定年後の生き方teinenjin
定年後の生活費  口の中に二人の他人  終の棲家  2006年今年の抱負  2006年今年の反省NEW
定年後2年経過  定年人ハッスル  迷う定年人  アルバイト辞めた  映画アバウトシュミットに観る定年 

 定年後をどうして過ごすか、どう生きたらいいのか考えない人はいない。私の定年後やってきたことや考えたことなどを気ままに綴っています。いろんな講座や出版物で賑わっていますから、いろいろ勉強するのはいいことですが単に他人の真似をするだけではうまくいかないようです。年寄りとはこういうことをするものだという既成観念にとらわれず自由に本当に自分のやりたいことを探しましょう。
 
 生活環境や家庭の事情などもあって自分の希望道りにはいかない場合の方が多いと思います。一般的には何らかの勤め仕事を続けるか、自営業か、趣味に生きるか、ボランティア活動など等。本も読みました「男は一生現役」「趣味ではほんとうの生きがいは得られない」「定年後の田舎暮らし」「自営業の進め」など。

 私の結論は出来ることなら(生活できれば、食っていければ)仕事はしないで好きなことをしようと決めました。
 定年3年位前から細々とした遊びの準備を進めました。
 アマチュア無線免許の取得、バイクの買替計画、パソコンの準備とHP開設、スキー用具や山歩き用品、キャンプ用品等の準備です。 大きな準備は家を退職の5年位前に建替えましたがローンが半分も残り退職金で精算しましたから準備とはいえないかも知れません。退職後に家賃やローンを払わないようにしておくことは大事なことです。
 これから定年を迎える方、自分の自由に使えるお金を出来るだけたくさん貯めておくことをお勧めします。



(記事は下が過去)

2007年(平成19年)7月22日(日)今年も半年をすぎた
 今年の中間で思う事
 早いもので今年も半年すぎた。7月16日に満68歳の誕生日を迎えたが体力の衰えをヒシヒシと感じる今日この頃である。健康管理上歩いているが腰から足に掛けて歩き始めに調子が悪いことが多い。30分も歩くとなんともなくなるので最初辛抱しながら歩き始めるのだが恐る恐る体と相談しながらのウォーキングである。スキーも今年は、昨シーズンは雪が極端に少なく1回だけ箱館山へ行ったが一日券を買っても昼過ぎにはギブアップである。ココ数年前から半日券で十分なのに買う段になると朝は元気だから1日券を買ってしまう。

 2月に憧れのハワイへツアー旅行してきた。確かにいいところである、雨季ということでお天気を心配したが時に通り雨があったが全く支障は無かった。お金さえ許せばいつまで居ても飽きることはないだろう。気になったのは物価が高いということである。所持金が少なかったから特にそう感じたのかもしれないが日本というか東京並みと聞いたがそれ以上に感じた。
 ワイキキの浜で一日半裸で過したらひどい日焼けで帰ってから全身の皮がむけた。子供の頃から瀬戸内海育ちで夏は真っ黒に日焼けしたものだがこんなに火傷のような日焼けは初めてであった。

 民謡教室に入ってから4年目、民謡三味線を習い始めて3年一寸、太棹からでは4年半である。今年7月のはじめ三味線初級教室の4名に名取試験への話があって一人は「受けません」と直ぐに返事をした。後の3人はどうしようかと迷った、一人は出来れば受けたい、一人はどうしようか健康の問題があったようである。自分は話を聞いたときは嬉しくなって一度は受けようと思ったのである。ところがいろいろ話を聞くと特訓、試験、費用も数十万円なんて聞くともういつ弾けなくなるかも判らない歳でそれだけの労苦や費用を掛けるのはどうかと思うようになってきた。もちろん技術的な問題、不安もアル、結論は受けるのを辞めることにした。そしたら健康を心配していた人も辞めてしまった。結局残った一人だけが受けることになった。
 今から特訓や試験なんて嫌である。自分で楽しめればいいなんて負け惜しみを言っているのだが辞めることにしてホッとしている

 HP「定年いろいろ」をもっと魅力的なものにしたいと日ごろから考えているがいい案が浮かばない。最近は「オフ会」のバイクツーリングが面白くて仕方がない。それこそもういつ乗れなくなるかわからないのに、それだからよけい楽しいのかもしれない。
 HPも定年後の想いや生活の様など高齢者同士での共通の話題などを充実させたいと思っているのだがなかなか前進はしない。
 恒例の北海道ツーリング、来る7/28からのオフ会ツーリングから東北太平洋側を北上しようと思っている。北海道に居る期間は短くなりそうである。秋に9月中旬以降にもう一回北海道へ飛行機で往復してレンタカーで道東を周る予定がある。費用も節約しなければならない。
 北海道ツーリングも2000年の夏から定年後連続で8回目となるがあっという間にすぎた感じがする。持病は抱えているが、好きなことをして幸せな定年後を送らせてらっていると世間に感謝申し上げたい。出来ればもう少しお金が欲しいのは言うまでもない。

2006年(平成18年)12月31日(日)今年の反省
 
定年後丸7年を経過した。好きなことをして過していると本当に時間の経つのが早い。
 今年の初めの抱負を見ながら一年を振り返ってみたいと思う。

 1.まず健康管理面、持病の糖尿病は悪化もしないが好転もしない。夏に尼崎の病院から家の近所の総合病医院へ紹介状を書いてもらって転医した。ところが1ヵ月半に一度くらい血液検査をしては診察するのだが診察はパソコンに記載された血液検査の結果を見ながら問診だけである。今まで一度も聴診器を当ててもらったことはないし、降圧剤を服用しているのに血圧を測ったことは無いのである。前の病院では次々と検査を進められたが、それは一切無い。ちょっと頼りないので病院を変わろうかと思っている。

