神ノ川は遠い。自宅から自転車を飛ばして二時間強かかる。距離はおおよそ四十数kmだから大した距離ではないのだが。少し前までは、そんなこと無かったはずなのに、道志川沿いに緩い登りが続くのが何ともきつく感じられるようになって、ついつい神ノ川への足が遠のくのが昨今なのだ。
 もしも、公共交通の便が良ければ、それを使わせてもらって自転車では出かけないだろう。実際、三十年くらい前には厚木から神奈中バスで出発し、半原で乗り代えて三日木に行き、三日木の大きなバスターミナルで待つ間もなく東野行きに乗る。その東野のバス停からは両国橋行きに乗ろうか音久和までなら歩こうかなんてアプローチも考えられ、なにもJRの藤野とか橋本を経由しなくとも済んだのが、今はバス便が大幅に減少し、あっても乗り継ぎが悪くて山へのアプローチにはとても不便になり、公共交通は当てに出来ない状況になった。かとって貧乏我が家には車もない。従って出かけるなら自転車に頼るほか無い。
 往復にさく時間、疲れも考えるとしたら神ノ川に出かけるのは、夏の翌日が確実に休める日に限られてしまう。なんとも、腰の入らない睨み合いごっごみたいなのがはやる日本柔道のように弱腰マシラ

 とか、何とか言いながらも自転車の往路は順調だ。土山峠はバイクのお兄ちゃん達が、チョロチョロ走られたんじゃローリングの邪魔だから、さっさと通過して欲しいと考えたかどうか知らないが、何人かに「頑張って行こう」なんて励まされ、ギア二段の余裕で登り切る。山びこ橋でのデジカメ定点撮影を行う為の30秒停止以外は、休むことなく宮ヶ瀬を通過し、上鳥屋から梶野への降る。調子は悪くないぞ。青野原からは新道沿いに緩やかな登りがずーっと続き、荒井からは短く急な坂を何回かギアを最低に落として登る。そうすれば登りは一区切りとなり、船津橋からは道志川めがけて大きく降り、緩やかに登り返せば音久和入り口に着く。急坂を登って神ノ川林道に入る。緩く降ってキャンプ場を過ぎると東屋が立つ新エビラ沢橋に着く。
 こんなふううにアプローチは強い日差しにあぶられることもなく、考えていたよりはかなり楽勝気分での所要時間二時間二十分は十分に想定範囲である。

 エビラ沢
  神ノ川下流域から袖平山の山頂まで緩く左カーブを描いて結ばれている。滝はF1や中流の白滝で知られ、それらの滝を登攀するなら一級の腕前が要求されるが、難しい滝は全て見物するだけのマシラのような沢遊び人には、沢の中に不規則な石がゴロゴロする場面が少なく、巻き道が明確であり、いざとなれば左右両岸に逃げ場となる仕事道があるエビラ沢は楽しめる沢の代表例と言って良いだろう。

 東屋はそのF1見物と、脇からしみ出す名水取得の人たちの憩いの場として、ここ数年のうちに作られたようだ。そこにある表示板によるとエビラっていうのは武具の一種で矢を入れておく桶みたいなものらしい。矢のように水が山を駆け下る沢というのが命名のゆえんだとしたら、この沢は大水の時には次々と矢のような急な大水が出るんだろうなって想像するが、どうなんだろう。

 東屋から釜に降りて眺めるF1は右側は逆層が積み重なり、左側は流れ沿いが黒くヌメッって光り、その上は断崖になっていて、登攀ルートは、そのコンタクト部分を登るらしい。アブミを使えば易しいA1であり、A0も可能と思うが、湿気満々のこの滝は支点が腐るのも速く、特に登攀者が少ない昨今では支点の更新が行われず、支点が利いていてくれれば笑い話で済むスリップが不幸にもっていう事故も多く起こっていると聞く。

 「袖平山→」ってSさん手作りの立て看板の脇には「作業経路であり・・・・使用禁止」との表示板も着いている木製階段(角材をボルト止めした立派な作りの梯子である)を使いF1横を登る。2002年には新しかった梯子は6年経っていささかささくれ立ちはしているが、元来の素材の良さもあり、まだまだしっかりしている。

