店名「三河屋」の由来
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| え〜、ゴホゴホ、時は今から遡ること二百八十余年、年号は享保。 享保といわれてもピンとこないでしょうけど、享保すなわち八代将軍徳川吉宗の時代でして、 享保二年には大岡忠相が江戸町奉行になり、五年には江戸町火消「いろは組」が作られ、 六年には目安箱が設けられました。 いってみれば、暴れん坊の松平健が白馬で走りまわったり、加藤剛が難事件を解決したり、 北島三郎が消火の指示をしたりって時代でございます。(笑) その享保年間のことでございます。 三河の国、大浜(現碧南市)に三人の若者がおりました。 「ここらで一発よ〜、江戸っちゅうとこ行ってみにゃ〜か?一旗あげにゃ〜よ」って感じでしょうか? 三人して、豊川稲荷の御札を背負って、花のお江戸に出てきたわけです。 そして結局、腰を落着けたのが、水戸街道の宿場町である松戸宿でした。 三人はそれぞれ作り酒屋を始めます。 (その内のひとりである根元の「竹澤屋」さんはつい先日まで酒屋さんを営んでいました) 初代三河屋当主は当時としてはなかなかの長命でしたが、寛延三年正月 六十三才で他界し、 三河から来た三人衆は現在、そろって二丁目の西蓮寺にて、静かに眠りについています。 その後、紆余曲折を得ながらもなんとか屋号を守って来た三河屋八代目当主が 江戸川、古ヶ崎の豊富な川魚に目をつけ、大正八年に佃煮、漬物店を始めました。 古ヶ崎の用水では「古ヶ崎鮒」とまで呼ばれた良質な鮒が捕れまして、 それを「すずめ焼」にしたり「寒露煮」にしていました。 そしてそして、時は流れ現在に至るわけですが、 私には娘しかいませんし、養子ってな時代ではないですしねぇ、 三河屋も十代目の私で終わりです。 継ぎ足しながら使い続けている当店の宝である【元だれ】は現在八十余年目を迎えているわけですが、 私の生命と共に腐ることになるのでしょうね・・・・・。 |

| 昭和三十年代初期から現在まで同じデザインで使っている架け紙 と 昭和十五年に作られた、すずめ焼の折詰に入れていたパンフ様の物 (版木で刷ったと思われます) これを見ると「松戸神社があって、当店がある」という様がよく伺えます。 |

| 現在使っているこの 「 三 河 屋 」 ロゴには裏話があります。 昭和六十三年、店舗改装後に店の名刺を作る折、 先代にふざけ口調で「思い切り崩して”三河屋”!って書いてみて」と書いてもらったものです。 その字体を私はパンフ、名刺、からラベルまであらゆる物に使ったものですから 先代は「こんなことになるなら、もっと上手く書いた!」と死ぬまで言っていました。(笑) 私は凄く気に入っているんで、当店が終わるまでこれがメインロゴです!。 |
当店が水戸様(戸定邸)にご贔屓にしていただいてたことを
戸定邸のページにちょっと書いて見ました。クリックどうぞ!
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2000/09/01
2006/04/21微改