 2.習い事、太極拳と民謡、唄と三味線をやっていたが今年の5月から太極拳を辞めてしまった。5月に伊豆半島へツーリングに行き帰ってから疲れが出てサボったのがきっかけで8月に退会してしまった。準師範、師範と進もうという夢を持っていたが自分から絶ってしまった。
 残念なことをしてしまったと思う一面もある、居場所の世間を狭くしてしまったということである。役員を留年したり会長を頼まれたりして嫌気が差したということもある。静かに太極拳を動きたかったのである。それなら会に所属しなくても一人でも動けばいいと思ったのだがなかなか長続きはしないようである。民謡唄と三味線は一生懸命やっている、三味線は相変わらず何時辞めようかと思うことがある。

 3.バイク、ドライブ、スキー バイクは5月伊豆半島ツーリングや恒例の夏の北海道ツーリング、9月に淡路島一周など例年より多くなった。新たに今年は11月になってHPの「掲示板」のオフ会ミーティングツーリングなども入ってバイク活動が多くなった。出来る限りアクティブに取り組みたいと思っている。ドライブは少なくなった家族でのドライブ旅行が少なくなったからである、車は不要なのだが無かったら寂しい。スキーは年初にはよく行ったが今シーズンはまだ行っていない。

 4.勉強、HP「定年いろいろ」もっと魅力のあるものにしたいと模索しているがなかなか良い案が出ない。これから団塊の世代のリタイヤが始まり高齢化が一段と加速する時期に入る、リタイヤマンのニーズは多様化し増大するはずである。
 HPにフォトスタディーをアップしたが専門ではないのであまり見栄えはしない、これは自分のためのページとして出したということもあるからヒットはしないであう。
 
 5.旅行など、二月に九州から屋久島、秋に北海道へ駆け足ツアーであった。シニアエイトの恒例の旅、秋に出雲大社から皆生温泉へ12月には恒例のカニ忘年会を久美浜湾へ行った。もう少し落ち着いた旅をしたほうがいいのだがつい手近の安価なものへ走ってしまう。

 6.買い物、一番高価はバイクの純正ウィンドシールドを9月買った。六万円少々であった。次に腕時計を新しく買った、二万円少々の大型の防水エコドライブである。とにかく文字盤のみやすいものを選んだが、腕の細さに比べて少々大きすぎる感じもする。
 買い物ではないが8月にNTT西日本の光りファイバー回線に切り替えた。インターネットと電話のトータルで格安と言うコピーに引かれたのであるが、切り替えてから「北郵便局ですか・?」と言う間違い電話が多くなった。TelNoは全く違うのである?光り回線が原因かどうかはつかめていない。

2006年(平成18年)1月11日(水) 昨年の反省と2006年今年の抱負
 
早いもので年が明けてからもう10日を過ぎた。定年後丸6年を経過したことになる本当に早い、驚くばかりである。
 年頭に当たり昨年の反省と今年の抱負を記録しておきたい。
 昨年、3月にマイカーの初めての車検を行ったが3年間で9900Kmしか走っていない。車はもたなくてもよいと証明しているようなものであるが無いとさびしいから不経済でももっていたい。
 3月に待望のNIKON一眼レフデジカメD70を買った。7月末からの北海道ツーリングへ持っていったが長時間の振動や湿気が気になってしかたなかった。やはりツーリングには小型のデジカメのほうが安心して使いかってもいい。これもNIKON Coolpixに買い換えた。
 
 夏の北海道ツーリングは定年後6年連続6回目となり昨年は一昨年9月に買い換えたShadow750でいった。期間は7月末から8月にかけて12泊13日。大分北海道の全体像がおぼろげながら解りかけて来た。出来るだけ新しいところを走り、新しいキャンプ場に泊りたいと思って走った。不思議なことに疲れてくると無意識に以前に走った道のほうへ、又泊った(知っている)キャンプ場のほうへ向かっているのです。今年の特筆は礼文島へ行って初めてユースホステルに二泊した。やはり柄に合わないキャンプか民宿のほうがいいと思った。今年も行こうと思っている、今から楽しみだ。

 習い事は太極拳と民謡・唄と三味線をちょっとしんどいこともあるが続けたいと思っている。太極拳は昨年は「指導員」の段位を取った三味線は流派は別にして習いだして満3年を経過したが藤本流の撥さばきに難航している。
 健康管理はウォーキングもあまりやらなくなってしまった、血糖値が上がり気味である、要注意である。病院を尼崎まで通院しているが今年は家の近くに転医しようと思っている。
 
 最近、旅行に行かなくなった。バイクツーリングとかスキードライブなどは行きたいと思うが普通の旅行には興味がなくなってきた。やはり年のせいであろうか。そうそうシニアエイトでは昨年夏は高知へ行った。そして恒例の年末の久美浜湾カニ忘年会も楽しかった。海外旅行もそれほど興味がなくなった。
 
 今年の抱負
 1.健康管理 身近に癌でなくなられる人の話をよく聞く、こればかりはどうしようもないが、成人病や生活習慣病などの
   予防というか進行抑制というか自分で出来ることは意識して努力しないといけないと思うのだが。難しい
 2.習い事 民謡と三味線と太極拳をよりいっそうの努力をしたい。太極拳は「準師範」を受けたい
 3.遊び バイク・ドライブ・スキーなども積極的に楽しみたいと思う。バイクツーリングは夏の北海道の他、伊豆半島一周をしたい。
 4.勉強 デジタル写真の勉強をしたい、フォトスタディーをHPにアップしようと思っている。HPをもっと魅力のあるものにしたい
 5.旅行 温泉、スキー、海外などチャンスがあれば行きたいと思う
 6.買い物 大きなものを欲しいという計画はない。バイクの無線、ヘルメットスピーカーマイクセットを新しく欲しいと思っている。
   小型の広域帯受信の無線機を買ったのでそれにセットできるもの。

