タクシー待ち
青木洋子さん(26)は、その日、終電で帰ってきた。お盆の中日だ。帰省している友人たちが何人か集まっているから、飲みにこないかという誘いがあって、会社帰りに会ってきたのだ。
青木さんは、本当はもっと早く帰ってくるつもりだったのだが、ついつい話が弾んでしまい、こんな時間になってしまった。
当然のことながらバスは、終わっている。青木さんは、街灯に照らされた駅前のロータリーをタクシー乗り場に向かって歩いていった。タクシー乗り場で待っている客は、男が一人だけだ。これならすぐに乗れるかもしれない。
青木さんは、その中年男の後ろに立って、タクシーを待った。男は相当酔っているようで、足元がどうにもおぼつかない。大きな声で、「部長が何だってんだ」などと、ときおりわめき散らしていたかと思うと、ニヤニヤと青木さんの顔を覗き込んだりしてきた。
ところが青木さんの期待に反して、タクシーはなかなかやってこない。
考えてみればお盆の中日で、それも終電の時間だ。客がほとんど期待できないこんなときに、早々タクシーがくるとも思えない。
しかたなく、酔っ払いの男とタクシーを待っていると、青木さんの後ろに新しい客が並んだ。今度は若い男で、酔ってはいないようだが、ぶつぶつ独り言を言っている。こちらはこちらで気味が悪い。
(・・・・最悪だわ・・・・)
青木さんがため息をついていると、向こうから明かりが見える。タクシーがきたのだ。
(お願い、2台きて!)
青木さんの祈りもむなしく、やってきたのは1台だけで、ドアが開くと酔っ払いはさっさと乗り込んでしまい、タクシーはそのまま走り去っていった。
この調子では、次の車がいつくるのかも見当もつかない。青木さんは、また深いため息をついた。
次のタクシーがくるまで、独り言をぶつぶつ言いつづけている後ろのわけのわからないおかしな男と一緒にいなくてはいけないのだ。
彼女は急に心細くなり、後ろの男が何を言っているのか聞き耳を立てた。ある程度理路整然としていれば、まあ、安心だろうと思ったのだ。
「そこで。テレビのスイッチをつけて、ニュースを見ようとしてたのにな、まったく。電話がかかってくるもんだから・・・・」
どうやら、一日の生活を振り返っているようだ。
(やっぱり、おかしな人みたい・・・・)
青木さんは途方にくれたが、聞くとはなしに独り言を聞きつづけた。
「駅で缶コーヒーを買えばこぼしちゃうし、そのこぼした相手は高い服を着ていたもんだからすごい勢いで怒り出すし・・・・」
そこまで聞いた青木さんは、おや?と思った。なんだかどっかで聞いたことがあるような・・・・。
「電車を降りたら、待ち合わせ場所を間違えちゃって相手に迷惑をかけて」
そう、そういえば、私も間違えた。
「入ったところは、チェーン店の居酒屋か。もう少しいい店で飲みたいよねえ」
・・・・私もそう思った。
「お、そうだ、最初はビール、次は・・・・うん、梅サワーか。そうかと思えば、次は水割り。ちょっと飲みすぎかな」
青木さんは。顔から血の気が引いていくのがわかった。この男の独り言はただの独り言ではない。今日の彼女の体験と考えたことを正確に語っているのだ。まるで、日記を読むかのように表情一つ変えることなく。
青木さんが青ざめた顔で男のほうを見ると、
「で、一日の最後に妙な男と会っちゃったりして。で、その男がまるで自分のことを一日中監視していたみたいで・・・・」
知っている!この人は、私の生活の一部始終を知っている。
(やめて、もう、やめて!)
青木さんが、今日日のあまり叫びだしそうになったとき、運良くタクシーが滑り込んできて、ドアを開けた。
(た、助かった)
窓のほうを見ると、さっきまでいたはずの男の姿はもう見えない。ほっとした青木さんはシートのぐったり身をゆだね、誰もいない場所で味わった恐怖から逃れられたことに安心した。ああ、これでやっと帰れる・・・・。
ふと我に返った青木さんは、運転手に行き先を告げていないことに気がついた。それでも進むべき方向は間違っていない。
(よかった)
今は一刻でも早く家に帰りたい。
「運転手さん、すみません。あのね・・・・」
青木さんの言葉をさえぎるかのように、運転手が言った。
「加藤ハイツでしょ、わかってますよ」
「えっ・・・・」
どうしてという、青木さんの質問は言葉にならず絶叫にかわった。
ゆっくりとこちらに振り向いて、外の明かりに照らされたその運転手の顔は、さっきまで青木さんの後ろに立っていた男の顔だったのだ・・・・。