著 書
絵画史料に現れる肉体の諸相を、男女間関係史、社会的従属者の人身的・肉体的従属の歴史などの観点から論じた。@主人と従者A愛のかたちB塗篭と女の領域の3部編成。8本の論文からなる(ただし内二本は後掲の論文の再録)。絵画史料論としては早い時期に属する仕事。社会史の仕事としては、生活史・女性史・住居史・身分論などの諸問題に触れながらも、領主的従属の関係を肉付けすることにこだわったことが独自な点である。
平安時代の政治史を王権論をキーとして通史的に叙述したもの。
歴史学研究会1978年度大会報告。9世紀末の寛平の国制改革が律令畿内制を改編して、一方では中世首都圏を創出し、他方ではそこから排除された地方留住貴族身分を生み出したこと、そして首都と地方、中央貴族と地方領主の交通関係は平安時代を通じて展開し、院政期庄園の体系の中に発展した姿を確認できることなどを論じた。
2「律令制支配と都鄙交通」、単著、1979年5月、『歴史学研究』468号、1ー16
律令制的な交通様式と、その分裂の過程を8・9・10世紀を通して跡づけようとした論文。律令制貢納交通が大量の交通賦役と公共事業によって支えられる構造、それが都鄙間の社会的分業を促進し、結果として様々な非律令制的な交通形態の発達を導いた過程、9世紀において律令制的な交通・情報形態が統御不能に陥ったことが、集権的支配形態の破産の上でもった意味などについて論じた。
3「中世前期の漁業と庄園制」、単著、1981年8月、『歴史評論』376号、15ーー43
テリトリー的・季節的な水面領有の範疇を提出し、それを基軸として庄園制的な河海領有と寄人漁民支配の実態を解明した論文。9世紀における贄貢納体制と御厨の展開の下での海村の変容を確認した上で、地付水面の領有関係と「魚付要所」を自由に占地する寄人の特権を示す史料を収集・分析した。なお、その観点から、通説的位置にあった網野善彦の海原領有論の抽象性を批判した。
4「庄園制的身分配置と社会史研究の課題」、単著、1981年12月、『歴史評論』380号、14ー30
歴史科学協議会第十五回大会報告。庄園制下の贈与・給養の関係、および客人歓待の風習を解明した論文。有名な『今昔物語』の芋粥の説話の物語構造の中に庄園制的な贈与と宴会のシステムが都鄙に広がる構造を読み取り、また客人歓待の中で結ばれる婚姻関係が庄園制的地方支配において不可欠のものであったことなどを論じた。庄園制支配と在地領主支配が一貫した体系として関係しつつ形成される過程を問題にした。
5「海からみた川・山からみた川」、単著、1984年5月、『月刊百科』平凡社、22ー26
中世の河川の歴史的あり方についての論文。『一遍聖絵』に描かれた海岸丘陵の中腹に穿たれた長大な井堰の画像とそれに対応する文献史料を分析し、さらに水源地としての山の領有と河川水面の支配の関係を論じ、最後に山と海をつなぐ河川交通のあり方について、筏流しを主な素材として論じた。中途になっているが、さらに手を加える予定
6「中世民衆経済の展開」、単著、1984年12月、歴史学研究会・日本史研究会編『講座日本歴史B中世T』、東京大学出版会、167ー206
中世前期の民衆経済史の概説。民富の形態としての有徳人、村落的土地領有のテリトリー的形態、地域開発過程における村落の形成・分出と移住の人口論的説明、寄人神人の庄園制的地域開発における農業と非農業の複合構造、寄人神人の特権の本宅敷地的形態、市町の理解に関する「通説」批判、市町の主な商品品目や代銭納制の成立過程などに関する指摘と提言を含んでいる。
7「『彦火々出見尊絵巻』と御厨的世界」、単著、1986年3月、田名網宏編『古代国家の支配と構造』、東京堂出版、360ー394
