折口信夫の別荘日記

2001年04月の日記

■2001/04/01 (日) 六、七人とコーラ

◇『聲前一句』 安井浩司 著 より

「俳句が俳句らしい生理運動に身を延べているとき、六、七人の俳人の存在することが
好ましいと思ってきた。いや俳句形式が輝くときは六、七人をこそ照らすといったほう
がいいかも知れない。二、三人の單なる複數存在ではこの重層構造を支えきれない。そ
のときは俳句形式が自らを忍ぶ女時である。だが、十指を餘るようになると、それは腐
敗のときである。芭蕉俳諧はつねに六、七人によって支えられていた。子規の文學がそ
うであり、根岸を訪れる人は入りかわり立ちかわりその數律を守っている。虚子の文藝、
新興俳句、戦後俳句、いや高柳重信の美學においてさえみな六、七人の數理的配合が働
いている。くどいようだが、これは形式が自らの内臓に孕む生理であった。」

◇まあそれはそれとして。

◇『ドルズ・ハウスの映画館』 四方田犬彦 著 より

「サッカー場の埃っぽい売店で、少女がコーラを売っています。観客は試合に夢中で、
誰もやってきません。そこへ一人の少年が通りがかり、一分間でいいから腕時計を見
つめてごらん、とだしぬけにいいます。「ぼくは一九六十年四月十六日午後三時に君
とすごした一分間を、絶対に忘れないよ。」こうして少年は少女にいきなり接吻する
と去ってしまいます。彼はマニラにいる生みの母親に会うため香港をあとにするので
す。
 ねえ、なんのことか、よくわからないでしょう。でもわからない分だけ、あなたは
少し分別くさくなっているのかもしれません。わからない。わからないけれども、わ
かりたいもの。どこまでもそんなものを追い掛けていこうと決意したころのことを、
思い出すことができますか。」

◇きゅー。

■2001/04/08 (日) 畝傍山の裾野で

◇定例チャット参加者

正岡豊
枡野浩一
錦見映理子
えんじゅ
玲はる名
岡田幸生
田中庸介
加藤千恵
小鳥さん
田中啓子

印象に残った言葉

素人くささ

◇ひさびさの定例チャットである。話題をひろっていくのがなんか力がいったよ
 うな気がしたが。

◇日記の更新がとどこおってて継続してチエックしてくださる方には申し訳ない
 と思っております。がやはり「なんとなく書きたくない」という時期もあったり
 なんかするのでご容赦を。

◇日記書いてないときに買った本
*『ある朝、セカイは死んでいた』 切通理作 1762+税円

 発売一月半で品切れと言うわりにはどこいっても置いてあるんですが。
 えーとここ五年ほどの文章を集めたもので、柳美里とかのは読んだ気はするような
だいぶ内容が変わっているような。んーと加藤典洋さんの『敗戦後論』を、ある「ハ
イブロウな止揚」として読まれた、というくだりとかは説得力がありますね。
 本としてはおもしろいんだけど、「何の本? それ?」と聞かれたときに答えがみ
つかりにくい本で、そこがなんか私なんかはいまひとつ入り込めないなにかを感じる
のかも。

◇同じく届いた本
*『脱衣場のアリス』なかはられいこ 北冬舎
*「WEARE!」創刊号

 なかはらさんの新句集は、憶えてる句が結構多いのに気づく。まだ全部読んでない
んだけど。ページ数の1/4以上を解説的座談会に使ってるのも大胆ですごい。
 石田柊馬さんがどれくらい自分を本気でこの座談会で露出させてるのか、を私は少
しいぶかしむけどこれはこれでいいのかも知れない。
 その「これはこれでいいのかも知れない」というのは次の「WERAE!」にもあ
る。私はなかはらさんが「獏」を手に取ったときにこの同人誌の発刊をこころに決め
た、というのを聞いていたのでもうちょっと違う物を予想していたのだが。
 「獏」というのは短詩型文学研究会と称して、短歌俳句川柳一行詩と4ジャンルを
抱えていたが、にもかかわらず雑誌はとても薄かった。いまはほとんど無いが、「獏
」は基本的に目次が表紙で表紙が目次だった。1頁浮くでしょ、それやると。あと後
期に今井豊とかがよく2頁で百句とか載せていた。

