<  封筒、文字と、私、あなた。 >



○「表現する」とはなんだろう。

ものをつくる、それだけならば自分一人で良い。

だが、私たちは鑑賞者の目を求める。
自分の意識下で、あるいは無意識においても、人は表現したいと思うものを作品に込めている。 作品を見せるという行為は、それを、鑑賞者にゆだねるという行為だ。 鑑賞者は、作者が語るものを探ろうとするだろう。
しかし、作者の意図するそのままのものを見つける必要はない。
人から人へ、作品を通してゆだねられたものは、もはや作者の手の中にはない。既にそれは鑑賞者の問題なのである。

一方からの提示ではない。

では、作品をつくりあげるのは作者だけとは言えないのではないか。
人と人とが関わることで成立するのではないか。

やはり「表現する」と言うことは、人のコミュニケーションの方法のひとつであると思う。



○手書きの手紙には、人の痕跡が残るから好きだ。

封筒のどこに、どのくらいの大きさで宛先を書くかはそれぞれだ。

几帳面な者は、せっかくの手紙に汚れが付かないように気を付ける。インクがにじまないように注意を払う。
ジュースを飲みながら書いていて、案の定こぼして染みをつくる者もいる。

定規をあてたかのような、まっすぐな文字列
少しだけ、右上がりになってしまう文字列

ポストに投函された封筒は、郵便局員によって消印を押される。痕跡がまた増える。

ひとつとして同じものはない。


何と愛おしい。



(試み)

○コラージュした封筒に、指定の宛先を書き、切手を貼り、ポストに投函してほしい。
文字の書き方も場所も自由だ。
コラージュの上から文字を重ねても良い。
空いた場所にそっと書くのも良い。
畏まらずに、楽しく書いてほしい。
私がつくったものを、一度人にゆだねる。
その人の手を経て、私へと戻ってくる。

私の介入できない過程が存在する。どきどきする。
沢山の封筒が戻ってきたとき、そこに何が見えるか試してみたい。





2008年5月末日