エビラ沢F1(東屋からの眺め)
 F1の落ち口の高さの所から仕事道を外して5m進むと足下がすっぱりと切れたF1落ち口とF2の展望台になる。
 前回に来たときは、この場所から6m程下のF1落ち口に下降したので、今日もそれをやろうと考えて下を覗き込んだけど、とてもじゃないけどロープに全身を確保させてでもしなければ、下降しようなんていう考えを誘発させるような意図口さえも、見渡せる範囲の険しさからは想定出来なかった。よく探せば下降のポイントを示す下降には全く役に立たない虎ロープがあるはずなのだが、それも六年前すでに1m程の位置ですり切れていたから、その後に誰かが危険と判断して撤去したのだろうか見あたらなかった。
 もしかして、場所が違うのじゃ無いかなと、もう一段上がった踏み跡も追いかけてみたが、高度差が高くなる分ますます難しくしてしまうようにしか感じられない。
 前回も下降するに当たってはF1の落ち口を直下にしたハング気味な部分をサーカス的に下降して怖い思いをした記憶があるが、六年の間にルート探索の能力も下降技術も、何とかなるだろうっておもう精神力も、何もかもが貧弱になってしまったんだろう。これを人は年相応って体力技術を戒めなさいって言うけど、今だに自分的には退化して軟弱に陥ってると捉えてしまうんだな。
 上の展望台からF2の奥に砂防堤があるのを遠望し、仕事道に戻って綴れ折れの道を何回か曲がり、道が山裾に水平に進み始めた頃に斜面を適当に降って、石積みの砂防堤の10m上流で沢に戻る。
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F2上にある砂防堤からは小滝が連続する
 エビラ沢の沢筋は比較的広い。岩とは言えない程度の大きな石が散在するが、岩床の沢面は石に足を取られることもなく歩きやすい。出会いの滝場に中流の滝場、奥の滝場と何カ所かのアクセント場所を持ち、それらの場所の滝はどれも見てくれ良く、登れば登る楽しみを味わえる。よ〜く探せば、沢沿いに仕事道の残骸が残っていて、滝の巻き道にも困難な所がない。
 そうして沢を登り切れば1400mを越える袖平山の山頂である。
 強いて・・だなあって点を上げれば沢の長さが丹沢の沢の中では比較的長く、名瀑・良瀑をつなぐ間が、緩慢であり、その間の歩行が単調になりがちってことかな。

 沢に戻ると、小滝が間をおいて五・六個続く。小さな滝だが比較的大きな釜を持ち、釜を避けようとするとかなり面倒な作業を行う場合も考えられるが、膝下、膝上まで水に入ってなら、どれも簡単に小滝に取り付けて、夏だからこその涼味を味わいながらの沢歩きが楽しめる。小滝帯の最後は小滝の上に重なって見える石積堤である。右側からの踏み跡道を辿って登る
 しかし、小滝群のアクセントが無くなると、100、200mの沢歩きは長く感じられる。次の滝はまだか。
 悪い癖で、沢の遡行記録は持って歩かないし、事前の記録確認も放ったらかしの出たとこ勝負の沢遊びって言うのがマシラのパターンで、頼りは前回入ったときの記憶のみとなるのだが、六年も前の事の記憶って出会いの滝の落ち口下への下降と白滝の美瀑ぶり、それにスイカの事(後述)くらいしか頭に残っていないのだ。それでも、それぞれの滝の下に着けば「そう言えば、この滝は、こうやって登ったんだっけ」と前後脈略なく断片的には思い出す。
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小滝をガンガン行く 水が涼しく岩は楽しい
 ずいぶんと歩いた気分の次は、狭いゴルジュ上に大きな岩が乗っかった4m程のcs棚だ。左側の天井がかぶっている水平な凹状溝に捨て縄が二本ぶら下がっているが、凹状部に入り込むには腹ばいにならなければならないし、もしも入らないとすればアブミがないと下に4m程飛び降りなければならない状態も想定されたので右側を巻いて登る。そこには巻き道と呼ぶには立派すぎる仕事道が続いていて、その踏み跡を辿り、続く6m程のナメ滝も上から眺めるだけにする。
 ナメ滝の横の道には古いが防腐用カバーの着いた六寸柱の境界杭と82番というNo付きのコンクリート標杭が立っており、確かに、ここに道があったことを示している。
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古い標識(もともとしっかりとした山仕事の為の往来道路がここまであった)
(おそらく上青野から小屋戸沢・社宮司沢・P772下を経由してエビラ沢に至る昔の生活道路で現在の黒線道の終点であり、この場所で右岸を探せばP772mへの踏み跡が探せると思う)