◇そういう中で個人的には「川柳」もそのなかでは1ジャンルとしてあつかわれてい
た、(まあ確かに雑誌のなかではそうだったのだが)と私も言ったりはするのだが、
それはたとえば実験用の小さな田圃の中での話だったのかも。外の現実というものは
やはり文芸のジャンルやクラスを構成するメンバーとしての川柳の弱さ、をついてく
るので、そこをアスレチックに固くすること、鍛えることの過程として今川柳という
ジャンルはあるのかも知れない。

◇洲之内徹の日本絵画話を引き続き読む。ある絵を手に入れたので、それをひとにい
うと「(その絵は)絵好きのもつ絵ですよ」と言われた、とある。絵好き。うん。う
ーん。

◇「さだまさし」はまりは、「広島の空」という曲から「心斎橋」という曲に移動。
サニーサイドアップやパラダイスガラージを聞くよりかは93年のこのさだのアルバ
ム(『逢ひみての』なんつーつまらんタイトル)のほうがやっぱりわたしはいい。
 これって結局好みなのかねえ。

■2001/04/10 (火) 浜辺の価値

◇桜が終わって、線路沿いや河原には菜の花がつぶらな黄の花を咲かせて
 いる。

◇通販で買った本
*「SPUTNIK」 イデーカンパニー

 ワイアードジャパンのメールニュースをずっと取っていて、見るときも
あるしそのまま捨てるときもある。今回は去年の11月に出たこのインタ
ビューばかりを集めた雑誌(と書いてあるがISBNもとってるから書店では
書籍ではないか)をほとんど一人で作ったひとのインタビューがのってい
た。このイデーという会社は、まあソフトウエア作ったり、海の家のよう
なものを作ったり、まあいろんなカルチュラルな需要を自分で作ってまた
供給してるような会社らしい。
 この制作の人は、三ヶ月フリーの世界航空券(だったかな?)をまず買
ってそれからあちこちの国で気になる人や会社をめぐって74人の人やグ
ループにインタビューして、それを日本語と英語で誌面化している。日本
からは鈴木志郎康とか。なんで鈴木? とか思うのだがまあそんなもんか
なというのが手にとっての感想。あと日本人では例のボランテイア建築の
坂茂とか、映画監督の大木裕之とか。
 見た瞬間加藤治郎や荻原裕幸の歌集をまとめて送りつけてやろうかとか
思ったが、まあそんなことしてもなあ。
 本そのものはそれなりにおもしろいです。二三年前のインターネットを
ハイセンスにとりあげた本とかがこんな感じだったような。
 本屋にもまだあるんじゃないかとは思いますが、さほどすすめないかも。
 でもレイアウトとか持った感じとかは、なるほど、という作りだと思う。

◇あと買った本
*「ミュージックマガジン」1994/4月号  100円
*「バナナブレッドのプディング」小学館文庫  150円
*「空想科学入門2」          100円
*『ぼぎちん バブル純愛物語』横森理香  500円

 ミュージックマガジンとか音楽雑誌の古いのとかってときおりおもしろ
いですね。これは小倉エージとかおなじみメンバーが25年間で25枚のアル
バムを選ぶという特集記事があって、キングサニーアデとかセレクトして
あってああそういや一枚買ったかなあ、とか思い出したりした。
 「空想科学−」は文体がおもしろくて笑ってしまいます。文体といえば
先日はじめてナンシー関のテレビコラムをまとめたのを読みましたが、彼
女は文章がうまいですね。なんかやくみつるとの対談みたいなのを読んで
たかをくくってましたが、工藤静香のヤンキー性を語ったのとかおもしろ
かったですね。
 「ぼぎちん」は「J文学マップ」を見てからずっと読みたかったので古
書店でさがしてたけど、文庫で出てると知って、「絶対この本屋にある」
(入荷はしても一度も売れてない)という確信を持ってさがしたらありま
した。まあほかの本はわりとどこかにあるんだけど、処女作のこれは、ほ
んとになかった。でも福田和也がいうほどおもしろいとも思えないがなあ。
 どうでもいいけど安原彰さんは作家の保坂和志を全然評価してないとい
うか毛嫌いしてるみたいですなあ。こんなところにあの作家は敵がいるの
かとか思いました。

