みかん星人が観た映画の一覧に戻ります。。。

美女と野獣
〈ラージ・スクリーン・フォーマット〉
Beauty and the Beast -Special Edition-

2001年 アメリカ(Walt Disney Pictuers)
製作 Don Hahn
                  製作総指揮 Howard Ashman
監督 Gary Trousdale,Kirk Wise
脚本 Linda Woolverton
作詞 Howard Ashman,Alan Menken
作曲 Alan Menken
 Bell 伊藤恵里/Paige O'hara
Beast 山寺宏一/Robby Benson
Maurice あずさ欣平/Rex Everhat
Gaston 松本宰二/Richard White

 

 まさに「圧倒的」とはこのこと。。。

 「アイマックス・シアター」という、普段は40分間程の3D立体映画(偏向眼鏡を使うタイプ。要するにTDLの『ミクロ・キッズ・アドベンチャー』や『キャプテンEO』と同じ物)を上映している映画館が、東京と大阪に、あります。その映画館で、あのディズニーの名作『美女と野獣』が上映されています。もちろん立体映像ではなく、ただその大きな(ビル3階分の高さがある)スクリーンを使って上映するだけなのですが、しかし、そのための「手直し」に1年も掛けたとの事で、約200のシーンに手が加えられて、アニメーションを追加したり効果を見直したり、修正されたそうです。『美女と野獣』は「CAPS」と呼ばれるシステムで作られていて、要は「セル」がコンピューターの中に出来上がるシステムらしいのですが、そのデータ量は、CD−ROM9000枚なのだそうです(笑)。で、そのCD−ROMを使って、今回の「ラージ・スクリーン・フォーマット」の為に新しいプリントが作られたの事。途中、群集シーンなどでは若干の荒さが見えましたが、有名なダンスシーンでの映像の動き(カメラの動き)は圧倒的で、まるで往年のMGMミュージカルを観ているのと同等のカタルシスを感じました。
 おまけに、1991年のオリジナル公開時にはカットされ、舞台『美女と野獣』では使われてきた曲『ヒューマン・アゲイン』が付け加えられ、ある意味では、漸く完全な姿で公開されているともいえるでしょう。

 『美女と野獣』といえば、1946年に詩人のJ.コクトーが脚本を書き監督して、J.マレーの主演で作られたフランス映画が有名ですが、残念ながら私は未見です。しかし、童話が原点とはいうものの、この1946年版に関する解説などの「さすがはフランス映画」という作品評を読んで、そして実際このお話を観ると、この物語にはディズニー的とは言い難い「エロス」を感じます。
「愛することを学び、かつ、相手からも愛されなければ、野獣にされてしまった魔法は解けない」
 というテーゼに対して、いったいどんな「愛」をもって「ファィナル・アンサー」とすべきなのか、これはとても大きな問題です。
 このディズニー版『美女と野獣』では、愛を知った野獣が示す「愛」は「愛する人に自由を与える」行為を通じて表現されます。
「貴女から愛されなくてもいい。けれど私は貴女を愛しているから、貴女を釈放する」
 というのでは、しかし、魔法は解けないのですが、まあ「自分に降り掛かった魔法を解く為」に愛し合うのはやはり完全な「愛」とはいえない部分もありますし、そも、「愛してもらいたいから、貴女を愛する」という「愛」は、贋物でしょう。
 「愛」は、前提でも理由でも目的でも、まして手段でもなく、すべからく「ある状態」を指すべきなのです。上に書いた「貴女を釈放する」というシーンでは、「愛してるから釈放する」のでも「愛して欲しいから釈放する」のでもなく、「貴女が悲しむ姿をみたくない」という野獣の「心のありよう」が「愛」なのです。
 実は、この「ベルを釈放する」場面では、ベルと野獣が「既に互いに愛し、愛されている」と考えても不思議ではない描写があります。それは、釈放を決心した野獣がベルの髪に触れる、という描写です。「女性の髪」というのは、おそらく日本に限らず、少なくとも欧米文化圏では、「O.ヘンリー」の短編を例に出すまでも無く、女性のアイデンティティーの象徴と云える側面がありますね。「髪に触れる」事を許せる異性は限られていて、「髪に触れられると嬉しい」と感じられる異性は、その女性にとって「たいへん特別な存在」であることが多いようです。『美女と野獣』のこの場面において、野獣は思い余ってベルの髪に触れ、それをベルは受け入れ喜びさえする。もしかしたら、イギリスでこの映画を作ったら、これで魔法が解けるかもしれません(笑)
 映画では、しかし、ベルの「あなた」という呼びかけと「涙」が魔法を解くわけですが、この「涙」というのが「心のありよう」を饒舌に物語っています。泣きたくて泣けるものではないし、泣きたくなくても涙が止まらない事もありますね。
 ここにおいて映画『美女と野獣』は、「愛」は「ある状態」を指すものであって、その「他者を受け入れ、関ろうとする心」こそが「愛」の正体であることを訴えるわけです。
 それにしても、このラストシーンの浮遊感は、まさに「アイマックス」な瞬間で、映画を観る喜びに満たされる一瞬でした。そう、この瞬間のみかん星人の「心のありよう」は、きっと映画への「愛」だったのでしょう。ま、隣にいた人への「愛」かもしれないけど?(笑)