 その場所から100m程進んだ場所で右側から涸れ沢が降りてくる。その涸れ沢が本流と合流する場所が前回のエビラ沢の下山路は風巻きの頭からのエビラ沢右岸尾根を使った際に下降して来た場所だった。
その下降してきた風巻きの頭からの尾根には長い木梯子が備えられているなど確かに仕事道は着いてはいたが、それらの工作物はS四十年代のものと思われた。それから暫く森林整備がされていないためだろうが、踏み跡は多くは不明瞭で、且つ尾根上には茨が多く、切れ切れの踏み跡と道界標を追いかけていたら、とうとうエビラ沢への下降を余儀なくされた。それが、この地点だった。
 その時はたしか、こうだった。
 もう100m程だけだが、うまくルート選択を行えば、さっきの標識杭の立つ黒線道の場所に楽に下降できたのだったが、あの時はそんなことは当然ながら知り得ず、道はどこかと探りながら下降して草むらに足を置いたら、そこは草にカモフラージュされた空中だった。身は落ちたが、うまく途中で木の枝に引っかかって、5m下の河原に落ちずに済んだ。
 5mという落差をたかがと笑うこと泣かれ。棚の5mと違い、何の用心もないまま5mも無防備に落ちたらタダでは済まない。未知の下降路は恐るべしというのを思い知らされたのが、この場所なのだ。

ニ条の滝(左のスラブ部分を登る快適)
上流に進むと二条に流れる5m程の滝となる。その二条の左の更のスラブ岩をフリクションを利かせて登る。そして再び沢の上の岩を避けながらヒタヒタと歩く。その歩みは結構長い。
 それは小滝で終わると、更に小滝ナメを流れの中央を水を浴びるようにして歩くと、前方に白滝が見えてくる。

 白滝は前門に2m程の小滝を備え、落差は25mという丹沢山中では十本の指に入るであろう美しい大滝である。何て言ったって周囲の岩の黒をバックにして落水が日に輝きキラキラと光って輝くから白滝なんて呼ばれるんだろうってマシラが適当な事を言っても、この滝を見たことのある人なら十人中四人は「そうだそうだ」と同意してくれるんじゃないだろうか。前回の時に滝壺の爆風が強かったと覚えているが今日はそれほどではないと感じるのは水流がやや少なめということだろう。前門の小滝と白滝の間の空間にはマイナスイオンが充ち満ちていて、それを胸一杯に吸い込んだら心の奥に淀んだ煤が置き換えられて心身が浄化されるような気分になれるこの滝は素晴らしい。
 この滝の登路は滝のスラブと右の壁のコンタクト部分である。90度を超えるような急ではあるが、下から見上げるとホールドは適度にあり、ピンも打ってある。ハング部分の出口には黄色のシュリンゲがぶら下がっている。アブミを使うというより、A0で一歩一歩上がれば良く、滝側のフェースと横の岩との両面を使えることから見た目よりはおそらく易しい。あの黄色の残置迄の十数m登れば、残りは(下からは見えない)

白滝 きれいな滝だ 山の中腹部分には置くにはモッタイナイ
なんて事言いながらマシラは巻き道である。、滝の左の礫砂帯を登り、灌木帯に入り、踏み跡を適当に追いかければ落ち口の上側3m程の位置で沢に戻る。落ち口の上にある絶対安全を確保出来そうなテーブル状の岩に足を踏ん張って座り、そこから先ほどの黄色のシュリンゲを上から眺め、
 「あ〜ぁあ 簡単ジャン 登れば良かった」
 なんて、もう登りッコない状況になってからの後出しじゃんけんのような無責任な感想を落ち口の下の空間に向かって吐き出すのだ。