◇届いた冊子
*「きさらぎ連句会通信」4月号 特集「晶子と凡董」

 うーん。なんでこんなにおもしろいのこの冊子。今回は晶子の歌と凡董
の句をめぐって、蕪村を枕にしながら、語る小池正博さんの文がメイン。
 ものすごく斬新なことをいってるというわけではないのに、小池さんの
文章はほんの短いあとがきでも、なんか言葉がちょっと笑ってるような、
興ののせかたがありますね。引用先のくわしい出典の明記も、煩わしくな
くて誠実に見えるのはこちらがそう見るからかなあ。
 「ミッドナイトプレス」11号も「俳句研究」の小島ゆかりの文章も読
んで自分なりの感想も持って、なおかつ一連句人として、ものを考えてい
こうとする小池さんは、容貌はおじさんっぽい(失礼)ですがすごくかっ
こいいですね。

■2001/04/11 (水) われらをこれほど従順にさせるもの

◇読んだ本
*『ぼぎちん』横森理香

 だらーっとした本ですね。
 えーと作者は大学に入ってなんにもやりたいことがないからそこいらの男の子
やちょっとだけ金のあるようなオヤジとセックスして金もらって遊んでいるけど
いまいち充実感がない人生を送っていたと。
 そのときバイトでいった株屋にこの「ぼぎちん」というお金は湯水のように使
うけどなんかださくないような(充分ださいと思うけど)男にひかれて、バブル
の時期を浮き沈みするのね。
 でなんかやっぱり「価値観がちがう」ということであんなにセックスやりまく
ってまあ向こうがくれるとは言え金ももらって服だのなんだの買いまくって、最
後「価値観がちがう」ということで別れるというお話。
 競輪で一日二百万とかすっちゃうわけで、そういうこと思ってもしょうがない
けどそれだけあれば歌集とか出せるのにとか思ってしまいますね。
 
◇あと買った本
*『コンセント』田口ランディ  400円

今頃(笑)。

◇あと古書店に『永島卓全詩集』というのが三千円であって、買おうかどうしよ
うか迷って結局置いてきてしまった。うーんとても全部読まないような気が。
 版元は砂子屋書房で、別刷りの栞が島田修三さんとか(いい文章。)鈴村和成
さんとか。北川透さんの手紙も別刷りでついてたんだけどね。
 あと『天皇制と短歌』という女の人の例の本とかもあり。

