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| 吉備路放浪記No.17 |
| ここまでわかった古代吉備 |
朱千駄古墳
朱千駄古墳出土の石棺
八幡大塚2号墳
八幡大塚2号墳出土の石棺岡山県立博物館の「ここまでわかった古代吉備」に行ってきました。 上の写真は博物館入口に展示されている石棺です。 館内の展示は「おかやま発掘最前線」と銘打っているだけに見ごたえ のある内容でした。また、特別講座として岡山大学の新納教授の 造山古墳のデジタル測量の結果についての講演を拝聴いたしました。 まだ学外に出していないという貴重な資料をカラー印刷でいただき、 それをもとに詳しい説明をお聞きしました。やはり新納先生の人気は 高く130名の定員に対して多分200名近くの聴講者があったと思います。 新納先生ありがとうございました。 |
| 四ツ塚古墳群 |
岡山県古代吉備文化財センター主催の第一回考古学野外講座「蒜山の古墳を歩こう」
に参加しました。
参加者は60名を超え、1班から4班までに分かれてそれぞれ専門の講師の先生に 説明を受けました。私は3班で講師は和田先生でした。和田先生の一生懸命で わかりやすい説明に全員聞き入っておりました。
この写真は1号墳です。今回は特別に中に入ることができました。文部科学省 真庭市 真庭市教育委員会 以上、現地の案内板から抜粋させていただきました。
四ツ塚古墳群とは? 13号墳以上、現地で配布された野外講座の説明書より抜粋させていただきました。 和田先生をはじめスタッフの方、真庭市教育委員会の新谷さん、すばらしい 講座をありがとうございました。次回を楽しみにしております。 |
| 二万大塚古墳 |
勝負砂古墳の少し先にある前方後円墳です。
二万大塚古墳倉敷市教育委員会 以上、現地の案内板から抜粋させていただきました。 |
| 鳥取・妻木晩田遺跡 |
妻木晩田遺跡は、今から約2000年ー1700年前に栄えた国内最大級の弥生時代のムラ の跡です。鳥取県教育委員会 以上、現地案内板より抜粋させていただきました。
洞ノ原1号墓現地案内板より
晩田山古墳群以上、現地案内板及び鳥取県教育委員会発行の「むきばんだ遺跡」より 抜粋させていただきました。 |
| 出雲・加茂岩倉遺跡 |
2000年の眠りから覚めた銅鐸 加茂岩倉銅鐸以上、現地で配布されている雲南市教育委員会発行のパンフレットより抜粋させて いただきました。 |
| 出雲・荒神谷遺跡 |
荒神谷遺跡とは 銅鐸6個と銅矛16本以上、荒神谷博物館で配布されているパンフレット「荒神谷史跡公園」より抜粋させて いただきました。 写真左が発掘現場ですが、見たところ意外に浅いところに埋められていたようです。 なんとなく、急いで隠したといった感じを受けます。 |
| 吉備津神社改修工事 |
吉備津神社の改修工事を見学に行きました。
以下現地で配布されたパンフレットより抜粋させていただきました。 国宝 吉備津神社本殿及び拝殿保存修理一般公開 吉備津神社の歴史 吉備津神社は、大吉備津彦命を主神とし、数多くの神々が 祀られています。大吉備津彦命は第七代孝霊天皇の皇子で、 四道将軍として山陽道に派遣され、朝廷に従わない鬼、温羅を 平定したとされています。 吉備津神社の起源ははっきりとはわかりませんが、平安時代の 史書『続日本後紀』に847年に従四位下の神階を授けるとの 記事があり、その頃には大社へと成長していたことがわかります。 その後、位階は次々と上がり927年の『延喜式』では明神大社に、 940年には一品の最高位を授かっています。 また、平安時代末の今様歌集『梁塵秘抄』には 「一品聖霊吉備津宮、新宮,本宮,内の宮、隼人崎、北や南の 神客人、艮みさきは恐ろしや」という歌がおさめられており、 その頃にはほぼ現在の姿に整備されていたと思われます。 吉備津神社本殿の特徴 吉備津神社本殿は1390年に勅命により足利義満が再興に着手し、 35年の歳月をかけて完成したものです。 屋根は二つの切妻屋根を縦棟によってつなぐ「比翼入母屋(吉備津) 造」と呼ばれる独特の形式で、大仏様の建築手法が随所にみられます。 平面は三間社の周囲を二重に拡張した形式をとり、建物面積258.838m2 を測る最大級の巨大な神社建築です。昭和27年3月29日国宝に 指定されました。 今回の修理は昭和31年の屋根葺き替えから約50年ぶりにおこなわれる もので、平成16年から平成20年の5ヵ年計画で行います。 (注)最後の写真は檜皮と竹の釘です。 |