2005年8月28(日)終の棲家
 
先日知人の引越しの手伝いに行ってきた。1年前に終の棲家としてご夫婦で松山の温泉つきの生涯施設に入ったのです。それを聞いて大変羨ましく思ったものでした。ところが一年間でその施設から出て元の一般の住宅に戻ってきたのです。どうしてなの?
 食事から看護まで一切の面倒を死ぬまでみてくれるのですが、あまりに恵まれているというのも健康であればあるほど反対に不自由なもの足りない気持ちになるそうです。
 新しく入ってくる人は重病の方が多い。そういう施設だから当然のことなのだが、食事から温泉まで施設に居るうちは病人の同居人の方との社会生活になるのが耐えられなくなってきたというのです。早くから構えすぎたのかもしれないと使った費用を高い授業料だったと反省していると言います。
 子供さんもいらっしゃらないご夫婦ですから健康を害すると不安になり、終の棲家への関心が高まってくるのでしょうか。
 終の棲家への関心は定年退職の後に誰にも遅かれ早かれやってくる問題なのですが皆さんはどのようにお考えでしょうか。

2005年3月8日(火)口の中に他人の二人 
 他人とは部分入れ歯のことである。昨日、左下の奥歯跡に二本分の入れ歯が入った。二人目の他人である、もう一人は数年前に右上の中間にこれも二本分の入れ歯が入っている。
 入れた人でなければこの感覚は解らないと思うがまさに口の中に他人が入ってきたという表現がピッタリである。右側のはもうかなりの時間が経っているので他人らしさが薄らいできたがそれでも肉親にはなりきれない。昨日入れたのは付近の歯や歯ぐきはもちろん口の中全体がが異常な警戒心を持って見守っているところである。舌が無意識のうちに入れ歯を触りに行く。部分入れ歯でこの騒ぎであるから総入れ歯になったら口の中は全て他人ということになるのだろうか。

2005年1月11日(火)今年の抱負
 昨年できればジョギングを再開したかったが出来ないで終わった。もう走るのは出来ないだろうと諦めた。せめて歩くことは続けたいものだ。
 バイクライフはShadow750を大切に乗りたい昨年は無駄な買い換え方をしたと反省している。お金をかけずに気楽にちょい乗りにも使いたい。北海道ツーリングは例年通り行きたい。
 民謡を唄と三味線(細棹)を習い始めた。太棹も練習できるかと思ったが無理のようである。大金をはたいて買った太棹だが弾かないのに持っていても仕方ないので手放そうかと思っている。出来れば細棹と交換できれば良いと思っているのだが三味線屋さんに当たってみようと思う。
 海外旅行も行きたい、できればハワイへ、タイも面白そうだ。国内旅行も行きたいと思っているがそんなに予算はないかもしれない。
 今年は車の車検年である。三年が経つのにまだ1万キロ走っていないのだ車を持つ必要はないくらいであるが無いと寂しい。
 アマチュア無線局の免許更新年でもある忘れないようにしたい、前回5年前は期限ぎりぎりになって慌てた。これも開店休業の状態が続いているが費用はそんなにかからないので継続したい。
 太極拳、昨年は奥伝を取った。今年は指導員を取りたいと思っている。

2004年12月31日(土)今年も終わった、定年後早や5年が経過した

 こないだ定年を迎えたと思ったら早や5年も過ぎていた。
 今年は2月に北海道流氷のツアーにいき夏には白浜へ一泊し11月には石垣島方面のツアーへ行った。いづれも格安の旅であるが結構楽しむことができた。恒例の北海道ツーリングも5年連続5回目である体力の続く限り行こうと思っている。
 そうそう秋に仲間と勝浦温泉へも行った。民謡の会で11月に親睦旅行で伊勢の方へも行ってきた。

 バイクを2月にBMW1100からホンダマグナ250に買い換えたが北海道ツーリングから帰ってまたホンダシャドウ750に買い換えた。これは大失態であった。詳細についてはHPオジンのバイクライフに書いている。

 今年4月に昨年1月から先生について習い始めた太棹三味線の稽古を辞めた。理由は稽古についていけなくなったのだ。そして7月に唄う民謡教室に入った。三味線(太棹)は自分で練習は続けていた。デイケアセンターなどへ数回ボランティアで弾きに行った事もあるが一人で弾いていても仕方ないと思っていた。津軽の曲弾を習い始めたがとても難しかった。
 
 12月から民謡教室で又三味線(細棹)も習うことにした。三味線は太棹を自分で楽しむだけにしようと思っていたがやはり大勢の人と合奏したり唄の伴奏をすることで楽しみも大きく広がると思ったからである。
 自分でも呆れるくらいコロコロ考えが変るのである。

 一昨年からジョギングが出来なくなったが最近はウォーキングでも距離を伸ばしたり連続すると疲れるようになってきた。やはり加齢の老化のせいだと思うが仕方のないことである。無理をしないで努力しようと思っている。
 太極拳は今年奥伝を受けた。来年は指導員を受けようと思っている。これも片足立ちなんかがふら付くようになってきた。

2004年10月26日(火)新刊の紹介「定年後の居場所を創る」中央公論新社 著者 加藤 仁
 10/23中央公論新社から冊子小包が届いた。本は注文していない。不審に思って開けてみると著者代送とあり著者は数年前に取材を受けた作者の加藤 仁氏であった。その後ラジオに出演されていて懐かしく聞いた覚えがある。そのときも定年後の生き方について語っておられた。
 送られてきた冊子はその名もズバリ「定年後の居場所を創る」とある。背広を脱いだ61名の方の実践ファイルである。
 定年前後の方には大いに参考になる実践ファイルだと思う。私の取材記事も載っています「仕事か遊びか金か心か揺れる60歳代」という見出しです。