 左に1:3で水を分ける(この地点で出会いから山頂まで約四割を過ぎる)
 5m程の小滝は左側から登り始めて下部が終わったら流れの中に入って快適に越える。続く8m樋状は樋の中に足を突っ込み、更に左右の岩の出っ張りをホールド・スタンスにして涼しやかに登りを楽しむ。平坦ではないゴツゴツとした岩床の中を歩幅を広げて水の中をバシャバショと進む。6m程のナメを過ぎると8m程のゴツゴツした滝だ。岩の上を流れる水を跨ぐようにして、急な所は流水をシャワーにして、しっかりとした岩から「おい快適だろうと」の言霊を頂くような登りである。
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ゴツゴツとした滝 剥離しそうな岩は掴まないことが肝要です
 そして小滝を挟んで奥の滝場となる。最初のは緩く開いた雑誌の中央に流れるような感じの12m程の滝だ。傾斜はソコソコ、ホールドスタンスは豊富そうだが、この手の滝は岩が脆いことが多い。登ってからそんな場面に陥ってから下降するには12mは高すぎる。右手のボサ地に入り (明らかに左の方が巻き道は易しい) 続く5m滝も一緒に巻いてから次の10m滝の下で沢に戻る。上から落ちた水は右下への滑り台に乗っかり中央部分まで来たら一気に拡散して流れ落ちるこの滝も下のと一緒で脆そうに思えたので右側から巻いて済ます。
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半分開きかかった13m滝(岩は脆いから要注意)
 緩い滝(易しいので滝と言わないかも)が幾つかあって、小ナメを挟んで続くのは5〜7m程の幅広な滝。一見して易しい。
 見えている出っ張りが全て使えるのなら楽勝なのだが、水の量が少なくなる上流域で、この手の滝の怖いのは岩のもろさに尽きる。三〜四m程の高さの部分がなにやら怪しかったので、それは避けようと流れの左から取り付き、水際に寄って、次の手がかりをと左手を伸ばして掴んだ岩が緩かった。ヤッパリ危ないから登るのは止めようと、別の岩を掴み直し二歩ほど降った地点で、その岩が隔離した。
 「ヤベッ」
 幸い、下までは1mほどだったので指先を少し岩にすっただけの無傷で済んだ。低いからとか、簡単そうだからなんて先入観は捨てて、危ないと思った地点は取り付く前に諦める。そのように結果が分かってからなら、やって良いことダメなことは子どもでも分かることなのだが、事前にその判断を間違いなく下すのは難しく、正しく処置できるのは神様仏様に限られるのだが、その言葉、失敗した者の戯言・いいわけというのには反論の言葉も無い。
 続く涸棚は易しく登る。

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6〜8mの滝 簡単そうに見えるけど 岩が脆いんだよ 剥離した岩を掴み1m落ちた
 ずいぶんと山中に入り、ボチボチ源流域だろうと思われる地帯に入ってきて、水も一時的だが涸れる(伏流となっている)ほどの場所に古い砂防堤が涸れ棚を挟んで三個ほどある。この沢の下流域で出水騒ぎが昔から起き、何とかならないかと考えた人たちが作ったのだろうか。その想いが不便な山中で人力のみで大石を動かし、砂防堤を作る力につながる。マシラなら、真っ先に「まっぴらゴメン」と投げ出すはずの、なんとも大変な仕事を少し前の人たちは平然とやってきたんだと感心する。当然ながら、この種の仕事をやるための仕事道も流域にはあって、その痕跡が今でも沢の左右に僅かに残る。ご苦労様なことだ。
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もう少しで山頂との地点に砂防堤が設けられている、建設の苦労が忍ばれる
 その砂防堤をパスすると、いよいよ源流域である。水は涸れ、幾つか涸れ棚は出てくるが、難しい箇所は無く、難しさよりも今地震が起こったら厭だからと、休むに休めないような急な崩壊地形となって、その中央をズルズルと登る。ズルズルと滑る距離が一歩ずつ登る距離の半分くらいになったところで樹林帯に入って、ボサの中で藪こぎを行う。踏み跡はあるが、それが消えたり現れたり、急傾斜では灌木を手がかりにして、よっこらしょヨッコラショと口の中に掛けて登る。時々は大声で「お〜」と叫ぶのは沢の中流域からだが、それは熊避けの為である。やがて木に赤ペンでマークしてある袖平山北西尾根(エビラ沢右岸尾根)に出る。山頂まではそこから二分ほどだった。

