下関見学記

 2006年8月14日(月)から16日(水)の2泊3日で、下関に行って来ました。見学場所ごとに、写真や説明、感想などをアップしていきます。

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長府
 ・「維新発祥之地」碑
 ・忌宮神社
 ・乃木神社
 ・長門国分寺跡
 ・覚苑寺(鋳銭司跡)
 ・長府毛利邸
 ・功山寺(高杉晋作回天義挙銅像、万骨塔)
下関
 ・関門海峡
 ・関門トンネル人道
 ・下関国際ターミナル
 ・巌流島
 ・壇ノ浦
 ・前田砲台跡
 ・赤間神宮
 ・春帆楼

  下関の天気予報
 下関のある山口県は、中国地方なのに、九州の天気予報に載っていますね。

長府

「維新発祥之地」碑

 城下町長府には、西暦193年、仲哀天皇、神功皇后により豊浦宮が築かれた由来から、忌宮神社が創建され、数々の神事が継承されている。
 大化2年(646)には、長門の国府として長府と呼ばれるようになり、その後長門鋳銭司や国分寺が設置され繁栄を続けてきたが、中世には長門守護所、長門探題も設けられ、政治的、軍事的拠点として、重要な役割を課してきた。
 慶長5年(1600)、関ヶ原の役後、毛利秀元が長府5万石の城主として入府以来、武家屋敷の町として平和な藩政時代を過ごしてきたが、幕末にいたり俄然、倒幕拠点の地として目覚め脚光を浴びてくる。
 文久、元治の馬関攘夷戦、七卿の来府、蛤御門の変、長州征伐と長州藩は激動と苦難の道を辿ることになるが、元治元年(1864)12月15日、功山寺における高杉晋作、回天の挙兵による歴史は大きく転回し、やがて明治維新を迎える事になる。
 思うに長府は、古来から西日本における枢要の地として、広く維新の偉業を繰返してきたが、特に高杉晋作の回天義挙により、明治維新発祥の地として世に高く評価され伝承されてきた。
 また付言するならば、世界的名声を博した狩野芳崖、乃木大将の出身地でもある。
 昭和60年の初春にあたり、今ここに地元の有志相集い、史跡、文化財を伝えるため、維新発祥の記念碑を建立し、城下町長府の未来への発展を切に願うものである。

(「維新発祥の地記念碑について」より)

 

忌宮神社

 長門国二の宮で、仲哀天皇、神功皇后が西国平定の折、豊浦宮を建て、7年間滞在した地といわれている。毎年8月7日から1週間続く「数方庭祭」は1800年の歴史を持つ“天下の奇祭”として有名。

 

乃木神社

 明治天皇に殉死した乃木希典を祀る神社。境内には乃木将軍が育った家が復元され、ゆかりの品を展示する宝物館などもある。

さざれ石

 

長門国分寺跡

 741年(天平13)、聖武天皇が命じて全国に建立させた国分寺の一つで、礎石や瓦などが出土している。長門国の政治を執り行なった国府の中心的役所は、忌宮神社近くにあったと推定されている。

 

覚苑寺

 1698年(元禄11)創建。長府藩の菩提寺の一つで、境内には和銅焼の窯元がある。付近一帯は、「和同開珎」を鋳造した長門国鋳銭司跡である。

長門国鋳銭司跡

 

長府毛利邸

 長府毛利家14代元敏公によって建てられた邸宅で、完成は1903年(明治36)。明治天皇の行在所(宿泊所)としても使われた。書院庭園と池泉回遊式の庭園が往時を偲ばせる。

 

功山寺
 二重櫓造の山門や、我が国最古の禅寺様式を残した仏殿(国宝)が、1327年(嘉禄2)創建の由緒を語ります
高杉晋作回天義挙銅像

 1864年(元治1)、長州藩は存亡の危機にあった。7月の禁門の変、8月の馬関戦争惨敗。さらに追い打ちをかけるように、幕府による長州征伐計画が進んでいた。俗論派(幕府恭順)が主導権を握っていた長州藩はこれを恐れ、幕府に従う姿勢を示していた。
 このとき、悠然と立ち上がったのが高杉晋作だった。都から落ちのびていた三条実美ら五卿を前に、わずか80人を率いて挙兵した晋作は、「これより長州男児の肝っ玉をご覧に入れ申す」と告げ、萩藩新地会所を急襲。後に続いた者たちとクーデターを成功させ、長州藩を再び倒幕へと導いた。この功山寺挙兵をきっかけに、維新が大きく動いた。

万骨塔

 明治維新を中心とした国事に命を捧げた勤王の志士の霊を供養するために、長府の篤志家・桂弥一が建立したもの。塚には、「一将功なって万骨枯る」の碑と全国から寄せられた石が供えられている。

下関

関門海峡
 全長1068m、海面からの高さ61mの関門橋がかかる関門海峡。ときに10ノット(18km/h)を越す潮流が流れる。

 中国の方が見ると、長江よりも狭いので、「川ですか?」と聞くことがあるそうです。私が見ても、長江どころか、多摩川(約500m)の河口よりも、関門海峡(約700m)は狭いような気がしました。ホントに、すぐ、門司なんです。
 しかし、東京の内陸住まいの私にとっては、下関に着いたとたん、潮の香りを感じたので、川とは間違えません。