2004年4月8日(木)三味線の稽古を休むことに決めた
 昨日は稽古日であった。最近練習に根気がなくなり、覚えられなくなってきた。一年とちょっと、ここに来てついに行き詰った。稽古を始めてから、もう駄目だいつ辞めようかと思いながらも辛抱してきのだが残念ながら休むことに決めた。
 年寄りの楽しみが苦しみになったのでは元も子もない。今までに習った曲をユックリ復習しようと思っている。それからのことは叉考えよう。三味線は好きである。どんなかたちでもいいから弾き続けたいと思っている。

2004年(平成16年)今年の抱負
昨年はジョギングを再開しようと思って走りかけたが足腰が痛くなりついに出来なかった。やむを得ずウォーキングに切り替えて歩いているが比較的調子がいいのでまだ走ることも諦めないでトライしてみようと思う。

パソコンいついては折角LANを組んでいるのでホームサーバーをセットしてみたいと思っているがなかなか難かしそうだ。
欲しいものはデジタル一眼レフカメラ、液晶薄型地上波デジタルテレビ。高価なものばかりであるが何とかしたいものだ。
定年退職したら豪華な海外旅行(ハワイ)に行こうと言っていたがテロ事件などもあって行っていないので行きたいものだ。

太極拳、呼吸の仕方が少しわかってきたようであるが途中で乱れてしまう。まだまだ真似する段階でこれも奥が深いあせらずコツコツいこう。
三味線は丁度1年、辛うじて続けて来られたので少々のことは辛抱して頑張ろうと思っている。いつも言っているが楽しみが苦しみにならないように気持ちに余裕を持たなければいけない。
アマチュア無線が開店休業のままなので少しは活動したい。バイクも夏の北海道だけでは淋しい、もう少し走りたいものだ。

何だか子どもの抱負のようになってしまったが希望だからいいだろう。

2003年(平成15年)12月31日  今年もあっという間に終わった
 今日あるメールをもらったがそれには歳をとると時間(年月)の経過を早く感じるようになるのはなぜかと書いてあった。10歳のときは1年は生きてきた時間の10%に相当するが100歳になれば1%にしか過ぎないからだとあった。そしてこれは相対性理論だといっている。なるほど、ほんとに時間の経つのが早い、子供のころの一日はもっともっと長かった。

退職してから丁度4年が経過した、これも早い。年初に今年はアルバイトもやめたしジョギングの再開とパソコンの勉強を抱負としていたがジョギングはついにウォーキングに変わってしまった。パソコンの勉強もほとんど進展していない。
今年からはじめた三味線の練習に一生懸命になっている。音色が気に入っている、稽古は厳しいが習い事だから仕方ないのだろうと思う。あまりのめり込まず、客観的に眺められるように冷静に、カッカしないようにといつも思っている。

もう一つ残念なことがある。一昨年の3月から農園を借りて野菜つくりを楽しんできたがここにきて手が回りかねるという負担感を感じるようになりお返しすることにした。随分と楽しませてもらったし何とか続けたかったが農作業も中途半端では出来ないことがよくわかった。昨年はアルバイトをしながら畑も作ってきたのにと思うが仕方が無い。

太極拳はマイペースであるが続けようと思っている。これも準備運動など始めた頃は軽くこなしていたが最近はちょっと疲れを覚えるようになってきた。また片足立ちの型のときなどふら付くようにもなってきた。刻々と体力と言うか老化が進んでいることが自覚できる。
来年の抱負は年初に立てることにしよう。

2003年(平成15年)06.16 映画「アバウトシュミット」にみる定年後

監督:アレクサンダー・ペイン(1961年生まれ)
(あらすじ)
ジャックニコルソン主演、主人公ウォーレン・シュミットは米ネブラスカ州・オマハ市の保険会社の経理士としてキャリアを積んできたビジネスマンで66歳である。子供のころに描いていた実業家としての夢には及ばないが、良き会社や同僚、長年苦労をともにしてきた妻、愛する一人娘に囲まれ充実した日々を送っていた。ところが定年退職した日から彼の人生は一転してしまう。

朝食後、好きなパズルを解いた後は何もすることがないのです。終日テレビの前で過ごすことになる。たまりかねて勤めていた会社を訪ねるが、もうそこは自分を必要とはしていないのです。
そして彼の外出中に妻が脳障害で突然死んでしまう。しかも最愛の一人娘は自分の気に入らない男と結婚するのです。悲しみと寂しさ、怒り、不安に襲われます。
彼が本音を吐露できるのは「フォスターペアレント」として資金を援助しているアフリカの少年への手紙のなかだけなのです。彼の本音はこの少年への手紙のなかで語られていきます。「自分がこれまで築いてきた人生は一体何だったんだろう」という強烈な寂しさに追われるように亡き妻の希望で購入した大型キャンピングカーで生まれ故郷や観光地、博物館などへ人生を振り返る旅に出るのです。最後に娘の結婚式で父親として立派なスピーチをします、一人自宅に帰りアフリカの少年が描いて送ってきた素朴な一枚の絵を見て涙して映画は終わります。

(感想)
定年後の理想像ではなく、ごく普通のいかにも現実にありそうな老人の生き様が淡々と描かれている。普通の生活がリアルに描かれているので気持ちよく観られた。
 定年という人生の節目には豊かなアメリカでもこのような問題があるのかなあーと改めて思う。豊かであるがゆえに大きなギャップとなって落ち込むのかもしれない。主人公の表情が実に豊かで、同年代の人間としてシーン毎の心の動きを共感することが出来、自分自身を見ているような怖さもあった。自分の経験と照らしてみると、やはり組織から離れて単なる一個の老人になってしまったという寂しさがある。私の場合は今のところは家族に変化はないのですが家族との別れなどが重なればショックは大きいと思う。