袖平山の山頂
 青く低い笹竹が茂る山頂には何時もと同じように唐松が夏の葉を茂らせて立っていた。雲は薄く、姫次付近は見えたが、蛭ヶ岳迄は迄は分からなかった。
 この付近にしては珍しく、人の声も聞けず、ヒグラシの鳴き声だけが木々にしみ入るように周囲に響き、その鳴き声に合わせたかのよおに山頂下の休憩ベンチでは標識に掛けられたタオルがヒラヒラと風に揺れていた。ベンチ横では8年前には真新しかったSさんお手製の東野・神ノ川の標識が縦杭から釘が外れて立てかけられていて、新しかったものも刻々と時間が刻まれ過ぎていくことを教えてくれる。
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袖平山山頂 草原と唐松の林に風が渡る
 その案内に従い、袖平山に戻って北西尾根(エビラ沢右岸尾根)に入る。何本かの木に赤ペンマークがあったが、そのペンキの色も失せ、気をつけないとつい見失う。山頂から暫くは左手に行くように下降するが、そのまま下降するとエビラ沢に入り込んでしまう。ではと右手にトラバースして尾根を変えて下降すると今度は社宮司沢に入ってしまいそうだ。その都度、これってあっているか?って自問自答するような下りの開始である。地図もコンパスも無ければ、脱色したペンキマークと、スズランテープ、黄色テープに古びた記憶を重ねて進路を探すほか無い。踏み跡は悪くはないが、前回降ったときには連続していた明白な道形に、ガレとか倒木での地点での途切れが目立ち、暫くは下降方向を間違わないために油断ならない下降が続く。
 それも一服すると残りは気楽・・・でも無いか。山裾が緩やかになると踏み跡は不鮮明になり、路肩を組んだ山仕事道があれば丁寧に跡を追うけど、それも間伐枝打ちの木々に覆われて分からなくなり、目をきょろきょろさせて道を探る。それでもだいたいの方向は分かっているつもり。
 右下からエビラ沢の水音が遠く聞こえるころに、P722手前の山道の十字路である鞍部に着く。
 ここから上青根への黒線道は途中に社宮司沢を挟んでいるが、昔は良い道だったんだろうなという路肩などの形跡を随所に残す道である。
 エビラ沢にダイレクトに降る道も (朝方のNo82標識への道) ここから左手方向にあるはずなのだが、その痕跡は見あたらない。
 エビラ沢沿いに下降する道に入る。
 なだらかに山裾を降る道は途中何カ所かエビラ沢に下降する道を分け、やがて子ども達が釜の中で潜水ごっこをやっている最中のF1下に着く。
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山の十字路(エビラ沢への旧道は見あたらず 山腹を出会いに向かう道はしっかりとしている)
 その釜で汗にまみれた顔と腕と、ついでに腰まで水につけて汚れたズボン迄を洗う。子ども達は「おじちゃんよ〜 どこから降ってきたの」と屈託ない。その道から降ってきたと言ったら木梯子を登り始めたので「危ねえからヤメナ」と凄むけど、今時の子ども達にそんな脅かしは利きゃあしない。目を離したら梯子の上で「ぎゃあっっ ここ怖い」なんて大声出してる。

さて、問題はここからさ。
山の中では小滝で小さく落ちたってアクシデントがあったが、概ね予想通りだった。上の稜から稜をつなげて走るんだったらペットボトル持って行くが、沢を登り、直ぐに下降する場合には、水は沢の中の湧水ですませるから不要である。しかし、源頭部付近から、この下降地点まで二時間近く経つとヤッパリ喉は渇く。それにエビラ沢は長く、朝の自転車の分も合わせて少々疲れ気味っていうんで、東屋横の水源で水汲み中の叔父さんに「一本だけですから」と割って入って水を汲み500mgを飲み干す。それから、子ども達の叫び声を聞きながらベンチの上に横になり、ウエストポーチを枕に一休みする。
 それは疲れを溜めたままでは帰路はきついかもと思ったからだ。15分ほど休んでから、もう一回ペットボトルを満杯にして、帰路につく。
 日が射してムンムンして湿度が高いのが気になるが、青野から船津原までの登りと梶野から鳥屋までの登りを除けばほとんど下り一方だから、途中、もう一本くらい水を汲めば間に合うだろう。そう思ったのだが、これは、相当に甘かった。

