以下の文章は2期生の立川NTTドコモ社長(現宇宙航空研究開発機構理事長)にインタビューしたものであります。

立川さんは昔の学生寮の生活を振り返って、どう感じていらっしゃいますか。

 あの当時(昭和33年入寮)は、大学の寮などは大変古いもので、すべて相部屋でしたが、松尾育英会の寮は新築したばかりで、かつ個室でした。今の人に言ってもピンとこないと思うんですが、当時の日本の状況から見ると、松尾学生寮は大変立派だったわけです。いい環境で勉強させてもらった。その反面、寮生活は大変厳しかった 。僕なんか2期生だったが、1期生はもっと大変だったみたい。育英会の創世時代だったから、大変厳しかったが、我々の要求で大分自由を勝ちとった面もありますよ。
 

また、寮生活が 立川さんの現在に影響を与えたことはなんでしょか。

寮生活というより、育英会の精神を引き継いでいるつもりです。「個人で受けた恩 を社会に還元するように」というのが松尾育英会の基本精神だと理解しているんです 。だから社会に出てから、会社の仕事の中でもそういう精神でいきたいと思って来ました。幸い私の仕事(電話事業)は、ほとんどの国民に利用していただくサービスで すから、日常のより良い実践が、社会還元の一つであろうと思ってやってきました。 寮生活の影響ですが、いろいろな人と共同生活したことが非常によかったことですね。大学の寮に入っちゃうと、まわりは皆同じ大学の人ばかりですが、育英会の場合は、国立もいるし私立大学もいるし、文科系もいるし、理科系もいるということで、そうしたミックスの中で生活できたということです。お陰で僕なんかは理科系だったんですが、政治経済にも興味を持つようになりました。会社に入ってからも、ビジネススクールへ行ったり、法律に係わる仕事もやるようになりました。そういう意味で寮生活で幅広い視野を持てたことがよかったのではないでしょうか。

育英会のホ ームページの作成についてどういう点に配慮したらよいのでしょか。

 audienceを考えて、audienceが魅力と思うように作ってもらいたい。どのホームペ ージを見ても、発信者がわの発想で作り過ぎている。だから会社のホームページなんかは、会社の概要だとか、役員の顔とか、そんなのばかり出てきてちっとも面白くないということになる。育英会のホームぺージの場合、育英会の概要、精神、活動状況 、あるいは募集要項などは、最低限必要でしょうが、それ以外については、委員の方々でよく考えて、見る方の身になって作って頂ければと思います。

松尾育英会 は平成9年に40周年を迎えましたが、これからの学生寮での寮生のあり方についてどう考えていらっしゃいま すか。

 まず寮生が自分で自分たちはどうしたら良いかを考えることですね。ルール等も時代に合わせて変えていかなきゃならないでしょう。昔のとおりが良いということではなく、育英会の基本精神や基本哲学はちゃんと押さえておいて、どうしたら今の時点で一番いいのかを考えるべきだろうと思っています。40年前と比べて現在はどうなっているのかと反省することも必要なことだと思います。育英会の理念だって時代と共に変わるでしょう。現在の理念の下でどうしたらいいのかを考えてもらいたいですね。

NTTに入社 されてから今まで印象の深かったことについて

 NTT生活もずいぶん長くなりました。僕は電電公社に入ったんですが、11年前に民営化といって、民間会社になりました。競争導入です。これは大変大きい変化でした。それは予想外に電気通信が進歩したせいであって、入社した当時はこんなになるとは思っても見ませんでした。企業も30年も経つと大きく変わる可能性があるということですね。だからこれは予断になりますが、入社するときにどのような会社を選ぶかは、あまり目先の格好良さで選ぶといけないということになりますね。

立川さんが 仕事で一番やりがいはどういうことでしょか。また、一番苦労なさったと思ったことは何でしょか。

 NTTのなかでいろんな仕事をやりましたが、それぞれの職場で最善を尽くした結 果、いろいろな成果を残せたことでしょうか。とくに将来を展望したビジョン作りを 2度やりましたが、会社の方向を決めえたことはやりがいがあったと言えるでしょう。NTTはかなり自由な会社の一つだったと思うんですが、いいたいことを言えるし、発想も自由でした。そういう意味では会社で苦労したという記憶はあまりありませんね。働くときは家庭をかなり犠牲にしてよく働きました。こういうのを苦労というのかどうかは別として、一例をいえば、本社の課長補佐時代には家に帰るのは毎日午前2時、3時で、朝は9時には出勤しました。そういう生活もありましたが、それも一つのステップで、かえって働きがいを持っていたとも言えるでしょうね。それは重要な仕事をやっているという自負があったから耐えられたのかも知れませんが。今となってみると想い出の一つですね。