いつの間にか海神祭の海神と一緒にされてしまったが、今でもちゃんと続いているしきたりじゃ。ワシも先月預けに行ったばかりじゃて」
 言葉もない子供達。
「じゃ、なにか? あのばかげた迷信の元凶は結局自分たちの島の代表が預けたものって事か?」
「そんな大それた事じゃなかったはずなんだがのう。漁協長も変な噂がついて頭を抱えておったわい。あと、この話は他言無用じゃぞ?」
「なんだかなぁ」
 正体知ってみればこんなものだった。脱力…
「ワシの旗かっこよかったじゃろ?」
 得意げに。ハジメは不敵に笑って、
「俺が旗をふっていたの見たんじゃないのか?」
「おお、そうじゃったな。風に舞うワシの旗、久々に見たがほれぼれしたわ」
 ご満悦な顔だ。心情を表しているのか、乱詠丸も軽快に進む。
「ちゃんと小屋に戻してきたのじゃろ?」
 ハジメが崖から落ちたのは知っていた。助かった経緯も知っていた。でもそれは知らなかった。
「なんだ、知らなかったのか。じじいの旗なら海の藻屑になったぞ」
「もくず?」
 はてと首を傾げる。まだ思考が追いついていない。
「突風が吹いてな、崖から落ちたとき、風で海の方に飛んでったぞ。回収不能だな、アレは」
「な!」
 老漁師は固まった。
「あきらめろ、てめえの大漁旗は海に帰ったさ」
 イガ爺の目から涙が…
「ワシの青春がぁあぁぁあぁああ!」
「うるせえ! んなもん、てめえはとっくに終わってんだ、あきらめろ!」
「青春がああああ!!」
 うるさかった。
 それでも乱詠丸は進んでいく。少し先に母港…

   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

 どどどどどど…
 ミズキを見た。イガ爺はまだ涙していた。それでも操縦を誤らないのはさすがと言うべきか。
(ミズキ…)
 あの時、確かにハジメは死を覚悟した。自分が死んで海神が機嫌を直すならいいと思った。でもそれは言葉がいいだけで、その実、ハジメはあきらめていた。あんなにあきらめるもんか!と意気込んでいたのに…
(でもコイツはあきらめなかった。泣きべそかいてたけどあきらめなかった…)
 ハジメの視線に気づいて、ミズキが振り向く。船に乗り込んでから大して会話していないような気がする。話す言葉が見つからなかった。何って言ったらいいか分からない。
 でも言わなきゃいけない言葉はあるはずだ。
「ミズキ」
「何よ」
 怒っているのか分からない澄まし顔。じっとハジメを見ている。体育座りで、船室の壁に背中を預けている。ハジメとは手を伸ばしあってもちょっと届かない距離。
 潮風が心地良い。ミズキの長い髪を揺らしている。
 ミズキはハジメの言葉を待っていた。ハジメはちょっとだけ目を伏せて、
「助かった。ありがとう」
 ミズキはその言葉を聞いて、ひと息をして、ハジメから視線を外して、水平線の向こうに向ける。
「…知らないわよ、ばーか」


