双魔鏡奇譚 第三部「魔鏡 2」

    
 北へ向かうほど人家は疎らになり、街道を行く人馬も少なくなってきた。
 メイは先を行く二人の馬の後から白馬を進めていた。
 先程までいた宿場町で着ていた銀生の女性の衣服を売ってもっと旅行に適した服、つまりは涼達が着ているような上着とズボンを手に入れて身につけている。頭の銀華鋼の飾りを別にすれば、可愛い男の子といった感じだ
 「わりと根性あるぜ、あのお嬢さんは。」壮也がいった。「本当にそのハルトとかいう奴を救けだすつもりらしい。」
 「単なるむこう見ずとしか思えないね。」
 「とかなんとか言って結局ついてくるのを許したじゃないか。気に入ってるんだろ、正直に言え。」
 涼は壮也をにらんだ。「そんなんじゃない放って置けなかっただけだ。―昔の俺を見てるみたいで。何も知らずに物騒な町中に放り出された時のな。
 それにあの子の国は陥落寸前だし、無事戻れたとしても傀侯の軍勢に占領されるようなことになればひどい目に遭うかも知れないだろ。」
 「お前がそんなに優しかったとは知らなかったよ。」壮也は皮肉っぽく言った。「しかし、この旅は危険だとお前はいってたが。」
 「ああ、でもあの子は理気の力を使える。あの光を見ただろ。あれを使えれば俺が言う危険から身を守れる。どっちかというと心配なのはお前の方さ。」
 「どうせ俺は銀生じゃないよ。」壮也はふてくされてみせた。 

 銀生ではハルトが姿を消し、メイもまたその後を追っていったことが事件になっていた。
 「愚か者が、はやまりおって。」クラウスは自分が怪我のために動けないことを悔しがった。ハルトの性格を知っていれば、もっと気をつけておくべきだったと悔やまれた。
 メイの父ハラスは娘が白騎兵の乗馬を盗んでいったことに驚き、心配していた。白澤は気難しい馬で乗せる者を選ぶのだ。いくらメイが跳ね返りでも乗りこなせるとは思えなかったからだ。
 しかし、一番悔しがったのはカルマだった
 「これで傀侯を倒す力のあるものはいなくなった。」老婆は占いに使う透明な宝玉のなかを見つめながらつぶやいた。
 ハルトは傀侯の元にいる。おそらく支配者は自分に対抗する恐れのあるものは生かしては置かないだろう。
 しかし、銀生の人々にとってハルトの犠牲は無駄にはならなかった。
 傀侯が約束どおり軍隊を荒野から撤退させたのだ。銀生は陥落を免れた。 
 傀侯も交栄の本陣を引き払った。傀侯軍は獲物を目の前にしながら戦いを中止して南へと戻っていった。
 一人の捕虜を連れて。

 北の大山脈に続く山塊が近付いていた。もう人の住む土地を遠く離れてしまっていた。
 岩ばかりの風景は淋しく、空気は冷たくなっていた。
 やがて目の前に延々と続く岩壁が現われた。三人の旅人は岸壁に沿って馬を進めた。
 岸壁に深く切れ目があった。その中へ向かって細い道が続いている。両側はおおいかぶさるような岩の崖で、遥か上の方に細く青空が見えた。
 「何だかいやな所ね。」メイが辺りを見回しながらつぶやいた。
 「文句を言うならついてくるな。」涼がいった。
 「ねえ、あなたの相棒はこんなしゃべり方しかしないの。」
 壮也は肩をすくめた。「目的地に近付いてるんでこいつ緊張してるのさ。気にするなよお嬢さん。」
 道は次第に登り坂になった。岸壁の間を抜けると、急に目の前が開けた。
 正面に巨大な岩山がそびえたつ厳しい、しかし荘厳な美しさのある光景が広がっていた
 「あっちだ。」涼は父親の遺品である古地図を確かめながら言った。
 三人は岩の間をぬって進んだ。道は岩壁に突き当たって唐突に終わっていた。
 「ここがそうなのか。」壮也は辺りを見回しながら言った。
 「そのはずだ。」涼は目の前の岩壁を見上げた。ほとんど垂直に立ち上がって行く手を阻んでいる。
 「おい、ここに亀裂があるぞ、人一人やっと通れるくらいのもんだが。」壮也が岩の間を覗き込みながら言った。「奥が深そうだ。入ってみる。」
 しばらくして穴の奥から壮也が呼ぶ声がした。「やっぱりそうだ。誰かが岩を削って穴を広げた跡がある。」
 「一人で行っちゃ駄目だ。危険だぞ。」涼は壮也に向かって叫んだ。
 「ここからが本当に危険な場所だ。あんたはここに残った方がいい。」
 涼がそう言うと、メイは黄色い頭を横に降った。
 「こんな気味悪いところで一人待ってるなんていやよ。それに私ちょっとだけだけど治癒能力があるの。つれてくと便利よ。」
 涼はちょっと驚いた。治癒能力はかなり強い理気の力を必要とする。
 「好きにするさ。」彼は言った。
