『白い恋人達/桑田佳佑』
このCDはextra仕様になっていて、インターネットで壁紙とスクリーンセーバーをダウンロードできましたが、もう終わってしまいました(笑)。
たいへんに素晴らしい出来で、特にスクリーンセーバーを曲を聴きながら観ていると、出来が良過ぎて仕事にならないほどです。冗談でなく、「待ち時間」を1分にしてセーバーが起動するとキーボードに触るのをためらってしまうぐらい。
『白い恋人達』というお菓子があるんですよね。札幌のサッカーチームの背中で見かけたことがあります。でも私が『白い恋人達』で思い出すのは、1968年にフランスのグルノーブルで開かれた冬季オリンピックのドキュメンタリー映画『白い恋人たち』です。Francis Laiが書いたこの映画のテーマ曲もまたとても美しい曲です、が、彼が書いた映画『男と女』のテーマ曲も似ています(笑)。『白い恋人たち』というタイトルは配給した東和が付けた題で、原題は『Treize jours en France:フランスの13日間』というもの。当時はまだ邦題が「文化」していたのですね。
で、どうやら『白い恋人達』というタイトルは、桑田のこの映画に対する思いも絡んでいるのだそうです。この映画『白い恋人たち』が日本で公開されたのは1968年の11月9日ですが、その冬に大雪が関東地方に降り、茅ケ崎の海岸が雪で白くなったのだそうです。桑田はその時のことをとても強く覚えているとの事。私もその雪は覚えていて(笑)長靴が埋まるほどの雪が東京にも積もって、なんと、所得税の確定申告の期限が延長されたのです。
桑田はギタリストなのですが、CMでも披露しているように、この曲ではピアノを弾いて歌っています。ずっと以前、あるピアニストのBBSで「狂気のピアニストである貴方がステージでギターを弾かない限り、さほど驚きません」などと書いたのですが、まさか桑田がピアノで弾き語る日が来るなんて、世の中は何が起きるかわかりません。正直、私もピアノを弾いてみたくなりました(笑)
楽曲にはいろんな形式がありますが、桑田が作る曲には「桑田形式」とでも呼ぶべき特徴があります。彼の曲の中には「一度しかでてこない部分」を持つ曲が有って、たとえばサザンオールスターズの隠れた名曲『希望の轍』が好きな人ならすぐに解ると思いますが、この曲の後半のサビに挟まれた<情熱の重さは夜の凪 さまよう夏の日は陽炎>というメロディはここだけに登場し、そして全体のドライブ感を強調する効果を持っています。
こういう「桑田形式」の曲は何曲かあります(もちろん、これは彼の専売特許ではなく、「ブリッジ」などと呼ばれるギミックなのですけど(^^;)。最初に現れたのは、たぶん、『ミス・ブランニュー・デイ』の中ででしょう。その後『みんなのうた』で顕著に、或いは原由子さんが歌った『あじさいのうた』に象徴的に現れています。最近では、メロディーは変えずにテンポを落とすという技を『TUNAMI』や『HOTEL PACIFIC』で使っていますし、『波乗りジョニー』ではかなり狡猾にこの手管を使っていました。桑田のこの「手管」がもたらす効果は、「緩急」という感覚を曲に生み出すことです。『波乗りジョニー』での間奏に続いて登場するこの「手管」は、それまでのノリを一旦緩めることで、その後のサビを新鮮にし、グルーヴ感を強調する効果を生んでいます。
ところが、この『白い恋人達』では、最後のパートがこれに当たるのです。これは最初に聴いたときには驚いてしまいました。「さあ」と再度のノリを期待して身構えてたら終わってしまう感じ。これはとても凄い表現だと思います。つまり、この歌の「私」は、心折れないように・負けないように・夢と希望を胸に抱いて旅立とうと決意した、のに、やはり最後には泣き崩れてしまった。「それでも」と再び立ち上がる気力さえこの「私」には無いかのように聴こえるのです。「私」は雪が降り積もる度に、聖なる鐘が鳴る度に、どんなに努力しても、心の中に灯る「あの人」への恋の火は消せないのでしょう。凄まじいラヴソングだと感じます。
