双魔鏡奇譚  第二部 「銀生 6」 

    
 傀侯軍によって白騎兵が大打撃を受け、隊長クラウスも重傷を負ったことは銀生の人々 に不安を与えた。  
 まして今度は傀侯自らが攻撃に加わって圧倒的な力で前哨の砦を破ったのだ。
 誰もが要塞への一斉攻撃を予想していた。
 傀侯の魔力に後押しされた大軍が押し寄せてくるものと。
 しかし、意外なことに攻撃の代わりにやってきたのは話し合いを望む特使だった。
 傀侯の代理は統領ヨセフと会談することになった。
 
 ハルトの怪我は大したことはなかった。要塞に帰りついて安堵したとたん意識を失った のは、理気の力を出し切ったせいだった。
 それより彼が傀侯に切り付け負傷させたことで、いきなり英雄扱いされるのに当惑して いた。
 ハルトは傀侯に浅い手傷を負わせたにすぎなかったのだ。戦闘には完全に負けていた。
 重傷を負った父は命に別状はないものの、しばらくは動けそうもなかった。そして、も う一人ルスカのことが気に掛かっていた。
 ルスカは負傷して前哨の砦に残ったはずだった。無事でいるのだろうか。そしてなぜ間 違った報告をしたのか。
 ハルトは親友を信じたかった。子供の頃からいつも一緒にいた快活な友を。

 統領ヨセフは特使との会談がおわった後、当惑と憤りに眉を寄せていた。
 「ばかげたことだ。傀侯は何を考えているのか。」
 傀侯にとって圧倒的に有利なこの時に講和を持ちかけてくるとは。そして傀侯が軍勢を 引き上げる条件とは、ハルトという名の白騎兵をさしだすこと。
 「奴は我々が同胞を売ると考えているのかそれに彼に斬り付けられたとはいえ、私怨を 戦争に持ち込むとは。」ヨセフには傀侯が何を企んでいるのかわからなかった。
 閣僚達を集めた会議でも傀侯の提案をのむ ことは賛成されなかった。たった一人の兵士と引き替えに銀生を征服することをあきらめ
るような傀侯ではない。きっとよからぬ考えがあってのことだと言う意見が大勢だった。
 そんな時、カルマがヨセフに面会を求めてきた。この世捨て人の占い師が山から下りて くるのはよほどのことだった。
 「奴はハルトの持つ力を見抜きおったのじゃ。将来彼を脅かすかも知れん力を。ハルト を傀侯に渡してはならん。あの子は唯一あの悪魔と戦える男なんじゃ。」老婆は銀生の統 治者にそう言った。
 「確かに彼は傀侯に傷を負わせはしましたが、彼の方も傷ついています。あの若者にそ んなに期待していいのですか。」
 「剣で奴は倒せないよ。ああ、あの時クラウスから是が非でもハルトを預かっておくん だった。あの子やクラウスを哀れに思ったのは間違いだった。」カルマは悔しそうにいっ た。
 「いったいどうやって傀侯を倒すというのですか。」
 カルマはしわだらけの顔をヨセフに向けた
 「傀侯と同じ力、魔力で。しかし、その力を持つということは本人にとって残酷なこと。
 私はあの可愛い坊やにその宿命を負わせることをためらった。しかし、今からでも遅く はない。ハルトは私のところへ来させなさい。
 どちらにしてもあの子は銀生のために犠牲になるのじゃが。」カルマはそう言い置いて 帰っていった。
 
