双魔鏡奇譚 第三部「魔鏡 5」

    
 建物の戸口に立つ警備兵は上官が見ていない時は同僚と下らない話をして退屈な仕事のうさを晴らしていた。
 「おい、あいつを見ろよ。」一人がちょうどこちらへやって来た掃除夫を指差していった。「薄汚いかっこしてやがるぜ。」
 「男なんて見たってしょうがないよ。しかし、退屈だな。この中にいる銀生の野郎が別嬪のお姫さまか何かだったら、見張りのしがいもあるんだがな。」
 兵士は同僚の愚痴に笑った。「そりゃそうだ。女っ気が無いのはつまらんな。
 ―おいお前。」彼らの前で、ほうきをせかせかと動かしている掃除夫に兵士は言った。
 「埃が飛ぶじゃないか。ここはいいからあっちへ行け。」
 そう言われて、あわてて掃除夫はほうきを引きずって向こうへ行った。
 頭から被っていた薄汚れた布を取ると、壮也はその建物を見上げた。「出入口は一つ、か。」小さくつぶやくと、そこを離れた。
 
 洗濯物の篭を持った女達が、にぎやかにしゃべりながら洗濯場へと歩いていく。宮殿の 下働きの女達だ。
 警備兵が退屈しのぎに女達を値踏みするように見ていた。いずれもきつい仕事にたくま しくなった女房たちばかりだ。
 その中に一人、すらりとした肢体の女を認めて、警備兵は声をかけた。
 「おい、そこの。」
 女はびくっとして立ち止まった。
 「こっちへ来いよ。顔を見せてみな。」
 女はおずおずと近づいてきて被り物を少しずらした。白い顔が現われた。
 「お前、きれいじゃないか。洗濯女のわりに。」警備兵はにやりと笑うと、女の顎に手をやった。「おれが口をきいてやろうか。もっと楽な仕事に就けるように。俺に親切にしてくれたら、だが。」
 その時、彼の背後で「すみません、俺の女房が何か。」という声がしたので、警備兵はあわてて振り返った。
 掃除夫が薄笑いを浮かべて立っていた。
 「ちぇ、所帯持ちかよ。仕方ないな。」警備兵は女を離した。
 掃除夫はぺこぺこしながら女を連れて向こうへ行った。
 「くっそー。あの野郎。」女は警備兵に触られたところを撫でながらうなった。
 「怒るな、涼。切れるなよ。」壮也がささやいた。
 「俺をナンパしやがった。あいつの顔しっかり覚えたからな。今度会ったらぶちのめしてやる。」
「今、女に化けてるんだから、我慢しろ。メイにやらせるわけにいかないって言ったのはお前だからな。」壮也はそう言いながら笑った。
 「しかし、お前、そのかっこ妙に似合うな。」
 涼は壮也をにらんだ。「殺すぞ。」
 洗濯場に着くと、涼は女達に交じって洗濯するふりをしながら辺りを見回した。そこは 宮殿の敷地のなかでも端の方で、かなり古い施設が使われている。
 洗濯に使われている水は石造りの浅い井戸から地下水が湧き出ているが、その石組は涼 の見たところほとんど古代の物だった。
 涼は隙を見てその辺を歩き回ると、敷石のうえに薄れかけた文様が彫られているのを見 付けた。
 「ここだ。」涼は壮也に合図して、ささやいた。
 その時、洗濯していた女房の一人がこっちに向かって怒鳴った。
 「あんた、さぼってんじゃないよ。旦那といちゃつきたかったら家でしな。」
 女達はどっと笑った。涼は肩をすくめると洗濯に戻った。
 「生活のためだ、頑張ってくれ。」壮也は涼に言った。
 