それにしても、以前から疑問だったのですが、こういう「失恋」をテーマにした詞はどうやって考えつくものなのでしょう?。これは桑田とかユーミンとか宇多田さんという「今」な人に対して感じる事ではなく、それこそ、百人一首に収録されているこういう歌、
『瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ』 崇徳院
を読んでも感じる不思議です。
実際に、立ち上がれない程の失恋を経験したにも関らず、これだけ凝った歌を書けるなんて在るのでしょうか(笑)。もちろん桑田やユーミンは、心理的なシミュレーションで書くのでしょうけれど、昔からある「恋を失った辛さ」を読んだ歌に接すると「貴方、、本当に辛いの?でも歌は詠めちゃうんだね(^^)」なんて思うこともあったりします。
そうだ、「逢えなくなって悲しい」と歌う桑田に、百人一首から歌を一つ。。。
『逢ふことの絶えてしなくばなかなかに 人をも身をも恨みざらまし』 中納言朝忠
いやいや歌(詞)の世界は、奥深いですねぇ。。。
『白い恋人達の』プロモーションビデオもなかなかの出来です。昨年のMISIAの『Everything』のビデオを思い出させますが、桑田の方が「こぢんまり」していて、彼らしいですね。
それにしても、スノーボールというのはどうしてあんなに「せつない系」なんでしょう。上に書いたスクリーンセーバーでも登場するのですが、このスノーボールはコンサート・グッズになるのかしら?だったら、欲しいなあ。コンサートと云えば、この曲を引っさげて桑田が札幌でソロコサートをします。私は忙しいという事も有りましたけれど、きっとこの『白い恋人達』のイントロで酷く泣いてしまうだろうと思ったら、怖くて行けません(笑)でも、ともかく、21世紀の最初のクリスマスは、この美しい曲で永遠に記憶されることでしょう。(ちなみに、このスノーボールはグッズに有りませんでした。オルゴールは有ったんですけれどね(^^;もちろん、買いました・・・通販で)
2001・11・3
この曲には「辛い酒」が似合う気がしますが、簡単に酔ってしまっては面白くありません。もしかしたら、ずっと待っていた相手から突然「これから逢いに行くから」という電話が来るかもしれないのですから(笑) だから、強くない、けれど辛い酒・・・とくれば「白ワイン」という選択肢が浮かんできますが、この曲に普通の白ワインでは似合いません。食事を引き立て、えてして華やかな芳香を持つことが多い辛口の白ワインは、失った恋や、戻れぬ時間を思うには若干力不足の選択です。ですので、ここで選ぶべきなのは、そう「シャンパン」です。
シャンパンの中に封じ込められた泡・・・あれは酵母が糖分を分解したときに出した二酸化炭素なのですが・・・栓を開けるまでは液体に溶けています。一般的なもので1・2年、名のあるものでは数年、銘醸ものであれば10年以上、あの美しい泡は、その存在を液体の中に溶かし込み、存在を隠し、飛び出す時を待っているのです。それはまるで「恋愛」という時の中、心の中に存在し、けれど言葉や行動で表現されることが無かった「思い」に似ています。言葉等で表現されることなく、いや、そんな「伝えきれない思い」があることにすら気が付けずにいた「今も忘れられない、あの頃」の「気づかぬ思い」達。
「もしあの時、このときめきの半分でも伝えられていたなら・・・」
後から後から湧き上がる泡を見ながら、自分の中に残っていた「恋の残滓」に気付くには、ちょっと贅沢な、そして糖分のない『Krug Clos du Mesnil 1985』が、最も相応しいでしょう。
ワインの栓を抜くことは、そのワインに別れを告げる時でもあります。「その時」が喜びと共に訪れるてくれたなら、無上の喜びと共に「ワインとの最後のひと時」を過ごせるでしょう。しかし、それが哀しみのときであったなら、総てへの決別の時間として「その時」を過ごすことになります。伝えきれなかった思い。愛し切れなかった切なさ。叶えられなかった夢。。。そんな事を、フルート・グラスに注がれたシャンパンの中を立ち上る気泡一つ一つになぞらえて、「思い」の総てを空に放つように、シャンパンと『白い恋人達』の夜は過ぎてゆくのです。。。
2002・3・17