 「大きなスクリーンで観る」という経験は、まさに「体験」と呼ぶに相応しいものでした。映画冒頭の場面で館内に「をををっ」という声が上がりましたもの(^^)。観客は「スクリーンの中」に居るような感覚を味わいつづけましたので、きっと、乗り物に弱い人にちょっと絶えられないのではないかな?(笑)と心配してしまうほどなのです。
 映画館て映画を観るという行為は、不特定多数の人たちとの感情の共有という部分があるのですね。見ず知らずの、年齢も価値観も違う人たちと一緒に笑ったり泣いたり憤ったりする事を通じて、「恐い顔のおじさんも、同じ場面で笑った」という事なんかを経験できる貴重な場所。この『美女と野獣』という作品には、それを可能にする内容と、そして画面に観客を吸い寄せる吸引力がありました。

 ディズニーでは、この「大きなスクリーンで観せる」という企画を続けるようで、『ピーターパン』や『ピノキオ』(特にこれの冒頭は凄いだろうなぁ)が出てきたら楽しみです。が、なんと、東京に1館しかない「アイマックス・シアター」は、この『美女と野獣』の上映を最後に、2月1日の上映をもって閉館してしまうのだそうです。残るは大阪の1館だけなので、大阪まで観に行かなければならない。。。なんでも、品川のソニーに新しく「アイマックス・シアター」ができるそうですけど、さて、どーなることでしょう。
 ともかく、東京ではあと数日だけです。関西の方も天保山に急いで下さい。。。。と、書いておきましたが、すでに東京での公開は終了してしまいました。最終日には「バラ」が配られましたが、さて、そのバラの最後の花びらは・・・・

 さて、、、2002年4月25日に、東京・品川に「アイマックスシアター」が復活しました。これでまた東京でも大きなスクリーンで『美女と野獣』を再び観られる事になったのです。また、今後計画されているディズニーのラージスクリーン・フォーマット上映計画も堪能できることになったわけです。
 ところで、こうして東京にも多くの「シネコン」誕生しました。みかん星人が侵略の拠点にしている地区にも「シネコン」が誕生して、これがなかなか美麗なのです。。。が、はたして維持できるのでしょうか?(笑)。なにせ、その「シネコン」の駐車場はガラガラで、お客さんの出入りもまばらなのですもの。。。映画産業って、裾野が広くて、大切な商売なのですが、なんとかお客さんが再び集まる工夫がほしいところです。だって、千円で見られる日は混雑していますよぉ。。。つまりは「高い」ってことなんだろうけれど・・・

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