 帰港。そして…

 ハジメは自分一人で今回の計画の責任を取るつもりだった。
 港に着いた五人を待っていたのは、それぞれの両親。抱き寄せて、安心したあとは当然叱った。
 そのあとの非難がみんなハジメに集中した。
「みんなその子にそそのかされたに決まってます! ケガまでして、うちの子に何かったらどうしてくれるんですか!」
 涙目で訴えるトモの両親。平謝りのハジメの両親。
「海神祭が中止になったというのに海に出るなんて、祖父が亡くなったばかりだというのに、この子にまで後を追わせようって言うんですか!」
 悲痛な声だった。おそらくどの両親も文句があっただろう。でもトモの両親のそれは輪を掛けて強く、他の親御さんが口を挟む余地がなかっただけ。
「すみません。きつく言って聞かせますのでどうか…」
 ハジメの母親がハジメにも謝るように促す。ハジメは包帯でぐるぐる巻きになった肩に上着を掛けるだけで羽織っていた。
 でもハジメはぎりっとトモの両親の目を見据え、
「大人がいつまでもくだらねぇ迷信にびびってるから、ぶっ壊してやろうってみんなを巻き込んだ」
「やっぱり! なんて事を!」
「生きてんぞ!」
 トモの両親の叫び以上の大きな声。周りで見ているしかない大人達をびくっとさせた。
「海に出たって、海神の島に行ったって、こうして俺達は生きてる」
「それはイガさんに助けてもらったからでしょう!」
「それでもだ! イガ爺だって死んでねえ! 海神祭が嵐になったら『絶対に海で人が死ぬ』。んなことなかったじゃねーか!」
 ハジメの言葉。確かにそれだけはこの航海で五人の少年少女がもぎ取った真実。ハジメの強い視線に両親は後ずさる。でも…
「そんなの、まだ明日だって呪いの日よ。来年だってまたそうかもしれない」
 言ってしまう両親。青ざめている、それ以上にぶちっときたハジメ。それだ、それなんだよ。握る拳。震えている。
「なあ、海で死んで欲しいのか欲しくないのか、どっちだよ?! 海神の祟りはある方がいいのか、無い方がいいのか、どっちだよ!」
 ギン! とハジメはトモの母親をにらみつける。トモの母親だからとかは忘れている。この母親個人が憎いわけでもない。大人の考えを睨んでいるのだ。
「良くても悪くても、神様がいなくなるのが怖いだけなんだよ。不慮の事故だってみんな神様のせいにできる。都合のいいことは都合のいい神様に、都合の悪いことは都合の悪い神様に。海神祭が嵐で絶対人が死ぬなら、海神祭が晴れたら絶対人は死なない。神様が怒って殺すなら、晴れたら機嫌良くて殺すはずがないだろ。海神祭は心から神様を祝っている。怒るはずがない。でも、それでも事故は起きていたはずだ。そういうのに目をつぶって、都合の悪いことを全部神様に押しつけるから、くだらねえいわれができるんだ。簡単なことなんだよ!」
 静寂。イガ爺も黙って耳を傾けているだけ。震えていた。母親はそれでもハジメを非難する。
「だからって、トモが大けがしそうになったことは変わらないわ。海神と関係があっても、無くても。あなたが巻き込んだのよ。ちがう?」
 悲しい顔。親の顔だ。
「確かにそれは俺の責任です。キヨヒコにも、ミズキにも、ミチヒロにも、トモにも責任はない。みんな俺の勝手で巻き込んだ………ごめんなさい」
 ハジメは頭を下げた。さっきまでの激情はなく、ただ芯から謝っていた。
「言いたいことだけ言って、謝ればそれですむと思ってるの!」
 再びトモの母親が声を荒げたとき、その母親の前に飛び出た影があった。母親の上着をはおったトモ。ハジメに背を向けて、ハジメをかばうように自分の母親をにらみつけた。
「私だって自分で決めてあの島に行ったんだから! ハジメ君は悪くない!」
 涙目、叫び、震える…身体。
「あなたは黙ってなさい。うちの子供にケガさせて、絶対に責任とってもらいますから」