海幸・山幸の神話を物語る『彦火々出見尊絵巻』を中世史の立場から分析した論文。漁具・亀甲がちらばり、贄の上に脅し矢が置かれた庖丁の場面の中に、吉野御厨の世界を読み取り、兄弟の臣従関係がそこにおける領主的儀礼によって説明されていること、また絵巻における中国風の服装描写がもっている意味などについて論じた。
8「『袋持』と『大袋』」、単著、1986年5月、『月刊百科』283号、平凡社、18ー26(のち著書@に収録)
論文。主人への奉仕のための宿直袋、下人のかつぐ旅行用のリュック、そして盗人のかつぐ袋など、中世の絵画史料に現れる運搬手段としての「袋」を追及し、文献史料にもよってそれが古代以来、賎視の象徴であったことを明らかにした。さらに、この袋が人間を拘禁して運搬する手段になる場合があり、謎の犯罪といわれていた「大袋」は人さらいを意味すると論定した。
9「宿と市町の景観」、単著、1986年6月、『自然と文化』13号、日本ナショナルトラスト。22ー31
中世前期の市町・街村の景観を絵画史料によって明らかにした論文。中世の市町・宿は町屋と町屋の間に畠が存在する疎塊村というべき景観を有していたこと、そこには住人の結合の紐帯となった辻堂などの宗教施設が存在したこと、市庭はそのような町の外れに立つことが一般であることなどを指摘した。
10「秘面の女・露面の女」、単著、1987年5月、『化粧文化』、ポーラ文化研究所、38ー49(のち『顕すボディ/隠すボディ』ポーラ文化研究所、一九九三年二月に再録) 中世女性の「顔隠し」の文化についての論文。@「女捕」に関する史料の追加、A絵画史料における被衣の確認と文献史料の照合、Bそれに対して被衣を着ず「髪着込む」下女身分の身分標識、Cこのような女性の身分関係の暗喩としての「鉢かつぎ」民話の意味などを指摘した。女性身分論として提起した点に特徴がある。
11「旅する商人と護衛の下人」、単著、1987年9月、『歴史と地理』385号、34ー38
絵巻に現れる中世の商人の姿を論定した論文。なお商人団を護衛する藁帽子をかぶった下人の姿についても明らかにした。これらの姿が絵巻に普遍的に登場することは、商人の姿が鎌倉時代から中世の街道筋において一般的なものであったことを示すとした。
12「酒と徳政。単著、1987年10月、『月刊百科』300号、平凡社、7ー16
酒を素材に中世の禁欲主義について論じた論文。幕府の沽酒・市酒禁制の新制を、北条氏の勤倹節約の美談の背景に存在した教化主義的な徳政のイデオロギーの一環として解明した。さらに、殺生禁断と禁酒を同価値のものとして宣伝した律宗の禁欲主義運動、北条氏と酒屋統制と室町幕府の酒屋への有徳役賦課などについてふれた。
13「中世における山野河海の領有と支配」、単著、1987年11月、『日本の社会史A境界領域と交通』、岩波書店、138ー171
中世における山野河海の領有を国家の領土高権と村落共同体の両側面から論じた論文。領土高権は王土思想や山林修験などの宗教イデオロギーの濃厚な影響の下で、庄園整理令、殺生禁断令、市庭平和令、山賊海賊追捕令などの法令として貫徹したこと、そしてそれを在地の側で受容した主体は古老による山野河海の管理システムであり、地頭がその機能の吸収の上に発展したことも解明した。
14「古代末期の東国と留住貴族」、単著、1988年2月、中世東国史研究会編『中世東国史の研究』、東京大学出版会、3ー22
論文。9世紀東国における交通手段の争奪の実態を明らかにし、その背景として勅旨田などの王族領東国初期庄園の活発な開発が存在したこと、その中からの留住貴族の形成が承和の変などの政治史的条件の中で、中世東国史の直接の起点となったことなどを論じた。
15「町場の墓所の宗教と文化」、単著、1988年8月、石井進・網野善彦編『中世の都市と墳墓』、日本エディタースクール出版部、149ー174