 

関門トンネル人道

 関門国道トンネルは、全長3461.4m、1958年(昭和33)に開通。下関の御裳川から門司の和布刈(めかり)の間780mが歩行者用の海底トンネル、所要時間は約15分。歩行者:無料、自転車・原付:20円。

 

下関港国際ターミナル

 韓国・釜山、中国・青島との国際航路が発着する国際港湾都市・下関の海の玄関口。釜山へは1日1便、青島へは週3便、フェリーが就航している。ターミナルにつづくとおりは「釜山通り」と呼ばれている。

 

巌流島
 関門海峡に浮かぶ周囲約1.6kmの小さな島で、宮本武蔵と佐々木小次郎が相対したのは、1612年(慶長17)4月13日のことだった。現在は、海沿いの散策道なども整備されている。
(左上) 巌流島文学碑・決闘の地木碑
   船をイメージした碑には、画家・古舘充臣氏が描いた武蔵・小次郎の姿と、村上元三作『佐々木小次郎』の一節が刻まれている。そばにある木碑には、巌流島 武蔵小次郎決闘の地 慶長17年4月13日(1612年)下関市大字彦島字船島648 昭和61年3月吉日建之」と書かれている。
(右上) 武蔵・小次郎像
   三尺一寸(約103cm)の太刀を持つ小次郎と、船の櫂を削った木刀を振りかざし宙を舞う荒々しい武蔵の姿をとらえた2体の像。
(左下) 人工海浜
   決闘の場所をイメージして整備された約90mの砂浜。船が飾られている演出も。
(右下) 巌流島から見た関門橋
   

 

壇ノ浦
2005年NHK大河ドラマ「義経」出演者の手形とサイン
 (左)滝沢秀明 (中左)中越典子 (中右)松坂慶子 (右)小泉孝太郎
壇ノ浦の戦い
天保製長州砲
 幕末、関門海峡での6次にわたる攘夷戦は、元治元年(1864)8月、長州藩兵と英・仏・蘭・米4カ国連合艦隊との交戦をもって終結したが、同時にこれは明治維新の具体的始動につながった。この歴史的事件で下関海岸砲台に装備された長州藩の青銅砲は、すべて戦利品として外国に運び去られ国内から姿と消していた。
 1966年春、渡欧中の作家古川薫氏がパリ・アンヴァリッド軍事博物館に保管されている攘夷戦長州砲を発見、以来返還運動が進められたが実現困難のところ、郷土出身の外務大臣安倍晋太郎氏の努力とフランス政府の好意によって1984年6月、貸与の形式で里帰りを見るに至った。この機会に下関東ロータリークラブでは、フランス政府の了解を得、創立20周年記念事業として、これを原寸大かつ精密に模造し下関市に寄贈した。
 同長州砲は天保15年(1844)萩藩の鋳砲家郡司喜平治信安の手になるもので、幕末日本人の対外危機感を象徴する歴史的逸品である。
 鎖国に眠っていた日本史がようやく世界史に組み入れられる瞬間を目撃したこの物言わぬ証人を、海峡のほとりに永久に安置しようとするのは、歴史に富むこの地の発展と世界平和を祈念する趣旨にほかならない。
(解説より)

 

前田砲台跡
 前田台場(砲台)は、長州藩が口火を切った馬関攘夷戦の重要な拠点であっただけに、文久3年(1863)6月5日、元治元年(1864)8月5、6日に、二度の外艦砲撃を受け占領、破壊された。
 馬関攘夷戦の烽火とともに、長州藩が倒幕への苦難の道を辿ったことを思うと、前田台場は、明治維新発祥の記念とすべき史跡であるが、その陰には、台場とともに焼き払われた前田村民家23戸の痛ましい犠牲があった。
(「郷土の文化財を守る会」解説より)

(中)教科書に載っている占領された前田砲台の写真、(右)前田砲台跡より海峡を見る

 

赤間神宮
 

 

春帆楼
(左上)春帆楼 (右上)会議の復元 (左下)伊藤博文と李鴻章
(右下)会議のたびに李鴻章が通った道は、現在では「李鴻章道」

日清講和記念館
 この記念館は、日清講和会議に使われた調度品類や貴重な資料などを公開するため、昭和12年(1937)に開館されました。
 館内中央には、古風の大ランプ2個、フランス製ストーブ1個と大小16脚の椅子を備え付け、蒔絵硯箱、インク壷、朱肉入れなど、講和会議の様子を今に伝える貴重な歴史資料です。椅子類はかつての浜離宮の調度品が下賜されたものといわれ、特に貴重なものでもあります。
 その他、周囲には、日清両国講和条約の額物・六曲の屏風・当時の春帆楼の写真等を展示しています。
 世界外交史に残るこの日清講和会議は、明治28年(1895)3月20日から同年4月17日まで春帆楼において行われました。日本全権弁理大臣伊藤博文と中国講和全権大臣李鴻章を主軸とする両国代表11名が列席して和議交渉を行いました。なお、この講和会議が29日間の長期にわたったのは、3月24日午後4時頃宿舎引接寺への帰途、清国全権李鴻章が暴漢によって狙撃され負傷したので、一時休会となったからです。しかし、会議は4月10日に再開され、4月17日に調印を終えました。
(「下関市教育委員会」解説より)

 

 

 

 


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