年賀状
年賀状を書いた。おきまりの写真を貼り付けてプリンターで印刷し、1行書き加える。
年賀状だけでしかおつきあいが出来ない友人もかなりいる。彼は一体今何をしているのだろう。どんな境遇でそのような生活をしているのだろう。文面を読み、差出人を読み、住所や職業、家族構成から想像するだけで結構楽しい。何年分か継続してチェックすると少ない文面から結構暮らし向きまでが見えて来るんだなあ。
「先生、長い間ご苦労様でした」、去年の「今年定年です」とのインフォメーションに1年遅れでたった1行の返答を書く。生徒だったとき先生の給料をクラブ費に供出させ、返済もしないまま今に至ってしまった。本当なら飛んでいって退職記念パーティーを企画して幹事を引き受け無ければいけないのにたった1行の返答しか出さなくて申し訳ありません。
「もう危ないらしい」との噂をきいても、さて年賀状には「21世紀もよろしくお願い申しあげます」としか書いて出せないもどかしさ。
「仕事で行き詰まっていて何か困っているらしいよ」
でも、「来年には良いことがありますように」としかかかない。手をさしのべる床までは言い出せない。これで友人といえるのかなあ。弱い私が見えるような一行詩にもならない儀礼文
山をがんがんやっている人からはたいてい年賀状は来ない。便りの無いのは良い知らせとはこのことを言う。便りがあるときは訃報というのはいつもいつもだけどたまらない。
良く知っている人には、来年の抱負とかその人への期待を込めて「・・・がんばろうね。たのむよ」とはかくが「旧年中は大変お世話になりました。本年もよろしく」としか書けない定型的な年賀状を止められない意志薄弱の来年。そして21世紀が始まる。いつかこの賀状の束縛からも逃れなくてはいけないのかな