静岡県磐田市の一の谷中世墳墓群の宗教的・文化的背景を論じた論文。遠江国守護の大仏氏、阿仏尼以下の冷泉家の人々、冷泉為相の著名な弟子で遠江国在庁官人勝間田氏の一族の勝間田長清、そして彼らを結び付ける位置にいた時宗第二祖他阿上人が相互に取り結んでいた関係などを明らかにした。
16「腰袋と桃太郎」、単著、1989年■月、『月刊百科』318号、平凡社、■■■■■■
論文。中世の男が身につけた腰袋の画像を分析し、その主要な内容物が火付け道具と銭であったことを確定し、それらの携行が成人男子の象徴であったこと、そして腰袋の画像の現れ方からしてすでに鎌倉時代から小銭遣い経済が在地社会でも一般化していたことを述べた。また、その観点から桃太郎説話の含意するものについて触れた。
17「呪詛の立願・訴訟の立願」、単著、1989年11月、『週刊朝日百科、日本の歴史別冊、歴史の読み方I、史実と架空の世界』朝日新聞社、27ー33
願文の古文書学的研究。神に捧げる文書(起請文・祭文など)の中で、中世人の個人的妄執や呪詛・自己呪詛の感情が文面に現れやすい願文の特殊性を明らかにし、それが訴訟の背景にしばしば存在した可能性にふれた。また女性の願文から看取できる女性の立願の特殊性や鎌倉時代の庄園村落の願文について論じた。
18「町の中世的展開と支配」、単著、1990年2月、『日本都市史入門 U町』、東京大学出版会、1ー19
南北朝期までの都市に何らかの意味での古代性を見る「通説」に対して、都市の基礎単位としての町の展開は平安時代以来一貫した中世的なものであり、地方社会においても鎌倉期には一般化し、領主制の第二段階の重要な要素となることなどを明らかにした。また公武の新制法が中世都市法の原型となったこと、都市的致富の観念が中世前期から後期まで一貫していることなども論じた。
19「巨柱神話と天道花」、単著、1990年7月、『へるめす』二六号、岩波書店、26ー37
柳田国男が解明した旧暦四月の天道花の風俗の背景に存在した氏神祭りの実態を中世史料の中に探り、それがヨーロッパのメイポールの風俗に対応することを論じた論文。また中世の絵画史料における天道花の竿には「箒」が結い付けられていることに注目し、それが中国的な王妃と箒の観念連合に淵源すること、また箒には荒神の呪物としての意味があったことなどを明らかにした。
20「平安時代の血と王統」、単著、1990年11月。『天皇制』別冊文芸。62ー70
平安時代の王統分裂、いわゆる迭立の問題を10世紀から12世紀まで通して論じるための研究序説。通説と相違して、『大鏡』のテーマが王統を統一する後三条院の登場の予言にあったことを明らかにした点、院政期に重要な位置をもつにいたった王の手印の意味を三種の神器の一つである神璽・勾玉が「魔王の血の凝固」であるという神話との関係で論じたことなどが新しい点である。
21「日蓮聖教紙背文書、二通」、単著、1991年11月、『中世をひろげる』吉川弘文館、209ー240
中山法華経寺所蔵の日蓮聖教紙背文書のうちの二通の文書について、これまでの釈文の錯誤を正し、内容を解釈した論文。一通目は「こてう陳状」、二通目は「寺山郷百姓橘重光重訴状」。東国における領主と農民・下人の関係、そこにおける人身売買、直営田など
について珍重すべき情報を含んでいることを明らかにした。なお「こてう陳状」は中世の下人が呪詛の返しなる呪法を行ったことを示す点でも稀有のものである。
22「日本国惣地頭・源頼朝と鎌倉初期新制」、単著、1992年3月、『国立歴史民俗博物館研究紀要』第三九集、1ー79