◇「かばん」四月号到着。この号から編集が高柳蕗子さん。
 なんか前よりも質実剛健的雰囲気が出た雑誌になってるかんじ。

◇インタビュー誌「スプートニク」を読み続ける。

「私は映画人ではないし、
 畏敬の念で映画に接してもいないし、
 たいした芸術とも思っていません」
映画監督 アレクサンドル・ソクーロフ

などなど。

■2001/04/12 (木) 揺れる鏡の夜明け

◇今日読んだ本
*「コンセント」田口ランディ

 うーん。もともと彼女のコラムマガジンも取ってはいるけどほとんど読んで
ないんだが。村上龍はこの十年で読んだ中でもっともおもしろい小説のひとつ
だというけど私はなんかいまいちな小説のひとつ。あの、これって話題のわり
にはどういう小説か知らない人も多いと思うのね。宇多田ヒカルのCDみたい
に売れてるんじゃないのかな。私は10人に一人は買ったけど読んでないよう
な気もするんだけどな。
 あの、小説としては、女がセックスしてたら兄が死んだと電話がかかってき
て、なんか長い話をしてセックスして、また長い話をしてセックスして、沖縄
かどっかいって帰って来たらセックスが商売みたいになるという話ですね。
 ひきこもって兄が死んだというけどそれは「家族の物語」なのではたからみ
るとよくわからないという部分はそのままなので、あんまり意味はないような。
 ただ出てくる男っていろんなタイプがいるみたいに思えるけどどれも幸福な
ように僕には見えますね。みんな非宗教さんだし。
 シャーマンとかでてくるじゃん、とかいわれてもなあ。
 これは「永遠の仔」も同じ。いまの小説というのはみんな非宗教で標準語な
のね。それはみていて違和感はあります。

◇今日買った本
*「詩とメルヘン」1973/4 創刊号 100円
*「何をいまさら」ナンシー関   150円

 創刊号。編集前記、というのを全部引用。

▼編集前記−やなせたかし
 この本はちょっとふしぎな本です。
 非常に個人的な偏見と趣味に偏してつくられています。
 すべて読みやすくということが主眼で大きな活字でザックリと組みました。
読者層は十才から九十才ぐらいまでを対象にしました。本職の詩人もいますが、
大部分は全く無名の人の詩をガリ版刷りの同人誌や、手描きの詩集からひろい
あつめました。
 この本ははじめからものすごく大量に売れることはないと覚悟して、わがま
ま自由につくってありますが、それでもできるだけのぜいたくをしました。商
業主義に毒されたくはありませんが、全く売れなければ一号だけでつぶれます。
一万部売れれば収支トントンで次号がだせます。さて、どうなりますことか。
あなたは買いますか?


◇「あなたは買いますか」というのもすげえよな。
 この時点ではイラストは全部やなせたかし。コラムも全部やなせたかしで詩
は同人誌ややなせたかしあての手紙とかから。当時で定価は300円。うーん高い
のか安いのかわからない。
 コラムにはまだサンリオが山梨シルクセンターといってたころからのやなせ
たかしの「愛する歌」という詩集の出版のこととかを書いてある。最初に作っ
た小さな版型のは「これじゃ売れないからもっと大きくしよう」といって断裁
したとか、初版は三千部だったとか。
 詩、というものを、経済的になりたたせてていくというのは大変なことだと
思う。少なくとも「詩とメルヘン」はサンリオSF文庫のようにはつぶれなか
った。それはすごいことだと思う。

◇アサヒネットの俳句のフォーラムからスタートした俳句同人誌「恒信風」の
同人の長嶋肩甲さんというひとが今年の「文学界」新人賞を受賞したそうだ。
「文学界」って受賞者が出ないとかで島田雅彦とか山田詠美とかがやいやいい
ってたんじゃなかったっけ。それはそれとして会ったこともないけど遠くの知
人がもらったみたいでうれしいような関係ないような。

◇「新潮」か「文学界」かで加藤典洋と大塚英志の対談があってこれが少しお
もしろい。大塚が連載していた「サブカルチャー文学論」というのがあってこ
れは村上龍はだめなんじゃないかということをいってて、それがいい、とか加
藤典洋はいっている。うーん。島田雅彦はいいのか。うーん。「二都物語」な
んか死ぬほど退屈だったがなあ。うーん。

■2001/04/21 (土) 定例チャットとか

◇四月定例チャット二回目。

出席者

正岡豊
小鳥さん
なかはられいこ
田中槐
枡野浩一
とうこ
ともあき
ばぐ
錦見映理子
荻原裕幸
きくちのりこ
田中啓子
岡田幸生
きねこ
ぽっぽ
田中庸介
加藤千恵
さとりえ
玲はる名
ぶどう
いつのえみ