 持っていたランタンに火を付けると、涼を先頭に亀裂のなかへ入っていった。なかは狭く、足場も悪かったが、しばらく行くと確かに人の手が入って通路が広げられていた。
 通路はかなり急な下り坂になっていた。岩山の地下に出来た自然の洞窟なのだろう。
 やがて急に広い空間に出た。ランタンの光に正面にある大きな扉が見えた。
 涼は扉に近付いて表面に施された彫刻を調べた。
 「やっぱりこれは古代の遺蹟だ。この文様は親父の本で見たことがある。」彼は浮き彫りにされた古代文字を見つけて読んだ。
 「心弱き者はただちに立ち去るべし。汝にとっては恐ろしきものなり。心悪しき者もただちに立ち去るべし。汝にとっては用無きものなり。」
 「あなた、盗賊だって言ってたけど、古代語が読めるの。」メイが驚いていった。
 「物心ついたときから親父にたたき込まれてるよ。親父はこいつの専門家だったんだ。」涼は扉を押してみた。「当たり前だが、鍵が掛かっているようだ。」
 「よし、まかせときな。鍵を開けるのは俺の専門だ。」壮也は涼を押し退けて扉を調べた。
 「おい、こりゃだめだ。鍵穴もなにもないぞ。」
 「何か別の鍵を使うんだ。」涼は扉に手の形が彫られているのに気がついて、自分の手を押し当ててみた。
 とたんに理気の力が手のひらから吸い取られていくような気がした。そして頭のなかになぜか過去の記憶がどっとあふれだした。
 荘園で過ごした少年時代。父、紫義。穴蔵に閉じこめられた恐怖。幅老。無名市の路上での終わりの無い闘い。そして照葉。彼女の無残な死。
 はっと気が付いたとき、涼は扉を押し開けていた。
 「この野郎、俺を試しやがったな。」涼はつぶやいた。
 「何がどうしたか知らないが、扉が開いちまった。なんだかあっけないな。」壮也は半分不満そうにいった。
 三人は用心しながら中に入った。扉のなかは天井の高い廊下になっていて、奇妙な淡い光が満ちていた。
 廊下の壁自体が、ぼうっと光っている。
 「気味悪いわね。ここ。」メイは涼にすり寄った。
 「おい、涼。」壮也が言って首からぶら下げていた石を見せた。樹命晶が赤い光を放っている。
 「木霊の石は力ある石なんだ。古代の力に共鳴して光っているんだろう。」
 壮也は石を握り締めた。「…照葉。」
 廊下は大きな部屋につながっていた。そこも淡い光に満ちていた。しかし、がらんとして別に何もないように見える。
 「別にややこしい罠もないぞ。何が危険なんだ。」壮也は拍子抜けしたようにいった。
 メイは向こう側の壁に彫られている浮き彫りが気になって近づいていった。
 古代人らしい人物が彫られている。ゆったりとした衣装を着た男で、片手に額縁のようなものを持っている。その顔に浮かぶのは、深い悲哀だった。
 「どうしてこの人こんなに悲しそうなのかしら。」メイはその横に彫られている古代文字を見た。初歩の古代語は学校で教わったはずだったが、メイには全然読めない。
 「何かの呪文だ。俺にも意味がわからん。」いつのまにか横に来ていた涼がいった。
 「こいつはどうやら魔道士だ。手に持っているのが…。」
 その時、壮也が声を上げた。「おっと、もう少しで転ぶところだったぜ。何だ、この箱は。」彼は自分がつまずいた平たい金属の箱を蹴飛ばした。
 「壮也、それに触るな!。」涼は叫んでそちらに駆け寄った。
 塵だらけの地面に置かれたそれは一見何でもない箱に見えた、しかし涼がそっと表面の埃を払うと、蓋一面に彫られた文様と古代文字が見えた。そしてやはり古代の文様が彫られた金属のベルトでしっかりと封をされている。
 「何だ、これがお宝かい。汚い箱だが。」
 「ああ、これが傀侯を倒すことの出来る唯一の武器さ。ここに書かれている。
 ”陽魔映鏡。強き心を持つ者のみに我は従う。”」
 「鏡なのか。もしかしてそいつは―。」
 涼はうなずいた。「魔鏡だ。傀侯のものとまったく同じな。魔映鏡は最初から二つあったんだ。陰と陽と。傀侯の持っているのが陰魔映鏡だ。この二つはお互い相手の力を打ち消し合う。
 しかし、こいつを使うには、まずこいつを支配しなきゃならない。」
 そのために紫義は涼を買って育て理気の力を強める訓練をさせたのだ。魔鏡を支配するには強大な理気の力を必要とする。力が足りなければ、鏡に食われるだけだ。
 「壮也、さがっててくれ。メイ、俺が封印を解いたら理気を集中して身を守れ。こいつがどれだけの力を持つのか、俺にはわからない。」 
 「おい、大丈夫なのか。」壮也は心配そうにいった。
 涼はにっと笑った。「俺はこのために育てられたんだ、やってやるさ。しかし、もし俺が失敗したらすぐにここを出て扉を閉めてくれ。何が起こるかわからんからな。」