 ハルトは傀侯の要求を知って当惑していた。自分と引き替えに軍勢を引き上げるとはどう いうことだと。
 傀侯が自分を憎んでいるならこのまま銀生を攻め立てて降伏させるといい。そうすれば 騎兵の一人くらいどうしようと支配者の自由だ。  騎兵隊がほぼ壊滅状態にある今、銀生は無防備に等しかった。なぜ傀侯はこの絶好の機 会を白騎兵一人のために逃そうとするのか。
 ハルトは自分が奇妙な有名人になっているのに気付いた。
 傀侯が攻撃に加わっていたことで、この伝説的な支配者の悪名に人々は怯えていた。
 今にもその悪魔が要塞を破り、銀生のうえにその力をふるうかもしれなかった。
 ハルトを傀侯に引き渡さなければ。
 ハルトは軍の救護所に父を見舞った。
 クラウスは重傷の身ながらなお、騎兵隊の指揮をとることを望んで、屋敷で静養するこ とを拒んでいた。
 「気にするな、お前一人で戦争を終わらせることなど出来るはずがない。」クラウスは 息子にいった。「傀侯は信用できない。これはきっと何かの罠だ。」
 しかし、ハルトは救護所にあまりにも多くの兵士が傷ついて収容されているのに心を痛 めた。
 多くがまだ若い兵士だった。傷の痛みにうめきながら、通りすぎるハルトを見つめるも のもいた。
 そしてもっと多くの兵士が戦場に散っていた。
 ハルトは騎兵隊に入隊したばかりの初年兵の母が、息子の死を知って泣き崩れているの を見た。その少年の人懐っこい笑顔を思い出してハルトはいたたまれぬ思いだった。
 戦争は残酷なものだ。あまりにも簡単に人の命を奪い、人の心を引き裂く。
 自分が傀侯のもとへ行かなければ、もっと多くの犠牲者が出る。
 ハルトは足早に屋敷に戻った。

 ハルトの母は何も知らされてはいなかったただ、クラウスが戦場で負傷したということ しか。ハルトは家人に母を心配させるようなことを話すことを禁じていた。
 「傷はもういいの、あまり無理しないでね。」母は、ベットの上で弱々しく言った。
 彼女はもう先が長くないことをハルトは医師に知らされていた。衰弱が激しく、もう起 き上がることも出来ない。
 「母さま、お願いがあります。」
 母はハルトの願いを聞いて、小さく笑った
 「いやね、小さな子みたいに。」そして大きくなった息子の頭をそっと胸に抱いた。細 い指で、ハルトの白い髪を撫でてやる。
 母の胸は暖かかった。しかし、哀しいほど薄く、今にも壊れそうだった。
 「これでいいの、甘えんぼさん。」
 ハルトはうなずいた。「ありがとうございます。」
 母の部屋を出るとき、ハルトはもう一度振り返って母を見た。
 「何、ハルト。」いつもと違う様子に母親は不安を覚えた。
 ハルトはほほえんでみせた。「いえ、別にまた後で。」