いわゆる文治守護地頭論争について再検討した論文。頼朝の権力が院政期、平氏政権期に形成された広域的な地方権力の発展形態を本質としたこと、文治の守護地頭「勅許」なるものが後白河の院宣によって認可されたものであったこと、頼朝の「徳政」・政治路線は鳥羽新制を主導し、娘の大姫を鳥羽に嫁し、平安時代の王統分裂を解消しようというものであったこと、その徳政は北条氏の徳政に移行していったことなどを論じた。
23「中世の東海道と交通」、単著、1993年1月、『歴史手帖』二一巻一号、名著出版、22ー25
中世初期の東海道の交通とそこに分布した領主的権力についての論文。相模国以東に分布した高望王を祖とする桓武平氏に対して、高望王の娘を母とする藤原為憲の子孫が伊豆国以西に分布して狩野・入江・二階堂などの有力武士の家系を生み出したこと、また頼朝が挙兵直後に抑えた南伊豆の要地として著名な蒲屋御厨が鉄の産地であったことなどを明らかにした。
24「中世初期の国家と庄園制」、単著、1993年3月、『日本史研究』三六七号、32ー60
日本史研究会一九九二年全体会シンポジウム報告。平安時代の国家と庄園制的土地領有体系の関連性を論じた論文。その視角は@国家法としての格式・新制法を印章と誓約(起請)の形態から論ずること、A土地所有の国家的形式を農本主義イデオロギーと勧農の形態を中心に理解すること、B鎌倉時代への土地領有体系の変動を見通すために領主身分のあり方について国内名士・刀禰から地頭への変化を指摘することなどにあった。
25「日本中世の身分と王権」、単著、1993年6月、『講座前近代の天皇』B、青木書店。43ー77
日本中世の身分体系が、外枠としての王土王民思想を前提として、礼的身分、「武」的身分、氏姓的身分の三系列からなり、その中心に天皇が存在した構造を論じた論文。貴種身分とは氏姓的身分に外ならないこと、「武」的暴力と身分イデオロギーの関係が極めて重大な位置を有していることなどを明らかにし、「通説」的位置を占めている黒田俊雄の中世身分論を批判した。
26「虎・鬼ヶ島と日本海海域史」、単著、1993年8月、戸田芳実編『中世の生活空間』有斐閣、194ー236
古代末期から中世前期における朝鮮・「渤海」・日本の関係史をシベリア虎の皮という貿易品を素材として解明し、『日本書紀』以来、中世を通じて虎退治伝説が日本の兵の勇猛さを示すものとして語り継がれてきた事実の意味を論じた論文。なお、遣唐使の停止を孤立政策の現れとする通説を批判し、それが中国と朝鮮の内乱状況を前にして侵略と干渉の道を選択することを含めたフリーハンドの確保であったと指摘した。
27「中世民衆のライフサイクル」、単著、1993年11月、『岩波講座日本通史 第七巻中世T』岩波書店、223ー251
中世民衆のライフサイクルを童・若・老に区分し、男女の性別に留意しつつ、肉体・通過儀礼・労働について概観した論文。肉体に関しては性、儀礼に関しては村落、労働に関しては年令別分業を重視して論じた。また童・若・老の編成を未開の原理とするような見解を批判し、それが中世的な侍身分の老若編成に由来することを明らかにした。
28「ものぐさ太郎から三年寝太郎へ」、単著、1993年11月、『国立歴史民俗博物館研究報告』第54集、245ー265
下人の人身売買文書における癲癇文言の理解を前提として、ものぐさ太郎の説話に関わる国文学・歴史学・民俗学の先行研究を批判し、『御伽草子』の「ものぐさ太郎」と民話の「三年寝太郎」の背景には、中世の若者の病、癲癇のイメージがあったことを明らかにした論文。
29「巨樹神話と道祖神」、単著、1993年11月、歴史学会『史潮』新33、34合併号、
歴史学会1992年度大会シンポジウム報告。8世紀の額田寺絵図を始めとする古代から中世にかけての巨樹の画像を素材として日本前近代の巨樹神話を復元するとともに、古代の集会の広場には中央でも在地でも槻木が聳えていたこと、法隆寺の玉虫厨子はその世界観を表現していた可能性が高いこと、そこに中世の道祖神信仰の歴史的起源を求めるべきことなどを論じた。