 経済的な問題はないのかと思ったがチラッと覗かせていた、妻の棺おけの値段で娘が最低のものだと非難す場面があった。
本音を吐き出せる対象を常に持っているということは大事なことであろうと思います。
 いつの世も無常であり社会や家族との関係も変化しやがては別れていくわけですが、いろいろと心や魂の準備というか勉強をしておくべきであろうと思います。皆さんはどのように思いますか人生の終盤を迎えるに当たって最期までどう生きていくべきか大変大事なことであります。

2003年06月16日 今年も半年暮れた
 アルバイトもやめ十分時間があるのでジョギングを再開しようと思っていたが体力的な問題もあって時々ウォーキングするだけになってしまった。非常に残念に思っている。なんとか少しずつでも再開できるよう希望を持って努力したい。
 パソコンの勉強も進んでいないホームページを更新するのに一生懸命である。
 今年から始めた三味線の稽古に夢中になっている。自分でもこんなに弾けるようになるとは思ってもいなかった。もちろん問題だらけの弾きではあるが民謡を20曲も練習している。
 最近は厳しいと思うようになった。「しんどい」の一言である。もう少しゆっくりで良いと思っているがつい欲張って練習するのです。ご近所へ騒音を気にしながら弾いている。
 私の性格はパッと燃え上がってすぐ冷めてしまうほうなのでどうなることやらわかりませんが、三味線の音は調子に乗ると気持ちのいいものです結構迫力もあります。
 今年の後半もう少し運動の時間をとるようにがんばりたいと思っている。

2003年(平成15年)01月09日  今年の抱負 
 今年から又毎日日曜日になったが3年前の定年時のような感動は無い。今年はジョギングと太極拳の復活、パソコンをハード面ソフト面とももっと勉強しようと思っている。
 新しく三味線の練習を始めた。師匠は津軽三味線竹山流の名取である。昨日1/8、生まれて初めて三味線を抱えたがにっちもさっちもいかなかった。子供の時分にジープに乗せられ「さー運転してみろ」といわれたときのことを思い出した。少しずつ動かせるようになっていったことがうれしかった。
 だが車と三味線は違う、どうなることやらわからないが挑戦してみようと思っている。

2002年(平成14年)12月28日  アルバイト終了しました
 12月27日 でアルバイトを終わりました、丁度1年間の勤めでした、明日から又自由人で毎日日曜日です。12/27忘年会と私の送別会と次の人の歓迎会をしてくれました。
 アルバイトで勉強になった事項
 (1)近辺の道路をよく覚えることが出来た。現役時代は大阪府高槻市に現住所は置いていたが転勤していたので近辺の地理は全くわからなかったのだが大分覚えた。通勤使用の原付の運転がうまくなった、最初は怖かったが。
 (2)現在の交通社会の実態がよくわかった。プロドライバーとは事故を絶対起こさない、起こさせない運転に徹することと納得した。大変難しいことだがこれからも無事故でいこうという信念を得た。
 (3)自動車業界の競争の激化、サービス業の大変さ「お客様は神様」を体験することが出来た。この精神の限界ってどこまでなのだろう。又、会社のコスト削減努力(私は圧力を受ける立場)の厳しさも実感することが出来た。

2002年12月08日 ものから心へのシフト
 雑誌か新聞のコピーで定年後は「物(金)から心へのシフトを」というのを見かけた。
 私は貧しい育ちであったから親が勉強させてやるといっても早く就職して稼ぎたかったことを鮮烈に覚えている。高校を出て就職しあれこれ仕事を変えてきたがとにかく物(金)に執着してきた生涯であったようだ。
 それなのに決して物(金)持ちには成れずに一生は終わりそうである。ここにきて「物から心へのシフト」というのは大変重要な意味を持って響いてくる。
 そうなんだ近い将来いくら物(金)があっても持ってはいけないところへいくのだ。余生は物(金)に執着するより心を豊かにした方が幸せなのではないだろうかと思うようになったのだが。だがしかし切り替えは難しいのでしょうか。


2002年(平成14年)12月04日  アルバイト後任者が決まりました
 10月の中旬からアルバイト辞めたいと話しておりましたが後をやってくれる人が決まりました。なんと、私をこの仕事に紹介してくれた友達が来年1月から引き受けてくれます。これなら全く安心して辞められます。
 私は12月一杯です、後1ヶ月を切りました。私の最後の仕事だろうと思います。そう思うと何だか寂しくなりますが今後アルバイトで小遣いを稼ごうと思ってももう仕事は無いでしょう。でも良いんです、物(金)から心へシフトチェンジの良い機会だと思っています。


2002年12月01日 DVDマルチレコーダーを購入した
 IEEE1394接続でDVD-R/RW・DVD-RAM・DVD−ROM・CD-R・CD-RW・CD-ROMと7種類のメディアに対応できる。早速VHSからHDDへ2時間の映画を録画し(5.3GBのファイル量になった)これをMPEG-2で出力保存してこれからDVD MovieWriterのソフトでオーサリングとか言うのをしてディスクに書き込むのですがソフトの使い方が解らずストップしている。DVD−Rの容量が4.7GBなので2時間の映画は1枚のDVD-Rには入らないのでしょうか。

2002年11月13日  DVD-Video作成にトライしています
 私は長い間テレビ映画をVHSに録画してきました。定年になったらゆっくり見ようと思って。今も一つの本箱に一杯詰まっています。これをDVDに録画して保存すればスペースが一挙に改善されます。
まずはビデオキャプチャー、パソコンでテレビを見る気は無かったのですが、どうせ買うならとテレビチューナーつきのキャプチャーボードを購入してセット。これだけではテレビを見たり録画できるだけです。ビデオデッキも専用に買ってつないだがこれもビデオを見たり録画するだけです。
 DVDビデオを作るにはDVDドライブを買わなければ成りません。これがまたややこしい、DVD−R/RWその他いろいろ、でもここまできたら最後までやるしかない。
 最後にはPCを買い換えたくなるのではないかと思ってい

