東京歴教協フィールドワークを活かした授業づくり講座
第3回 多摩川台古墳群の見学と古墳時代の学習

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 2006年2月18日(土)に、東京歴教協フィールドワークを活かした授業づくり講座の第3回「多摩川台古墳群の見学と古墳時代の学習」に参加してきました。

<大田区多摩川台公園管理事務所「多摩川台公園のご案内」より>
 武蔵野の台地が多摩川に迫る田園調布の地は、ゆるやかにうねる丘陵になっていて、丘の上には樹木が発達し、開けた場所からは眼下に雄大な多摩川の流れを、遠方には富士・丹沢・箱根の連山を一望することができます。
 そうした景勝の地は古来より人々に好まれ、古代には豪族の墓である古墳が築かれ、近代には高級住宅街がつくられました。そして一体は今なお緑が濃く、閑静な環境を保っています。

<古墳見学のポイント>
 ・冬がよい(木が落葉しているので、分かりやすい)
 ・古墳は、上から見ないとただの盛土なので、調べていったり、解説をしてくれる人と一緒に行こう。


見学コース

東横線多摩川駅扇塚古墳跡浅間神社古墳亀甲山古墳大田区古墳展示室多摩川台古墳(円墳)群宝莱山古墳観音塚古墳跡穴八幡古墳多摩川駅


スタートは、東横線多摩川駅

 

まずは、扇塚古墳跡を見学

 出土した土器から4世紀初頭の古墳とわかり、都内最古の古墳だったとわかったが、1996年11月にマンション建設が行なわれ破壊されてしまった。短期の不十分な調査だったが、内行花文鏡と素文鏡、鉄剣、鉄鏃、ガラス小玉、土師器の高坏などが出土し、2001年には『扇塚古墳発掘調査報告書』が刊行された。

(左)「扇塚」碑、「拍子木塚」碑
(右)現在の扇塚古墳跡の様子

 

浅間神社古墳を見学

5世紀末から6世紀初めに作られた全長60メートルの前方後円墳。浅間神社の社殿は後円部になる。東横線拡張工事のため1990年(平成2)の発掘調査で、従来東側にあるとされた前方部が西側に位置することがわかった。ここから出土した人物、鹿と馬の形象埴輪は大田区古墳展示室でレプリカを見ることができる。

(左上)(左下)(右上)浅間神社
(右下)浅間神社から多摩川を見下ろす

 

亀甲山古墳

 国指定史跡になっている前方後円墳。全長107.25メートル、前方部幅49.5メートル・高さ7.5メートル、後円部直径約66メートル・高さ10メートルで未発掘。後円部が玉川浄水場で削られてはいるが、ほぼ原形を保っている。解説板には5世紀前半の築造になっているが、現在の研究では4世紀後半の築造とされている。都内で原形を保つ前期古墳として唯一のものである。

 

大田区古墳展示室

 多摩川台古墳群からの出土品が展示されている。入館料無料。

 

多摩川台古墳(円墳)群

 円墳が1号墳から9号墳まであるとされていたが、大田区の調査で、8号墳が古墳でないとわかったため、現在は8号墳(旧9号墳)とされている。

(1段目)多摩川台古墳群全景
(2段目左)1号墳
(2段目右)2号墳
(3段目左)3号墳
(3段目右)4号墳
(4段目左)5号墳
(4段目右)6号墳
(5段目左)7号墳
(5段目右)8号墳

 

宝莱山古墳

 1934年(昭和9)、西岡秀雄氏らによって調査され、前方部は破壊され個人宅地になっていたが、1996年(平成8)大田区が買収し、東京都によって調査されたのち、東京都旧跡から東京都史跡になった。4世紀中頃の東京都最古の前方後円墳。

 

観音塚古墳跡

 6世紀後半にこの地域で最後に作られた前方後円墳。横穴式石室をもつ古墳で、その形は大田区古墳展示室に復元されている。2001年(平成13)に再度調査され、この古墳の下から周溝が発見され須恵器や円筒埴輪、鉄製矛先、石製紡錘車などが発見され、直径30メートルほどの円墳が観音塚古墳が造られる前の5世紀後半に作られていることがわかった。新たに田園調布赤坂古墳と命名された。
 道路が後円部に沿って造られ曲がっている様子がわかる。

 

穴八幡古墳

 田園調布4丁目33の井坂家の宅地内ある古墳。江戸時代に古墳が開口し、内部の横穴式石室内に大日如来を祀って信仰してきた。南側の斜面に築かれた古墳で、墳丘ははっきりと残っていない。石室は南向きに造られ、羨道(墓道)と玄室の二つに分かれ、玄室との境に楯石があって仕切られている。全長4メートルで、羨道が1.6メートル、玄室が2メートルで、玄室内の天井の高さは1.7メートルある。大きな凝灰岩を積み重ねた構造になっていて、前室は3枚、玄室は2枚の天井石で覆い、側壁も長方形の大石を積み上げ、ややふくらんだ台形に造られている。

(上左)外から石室を撮影
(上右)玄室から外を撮影
(下)玄室内を撮影

 

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