東京散歩\(旧日立航空機立川工場変電所)

旧日立航空機立川工場変電所(東大和市文化財 史跡・戦災建造物)
 所在地/東大和市桜が丘2丁目 都立東大和南公園内
 交通/西武拝島線・多摩都市モノレール「玉川上水」駅下車徒歩7分
 料金/無料(内部見学不可)

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 2003年9月5日に、都立東大和南公園内にある旧日立航空機立川工場変電所を見に行ってきました。春の遠足でこの公園にいく予定だったのですが、雨天中止。こんな所に、戦争遺跡が残っているとずっと知りませんでした。ところが、授業で使うどんぐり拾いに行った時に、偶然古い建物を見つけ、解説板を見ると「旧日立航空機株式会社立川工場変電所」だったとのこと。その後、デジカメで撮影したり、ちょこっと調べてみました。

★概略
 この建物は、1938年(昭和13年)、大森から移転してきた航空機のエンジンを製造していた軍需工場、東京瓦斯電気工業株式会社(通称「瓦斯電」)の変電所である。瓦斯電は、翌年、日立製作所と合併し、航空機部門として日立航空機株式会社が創設され、この工場も、日立航空機株式会社立川工場<立川発動機製作所>と改名した。
 北隣にあった設備で受電した66000ボルトの電気を、3300ボルトに変電して工場内に供給する重要な役目を果たしていた。
工事建設前に設計された計画図を元に表示された工場配置図
(解説版より)
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 外壁に残る無数の穴は、太平洋戦争の時、アメリカの小型戦闘機による機銃掃射やB−29爆撃機の爆弾が炸裂してできたものである。
 経営会社がかわった戦後もほとんど外壁の修理の手を加えぬまま、1993年(平成5年)12月まで工場に電気を送り続けていた。
 都立公園として整備されるにあたり、一旦は取り壊される運命にあったが、貴重な戦災建造物を保存し次代に伝えたいという市民の活動や、元従業員の熱意がひとつの運動となり、保存へと実を結んだ。保存にあたっては、最後の所有者であった小松ゼノア株式会社や東京都建設局の多大な理解と協力があった。そして、東大和市は1995年(平成7年)10月1日にこの建物を東大和市文化財(史跡)として指定し、末永く保存、公開するために修復工事を施した。

 

★空襲
 工場地域への攻撃は、1945年(昭和20年)に3回あり、あわせて110余名の社員、家族、勤労学徒らが亡くなり、さらに多くの負傷者を出した。
 最初は2月17日、多摩地域の軍需工場を目標に広範囲な爆撃が行なわれた。グラマンF6F戦闘機など50機編隊による銃・爆撃だった。2回目は4月19日、P−51ムスタング戦闘機数機によるものだった。3回目は4月24日、B−29の101機編隊による爆弾の投下で、工場は壊滅的な打撃を受けた。
 変電所壁面に残る被爆痕は、南側壁面に集中しており、当時、どのような進路から爆撃があったか推測できる。

南側壁面 西側壁面
北側壁面 東側壁面

参考資料
後藤祥夫「旧日立航空機立川工場変電所」(十菱駿武、菊池実・編『しらべる戦争遺跡の事典』柏書房 2002年)
解説板「旧日立航空機株式会社立川工場変電所」(東村山市教育委員会 1996年)


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