石膏デッサンは高校生の時から始めました。最初は鉛筆によるスケッチブックへの鉛筆
デッサンでしたが、しばらくして簡単な鉛筆デッサンと平行して木炭デッサンもするよう
になりました。
線描による鉛筆
デッサンは立体的な物を二次元の平面に表現する簡単な方法です。鉛筆デッサンは平面
的な漫画・イラストなどとは違って、立体的に見えるように平面に表現するわけで、同じ
ように絵を描いていても、漫画・イラストとは手法も目的とするものも違います。
鉛筆デッサンには漫画・イラストにない楽しみ、立体的な三次元空間を二次元平面に写す
という技術的な楽しみがあります。しかし漫画・イラストなどが技術的ではないと
は思いません。
最初に石膏デッサンをした彫像は何だったのか・・・。
アグリッパ
かボルゲーゼの闘士だ
ったような気がします。最初の一枚は自分で思った以上に上手く描けました。しかし自分で納
得できるのは最初のうちだけで、自分の実力より先に作品を見る目が肥えてきます。こ
のような事は油彩画でもよくあることで、特に仲間がいたりグループに属していると、腕
より目の方が先に発達してしまいます。
研究会のようなグループに属して絵を描くのは、ある
時期までは悪い事ではないと思いますが、自分の絵というものを自覚した時、絵を描くという
創作活動は孤独であるということを認識しなければならないと思います。(ちょっと陰気です(^^;)
なぜ石膏デッサンが必要かということ、石膏デッサンには目的がそれぞれあると思います。
しかし石膏デッサンそのものが楽しいという人も中にはいるはずで、私もそれに近い一人
ですが、油彩画での表現力をもっとつけたいという漠然とした目的は持っています。
デッサンの目的が入試のためという人も多いはずで、それはそれで仕方が無いことだと
思います。しかし大学へ入った後も卒業後もデッサンはするだろうし、デッサンが身近にある
ような絵を描いていただきたいと思います。
石膏デッサンの目的はというと、やはり本来の作品を制作するための訓練ということに
なります。ある物を見て感動しても、それを描くという段階になると自分が思ったように手が
動かない。目で見て感じたものを手に伝えて表現できないということは、絵を描いた経験
がない人がどう描いていいか分からないと困惑している状態とほと
んど同じです。
このように見たものをそのままストレートに描くということはそれほど簡単にはできな
い。物を見る目とそれを表現する手が全体として一緒に働かなければ、見たものから感じ
た感動などとても表現できるものではありません。そのための訓練としての石膏デッサンが有効
といえます。
石膏デッサンでは造形的に表現するというとがよく言われます。石膏デッサンで言われる
「造形」という言葉は、彫塑彫刻などを形造るという意味とは少し違います。
石膏デッサンのモチーフになる石膏像は、もちろん十分に造形的ですが、その三次元
空間において造形的なものをデッサンによって二次元空間の平面にどう表現するかが重要です。
形が心象に物の動きの印象付けることを美術用語で「ムーブマン」といいます。ムーブマン
は、また「動勢」「作者の感動の表現」「画面上の活気」という意味も持ちます。
人はある物ある風景を見て、何かしら感動するものがあって表現意欲が刺激され絵を描
く。その感じるものを絵にすると、その感動が画面にムーブマンとなって表れます。
石膏像は造形的な美しさを持っていて、デッサンするにはコピーである石膏像より本物の大理
石やブロンズで出来た彫像をモチーフとすべきですが、それは無理なことで、我々はだいたい
白い石膏像をモチーフとします。
石膏像は本物とは材質が違うし、本物の一部分だけを切り取った像も多い。しかし、そ
れでも石膏像は造形美を十分持っており、白い材質の石膏に置き換えられることによって、
彫像が持つ造形美は空間において、より簡潔に把握できるようになっています。
デッサンをしようと石膏像の前に座ったとき(あるいは立ったとき)、そこに石膏像が
支配する造形的空間を感じ取って欲しい。その美しさに感動して白い木炭紙に木炭を置い
ていく姿が石膏デッサンの理想のあり方で、そこには石膏デッサンの目的・意義など度外
視した造形的な表現を石膏デッサンに探る探究者(芸術家?)の姿しかありません。
石膏デッサンをただ技術的にだけ習得しても正確な形で立体感があるデッサンを描くこ
とができます。しかし、それは視覚的に目に映った物を画面に再現しただけのもので、曖昧
な情感や構成の面白さだけを追求している場合が多い。本来の石膏デッサンは石膏の持つ
造形美に根ざしたものでなくてはならないし、そうでなければ、石膏デッサンは面白みの
ないただの手作業になってしまいます。
絵が「描く」ということより「見る」という要素を多く含んでいるといわれるのは、デ
ッサンがただ石膏像を写し取るだけではなく、造形的な興味を持ってより石膏像を観察し
理解されるということです。対象をただ単に見るだけではなく観察し理解し、石膏像
をより身近なものとしている方が対象を表現する上で有利なのは当たりまえです。
しかし、いくら観察したところで、対象に対する理解度はそれほど高いものにはならな
い。幾ら頑張ったところで対象への理解は曖昧な部分があります。その曖昧なところをどう受
け止めてどう解釈し表現するかが重要となってきます。その曖昧な部分を「壁」と感じてい
てはだめで、もっと積極的にその曖昧な部分を描ききることを考えましょう。
石膏デッサンをする上で色々な問題があるはずで、それぞれの課題に対して問題意識を
もって、一つ一つ解決しなければ、石膏デッサンを続けていくのは難しくなります。
石膏デッサンの製作過程では造形的表現の方法・ルールなどの習得が基本的なことで、
「造形の文法」といったような造形の仕組みさえおさえていれば、どのように描いてもか
まいません。デッサンには多様な表現がありますが、造形的に秩序と統一が獲得されていれば、
そのデッサンは基礎的にしっかりしているといえます。
このように石膏デッサンでは、石膏像の造形性を通して造形表現のルールを学ぶことが
重要です。
石膏デッサンを続けていると、色々困難なことや試行錯誤に出くわすと思います。しかし自
分自身との孤独な闘いこそデッサンであり、それはけっして無駄な事ではない筈です。