 涼は大きな息を一つつくと、片手を封印の上に乗せた。理気をその手にこめると、ぱしっと乾いた音がしてベルトが外れた。
 とたんに蓋が開いて中から白い光があふれだし、涼は弾き飛ばされて尻餅をついた。
 「くそ、なんて力だ。」彼は理気を集中した体が白い光を帯びる。そして床のうえの箱に近づいたが、また弾き飛ばされて倒れた。
 「涼!。」壮也は涼に駆け寄ろうとした。
 「来るな、喰われるぞ。」
 その時、メイが悲鳴をあげた。箱の中から鏡がひとりでに浮き上がってきたのだ。
 「化物め、俺を喰う気だな。」涼は体を起こすと、鏡に向かった。鏡は鏡面をゆっくりと涼に向けた。
 鏡から白い光が放たれる。涼は理気でそれを受けとめた。そしてじりじりと鏡に近づいた。
 両腕を伸ばし、鏡の縁をつかむ。電流のような衝撃が体を貫いたが、涼は堪えた。
 白い髪が逆立った。彼の体の回りで、理気の力と鏡の力がぶつかりあい、渦をまいた。
 壮也はたまりかねて涼に近づいたが。白い光に飛ばされて床に叩きつけられた。
 メイは急いで倒れた壮也に駆け寄った。
 「大丈夫?。」
 「俺はいい、それより涼が。」額から血を流しながら壮也はいった。
 涼のいる空間に光が閃き、目に見えない力がぶつかりあった。
 メイはなんとかして涼を援けたかったが、どうにもならないことを本能的に知った。これは鏡とその封印を解いたものとの一騎打ちなのだ。
 メイは言われたように理気を集中してこちらへ飛んでくる力から自分と傷ついた壮也を守っているだけで精一杯だった。
 涼は鏡の縁を掴んではいたが、圧倒的な力に次第に意識が朦朧として来た。
 ―駄目だ、父さん。こいつは化物だ。
 彼は紫義を思い浮べていた。
 「額に力の印、たとえば五芒星が描かれていると想像してそこに意識を集中する。」紫義の言葉が思い出された。一瞬にして持てる理気を放出する方法だ。
 ―五芒星。涼はその形を心に描いた。
 額のうえにその印を思い浮べた。ともすれば薄れてゆく意識を必死で集中する。
 突然涼の放つ光が強まり、鏡の光を打ち消した。その時、鏡面は静まり、ぼんやりとしていたそのおもてに涼の顔を映しだした。
 「よし、いい子だ。」涼は鏡に向かってほほえむと、鏡を抱いたまま前のめりに倒れた
 「涼。」壮也は涼に駆け寄った。涼は倒れたまま目を閉じてぴくりとも動かない。
 「涼、まさか…。」壮也はあわてて涼を抱き起こした。
 「きっと理気の力を使い果したのよ。」メイは涼の様子を見ていった。「それなら心配無いわ。私、ハルトがそうなったのを見たことがあるの。しばらく寝たら元気になるわ」
 二人は鏡に触らないように注意しながら涼を部屋の隅に運んだ。
 「俺達もここで休もう。外よりは暖かい。」壮也は涼の横に座り込んだ。
 「ちょっと、あなたの怪我、何とかしなきゃ。」メイは壮也の額に手を当てた。
 「ありがとう、お嬢さん。しかし、驚いた奴だな。本当にやっちまいやがった。魔鏡って代物は初めてだが、恐ろしいもんだな。ああやって転がってるとただの骨董品だが。」
 魔鏡はさっきの所に置かれたままだったが今は光を放つこともなく、鏡面はぼんやりとして何も映しだしていない。
 「これで俺達は傀侯と戦えるわけだ。あんたの大事な人も救いだせるかもな。うまくいけば、だが。」
 メイはうなずいた。「でも、何だか恐い。何かしてはいけないことをしているような気がするの。」
 「俺もだ。こいつもここへ来てから怯えている。」壮也は赤い光を放つ宝石を見た。
  「照葉は白い人のことを恐がっていた。ここは木霊を呪った奴らの遺蹟だからな。」  メイは向こうの壁の魔道士の姿をみやった
 銀生の伝説にもうたわれている、魔鏡支配者。強大な力を持っていたはずなのになぜあんなに悲しそうなのか。そしてこのような見事な遺蹟を作り出したいにしえの白い人はなぜ滅び去ってしまったのだろう。
 涼はただ、眠っていた。眠っていると本当にハルトと変わらない、まだ少年らしさの抜けきれていない顔立ちだった。メイは彼の頭にそっと触れてみた。
 最後にあった夜のハルトを思い出した。いきなり引き寄せられ、キスされそうになって彼から逃げたのだ。ハルトはそれが最初で最後のつもりだったのに。
 メイは自分が許せなかった。彼の気持ちに気付かず、自分のことばかり考えていた我侭で愚かな自分が。
 涼が身じろぎをしたので、メイはあわてて手を引っ込めた。
 「―父さん。」眠りながら涼はつぶやいた
 壮也はじっと手のなかの樹命晶の輝きを見つめている。
 育ての親を殺された涼と妻を殺された壮也と、そして大事な人を奪われたメイの本当の戦いはこれからなのだった。