出雲国庁跡

izumo_kokucho_ato(出雲国庁跡)
出雲国の中心
いずもくにのまつりごとのや


松江周辺(出雲地方)の観光地の
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◆◆風土記伝承◆◆

風土記には出雲国庁自体の記述はありません

道度(みちのり)の記述に「飯梨河の野城橋から西に11キロで
国庁と意宇郡家の北の十字街(ちまた)にある」

とあり、おおよその場所は推測されます

意宇郡家のほか、黒田駅家と意宇軍団も国庁と同じ場所にあったと記述され
政治・交通・防衛の機能が集中した山陰の中枢でした

記述されている黒田駅家のいわれは「土の黒い黒田村にあったため」と言われています
現在でも松江市大庭町に黒田と言う地名があり
付近の土は雨が降るとやはり黒く変色します

意宇軍団は出雲三軍団の一つで
平常時1千人、非常時2千人の規模で、半分は騎兵と言われています
近くにある茶臼山の南麓は軍団の訓練に使われていたようです

◆意宇郡・・・松江市大草町
◆◆探峰ポイント◆◆
出雲国庁跡は意宇平野の中央南端にあり
出雲の総社である六所神社が隣接してあります

縦横168メートルの国府域の半分が整備され
溝や、建物の柱などが再現されています

出雲国庁の正面は北向きで、非常に珍しいが
当時の出雲の国は北に注目していたのだと考えられています

近くには真名井神社出雲風土記の丘出雲かんべの里   神魂神社八重垣神社
などがありまさに出雲のロマンを十分に味わえる場所と言えるでしょう
出雲国庁跡

↑地図はこちら

ここは飛鳥時代の終わり頃から奈良・平安時代に至るまで
出雲国を治める中心的な官庁街と意宇郡の役所が存在したところです

発掘調査によって中心的な建物(政庁)や
さまざまな業務を行うための建物が確認されていますが
調査地以外にも関連する役所郡が存在することが想定されます

また役所の中で、玉作や鍛冶、鋳物など
国庁で使用するための道具類を生産していた官営工房も存在していました

出雲国を治める国司は中央の都から派遣されていました
出雲国府も藤原京や平城京など中央の都城をモデルとして設計されたことが考えられ
周囲には正確な測量によって条里制の地割が施され
山陰道や隠岐へ向かう官道も整備されていました
きちんと整備されている 大溝
この大溝は出雲国庁の中心地域(内郭)と
外郭を区別するもので、一辺168メートル
(1.5町)前後の正方形に内部を取り
巻いていたと考えられます

この大溝は幅3.5メートル
深さ1メートルの規模を持ちますが
玉石などで護岸はしてありません

溝の中からは、硯や木簡など
多量の遺物が出土しています
側溝

この溝は出雲国庁の内部を区画して
雨水を大溝に流すためのものです

約80センチの幅を持つ溝の底には
砂利が敷かれ、両岸には玉石で
護岸がしてあります

溝が屈折する部分には
1.2メートル四方の枡形(ますがた)
が作ってあり、現代にも通じる
高い技術が用いられています
茶臼山







出雲国庁の正面(北側)に位置します




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