30「切物と切銭」、単著、1993年12月、『三浦古文化』第53号、15ー22
中世の貨幣形態論の序論として、未解明であった切物と切銭の語義を確定した論文。切物とは切符(支払い命令書)を根拠として徴収される物を意味し、切銭とは替銭を意味する。
31,「後白河院の生涯と性」,『朝日百科,日本の歴史別冊,歴史を読みなおすB,天武・後白河・後醍醐』,1994年1月
32,「煙出と釜殿」小泉和子ほか編『絵巻物の建築を読む』東京大学出版会、一九九六年一一月/
33,「殿上の倚子と小蔀」小泉和子ほか編『絵巻物の建築を読む』東京大学出版会、一九九六年一一月
34,「アーカイヴスの課題と中世史料論の状況」『特定研究、記録史料の情報資源化と史料管理学の体系化に関する研究、研究レポートbP』(国文学研究史料館、史料館)、一九九七年三月
書 評
1小谷汪之『歴史の方法について』、単著、1986年4月、東京歴史科学研究会『人民の歴史学』87号、31ー37
社会史の方法をめぐる小谷の議論を検討したもの。「人と人との関係が直接に人格的関係である」前近代の社会関係が近代批判にあたって「固有の価値」をもつという小谷の議論は、前近代社会における具体的な社会関係を拘束する「客体そのものの有する物的秩序」(川島武宣『所有権法の理論』)、物質的関係のあり方を無視しており、歴史におけるロマン主義の土壌になりかねないと批判した。
2「網野善彦氏の『非農業民と天皇』論について」、単著、1987年8月、『日本史研究』300号、133ー145
網野善彦の非農業民と天皇論の批判。原始の自由、非農業民と職人、天皇と国土高権などについての網野の理解に承服できない理由を記したもの。
3石井進『中世を読み解くーー古文書入門』、単著、1992年1月、『史学雑誌』一〇一編一号、99ー105
本書の主題を「微視の古文書学」の提唱ととらえ、その観点から本書の内容についての問題点にふれ、古文書学の今後の課題を論じたもの。
4書評『初期中世社会史の研究』(戸田芳実)、単著、1993年10月、『社会経済史学』59巻4号、82ー84
本書に収められた論文における戸田芳実の中世国家論、都市論、農村史・農法論を紹介したもの。特に、農村史に関しては論文によって引き起こされた論争状態の現状について概観して今後の方向を論じた。
短文と方法論ノート
1「文書を捧げ持つということ」、単著、1982年5月、『歴史科学と教育』、15ー17
中世における文書の運搬の身分的様式についてのノート。貴族の文使の姿、文書袋を首にかけて運搬する方式、文書を額に当てて誇示する方式などについてふれた。
2「中世の子供の養育と主人権」、単著、1983年4月、『鎌倉遺文月報24』東京堂出版、1ー3
中世における子供の養育に関するノート。中世の下人関係史料から、「産穢の内から」「ムツキの内から」などといわれる新生児養子の関係、「人たてる」といわれた給養と労働力養成が二重化して存在している状況などを抽出し、主人権の根拠を論ずるとともに、新生児身分といえるような生得身分の存在を明らかにした。
3「やれ打つな、蝿が手をするーー」、単著、1984年3月。『歴史地理教育』364号。82ー85(のち著書@に収録)
日本中世における拝礼における手の儀礼(合掌・手拝・叉手)を示す史料を分析し、それがヨーロッパのオマージュに対応するものであったことを論じた。なお、中世における「手」が労働一般を象徴する意味をもったことにも触れ、中世農民の「耕作権」を示す用語とされる「作手」の本来の語義が「労働する人間自身」にあったことを明かにした。
4「宇治の網代と鰻請」、1986年8月、『週刊朝日百科20、中世Uー9』朝日新聞社、262