2002年10月19日 アルバイト辞めることにしました
 前にも6月末で辞めるといって続けてきたが今度はほんとに辞めたいと思っている。親方に交代の人を手配してもらうよう頼んだ。年内は頼むといわれているがもつかどうか。
 しんどいのです。最近は夕暮れも早くなり連日10時間前後の拘束時間は体力的に又交通安全に対する精神力も不安になりました。眼はかすんできますし足腰をかばいながらのキャリヤカーの操作も哀れです。
 せっかく慣れてきたところで会社にはすみませんが出来るだけ早く交代の人の手配がつくことを願っています。

2002年10月01日  定年人、アルバイトの功罪 
 アルバイトはなんと言っても収入が得られるというのが一番の魅力である。健康のため、老化防止のために働くなどとよく聞くが私の場合は小遣銭稼ぎというのが一番の動機といっていいだろう。
 定年退職時はもう仕事はしないと思ったもです。だが年金だけという兵糧攻めには弱いもので仕事を紹介されて飛びついた。
 もっとも、健康維持、老化防止の効力それなりにもあると思う。
 やらなきゃならないという社会的規範が活性化の元になるのは事実です。仕事してなきゃ総じて「まーいいや」となりますから。

 働くことが生きがいか、仕事にもよるだろうが今のアルバイトは生きがいとは言えない。
 やはり人間は他人から真に喜んでもらえる、評価されるということが一番嬉しいものである。

 定年後の時間の使い方はこれで良いのかと真剣に考えることが多くなった。
 人生80年などといわれている時代だが、自分の定年後の時間をどう使ったらいいのかというのは難題だ。
 あくせく小遣い稼ぎに終始するのがいいのか、他になにかもっと価値のある生き方があるように想うのだが、これがよく解らない。自分の価値観に沿って素直に生きたらいいのだろうか。

 老後の貴重な時間を単なるアルバイトで失っているのではなかろうか?人生の終末時期は他にもっと有意義な過ごし方があるのではなかろうかなどと迷っている。考えてみるが、いろんな要素が複雑に絡み合って想いは堂々巡りを繰り返すだけである。

2002年09月13日 定年後の再就職は慎重に
 定年後、再就職する場合には普通現役時の会社か関連企業に、あるいは紹介企業などで働く場合が多いと思う。その場合は仕事の内容や難易度、必要な能力などが自分に合っていることと思う。
 私の場合は友達の紹介で全く異業種へのアルバイトであり、よく内容(実態)を調べずにはじめました。勤務時間も内容もかなり厳しく苦労しています。もっとも我がままや希望を並べていては仕事はないでしょうが。
 いろいろ社会勉強になりますが体力、気力が持ちません。いつまで働こうか、いつ辞めようかと悩んでいます。
 みなさん、再就職に際しては慎重に対応しましょう。

2002年09月02日  今年の夏は暑かった、残暑も厳しい
 関西地方の夏も連日35度前後の猛暑振りであった。アルバイトも外国車のリコール対応で休日返上となっている。もっとも全く休み無しではないが交替での休みの調整には気を使う。
 それでも夏休みは予定通り8/10-8/18まで休んだ。その間、北海道ツーリング2002年を楽しんできた。
 後がしんどい。連休明けに疲れが出た。こりゃいかん、アルバイト辞めようかとさえ思った。
 現役時代は連休に遊び疲れても仕事しながら徐々に疲れがとれたものだ。歳をとるとそうはいかない、アルバイトより疲れる北海道ツーリングの後に連休明けのアルバイトの多忙ときからたまらない。
 参ったなー、何事にも腹が立つ、疲れてるんだ。もう辞めようかと何度も思う。
 ここに来て疲れは大分取れてきたが、外国車のリコールの仕事が延期になって9月いっぱい休日返上ときた。
 ようし、今月いっぱい、お日様西西、頑張ろうと思っている。
 でも、約束は出来ない。頭にくると「辞めさせてもらいます」が直ぐ出そうであるから。

2002年07月21日 梅雨明け夏本番
 昨日梅雨明け宣言で夏本番の到来である。夏は一番好きな季節である。海、ツーリング、キャンプと楽しめる。
 昨年の今ころは北海道キャンプツーリングで東北を走っていた。今年はアルバイトでしかも休日返上なのです。今月は13日の土曜日に休んだだけであるが来週の27、28日の土日はグループ旅行で徳島行きを計画している。3日も休めば休日返上とも言えないか。

2002年07月10日 暑い夏になりそうです
 アルバイトは続けることになったのですが、徐々に仕事が暇になってきて少し心配していたのです。ところがスポットの仕事が入ってきました。外国車のリコールの対応です。近畿圏で約600台の対象車があるそうです。数社に分けて対応するそうですが土日の休日返上で神戸のディーラーから引き取り修理して納車の仕事です。
 まいったなー、世の中いつまでたっても自分中心には回ってくれへん。7月一杯土日休みなく、平日は一般の仕事が終ってから神戸へ納車、引き取りの仕事で追われそうです。
 でもまー、スポット作業ですからいつまでも続くわけではないので、体が続く限り走ります。仕事をやる以上、どんな仕事でも自分の都合のいいようにばかりはいかないものですね。安い労働力はよく売れるのかなーと思って頑張ります。

2002年06月29日 アルバイト続けることになりました
 6月末で辞めようと決心し、親方にも話していましたが、次の人の手配がつかないのでしばらく続けて欲しいとの要請を受けました。私もせっかく縁あってお世話になった仕事なので出来るだけ頑張ってみようと思い直しています。
 最近、急に暇になっています。会社には悪いが毎日定時近くに終業出来るので私にとってはありがたいことです。歳をとると被害妄想とか取り越し苦労とか、ちょっとしたことにもひがみやすくなるようです。もっと悠然としてあつかましくいけばいいのかなーなどと思うのですが小心者の性格は直らないでしょう。

