・・・その空間には、窓は無かった。
しかし、老朽化した空調設備は、その役目を十全に
果たしているとは、言い難い。そんな状況下。
「本は、愛だ・・・!」
陶酔しきった様子で、男が高らかに台詞を歌い上げる。
できそこないのオペラ歌手よろしく、握っているハタキを
派手なアクションで振り上げながら。
「そして、愛こそすべて!ブック・マイ・ラヴ!!」
叫びながら、ハタキをくるくる回す。新体操の演技を
意識しているようであった。
周囲から、拍手が起こる。
「暮崎店長、今日も朝から最高に変だよ、いかしてるよっ」
「いやぁ〜、どうも、どうも」
最古参のパートでありながら、いつまでも愛らしい房江
さんと、暮崎店長の応酬をはたから眺めながら。
新米バイト生の憲くんは首をかしげた。
(「最高に変」はいつから誉め言葉になったのだろう)と。
「本屋さんはワンダーランド!」
「梶原堂書店をよろしくう〜」
房江さんも、レジの前に置いてあった、しおりを手に持って
踊りだす。当然、暮崎店長もハタキをリズミカルに振り
回しながら歌っている。
「店長に房江さん。ほどほどにしておかないと水無月さん、
そろそろ戻ってくる頃ですよ」
涼やかな美女、河原さんが、いつまでたってもおかしな
ミュージカルの上演をやめそうにない二人をたしなめる。
だが、冷静で真面目な河原さんも本当の気持ちを言えば、
一緒に歌って踊ってごまかしたい状況ではあったのだ。
すべては「お盆」が悪い。正確に言うと「お盆休み」の
せい。これのせいで、雑誌、書籍すべての荷物が前倒しに
入荷してきている状態であり、そして。今、まさに!
梶原堂書店のバックヤードも迷宮と化しているのであった。
「店長。それから房江さん。一体あなたたちは何をやって
いる訳ですか・・・?」
地獄の底から這い上がってきたかのような、ねっとりと
低い声が響いた。所用で外に出ていた水無月が戻ってきた
のである。
「あー水無月、おっかえり〜」
「水無月さん、おはよー!」
水無月がすでに怒りの頂点にいることは、明白だったが、
厚顔無恥な店長&房江コンビは悪びれる様子も無い。
(目をちょっと離すとすぐにこれだ・・・)
怒りながらも、内心ため息をつく水無月だった。
うずたかく積み上げられた段ボールが、梱包されたままの
雑誌が、バックヤードを迷宮にしている。しかも、エアコン
の調子が悪いため、ひどく暑い。だが。
水無月は、ずれた眼鏡のフレームを、さっと持ち上げ、
姿勢を正した。
ぎらり、とレンズが光を反射する。
毎夏なんとかしてきたのだ。今年だって、やれる!
「俺が悪かったよ、水無月・・・お前の気持ちはよお〜っく
わかっているとも。本は宝だ・・・!今バックヤードは
宝がうずたかく積み上げられた迷宮なんだよ・・・っ」
またしても、妙なポーズで酔いしれる暮崎店長に、水無月は
すでに怒り心頭である。
「何、訳のわからんことぬかしやがってるんですか?
与太話はもういいですから、さっさと仕事にかかりますよ!
わかりましたね?」
「なんだよー水無月のおこりんぼ。房江さんだったらすぐに
のってくれるのにっ。つまんないぞ俺は」
「あ〜もう。ぐだぐだ言ってねぇで、ばりばり働けぇぇ!」
店長の背中を蹴り倒さんばかりの勢いで、どなる水無月
なのだった。
「商売繁盛〜!」
「千客万来〜!!」
「じゅげむじゅげむごこうのすりきれ〜!!!」
「今日も一日がんばりましょうね」
「おー!」
盛り上がる先輩たちをはたから眺めながら。
(何だかんだ言っても、チームワークはいいよな)
憲くんはそう思う。
同じ目標に向かって助け合う仲間たち。
意外と美しい光景かもしれない。
でも。バックヤードが迷宮でなくなったとしても。
クーラーのあまりきいていない本屋さんって正直言って、
かなりちょっと・・・いかがなものか。
(「千客万来」は無理かも。でも・・・まぁ、いいか)
「俺は本に命を救われた男だー!」
「いよーっ、店長にっぽんいち〜!!」
「ぐだぐだ言ってねぇで、さくさく働けええぇ」
「みなさん、そろそろよけいなエネルギー発するのはやめ
ませんか?・・・ただでさえ、暑いんですから」
「仕方ないんや・・・夏は暑いもんなんやで?
まいどおおきにー」
「何でいきなりエセ関西弁になるんですか?あんたは。
訳わかんねーな、まったく」
お盆をひかえた、夏まっさかり。
迷宮で戦う戦士たちは、埃にまみれていた。そして、時間に
追われてもいた。なぜならもうすぐ、開店の時間なのだ。
でも、迷宮とはやっぱり、苦しいだけのものではない。
楽しい冒険の場所でもあるのだった。