宇治の鰻取の漁法と絵画史料に現れる宇治橋の橋脚の石を関係づけて論じたノート
5「中世の開化主義と開発」単著、1990年8月、『地方史研究』226号、地方史研究協議会、43ー51
研究ノート。日本社会における開化主義的伝統を律令制における開化主義の導入に求め、それが中世社会において「水田満作主義」ともいうべき作付け強制の諸政策に展開したこと、他方で、社会の底流には、開化主義への根強い抵抗が、あたかも土地自体が特定の人格性を有するかのような地主神の呪術的観念に根を置いて流れていたことなどを論じた。
6「中世の下人研究の方法について」、単著、1991年5月、『日本中世内乱史研究』11号、42ー45
盛本昌弘氏の論文「中世における主人・下人関係の様相」(『歴史学研究』603号)にふれて、中世下人論の方法を論じたノート。下人身分に関わるイデオロギーや意識を示す史料を、どのように扱って実態に迫るかを論じた。
7「中世の王権と美女」、単著、1991年7月、『ファジーな世界を最新仮説で確信する』UPU、272ー277
平安時代における「美女」についての研究ノート。五節の舞姫が天皇による一種の美女観覧式であること、宮廷の女房と下仕の半物の間に位置する境界的身分として美女が存在したこと、そのような美女を中核とする女房組織が平安時代に地方社会へも広がったことなどにふれた。
8「戸田芳実氏と封建制成立論争」、単著、1991年11月、京都民科歴史部会『新しい歴史学のために』204号、4ー12
戸田芳実氏の封建制成立史の理論的理解について論じたノート。集団的・共同体的所有にもとづく階級的社会構成という独自な立論をもつ「アジア的社会構成」論、前近代社会分析の基底にすえられた「自然規定性」論、先駆的な平民百姓・「自由農民」論など、戸田の理論的営為について論じた。
9「日本中世社会史研究の成果と課題」、単著、1991年12月、『歴史評論』5〇〇号。155ー171
日本中世史における社会史の研究状況と方法について論じたノート。戦後中世史学の研究動向の中で社会史研究が発生した条件、その意味と理論的問題、そして社会史研究を経済史や政治史の自己革新にとって有用な方向で発展させるための諸問題などについて論じた。
10「絵巻に見る商人と職人」、単著、1992年10月、『中世都市と商人職人』名著出版、47ー68
帝京大学山梨文化財研究所シンポジウムにおける基調講演を活字としたもの。絵画史料に描かれた中世の男の財布としての腰袋や商人・油売りの姿を素材として、「都市文化としての銭と火について論じた。なお、銭の携帯方法として「杖頭」に懸けるという仕方があったこと、平安時代初期の造幣政策の停止を貨幣交換経済の衰退に直結する通説が無根拠であることなどを指摘した。
11「中世初期の国家と庄園制」、単著、1992年10月、『日本史研究』362号,9ー14
同名の日本史研究会大会報告の準備ペーパー。花山新制論と摂関期源氏論についてのメモを含む。
12「文献と絵画史料からみたトイレ」、単著、1992年11月、文化庁文化財保護部監修『月刊文化財』三五〇号、4ー8
いわゆる寝殿造り住宅におけるトイレについて論じたノート。衣装棹とその下に開けられたトイレ穴、これまで指摘されていない便器関係史料、主人の利用するトイレである「御樋殿」と区別された「厠」の史料、そして貴族行列における便器の公然携行の風習などについて論じ、寝殿造り住宅における「褻」の生活空間についての研究課題を提示した。
13「船弁慶の船」、単著、1993年11月、『国立能楽堂』123号、22ー23
能の船弁慶の原型となっている『義経記』の海事関係記事に関するノート。綱の操り方、底荷・碇用の石の積載などについて触れた。