印象に残った言葉

蟹釣り

◇ここ数日でいただいた本とCD
*「あまのがわ」4月号 入江一月さんから
*「開放区」      藤原龍一郎さんから
*「あなんじゅぱす吉祥寺ライブCD」 田中庸介さんから
*「狼」(俳句同人誌) 岡村智明さんから

 「あまのがわ」は、最後4頁をいつもネット関係に割いている。この
俳句誌の年齢構成からは風当たりもきついだろうな、とも思う。
 今号では、「歌葉」ブックサイトと刊行歌集の紹介、なかはられいこ
川柳集『脱衣場のアリス』、そして私の句集「ムーンプール」を紹介し
て、ネット上の口語俳句についての掲示板のやりとりを2頁で紹介して
いる。同人作品は五句。

入江一月作品

鳥が籠そっと脱けだす降霊術  

卵積むこの世の果てにあるこの世

あと川柳ジャンクションでも一月さんの句を私は一句とってたと思うの
だがいま選句集がみあたらない。

 「開放区」は、エッセイと「いまの短歌状況をどう見るか」という小
コラム集がおもしろかった。喜多裕樹が菱川善夫を、アナクロニズムか
らマイナス視点で語っていて、冒頭に喜多自身のこのごろの感興のよう
な形で最近の若い世代の歌を「読んでいてちっともおもしろくない」と
書いてるがそれはてめーの歌のことじゃねーか!
 論調に多少の無責任さは感じるが、それは責めるべきかどうかはよく
わからない。
 「いまの短歌状況をどう見るか」というのはとても身も蓋もないコラ
ムのテーマで、編集の田島邦彦さんらしさが発揮されたページだろう。
 執筆者は菊池裕・村野幸紀・福島久男・藤原龍一郎・倉本瑞恵・小川
太郎の六人。
 こうした設問は最初に罠に自らはまっていくように「肯定」か「否定
」かのスタンスをまず問われるわけで、その時代のオフサイドトラップ
の感覚を、こうしたコラムでも問われていると意識できるかどうかが、
「迫真」を伝えるように思う。
 でも罪のない悪口というのもおもしろい、という見方もあるんだよね。

◇個人的には、現在短歌の表現の頂点の歌と、読者の欲求の頂点にかな
りのずれがあるのだと思っている。ただそのこと自体には善悪もなけれ
ば、誰かの力でどうにかなるものでもないように思う。そうした「表現
の頂点と読者の欲求のずれ」の時代をどう生きるのか、が実は現在の「
文学」としてあるのではないだろうか。夢は敗れたのである。しかし夢
の敗れたあともなお生きるとはどういうことかを、作者に「感動的作品
」を求めるということではなく読者としてどう「必死に」生きるかとい
う時代なのだと私は思う。
 そういった意味では藤原さんの妙な明るさ、小川太郎さんの屈折と事
情からはじまる「個人的な」三枝たかゆき批判がおもしろく、福島久男
さんの「史上最悪」というのもよくわからない屈折感があって興味深か
った。

 「狼」は福井の大沢輝一という俳人が出しているらしい同人誌。川柳
ジャンクションでいただいた。構成年齢はわからないが、珍しく既存の
同人誌の匂いがさっぱりしない(かすかに現代俳句協会青年部の匂いは
するが)同人誌で作りもしっかりしているし、生堅な長文の批評もある。
 作品は微妙なところで、これをおもしろいと言えば現代俳句はある程
度おもしろく読める、という作風だと思う。

断崖やきっときれいに死ねるやろ  大沢輝一

白山をころげ落ちたる曼珠沙華  幅田信一

空缶がきらきら歩く十二月  館百合子

屏風の間シオカラトンボが寝てました  関戸美智子

三月の豚の耳からはじめよう  岡村智明

 「未定」や「豈」のような旧俳句評論系の高踏性がないかわりに川柳
俳句境界作品の匂いがしてしまうのは、これはこれで「俳句の現在」に
しかけられたトラップだろう。
 同じ福井の歌人の西王燦さんや武下百合子さんや足立尚計さんとの(
みんな短歌人じゃん(笑))コネクションはあるのかな。
 まあ俳句の世界などさほど広くはないから、そのうち別の誰かからす
ぐに名前を聞くことになるひとたちかも知れない。