 メイは窓の外に白い人影を見付けて自分の部屋から出た。
 「どうしたのハルト、こんな時間に。」
 もう日が暮れていた。早咲きの花木がちらほらと花をつけ始めている庭にハルトは立っ ていた。
 「寒いでしょ、家に入ればいいのに。」
 「君だけに会いたかったんだ。」ハルトはそう言った。
 メイはいぶかしげにハルトの顔を見た。
 「私だけにって何の用なの。」
 相変わらずのメイ。成人したというもののまだ子供っぽくて生意気で。ハルトはほほえ んだ。
 「会いたいだけじゃいけない?。」
 「何か変よ、ハルト。」メイは口を尖らせた。
 この娘は自分が生涯でいちばん美しい時期を迎えつつあるのにまだ気付いていない。
 その黄色い頭に光る髪飾りを母のものと同じものにしたらよく似合うだろう、ふとハル トは思った。
 「ねえ、どうしたの。」そういうメイをハルトは胸に引き寄せた。
 突然抱き締められてメイは驚いた。今までそんなことをするとは思わなかったハルトが
 「メイ。」ハルトの顔が近付いてきた。
 その時初めてメイはハルトが男性であること、しかも美貌の青年であることに気付いた。
 メイはどうしていいかわからず、思わずハルトの胸を推して抗った。
 「離してよ、ハルト。」
 「ごめん。驚かせて。」ハルトはそう言って腕の力を抜いた。
 メイは身をよじって彼から離れた。心臓がつぶれそうなほど高鳴っている。ハルトが恐 かった。今までだれよりも心を許せる相手だったはずなのに。 
 ハルトはそんなメイを哀しそうに見ていた。
 ―まだ早すぎる。しかし、彼にはもう時間がない。
 「ぼくは帰る。君に会えて嬉しかった。」そう言ってハルトはメイに背を向けた。
 メイは彼が見えなくなるまで庭に立ち尽くしていた。そして、部屋にかけ戻った。
 胸が苦しかった。こんな思いは初めてだった。ベットに身を投げて目をつぶると、間近 にみたハルトの顔が浮かんだ。
 白い、整った顔立ち。長いまつげに縁取られた薄青い瞳。
 哀しそうな目。
 メイはぎょっとして起き上がった。
 ―まさか、ハルトは。
 メイも傀侯の理不尽な要求を知っていた。
 父がヨセフたちとの会談のことを話しているのを聞いていたのだ。ハルトは傀侯の申し出 に従うつもりなのではないだろうか。
 メイはいそいでコートをとると、家を飛びだした。
 「メイ、どこへ行く。」
 驚く父に「ハルトんち。」とだけ叫んで、暗い道を走った。
 案の定、ハルトは家に戻っていなかった。
 メイは不安に押しつぶされそうだった。もし、彼女が恐れているとおりなら、ハルトを 止めなければ。
 ハルトは死ぬ気なのだ。
 「会いたいだけじゃ、いけない?。」そう言ったハルトの顔を思い浮べてメイは自分が 許せなかった。気が付くべきだった。彼が何かを思い詰めていたことに。
 メイは次に騎兵隊のいる要塞に向かった。
 そこにいた白騎兵の一人を捕まえてハルトを見なかったかと聞いた。
 「ああ、さっき見回りに行くって馬に乗っていったよ。しかし、今日彼の隊の当直だっ たかな。」
 「違う、ハルトを止めて。あの人傀侯のところへ行こうとしている。」
 「まさか。むざむざ罠にかかりにいくようなばかなまねはしないよ。」
 「ハルトはそのばかなの。私にはわかるのよ!」メイは近くにつないであった白馬に駆 け寄ると、飛び乗った。
 「何をするんだ、白澤は普通の人間には乗れないんだぞ。」白騎兵は叫んだが、その時 にはメイは城門めざして馬を走らせていた。
 城門は要塞の外に出ている兵士のために小門をあけていた。警備兵達は背後から走って きた白澤にあわてて跳び退いた。
 メイの前に黒々とした闇が広がっていた。そこは通常は銀生の女性がおそらくは見るこ とのないだろう外の世界だった。
 「お願い、ハルトを追って。」メイは馬にしがみつきながらいった。白馬は夜のなかを 駆けていった。

 ハルトは敵の陣営に近付いたのを知った。
 荒野に点々と火がともり、大部隊が野営しているのがわかる。
 突然あらわれた人影が誰何した。
 「クラウスの息子、ハルト。傀侯殿のもとに案内してほしい。」ハルトは闇に向かって 答えた。

 傀侯は街道の宿場町交栄に本陣を置いていた。町でいちばん大きな屋敷を接収して宿舎 と司令部にしていた。
 「来たか。」傀侯は報せを受けて自室から窓の外を見下ろした。
 白馬にまたがった白騎兵が、護衛隊の騎兵に囲まれていた。
 自分を見ている傀侯の姿に気付いて、こちらを見上げる。緊張に青ざめてはいるが、支 配者を見る眼差しは強かった。
 「自己犠牲か。銀生とはおろかな種族だな。」傀侯はほほえんで、窓から離れると、側 近に命じた。
 「ここへ連れてこい。丁重にな。茶菓を用意しておけ。いや、軍人には酒の方がいいか な。」
 傀侯は楽しそうに言った。そして喉の奥で笑った。
 ―これで白い姿が手に入る。銀生など、また後で攻め立てればいい。白い姿は私にもっ と強い力を与えてくれるのだから。
 そう、彼はいにしえの大魔道士に近くなれるのだ。

第二部終了