 コノマ沢キャンプ場を経由し、上青野の二十三夜の石碑を眺める。「二十三夜」って、どんな意味があるんだろう。梶野のコンビニ駐車場脇にも、小降りだが、同じ石碑があって朝方その碑を見たとき、そう言えば上青野に、もっと大きなのがあるのを思いだし、帰りに寄って見ようとなった次第なのだ。そんな寄り道を考えるくらいだから、この時点では体力は全く問題なかったのだ。
 ついで諏訪神社の大杉もチェックする。ものにはついでという場合も多い。どうせついでだから最近新道ばっかり走って、暫く目にしていない青野原の諏訪神社(上村)にも寄っていくつもりで船津橋の坂を坂上の酒饅売りのお爺さんのいる店の前までは登り切った。
だけど、諏訪神社でも水を補給して、それから五分も走りしないで、突然のように燃料切れに陥った。十分に水分補給に気をつけてやってきたのでマサカ熱中症は無いだろうとたかを括っていたが、ペダルが重くて、後ろからやってきたシティー・サイクルの兄ちゃんに追い越されても全く追う気力が湧いてこない。ペダルをこげなくなって自転車を降りる。汗は腕から額から溢れるように吹き出る。もう青野原で寄り道なんて考えもできない。
 幸い、坂上から梶野までは下り一方である。ペットボトルの中を空っぽにして、コンビニでミネラルウォーターを一本補給する。しかし、その水も上鳥屋までしか持たず、鳥屋の諏訪神社横で一本追加したけど、それだけでは自宅まで持ちそうもなく宮ヶ瀬湖畔園地では水ではなく砂糖の入った紅茶を一本購入して・・・・・・ゲップが出てきそうで、胃が酸っぱい。更にもう一本分の水を補給する。合わせて水分補給量は少なく見積もっても二時間の間に4gはいっている。このまま水分だけ補給したらナトリウム不足で熱痙攣になってしまう。

 そして気がついた。水が切れているんじゃなくエネルギー切れている。朝方コンビニのおむすび一つだけだったのだ。
 短い山遊びなら、体内エネルギーでもって補給出来るので、是でも十分な量だが、アプローチ含めて長丁場の炎天下では少し足りなかったんじゃないか。ペース上げすぎてへばったマラソン予選の福士ちゃんとはラベルもレベルも格違いだが、身体的状態だけは同じだったみたい。

 体にエネルギーが少し戻るまで時間が必要だっていうんで、棚沢広場のベンチの上に横になり、ぐっすりと三十分昼寝。
 それからは順調である。三十分で戻したエネルギーの力で、先行するチャリを抜き去ることあっても、抜かれることはなかった。もっともそれは体内でのエネルギー変換速度だけのせいではなく、土山峠を下ったら、上空には雲が出ていて思いの外に風も冷えて感じたのも体をアシストしてくれたと思う。
 そんな状態だったので、登り勾配の往路が二時間ほどなのに、下り一方の復路に通算して三時間もかかるとは、なんとも情けないマシラであった。
 
翌日、一日ゴロンと横になってオリンピック放送を見て、時々パソコンに向かって駄文を書いている。最近キーボード力が落ちて、マシラの作文おもしろみが欠けてきたなって皆さん思いませんか。自分ではかなり質が落ちてきたように感じているんだ。何とかしなくっちゃ っていうのも気持ちだけだ

写真集です
前回の記録エビラ沢(神ノ川) 2002/07


自宅5:00〜宮ヶ瀬〜梶野6:15〜東野〜エビラ沢橋7:10〜F1上7:20〜白滝8:40_50〜5m滝(2m落)9:55〜袖平山頂10:55_11:00〜エビラ沢右岸の道を下降〜青野への黒線道の十字路11:35〜エビラ沢橋11:55_12:10〜青野二三夜の石碑見学12:26〜青野諏訪神社の大杉見物12:30_35〜梶野〜宮ヶ瀬〜棚沢広場で昼寝30分〜自宅14:50 2008/08/10
自宅ではそれほどではなかったが、青野〜宮ヶ瀬が何ともカンカンのお日様に当たってヘロヘロになってしまった。でも、それは日射病ではなく、エネルギー切れだったみたい。
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