山あいの道を疾駆する一群がある。
天蓋から蔽帳のさがる一台の車を中央に、前後を三騎ずつで取り囲んでいる。
蔽車の御者も馬上の護衛兵も、必死の形相だった。
轍跡に乗り上げ小石にすべって車輪がはねる。そのたびごとに、蔽車はいましも分解しそうに大きくかしいだ。
蔽帳の内では四人の女性が躰を寄せ合っていた。
否。乗者は六人。二人の女性は赤ん坊を胸に抱いている。赤ん坊はしきりに泣き叫んで不満を訴えていた。しかし、おとなの側に赤ん坊をなだめる余裕はなかった。柱や縁にぶつからないようにと、かかえこむのが精一杯だった。
「梁夫人!」
車輪と馬蹄のとどろきに負けじとして、護衛兵が声を張りあげる。
蔽車の一番奥の、一番小柄な女性が顔をあげた。小作りの顔はいましも泣き出しそうに瞳をうるませている。
護衛兵は帳越しの言葉をつづける。
「梁夫人! 間もなく都です。間もなく、迎えの軍兵と合流できましょう。お気をたしかに!」
保証はない。
そうあれぞかしという、護衛兵の願望である。
一行が都に近づいているのは事実だし、軍兵を動かす権力を梁夫人の丈夫が握っていることも事実だったが――。
その前に、襲撃者が追いつくかもしれない。
現在、護衛兵の一部が後方に残って襲撃者を足止めしている。が、圧倒的に味方の数がたりない。ふせぎきれない。遠からず、追いつかれる。
梁夫人は唇を引き結び、顎を下に引いた。
不安を口にして何になるだろう。
せっかくすこしでも心安らかなようにと、配慮して云ってくれているのに。
梁夫人はおのれの腰にしがみつく侍女の背を、力づけるように叩いた。空いたほうの手を乳母たちへ差し伸ばし、奥へ寄るようにと示した。実家からずっと付き従っている侍女も、我が子を抱いている乳母たちも、梁夫人にとって躰の一部のようなもの。誰ひとり失うわけにはいかなかった。
乳母が赤ん坊をたいせつに両腕でくるみなおして、にじり寄る。不安げな視線をはためく蔽帳の合わせ目へむける。濁流のように流れ去る地面のほかは何も見えない。車がはねる。腰が浮く。
均衡がくずれた。
ずるりと足をすべらせて、横倒しになった躰は声をあげる暇もなく蔽帳から飛び出した。
咄嗟に動いたのは梁夫人。転落する乳母を追って両手を伸ばし、身を乗り出した。
腰にしがみついた侍女が重しにならなければ、また、もうひとりの乳母が体当たりして梁夫人を奥へ押し戻さなければ、蔽車の乗者は確実に半減していた。
一瞬、走り抜けた禍時。
掛け替えのない躰の一部――失うまいと必死で伸ばした指の先に、すでにそのものの姿はない。
梁夫人は大きく目を見ひらいた。
止めて――車を止めて、と絶叫した。
絶叫したつもりだった。
しかし、車も馬もまったく速度を落とそうとはしなかった。逆に、乗者の減った車は加速した。数名の命を惜しんで全滅の危機をまねくわけには――梁夫人を危険にさらすわけには、いかなかったのだ。
悲鳴が山あいにひびきわたった。
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