2002年06月15日 アルバイト(仕事)を辞めることにした
 再就職、アルバイトをはじめて6ヶ月経過したが辞めることにした。次の人の手配の関係もあり6月末までということにしてもらった。
 親方や仕事先にはせっかく慣れてきた頃に辞めるということでご迷惑をかけることになり申し訳なく思っている。やはり「しんどい」「疲れる」というのが本音である。肉体よりも精神的疲れのほうが大きい。若い頃には何ともなかった他人の言動が気になり勝手に傷ついているといったことが多い。
 何とか続けようと努力したが、ちょっとしたトラブルが引き金となり悩んだ末に辞めることにした。
 6ヶ月では三日坊主であるが、恥も外聞もなく好きなようにさせてもらうことにした。
 又適当なアルバイトがあればやってもいいなーと思っているがもうないだろうなー。

2002年05月21日  迷う定年人
 連休明けもアルバイトを続けている。今年は5月に入って所謂五月晴れが臨めないできた。雨の日が多かった梅雨の走り状態というそうだがまだまだ梅雨には時期が早すぎる。
 ここにきてやっと五月晴れに恵まれてきたが我が思いは晴れない。
 というのも、仕事には慣れてきたがもう一つしっくりとこないのだ。所詮はアルバイトの陸送屋だからか、そうでもないだろう荷が少し重いと思うくらいだから。
 それでは何が不満なのか? 道行く人の中にハイキング姿の同年代の人が目に付くのだ。昨年は自分もまったく同じような格好でこの道を歩いていた。それなりに楽しかったが今は仕事をしている。貴重な時間を仕事で失っているのではないだろうかなどと思う。
 しかし、ハイキングのときには仕事をしている高齢の運転者に出合ったときなどは自分もまだ仕事をするべきではないのかなどと思ったものだ。そうなんだ自分が身を置いている状態から反対のことに憧れるという幼児のような心境になるこの頃である。
 躁鬱状態も頻繁に起こるようで精神的に問題があるのではないかと思うが如何なものか心配している。

2002年04月27日 今日から大型連休
 今日から5月6日まで10日間の連休である。私はアルバイトで時間給であるから所定内賃金が出るわけじゃなしただ出勤しなくていいだけである。もちろん賃金は無給である。それでも会社が休みというのは気持ちがいいものだ。
 しかし思うに自動車修理業者が5月の連休に連続10日間の休みというのは如何なものかと思わぬでもない。いやいやそれでいいんだ、あくせく働くだけが能じゃない時代なんだと。私は農園の仕事と旅行を2泊3日で能登半島を家内と一周ドライブしてきます。後半孫たちが来るかも知れない。

2002年(平成14年)4月2日 再就職(アルバイト)から3ヶ月過ぎた
 定年後丁度2年間を過ぎた今年1月から縁あって再就職(アルバイト)してから3ヶ月を経過した。仕事場の雰囲気にも大分慣れ少しは楽になったのだが。
 体調不安が発生している。腰痛というか腰から足にかけて老年期障害であろう症状が出て悩まされているのです。常時変調ではないが時折足腰に痛みとダルさが起こるのです。これこそ歳をとっているんだよというシグナルだろうと思うが不安である。
 定年後の再就職、アルバイトで時間給だから、時間さえ経てばいいと思ったらこれはよくない。
 単純な仕事(車の陸送がメイン)ではあるが挑戦していく姿勢が大切であるとつくづく思う。
 現役の若い時代によく言ったものですが「とにかく仕事にトライして行くことだ、成果をあげれば報酬は後から付いて来る」と
 アルバイターだって、同じようなことがいえると思う。時間さえ経てばいいと思うと1日の時間が大変長くなるのです。
 「今日はどんな出会いがあるのか、いかに効率よくお客様のご要望と会社の期待に応えられるかを考えてアタックしていきたい」と思う。

2002年2月28日 給料日
 
今日は再就職初めての給料日である。1月就業分の給料が2月末の支給で一ヶ月遅れであり振込みではなく現金でくれるのだ。給料といえば現役時代から2年ぶりである。給料と書かれた封筒で受け取ると嬉しい。時間給とは別に無事故と皆勤手当てが一万円と携帯電話手当てが千円ついていた。

2002年02月02日 再就職(アルバイト)から1ヶ月を経過した
 仕事をはじめて一ヶ月を経過した。大分慣れてはきたが反面だんだんと仕事の厳しさも解ってくる。
 お客様相手に大切な車を扱う商売だけに大変な神経の使いようで続けられるかどうか不安な思いをすることもある。高齢者の仕事にしてはかなりハードで、定時で終ることは少なく19:00H前後が多い。最高に遅くなったのは事故代車のレンタカーを京都へ運んだときで21:00H終業であった。
 
 運送関係の仕事はお客様の要請で動くわけだから突発的な要請も起こるのです。
 私は毎日定時でいいんだがそうはいかない、幸い土日が休みなので何とか息がつける。
 多数のディーラーなどを一通り覚え、もっと慣れれば気楽になるかもしれない。年寄りに一人前の仕事をやらせてもらっているという一面もあるので何とかコナシていきたいと思っている。

2002年01月19日 やっぱり仕事はしんどいなー
 仕事をはじめてから2週間を経過した。2年間のブランクの後だけに一日が終るとホッとする感じである。見習い期間中であるが、いろんな車の運転やお客さん相手でもあり又職場のすべてが初めてであるから想像以上にストレスがかかる。
 勤務時間が長い8:30から18:00ないし19:00ころまでが多い。
 手待ち時間も多いのだが定年人の仕事にしては少しハードな様にも感じるが慣れれば勤まるかもしれないと思って頑張っている。
 4トンシャーシーのキャリヤカーに2トン近い車を載せて走ると重心が高くてふわりふわりと揺れるのが気持ち悪く大変走りにくい車になる。
 交通事故は絶対に起こさないとの意識を常にもって運転しているが時には乱暴な車に出会い不安な思いをすることもある。

