良い子は・・・
「はーい、皆さん。私はよい子を作る先生です」
「先生の言うことをよく聞いて、立派なよい子になりましょう」
「日本の法律では、16歳になるとオートバイの免許を取ることができます」
「でも、よい子のみんなはオートバイなんかに乗っちゃ行けません」
「法律で認められている権利なんかと思っちゃ行けません」
「オートバイなんかに乗ると内申書に響きますよ」
「先生の言うことを聞かないと退学させますよ」
「なぜ乗っちゃ行けないか考えては行けません」
「そんなのは当然です。危険だからです」
「でも、本当はあなた方が死のうがどうかはあまり関係がないんですけどね」
「あなた方が警察に捕まったりすると、担任の私も責任取らなきゃなんないのです」
「そこんとこ考えてくださいね」
「確かに私たちも自動車やオートバイで通勤してます」
「でも、そんなことを疑問に思っちゃ行けません」
「そりゃ私たちだって事故を起こしますし、飲酒運転もします」
「それは大目に見てください」
「ともかくオートバイに乗っては行けません」
「どうしても乗りたいのなら学校を止めてください」
「それが私の本音です」
西暦21XX年にタイムスリップした私は、このような授業に遭遇した。
1970年代の恩師の言葉と比較せずにはいられなかった。
「君たちはオートバイに乗りたいのなら原付免許じゃなくて、きちんとした二輪免許を取りなさい」
「当然、リスクのあることも覚悟しなさい」
「便利な道具ではあるけども、人を殺す凶器となることも覚悟しなさい」
そう言われると、無茶なことはできなかった。
もしも、教育の根本が人間教育にあるのなら22世紀の教師と
20世紀の教師のどちらが本当の教師か一目瞭然だろう。
西暦21XX年の世界に、自分で考えて行動する人間がいるかどうかを観察したい。