| 岡山城 |
岡山城の発掘調査現地説明会に行ってきました。
今回発掘された二つの石垣です。奥側が宇喜多秀家の時代の 石垣で、手前が小早川秀秋が拡張したときの石垣です。 右の写真はこの石垣を外から見たものです。左の線ははっきり しませんが、当初の石垣の線です。右の線は拡げた石垣の線です。
左の写真は金箔が押された瓦です。右の写真は宇喜多家の家紋
五七桐紋の瓦です。
左の写真は下の段の池田期の建物の基礎のようです。
そして最後に烏城の写真です。旭川をはさんで後楽園と
烏城という環境に恵まれた、岡山でもおすすめのスポットです。
史跡岡山城跡本丸本段・下の段
岡山市教育委員会 本段の調査成果 本段高石垣の修理に先立ち、石垣の裏側の調査を行いました。 本段は江戸時代には藩主の日常生活の場である 本段御殿を中心に多くの 建物が建てられていました。 今回の調査でも、学校のコンクリート基礎 がたくさん築かれていましたが、花崗岩 の基礎石と凝灰岩 (豊島石)の溝が見つかりました。 これらは元禄13(1700)年に 描かれた『御城内御絵図』 にある多聞櫓のものと考えられます。 また、小早川秀秋が 岡山城を拡げた時に埋め込まれたと考えられる、宇喜多秀家の時代に築かれた石垣も見つかりました。 石垣はほとんど加工されていない自然石を積み上げた野面積 という積み方です。傾きは約60度と ゆるやかです。 遺物は宇喜多期の金箔押し 瓦、池田期の瓦、皿や茶碗 、貝殻 や魚の骨といった食物残滓 (ゴミ)、旧制中学校時代のインク瓶、 三角定規や硯といった学用品等が見つかり ました。 下の段(テニスコート跡地)の調査成果 遺構の有無は内石垣の状態を 確認するために5カ所のトレンチ( 試掘壙)を調査しました。うち 3カ所のトレンチで遺構を確認しました。 1トレンチからは建物の南東角の、3トレンチからは建物の東辺の、 4トレンチからは建物の南西角の基礎石が見つかりました。基礎石は 花崗岩で矢穴を残すものもあります。『御城内御絵図』に描かれた場所と ほぼ同じ地点から見つかったことから、池田期の櫓 や蔵のものと考えられます。 地中には当時の建物跡が良好に残っているものと思われます。また、 4トレンチでは高さ約3mの内石垣の基底部を確認しました。 |
| 鬼ノ城追記 |
前回右回りをおすすめしましたが、気になりましたので
実際に回ってみることにしました。
今回は8才と5才の強力な応援団と一緒です。 やはり左回りよりは楽なようです。南門あたりから 坂は急になりますが距離が短いのかそんなに負担に はなりませんでした。 二人の元気に引っ張られたのか楽々と一周できました。 やはり右回りの方がいいようです。写真は第一水門を 過ぎて西門との中間点です。 |
| 鬼ノ城 |
久しぶりに鬼ノ城へ行きました。目的は新しくなった
西門の写真を撮るためです。
周辺の整備もすすみ一大自然公園へと変貌しつつあります。 左の写真は入口から少し登って最初に出会う角楼です。
以上4点が復元された西門です。国道180号線からも
かすかに見えるほど大きな建物です。
最初の写真に修復作業をしている方が写っていますが、
これから見てもその大きさがお分かりいただけると
思います。最後の写真は城内から撮ったものです。
下の門を閉めてしまえば、高い版築土塁に阻まれ
容易には攻め込むことはできません。
左の写真は第一展望台の近くで見つけたものです。
何の説明もありませんが、多分現地説明会のときに
使った版築土塁の模型だと思います。
右の写真は新しくできたビジターセンターです。 展示室、休憩室、トイレなどがあります。
最後にコースの案内図ですが、西門が入口近くにあります
ので、ついそのまま左回りに行ってしまいますが、できれば
元に戻って第一展望台から右回りにすすんだほうがよいと
思います。地図の「現在地」と書かれているあたりから
左回りで第一展望台まではかなり急な坂が続きます。
今回もスカートにハイヒールの方を見かけましたが一周する
つもりでしたらまず無理です。軽装にタオルと水そして、
杖を持って歩く方もいらっしゃいます。特に靴は底が滑りにくくなって
いるスニーカーかトレッキングシューズをおすすめします。
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