◇「あなんじゅぱす」CDはアコースティックであることにまず驚いた。
 みんなアコースティックだよ! 4Pバンドじゃないよ! うるさい
ときの福島泰樹よりはるかに静かだよ! あとねじめ正一がやっていて
楽屋で聞いていた入沢康夫が思わず立ち上がってモニターのスピーカー
のボリュームをさげたという朗読ライブよりもはるかに静かだと思う。
 ヴォーカルの平田陽子さんは、全く機械も帰国子女的声帯の匂いもし
ない宇多田ヒカルのようで、オシロスコープみたいな短ビブラートで歌
を歌う。すごい腹筋ではないかと思う。
 曲相はさっと聞いた感じでは「みんなのうた」的なムードが強いが、
バンド自体がものすごく単独的なものなのか、「空気工房」? とかそ
ういうのも含めたインディーズの流れのなかにあるのかとか考えてしま
う。

◇買った本
*季刊「何の雑誌」2号  700円
*「アスキー」五月号   860円

 「アスキー」5月号に、「インターネットは人を癒すか」という山崎
マキコの長文の記事がある。これは、インターネットの掲示板における
セラピーの「現実性」を、自分の経験と実在の掲示板の「被害者−救済
される救済者」というような視点から書いた、これまでのアスキーには
みられない文章である。
 インターネット、の、次、をおぼろげに予感させる文章だ。
 もちろん、詩歌の、ネットの事態の、次も。

■2001/04/23 (月) アンダルシアにあこがれて

◇きょうは関西かばんの歌会。
 わたしは歌会嫌いなのだが、なんとなくこのごろ変わってきたような
 気がする。単にいま関西かばんの歌会は女性が多いからうれしい、と
 いうことではないような。ただまあひとつには、いまの関西かばんの
 歌会が批評というよりも「見解の披露」という形になっていて、それ
 はなんというか、世代も感覚も共通の課題もほとんどない、「かばん
 」という創作の集団で「相互批評」をやるときに、一番誰も傷つかな
 いやりかたかも知れない、とは思う。そうはいうものの、「定型詩」
 というものではなく、「詩歌の一種類としての短歌」というもの、あ
 るいはそれを通した関係性というものに魅力を感じているのなら、そ
 れはそれで心地よい空間をつくってあげたいのも人情ではある。
 あ。
 なんか昔短歌人でこんな話をしたような。
 とはいうものの、やはり十年ちょっとの時間は流れてるわけで、私は
 憤りやいきづまりよりは、「ひとに流れる時間のうつくしさ」を見て
 いるような気はする。

◇昨日、「心のスケッチ」という五分ものの番組で、枡野浩一さんが私
 の歌集をとりあげてくれた。そういう話は聞いていたのだが、これが
 「世界の車窓から」と同じ時間とは思えない、なんとか詩歌の「現在
 」が感じ取れるものになってたような気がする。一瞬だけうつった机
 の上には藤原龍一郎の歌集や、なかはられいこの川柳集がのっていた。
 この番組のウエブ版は下記に。

期間限定。
 ↓
http://www.tbs.co.jp/kokoronosketch/

◇今日買った本
*『相原コージのなにがオモロイノ?』 小学館  380円
*『塚本邦雄全集』第二巻            5000円

 塚本全集はこの間から塚本ばかり読んでるため。
 うーんなにがおもしろくて読んでるのかわかんないんだけどなんか読み
慣れた好きなマンガを読むように読んでいる。「スラムダンク」とか。