 母親輪わが子の手を掴んで引き戻そうとした。でもそれをトモは振り払う。びっくりする母親。
「ハジメ君だけ、責めて、怒ったりしたら、何度でも家出してやるんだから! 私はおじいちゃんが海神様に殺されたんじゃないって信じたかったの! ハジメ君にそそそのかされたんじゃない!私だって悪い子なんだから!」
 普段の大人しいトモとは思えない怒声。言葉を失う母親。と、ミズキもトモの隣に歩み出た。
「おばさん、私も自分で決めて船に乗ったよ? トモが行くからって言うのも正直ある。だからハジメよりも先に私を責めてよ。なんであなたが付いていながら!ってさ」
「ミズキ!」
 ハジメの驚きの声。背中から。でも無視。
「そうだよ。ハジメだけのせいじゃない。僕だって行きたかったんだ」
 キヨヒコまで出てきた。そして当然のように、
「僕もです。噂の海神を見たかった。ハジメに言われなくても、きっとどうにかして行っていたよ。あんなくだらない迷信、僕も嫌ですから」
 ミチヒロ。大人の間でも優等生で通っているミチヒロの言葉は衝撃を与えた。ミチヒロの両親は動じないで自分たちの息子をただ見ていた。
「ちょっとまて! おまえらはかんけーねーだろ!」
「黙ってなさいよ、チビ助」
 ミズキ。振り返らないで声だけ後ろに。ハジメの声よりも先に。
「アンタはただの艦長。やった事って言ったら考えぶちまけて、勧誘したことだけ。船に乗ったのは自分の意志よ。アンタなんか関係ないの」
 しれっと言い放つミズキ。ハジメは言葉を失ってミズキの背中を見る…しかできない。
 と、素っ頓狂な、場間違いな笑い声が上がった。
「はっはっは、奥さんの負けじゃな、こりゃ」
 場の全員の視線が老人に向いた。アロハシャツのイガ爺だ。
「子供はこれぐらい好奇心があった方がええわい」
「イガさん!」
「まあ、確かに危なかったが、今回はこの通り、娘さんもたいしたケガしてない。むしろ奥さんが怒鳴っておったハジメの方が大ケガじゃ。奥さんの気持ちじゃ勘定あわんじゃろうが、このイガ爺に免じて、この場は抑えてくれんかの。ハジメのバカにはワシからも言っておくから」
 ぽんぽんとイガ爺はハジメの頭を叩く。
「おまえ、もういいだろ」
 トモの親父さんも母親の肩に手を掛けた。トモは生きている。それは変わりない。
「分かりました。でも許したワケじゃありませんから。と言ってもすぐに文句も言えなくなるでしょうけど」
 それを終幕にトモは両親に連れられて車で家路についた。
「言えなくなるって何?」
 ハジメの近くにミチヒロとキヨヒコも寄ってきた。
「ハジメ、やっぱり自分だけ悪者になるつもりだったんだね」
 キヨヒコ。真剣な顔。ハジメとたんに声を荒げる。
「うるせえ、かんけーねえ、すっこんでろ!」
 文句はいつも通りだったが、明らかにハジメは焦っていた。まともにキヨヒコの顔を見ようとしない。ミスキは何か予感がして、ハジメを見る。
「ちょっと、何それ! どういう事よ!」
「ハジメ、何か隠してるだろ?」
 ミチヒロまで。でも野次馬根性ではなく。真剣に。それはハジメにも分かる。だから焦っていた。
「言った方がいいよ」
 キヨヒコは知っているようだ。ハジメはうつむいたまま、眉間にしわを寄せまくって、
「必要ない!」
「ハジメ! 大事なことだろ! なに一人で決めてるんだよ! 友達だろ!」
 キヨヒコの強い声。でも少し悲しさも感じた。何か分からない、でも不安が登ってきた。
 ハジメはキヨヒコを見て、視線を逸らして、
「勝手にしろ!」
 くるりと背を向けた。自分で言うつもりはないらしい。ちがう、きっと言えない。辛くて。
「じゃ、勝手にするよ」
 キヨヒコ。ミズキと、ミチヒロはキヨヒコを見る。
 ハジメが全部一人で背負い込もうとしたわけ…
「ハジメの家、引っ越すことになったんだ」
 星が見え始めていた。