 「あそこに忍びこむのは無理だな。四六時中見張りがいる。内部にも何人かいるらしい
 たった一人の為にたいした警備だぜ。」幅老の店でいつもの服装に戻った壮也がいった。
 「捕虜が逃げだすことより、自殺されるのが恐いのさ、傀侯は。現に前の時は奴に姿を奪われると知った華邦の男は二度自殺を図っている。」
 幅老の言葉にメイは息をのんだ。「―ハルトもそうするかしら。」
 「わからんな。だが、傀侯はそいつに魔鏡のことを知られないように注意しているだろう。」
 「とにかく、地下に通じる入口は見付けたぜ。本当に神殿に通じているのかはわからないが。」涼は自分の隠れ家から持ってきた古文書を見ながら言った。「本当に傀侯のやつ遺蹟の真上に宮殿をおっ建てやがったんだな。」
 古代の統一国家の首都であった無名市は大地界の中心に位置していた。支配種族だった、白い人達のすべての力の源である理気の力のうち、大地界自体の持つ理気の中心でもあった。
 広大な統一国家を統治した魔道士たちはここに壮大で美しい首都を創りあげたのだ。
 かって別の名で呼ばれていた古代都市は石づくりの見事な建物が建ち並び、人々の活気にあふれていたという。
 そのすべての中心に大神殿があり、力ある魔道士たちがそこから施政を行なっていた。
 神殿は巨大で複雑な建物であったらしい。白い人達が滅亡し、統一国家が崩壊して神殿 が廃墟となったのちもここに人々は集まり、大地界最大の都市であり続けた。
 傀侯は権力を握るとまず神殿の廃墟を取り壊して自分の宮殿を建てたのだ。そこが大地界の理気の集まる場所と知っていたからだろう。
 しかし、遺蹟の地下の部分はなお宮殿の下に残っているのだ。
 「傀侯の鏡は理気の中心点である宮殿の真ん中に置かれているに違いない。ここだろうな。」涼は幅老が手蔓を使って手に入れた宮殿の図面と古文書の神殿の図面を見比べながら言った。
 涼が指差した宮殿の場所はかっての神殿で最も神聖な場所とされていた所と一致していた。
 「そこまで地下の廃墟を通って行くってかぞっとしないな。」壮也はぼやいた。 
 涼は横目で相棒をにらんだ。「んじゃ、警備兵と護衛隊がうじゃうじゃしている宮殿を抜けていくんだな。鏡に近づく前にあの世に行ってるほうに賭けるぜ。」
 幅老は腕を組んでため息をついた。「どっちにしろ危険なことは確かだ。たとえ無事に傀侯の鏡を見付けられたとしても、あいつはそれを千年も使い続けている。ついこの間鏡を手に入れたばかりのお前に対抗できるとは思えん。」
 「やってみなきゃわからないだろ。」涼は白い髪に手をつっこんだ。「親父は俺が傀侯と戦うことを望んでたんだ。」
 涼の心の奥にちくりと痛むものがあった。
 紫義の最後の言葉は「許してくれ。」だった。紫義は傀侯を倒す手段として涼を買い、魔鏡支配者とするべく育てあげたことに罪の意識を抱き続けていたのだ。
 涼は紫義を父として慕っていたのに。
 今、涼は自分の意志で巨大な敵と戦おうとしている。

 涼の隠れ家のごちゃごちゃと本や雑多な物が置かれた棚に金属の箱が置かれていた。
 涼は蓋を開けて中で鈍い光を放つ魔映鏡を見た。魔鏡は無名市に持ってきてから光が強くなっている。大地界の理気の中心に近くなったのと、逢魔月の時が近づいているせいだろう。
 魔鏡のなかに映る自分の姿を見ていると、自分の中の理気の力が高まり、気分が高揚していくのがわかる。鏡を通して力が集まってくるようだ。
この力を使ってみたいという欲求が起こる。きっと傀侯もそう思ったに違いない。そして大地界の征服にのりだしたのだろう。
 「あの、涼。」後で声がしたので、涼はあわてて箱を閉めた。
 「またそれを見てたの。」メイが食物の入 った篭を持って立っていた。
 「ああ、こいつに慣れとかないと。もう時間が無いからな。」
 「これ、幅老さんからの差し入れ。お茶、入れるわ。」メイは暖房兼用の暖炉にやかんを掛けた。
 「私、一緒にいくから。ここまで来て待っているだけなんてできない。」メイは火を見つめながら言った。
 「馬鹿な、何が起こるかわからないんだぞ。」涼は驚いてメイを見た。
 「私も銀生の一人よ。男だったら白騎兵になってたわ。それに私、ハルトを救けるんだって自分に誓ったの。何があってもね。」
 「―あんた、そんなにそいつが好きなのか。
 壮也の奴もあんたと同じような事言ってたな。嫁さんのこと言ってたとき。」
 涼は照葉を思い出した。ほっそりとした姿と緑色の瞳を。
 「あなたは誰かを好きになったことはないの。」
 涼は寂しげにほほえんだ。「あるけどね。もう死んじまった。」
 「あ、ごめんなさい。」メイはあわてたようにいった。
 「いいさ、どうせ完全な片思いだったもの。
 それより、また銀生のこと聞かせてくれよ俺の本等の名はクルトなんだよな。」
 「ええ、クラウスの息子クルト、になるわね。」
 涼は頭を掻いた。「白騎兵の隊長が俺の親父だなんて世の中わからんもんだな。白騎兵って言えば俺と同類の盗賊にとっては天敵だもんな。」
 涼はメイから彼が生まれたという銀生の谷の事を聞いていた。四方を山々に囲まれた北国のことを。
 メイはなつかしさに色々と話しているうちに涼が哀しげな眼差しをしているのに気付いた。最後に見たときのハルトのような。
 「―あなた、銀生に戻ることはないって思ってるのね。」メイはうつむきながら言った。
 「死ぬつもりね。傀侯と闘って。」
 「たぶんな。」
 メイは涼の横顔を見た。白い整った顔立ち、薄青い瞳はハルトと同じだが、どこか怜悧なものがある。それが涼の生きてきた厳しい道程のせいだと思うと、胸が痛んだ。
 「涼。」メイは思わず、彼に取りすがっていた。
 「なんだよ、兄貴の代用なんていやだぜ。」そう言いながら涼はメイを抱いた。
 「おい、湯が噴きこぼれてるぞ。」部屋に入ってきた壮也は目を丸くしてそこにつっ立った。「あれま、失礼。」そうつぶやくとあわてて部屋を出た。そしてにんまりほほえんだ。
 メイの華奢な肩を抱きながら、涼はメイの気持ちが同情から来るものだとわかっていた
 ―俺の惚れるのはひとの女ばっかだな。
 彼は自嘲気味に思った。