今日はクリスマスイヴ
クリスマスイヴと言えばクリスマスツリー、ツリーと言えば宮ヶ瀬湖のジャンボツリー。そんなこんなでこの時期宮ヶ瀬湖は大勢の人が集まってクリスマスのひとときを楽しむらしい。
ツリーはイルミネーションで飾る。クライ夜空にきらめく輝き。えも知れぬ美しさだとか。しかし、こんな風習は西洋だけで無く、ぼんぼりに浮かぶ中世以来の日本だってやってきた。でも、本当に電飾ってきれいなの。最近は普通の民家でもクリスマスの飾り付けを競い合うとか。
昼間、バスを待つ時間に本厚木の駅までで眺めるとこの町中の木は泣いているように見える。夜も眠れず不眠症だと。昼間のあのハーネスにがんじがらめに括られた残骸のような木々がきれいだとはとても思えない。多分植物にも24時間があって、それなりのリズムで繰り返しの生活をしている。それなのにキリスト様の生誕日に生け贄のような仕打ちを受けているんではないか。キリスト様は電飾された木々へのこのような仕打ちを喜んでいるのだろうか。人間への奉仕が当然だとでも行っているのだろうか。それとも人間のためには植物は文句を言うなと行っているのだろうか。樹木への電飾を見るに付け哀れだなとおもう。ものへの哀れを忘れた祭りなんて野蛮人の夜祭りだ。ハレの世界に入れたくもない。
光りの文化は日本古来から有るものだと思う。篝火の世界から行灯、薪能からろうそく舞台、秩父や熊野等の各地の祭り、大文字焼き等明暗を使い分け不思議な世界を作ってきた文化が有ると思う。それが蛍光灯による合理的な照明に変わられ、そしてパチンコ屋のような西洋の花魁屋のようなルミネーションを一般家庭で行って、それが素晴らしい美しさだと言うような恥知らずな感覚の文化へどうして変化してしまったのかしら。樹木や家々の外装を使った電飾がきれいだという感覚はどうしても受け入れられない。もしその感覚こそが違うというのなら、ラスベガスはどうして世界遺産とか世界の景勝地と言われないのだろうか。何十億$もかけたあの電飾の集合地こそえも知れぬ美しさの殿堂と言えるのではないだろうか。一夜の夢、自己満足をダメと決めつけるのは早計だが他の動植物をいじめるのは止めるべきだ。家族持ちは家族と、家族がいない人は友達と、友達がいない人は一人で暗い夜空にじっと星を見て神秘を語る夜に聖誕祭がなるといいな。