 艦隊解散

 引っ越しはハジメの肩の怪我が落ち着くまで延期になった。あの夏の航海から一ヶ月経つ。
 と言っても、ハジメの父親だけ先に単身赴任のように旅立った。東京の本社に栄転…になるのだろう。でもやはり別れは別れ。
 あの時、当然のようにハジメはぼろくそに文句を言われた。引っ越しの決定は春にはわかっていたらしい。なかなか言い出せなかったようだ。
 どうせ引っ越す身だから最後に何かしたかった。どうせ引っ越す身だから非難は怖くない。だから今回の計画を思いついた。全部ハジメの責任で、ハジメだけが怒られるように。
 海神祭の迷信をぶちこわす。去る者の思い出にはちょうどいい。そう思ったそうだ。
 九月も後半になった。まだ肩の痛みは残る。
 この日。残るハジメと母親が引っ越すことになった。しんみりするのが性に合わないハジメは、クラスのお別れ界を断固拒否した。で、なぜか花火大会になった。夜に浜辺に集まれる奴だけ集まってやろうと言うことになって、結局クラス全員が来た。ミチヒロも、キヨヒコも、トモも、ミズキも同じクラスだから当然。でもミズキは少しため息が多くなっていた。
 そしてこの日。港の船着き場。
 エンジンのかかる漁船があった。いまだによくわからない船名『乱詠丸』。イガ爺付き。
「チビ助なんだからしっかりやりなさいよ」
 いきなり全開のミズキの言葉。唸るハジメ! 唸るミズキ!
「うらやましいだろ。東京ならここにないような本がきっとあるぞ」
 勝ち誇ったようにハジメはミチヒロを見た。別にうらやましいとか思ってない顔で、
「まだ読んでいない本は多い。それに中学にしろ、高校にしろ、図書室はある。問題ない」
 問題ないそうだ。ちなみに貸していた本はきちっと返してもらった。
「ハジメが本なんてほんと、似合わない。寒気するわ」
 挑発的なジェスチャー。
「そんなことないよ。ハジメ君、がんばってね」
 トモの笑顔。あれからすっかり強くなった。気持ちで。
「ハジメ〜」
 キヨヒコ。涙付き。
「泣くなバカ。ただの引っ越しだ。悲しいことじゃねえだろ」
 あきれるハジメ。でもたぶんキヨヒコと同じ寂しさは持っていた。我慢していただけ。
「ハジメ君がいないと、寂しくなるよ」
「大丈夫だ。うるさいのはまだここにいるからな、退屈はしねえぞ」
 にかかと笑うハジメ。
「だ・れ・の・事・かしら?」
 ミズキの視線。ギロリ。
「てめえだ。今度会うときまでに、少しは大人しくなっとけ!」
「ハジメこそ少しは身長伸ばしておきなさいよ 」
「当たり前だ。絶対に追い抜いてやる」
 自信満々でミズキを見上げるハジメ。ミズキはどきっとする。間を見計らって、ハジメの母親が声を掛けた。
「ハジメ。そろそろ時間よ」
 振り向くハジメ。
「時間…か」
 別れの時。ぎゅっと手を握るミズキ。何か言おうとしたとき、ハジメはダッシュでキヨヒコに向かって、彼の頭をヘッドロック。少し離れたところまで連行した。
「ちょっと、ハジメ!」
「いいか、キヨヒコ。今度会うときまでにトモをゲットしておけよ」
 止まるキヨヒコの時間。でもすぐに真っ赤になる。
「う、うわ、なに言うんだよ、ハジメ! 僕は、その…」
「バレバレなんだよ。いいか、男の約束だ。最低でも告白しておけよ」
 少年にとって「男の約束」は魅力であり、重い。ちゃかしていない、真剣なハジメの目を見て、
「ハジメ……わかった。がんばるよ」
 困難の経験は人を強くする。キヨヒコも強くなったっぽい。ハジメはロックを解いて。
「じゃ、行って来る。第七艦隊はここで解散だ!」
 仁王立ちで宣言するハジメ。絶句するミズキ。
「やだ、まだ引っ張ってたの? その名前!」
「当たり前だ!」
「うっわ、恥ずかしい。ハジメのセンス最悪〜」
 笑顔で仰るミズキ。ハジメはすでに母親の乗り込んでいる乱詠丸に飛び乗る。
「それ、見送りの言葉じゃねーだろ、バカ女!」
「べーーーーーだ!」
「最悪だよ、ちくしょう! くっそう、とにかくだ、行って来るぞ、お前ら!」
 船が動き出した。本州の近くの港までの航海。風は微風。波穏やか。遠くにあの離れ島。もう妙な威圧感は感じない。海神のいわれはまだそう簡単に消えないだろう。でも少しずつでも変わってくるはずだ。それだけのことはやったとハジメは思えた。
 離れていく仲間。キヨヒコ、ミズキ、ミチヒロ、トモ。一人では絶対に出来なかった。
 ハジメは大きく手を振った。行ってらっしゃいの声とともに、手を振り返してくれる三人。
 ミズキはハジメに背を向けていた。あのアマ! とぶちっときたハジメ、でもすぐに気づいた。どう反応すればいいかわからない。ミズキの背中が震えていた。顔は見えない。 でもたぶん…
 声が届かなくなるような距離が開くと、ハジメも身を返して、仲間に背を向けた。震えてきた。
 あんなにがんばったのに。違う、がんばったからもういいんだ。
 ハジメは泣いた。止まらない涙。それでも船は進む。

 海へ…



       終わり