◇相原コージのは、これはおもしろい。
 いわゆるゴールデンウイーク用の、安めの単行本なのだが。
 これは、相原が4頁のギャグマンガの連載を一回一回分について、路上
といった表と、インターネット上という裏の部分で、それぞれ意見や感想
(という名の無責任なノリだけの反応)を求めて、それに相原自身が反応
していくという方法で連載されたもの。そのネット上の無記名のアホみた
いな反応と、それに過剰に反応していく相原自身の姿がかかれていて、必
読とも思わないが、ネットが生活の中にくい込んでる人間は目を通してお
くといいのではないか。
 わたしは基本的に本屋で売ってる雑誌のホームページというものをほと
んど見ないので、こういうのをやってるとは知らなかったが、やってると
して、わざわざ相原コージのマンガをネットで見る人というのは、なんか
想像がつきにくい気はする。

■2001/04/25 (水) 寒い夜だから・・・・

◇ビデオをアイワの安いハイファイビデオに買い換えた。
 すごくビデオカセットの音がよくなったので驚いた。
 前のビデオは、5年か6年ぐらい前のだったから、まだ高かったが。
 それでミュージックビデオを探して、trf(いまはTRFらしい)の
 昔のを買ってきて鳴らしたらやっぱり音がいいのと、髪の長いダンス
 の女の人に見とれてしまった。
 結局、いろんなものは、ハードウエアに左右されるのではないかとふ
 と思ったりする。新幹線の速度とか、携帯電話とか。

◇歌集『たった今覚えたものを』 玲はる名 著 より

バリウムのように嫌われ望まれて君の咽喉へと飲まれてみたい

「・・・・・・小猫を舐めておりますか、電源が入っていないため、掛かりません」

「外人とやった」と舌を出す方が「きらい」と嘘をつくよりいいわ

人垣を抜け出して立つ雨の中に 橙色はわたし、わたしよ!

最後までパパには振られ続けたの しかもシメ鯖アレルギーなの

線路には迂闊(うかつ)に飛び込まないでいて わたしのかわいい仕事場のため

新五百円玉発行翌朝に偽新五百円玉みつける

「しる・・・・・・汁」と喘いでチキンの汁を吸う とても虫唾に良い効果です

三学期口を利かずにいたことを誰も気づいてくれなかったさ

おろしたての出刃の光のみぎひだりひだりみぎみぎひだりみぎひだり

3回も着けて取ってをしていると涙も硬くなってくるわね

◇昨日はねじめ正一の番組に石垣りんと、永瀬清子の映像があった。
 今日と昨日で、吉本隆明が三好十郎を語るというのがあって、そこに三月書房
 の宍戸恭一氏も出ていた。フォト日記にテレビから写真をのせた。

◇「短歌研究」では、うたうくらぶとかもあるのだが、岡井隆の「近代日本人と
 短歌」が最終回でこれがおもしろかった。結論部分で「第二芸術論」を書いた
 桑原武夫や、その同行の臼井良美等に、この2001年の現在、それらはどう
 なのか、まだ「第二芸術」をあなたがたは主張するのか、そうでないならなぜ
 何もいわないのか、と詰問している。去年か一昨年か、加藤治郎さんが名古屋
 の小さな詩人の集まりで「第二芸術論」について語っていて、それは「加藤治
 郎という歌人に取っては、『第二芸術論』というのは、いまだ短歌作家として
 の加藤自身にとってなにものかでありうる」というクールな熱のこもったもの
 で、なかで長谷川櫂の著作について共感する部分を語っていたのが興味深かっ
 た。いまは講談社学術文庫でほとんど当時のままの「第二芸術論」が読める、
 というのもなんだか不思議な話のような気がする。

■2001/04/26 (木) 忠度都落ち

◇買った本
*「宝島30」1994/3月号    250円
*『雨天炎天』村上春樹     100円
*『とうに涅槃を過ぎて』橋本治 130円
*『鳥頭紀行全部』西原理恵子  280円
*『聖書を旅する』2 犬養道子 280円

