
鈴木伸一・絵
©鈴木伸一
汽車の絵というものは、南さんがよく写真を撮っているような格好いい列車のものではありません。ご覧のように古くて小さいコッペルです。
このコッペル型は師匠の横山隆一先生も好きだったようで、HOゲージの模型を何台も持っていました。そんなものを見ていたせいか、ぼくもこの素朴な小さなタイプがとても好きで、実物を見たこともないのに昔からコッペルに親しみを持っていました。
ぼくの絵は、汽車の専門家の南さんから見たらどこかヘン! と見えるかも知れませんが、それは自分なりに創作したところがあるからです。でもそんなことはどうでもよくてコッペル型に対する愛情を読み取ってもらえると有り難いです。
どこか小さな町とか、人里離れた山の中とか鉱山とかで、人々に親しまれながら一生懸命に働いた小さなコッペル・・・・・やがて世の中が変わり、仕事がなくなるといつか忘れられ、枕木やドラム缶、土管など同じ時代を過ごした物たちと共に産業廃棄物として朽ちてゆく運命にある・・・ある時、活気のあった時代の話を伝え聞いたワンダーサム(杉並アニメーションミュージアムの記念キャラクター)が訪ねてきた・・・そこにはもう錆付いたコッペルが佇んでいるだけ・・・・折から雨が静かに降っている・・・・という愛惜の「物語」を感じられる絵にしたかったのです。
カメラを下げているサムは南さんかな? そして朽ちてゆくコッペルはぼく? (そんな意味付けはしなくてもいいのですが・・・・)
2006年6月27日 鈴木伸一
鈴木伸一さんのこと 南正時
「ラーメン大好き小池さん」
昭和30年代、東京都豊島区に「トキワ荘」という木造アパートがあった。住民の多くは漫画家たちで、手塚治虫、寺田ヒロオ、石ノ森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫、鈴木伸一など、その後の日本を代表する漫画家たちであった。このメンバーの中で鈴木伸一さんは、故郷の下関でディズニーの「白雪姫」を40回も見て、アニメーションに魅せられアニメーターを志していた。鈴木さんはトキワ荘を離れてから横山隆一さんが主宰する「おとぎプロ」で念願のアニメーターとしてデビューした。下宿した家が「小池さん」宅であった。この頃、鈴木さんは仕事場や下宿先でラーメンばかり食べていた。そのラーメンを食べている鈴木さんの姿を見た藤子・F・不二雄さんが当時の人気漫画「オバケのQ太郎」で鈴木さんをモデルにした「ラーメン大好き小池さん」をデビューさせた。モジャモジャ頭に大きなメガネ、ヘロヘロの口が特徴の愛すべきキャラクターはたちまち人気者になり、その後の藤子漫画の「パーマン」や「ドラえもん」などにゲスト出演し、人気グループ「シャ乱Q」が「ラーメン大好き小池さんの唄」まで作り話題になった。さて、現在の小池さんこと鈴木伸一さんは、お得意のアニメーションで、連句アニメ「冬の日」(川本喜八郎監督)や、マレーシアとの合作で環境問題を扱った『ミナの村と森』(2000年)等を監督。日本アニメーション協会の副会長などを務め後任の指導にあたっている。あの、メガネの奥の愛くるしい目、モジャモジャ頭の小池さんは今、杉並アニメーションミュージアムの館長としてアニメーションのキャラクターに囲まれた生活を送っている。(日本経済新聞2006年6月28日「懐かしの風景」より)
杉並アニメーションミュージアム
1980年ごろの鈴木伸一さんと。ラーメン大好き小池さんと現在の鈴木伸一さん。(杉並アニメーションミュージアムにて)
私にとつて鈴木伸一さんはアニメーション・漫画映画の大先輩。1970年初頭、まだ私が20歳代のアニメ大好き青年だっ頃、当時西新宿にあつた「スタジオゼロ」に鈴木さんを訪ねたのが最初の出会いだった。当時のスタジオゼロには鈴木伸一さんをはじめ、藤子不二雄さん、つのだじろう、石ノ森章太郎さんたちがいて、漫画やアニメーションの制作にはげんでいた。それから私は上京してアニメーションの制作にたずさわるようになり鈴木さんのとのお付き合いが始まった。鈴木さんから手塚治虫さんや、藤子不二雄さんたち著名な漫画家たちもご紹介いただいた。
私は今、鈴木伸一さんが副会長をされている日本アニメーション協会に所属し、アニメ界の片隅に席を置いて、いつまでも鈴木さんと一緒にアニメを語り合える喜びをかみしめている。鈴木さんは藤子漫画に登場する「ラーメン大好き小池さん」のモデルとして知られている。もちろん現役バリバリのアニメーターで、最近では外国との合作アニメ映画の監督もされ大活躍だ。そして日本のアニメーション産業発祥の地、東京杉並の「杉並アニメーションミュージアム」の館長も務めておられる。
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