2002年(平成14年)1月、定年人の再就職(アルバイト)
 1月7日、記念すべき初出勤日。
 就職とは言えないフルタイムのパートタイムである。要するに時間給だけのフルタイム勤務である。
 いろんな言い方があるようだが非定型労働というのが最近の言い方か?年金生活者と企業のニーズの一致と言うがこれでいいのかと思う一面もある。
 何はともあれ弁当を持って出勤するというのは気持ちがいい。
 朝礼で社長の年頭の挨拶のテープを聞き、2年ぶりに会社でのラジオ体操をして、仕事待ちでスタートしたのです。
 車が好きであるが、今日は6台の車をユーザーから工場へ引き取った。キャリヤカーではなく直接当該車の運転での引き取りである。古い車から最新式の車や大型車もある。乗るたびに車種が変わるのは一見楽しいようであるが現在の交通社会の中での初対面運転は結構疲れる。
 今日の圧巻の一台は大型テレビ中継バスであったが大きいのは何か安心感がある。最後の車は新車のスポーツタイプの車で乗車土足禁止です。お客様のご要望には沿わなくてはなりません。 ソックスで車の運転をしたのは初めてであるがミッション車でもありダイレクトに操作感を味わった。
 それほどきつい仕事とは思わないが、2年間のブランクは拘束されているだけでもかなりの負担を覚えた一日であった。
 さて何時まで続くかお楽しみ。

2001年(平成13年)12月、定年人ハッスル でも駄目だった
その(1)インターネット検定
 色あせた定年生活に活を入れよう。張り切って活動しようと、01/12/02NTTのインターネット検定にトライしました。
 結果は散々で問題を読んで理解するのに時間が掛かり時間内に全問題に解答できない。
 第一部は60分で50問中40問しか解答できなかった、このショックは大きい。第二部は90分で60問中55問答えられた。回答できたのが全部正解なら希望は持てるがその自信はまったくない。
 こういう試験では回答の仕方の技術が大変重要であると痛感したが、そのためには場数を踏まなければならないようだ。
 出来なかったことに言い訳するわけだが、受験生は20代−30代で60歳代は殆んどいない。
 何かを見て判断して対応するまでの時間差がものをいうのです。つくづく歳を感じる次第です。
 テキストを買って一生懸命努力したのに検定の方は残念だったが、インターネットについて体系だって勉強をすることが出来て喜んでいる。

その(2)友達が仕事の紹介をしてくれた
 定年人、自由人、毎日日曜日も2年を過ぎればその喜びも色あせてきた。などといっていたらタイミングよく友達が「仕事せーへんか」と電話をくれました。
 01/12/04、面接をすることになった。もう書くことは無いと思っていた履歴書を書きました。
 もっとも勤務形態は常用スタイルで時間給ポッキリですが年金者のパートですから当然でしょう。
 この失業率最悪のとき我に仕事ありと感謝感激する次第です。夢よもう一度、なんちゃって・・・そりゃ無理ですよね、ハイ。
 
2年ぶりに来年から仕事をすることになりそうである
 履歴書と運転免許証の写しを持って01/12/4と12/11に面接した。2回も面接したのは下請者と仕事先の別々である。仕事の契約は下請け者とであり小規模だから社会保険は非適用事業者である。従ってフルタイムで働いても在職年金の適用は受けない。
 フルタイムと言っても労働時間掛ける時間単価の賃金一本である。賞与や手当ては一切無いしもちろん退職金などはない。

 仕事は自動車メーカー系列の自動車修理工場の車検や修理の自動車の運び屋である。
 キャリヤカーで運んだり自動車そのものを運転して引き取ったり納車する仕事がメインである。その他雑用係りでもある。
 定年直後なら「ご遠慮します」と言うだろうが2年も経過すると、すっかり油分も抜け落ち心身ともに素直な老人になっております。
 どんな仕事でも結構です有難うございますと喜んでおります。
 「男は生涯現役でいたい」というのが本音にあるのでしょうか。何時まで続くかわからないので偉そうなことは言えない。

2001年(平成13年)12月、定年後2年を経過しようとしています
 定年直後、会社に行かなくてもいいという開放感は本当に素晴らしかった。
 何かをしても今日仕上げなくても明日も明後日もあるという余裕がたまらなく心地よかった。
 ところが、そういう開放感や心地よさも2年を過ぎるとだんだんと色あせてくるのです。
 ツーリングや山歩き、冬場のスキーにしても何時でもいけるというのが最初はとにかく嬉しかったがそのうち新鮮みが薄れてくることに気づきました。

 現役時代の忙しいなかから時間をやりくりして行く遊びこそがほんとに面白かったのかも知れない。
 自分が準備してきたものがつまらなくなったということではありませんが、何となく充実感というか、生きがいのようなものが感じられなくなって来ました。好き勝手なことをしていながら充実感や生きがいが無いなどといっては誠に申し訳ないことだと反省しながらも何かすっきりしない日々が続いている。
 
 いろいろ考えているのですが、何か自分が責任を負わなければならない「自分の仕事」のようなものをもち少し重石(ストレス)をかけるといいのかも知れない。長年サラリーマン生活の習性が染込み何の課題もないのは気が抜けてしまうようだ。思い上がった贅沢な想いかもしれない。

 いまさら就職も出来ないと思う。
 自分に出来ることで社会につながっていられるようなことはないかと見回しています。
 幸いパソコンをさわることも好きですから、インターネット関係の勉強をしてボランティアでもいいからお手伝いをさせてもらうようなことに挑戦してみたいと思っています。
 

                              ページトップへ戻る