◇ビデオテープをチェックしながら片付ける。カセットテープも整理する。
 佐藤春夫・西脇順三郎・堀口大学とかの朗読を録音したテープが出てくる。
 聞いてみる。西脇は「旅人かへらず」を朗読している。みがまえて筑摩の
 黄色の文学全集を出してかけたら、最後の章だけ朗読してやがんの。普通
 最初から読むだろうが! あと「近代の寓話」とか。昔の短歌人会の朗読
 のために作った蝉とひぐらしの声のテープも出てくる。

◇さらに別のtrfのビデオや、中古CDなども買い込む。
 ブックオフが通販で7980円でポップス中古CD100枚とかいうセールをやっ
 ている。よっぽど店頭在庫があまってるに違いない。

◇宝島30は、角川春樹の実母という人の手記がのっている。事実の度合いは
 一応事実だと思って読むことにするが、角川家というのが結構複雑なのだと
 はじめて知った。角川源善がこの生みの母から次男の歴彦を「最後に抱かせ
 てくれ」といって抱き上げるとだーーーっと走って、連れ去ってしまうとい
 うのはなんかすごい。過去をさぐれば誰しもなんやかやはあるだろうけど、
 それでもこういう源善氏に『西行の日』とかの句集があって、伝統俳句の守
 護者的役割や、その血を残したのはなんとも不思議。さてこのころのこの「
 宝島30」は枡野浩一切通理作リリーフランキーまついなつきと文章の量は
 差があるが、それなりにコラムは充実。でも原稿料は安そう。

◇ちょっと前に村上龍の『希望の国のエクソダス』を読んだ。最初の方で、な
 んか賞を取った詩人が自殺するのをメディアが放映するとかいう話が出てく
 る。そんなやつおらへんでー。とはいうもののH氏賞をもらってしばらくし
 て自殺するとかいうひとならいたけど。という話が載ってる本が、思潮社か
 ら出てるみたいですね。

◇というような話をあけがたに書くような生活ともそろそろおさらばかも知れ
 ない。

■2001/04/26 (木) 山本陽子全集

◇『山本陽子全集』第一巻 はしがき 前半  編者の筆による

 本集は、一九八四年に四一歳で亡くなった、詩人・山本陽子のすべての言語
作品を集め、編纂したものである。彼女の作品は、一般の常識からは作品と呼
ぶべきかどうかも戸惑わされるような、不可解なものであるが、彼女が言語の
根底に触れ、その言語の現代における分裂と危機を、非常な深度で生きた稀有
な詩人であったことはまぎれもない事実である。彼女の、ただ一点を見凝め、
そこへ自己の全精力をそそぎ込んで炸裂する、巨大な自己解体のエネルギーは、
言語の状況の赤裸々な姿態をひきずり出し、語は破片のように、いまだ知られ
たことのないシンタックスと韻(ひびき)の流動の海を流れ、舞い、飛び散る。
そして生前まわりに、「百年か二百年たったらわかってもらえる」と洩らして
いたように、同時代の評価も眼中になく、あらゆる詩壇的な毀誉褒貶の世界と
も隔たり、あたかも星圏において、一人で燃えさかり一人で燃え尽きてしまう
星域があるように、ひとびとを不可知の岸辺に置きさったまま、祈りと根拠へ
の旅程は終わりを告げる。もはやつくろいようもなくなった言語のはらわたを
残して。それは、彼女の生きた街の風景の中では、たしかに無口で目立たない
一人の掃除婦の死でしかなかったが。

◇歌集『四月の魚』には、

 「世界や思想という雑誌があった/遠いわねえ/遠いだろうか」とい
 う詩のきれっぱし。遠いわねえ。遠いだろうか。

 という詞書きの部分がある。この詩の作者は確か山本洋子という現代詩手帖
賞を八十何年かに受賞した当時の投稿詩人だったと思う。いい詩人だったと思
うけどな。その「山本洋子」という詩人の彼方に、この「山本陽子」という詩
人(?)を私は置きながら、この詞書きを書いていたけど、それはそれでぎり
ぎりの八十年代だったような気がする。とはいうものの、この歌集が出た年に、
この「山本陽子全集」の二巻目が出ている。


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