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神話の故郷(出雲大社と稲佐の浜(inasano_hama))&出雲阿国(izumo_okuni)の故郷 島根半島の北西に位置し、古くから出雲大社の門前町として栄えた町 神門通りには老舗の宿や土産物屋が立ち、風情ある町並みが広がる。 町内には出雲大社をはじめ、出雲地方の歴史を紹介する吉兆館(kitcyou_kan)や 旧JR大社駅舎、さらに足を延ばせば神話の舞台となった稲佐の浜(inasano_hama)など見所が豊富 TOPページに ![]() 地図 ↑ <写真> 日本一の大鳥居 高さ 23m 柱の直径2m 大正4年築 鉄筋コンクリート製で、中央の額面は6畳もあり、日本一の大鳥居です 額面の「出雲大社」の文字は、元宮司千家尊福(せんけたかとみ)(元司法大臣)の筆になります 大正4年(1915)大社の御大典記念として、九州小倉の小林徳一朗(仁多郡出身)が寄進したもの 建築費は当時の金で2万数千円だったとか・・
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神話の故郷(出雲大社と稲佐の浜(inasano_hama))&出雲阿国(izumo_okuni)の故郷 島根半島の北西に位置し、古くから出雲大社の門前町として栄えた町 神門通りには老舗の宿や土産物屋が立ち、風情ある町並みが広がる。 町内には出雲大社をはじめ、出雲地方の歴史を紹介する吉兆館(kitcyou_kan)や 旧JR大社駅舎、さらに足を延ばせば神話の舞台となった稲佐の浜(inasano_hama)など見所が豊富 もう一つのスポット「旧JR大社駅」はこちら 出雲大社・・・ご存知縁結びの神様 日御碕(hinomisaki)・・・東洋一の灯台とウミネコ 島根ワイナリー・・・ワインとお土産&島根和牛のステーキ 大社町のHP・・・町役場のHP 旧JR大社駅 日御碕(hinomisaki)の壁紙・・パソコンにどうぞ 松江周辺(出雲地方)の観光地の 美しいパソコン用壁紙集はこちら(大人気・800枚以上) |
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| 一畑(ichibata)電鉄・出雲大社駅 松江のしんじ湖(shinjiko)温泉駅から直行の 出雲大社号(izumotaisya_go)が出ています |
駅の内部 意外とモダンな内装 |
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| 駅構内 黄色い電車は川跡駅(kawato_eki) で乗り換える電車 出雲大社号はブルーの電車 |
大社町内 この突き当りが出雲大社 |
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| 神話の舞台稲佐の浜(inasano_hama) 出雲大社の西方に広がる、大きな弧を描いた ような砂浜。日本の渚100選 |
夏は海水浴場としてにぎわう 稲佐の浜(inasano_hama)・・・ でもここが壮大な国引き神話の場所 である事を、どのくらいの人が 知っているのでしょう・・・ 昔、出雲国の八束水臣津野命 (yatuka_mizuomituno_mikoto)が 「国来い、国来い」と言いながら 太い綱でその地を(新羅国 (今の韓国の南部))から引き寄せたました 壮大な国引き神話の綱が 稲佐の浜(inasano_hama)になったと言われます |
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| 壮大な出雲神話を思い浮かべながら 屏風岩Byoubu_iwa)を見ると 出雲の歴史の古さが感じ取れます 一方、「国譲り神話」によると 出雲の国を引き継いだ大国主命が 高天原(たかまがはら)からの使者らと 話し合いをした場所と言われます |
寄せては返す波、そして波音・・ 全て神々の足音に聞こえてきませんか 下記に「浜辺の歌」MIDIを用意してあります。 もし、BGMが聞ける状態ならばONにしてお聞きください |
国引き神話 『出雲風土記izumokokufudoki』の巻頭を飾る国引き神話 出雲の土地はその昔”狭布の稚国(kinuno_wakakuni)”と言って、細長く未完成の国でした ここで国引きの主人公である「八束水臣津野命(yatuka_mizuomituno_mikoto)」がこの国を眺めて 「この国は小さすぎる、わしが造り直して縫い合わせてやろう」と言われました 命(mikoto)はまず新羅(shiragi)の国の余りを切り取ると、「国来い、国来い」と言いながら 太い綱でこれを引き寄せ、出雲の国土に縫い付けてしまいました こうして、まず今の出雲大社の後ろあたりの土地が出雲に加わりました 命(mikoto)は同じようにあちこちから土地を切り取っては引き寄せ 平田の北から佐陀川(sada_gawa)にかけてや、松江市に北のあたり そして最後に美保関あたりを継ぎ足して、出雲に加えました この大仕事を終えた命が、持っていた杖を杜(mori)に突き立て 「おえ」と一言発した事から、この地方が「意宇(ou)」の地名で呼ばれる事になったと言われます 西の園の長浜(稲佐の浜inasanohama)、東の夜見島(弓ヶ浜yumigahama)が 命がこの仕事に使った綱であり 西の佐比売山(三瓶山sanbesan)と東の火神岳(hinokamidake)(大山daisen)が この綱をつなぎとめた杭であったと言われます |
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出雲阿国(izumo_okuni) もう一人の出雲を代表する人物 歌舞伎の租とされる阿国は、出雲大社の鍛冶職の娘で出雲大社の巫女だったと伝えられています 永禄年間(1558〜1569)お国が幼少の頃、大社本殿が修復される事になり 女達は諸国の旅に出る事になりました 阿国は踊りと歌が好きで、才能も有った事から 京都で念仏踊りを上演して好評を博し 京都中に名前が広まったと言われます 慶長年間(1596〜1615)、阿国は京都の四条河原で男装で刀をさし、舞ったと言われます この異様な姿、普通でない姿を当時「傾く(kabuku)」と言い そのようなことをする人を「傾き者(kabukimono)」と呼び、歌舞伎(kabuki)の元となったと言われます その後、阿国は舞台を能がかりにする事により阿国歌舞伎を完成させ それを持って歌舞伎の創始者と言われるようになりました 阿国は晩年は出雲に帰り尼となり、静かに余生を送ったと言われます お国の墓は、出雲大社から稲佐の浜の方向に約数百メートルの左手にあります 出雲大社に参拝されたらぜひ訪れてみてください |
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