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吉備路放浪記(19) 取材・更新記録
南方遺跡みなみがたいせき
南方遺跡 南方遺跡 南方遺跡の現地説明会に行ってきました。
現説資料によりますと
南方遺跡は弥生時代前期後半から中期にかけての集落遺跡で、中期には 東西1.2キロ、南北1キロに範囲に広がる大集落です。
遺構や遺物が密集する地点が2ヶ所あり、それぞれを西ムラと東ムラと 呼称します。今回の発掘調査により、弥生時代前期から中期における 大集落の入り口から集落中心部に至る様子が明らかになりました。

南方遺跡 前回の説明会は、前期の入り口が見つかったというお話でした。
今回は、中期の入り口に続く道のようなものが発掘されたということです。

これからの発掘は、集落の中に入った部分ではないかと期待しております。
鬼ノ城きのじょう
鬼ノ城の現地説明会に行ってきました。
今回は東門近くから鍛冶工房が発掘されたということです。

鬼ノ城 鬼ノ城 鬼ノ城

鬼ノ城 たくさんの鉄滓が出土したことから、ここに小さな鍛冶炉があり、 鉄製品が作られていたと考えられます。
麓に製鉄炉が確認されていますので、そこから鉄の塊を持ってきて ここで製品にしたのかもしれません。

まだまだ続く鬼ノ城の発掘。目が離せません。
八紘古墳群はっこうこふんぐん
総社市山田にある、八紘古墳群の現地説明会に行ってきました。
八紘4号、5号、6号墳は3基とも古墳時代の終わり頃(6世紀後半)に造られた、 直径12m前後、高さ2−3mの横穴式石室をもつ円墳です。以下に写真を羅列します。

八紘古墳 八紘古墳 八紘古墳

八紘古墳 八紘古墳 八紘古墳

八紘古墳 八紘古墳 八紘古墳

八紘古墳 八紘古墳 八紘古墳

南溝手遺跡(天原地区)みなみみぞていせき(てんばらちく)
総社市南溝手遺跡の現地説明会に行ってきました。
まず、遺跡の分布図をごらんください。分布図

南溝手全景 これが南から見た全景です。

竪穴住居 竪穴住居 竪穴住居
出土した三つの竪穴住居です。中央が今回話題になった、五角形の竪穴住居です。

線刻絵画土器 貯蔵穴から出た、完全な形をした線刻絵画土器です。

弥生時代前期から古墳時代そして飛鳥時代の7世紀まで、この集落は継続して いたようです。 当時、高梁川の支流が、東に向かって何本も流れていたので、稲作を中心に 穀物がたくさん収穫できたことが、集落継続の最大の理由ではないでしょうか?

これだけ大きな弥生集落の跡は、はじめて見ました。説明によると、まだこの下に縄文時代 の遺跡があるかもしれないとのことです。当分、南溝手遺跡から目が離せないことになりそうです。
総社市埋文学習の館そうじゃしまいぶんがくしゅうのやかた
総社市埋文 鬼の城と製鉄関係が充実して、見ごたえのある展示になっています。 撮影禁止なのですが、どうしてもこれだけはご紹介したくて撮影しました。 これは総社市にある遺跡を赤く示しているパネルですが、いったい いくつの遺跡があるのでしょうか?
ほぼ中央に高梁川、右下が造山古墳という位置関係になります。 国道180号線沿いにたくさんの遺跡が点在しています。そして高梁川を 渡って西にのびています。これを見ると、やはり吉備の中心は総社だったのか という気がしてきます。国道の南側に穀倉地帯、北側に製鉄そして吉備の津という 港、こう考えてみると食料とハイテク産業そして川と海を使った流通の拠点を 持っていたということになります。その昔、板倉の交差点は真金十字路といって いました。今でも、バス停は真金十字路となっています。真金といえば、製鉄を意味し 吉備の枕詞です。この十字路を通ってすぐ近くの吉備津から国内だけでなく、もしかしたら 朝鮮半島にまで交易の輪を広げていたのかもしれません。
真金十字路
私の勝手な想像ですが、こんなことを訴えているような総社市埋文学習の館でした。
上原遺跡の人面土製品かんばらいせきのじんめんどせいひん
上原遺跡 上原遺跡

上原遺跡 総社市役所の一階ロビーに、上原遺跡から出土した人面土製品が 展示されています。次のようなパネルでの説明がありました。
上原遺跡は弥生時代前期から古墳時代前期にかけての集落遺跡(ムラの跡) です。このたび弥生時代前期の溝から全国的にもめずらしい人面土製品が 出土しました。
人面土製品は人の頭を写実的に表現したもので、下半分は失われています。 大きさは残存高11.1cm、顔幅17.6cm、頭頂部の長さは18.1 cmです。
頭には魚のひれのような突起が表現されており、顔には眉毛と鼻が造形され 両目には孔があけられています。また、眉毛と目の間には刺青(いれずみ)と みられる装飾が確認できます。
人面土製品が出土した意義は次のように考えられます。
@弥生人の顔面を写実的に造形し、まるで仮面のような形をしています。
A県内では岡山市田益田中遺跡の出土例についで二例目で極めてまれです。
B非日常的な遺物で、祭祀に用いられた可能性があり、当時の習俗や風俗を 知る上で貴重です。
総社市教育委員会
南方遺跡みなみがたいせき
環濠 南方遺跡の現地説明会に行ってきました。
今回もっとも注目されているのがこの溝です。 いまのところ南西から北東へ直線的な部分しか出土しておりませんが これが北へ向かって廻ってくると、環濠かもしれません。

柵列 そしてこの柵列も見のがせません。どうやらここは集落の入口の ようです。

井戸 入口を入ったところに深さ約1メートルの井戸があります。

壺 井戸の底からこの壺が出てきました。この壺はくびが長いので、 井戸の水をくみ上げるための、ひもがついていたのではないかとの 説明でした。

そして今回の調査では、出土品が少ないのがひとつの 特徴だということです。それはこの一帯、集落の入口と井戸がなにかの 祭祀をする場所だったかもしれないとの説明でした。

南方遺跡は東西1キロ、南北800メートルの岡山県の弥生中期を 代表する大きな集落遺跡です。 この北にある津島遺跡が南下してきたものと思われています。そのとき 何かの理由で、西の集落と東の集落に分かれたものと思われます。 今後、今回の場所より北の部分の調査が始まりますので、この溝が集落の一部を 区切る溝なのか、集落の周囲に溝をめぐらした環濠集落なのか興味のわく ところです。当分の間、南方遺跡の発掘調査から目が離せません。
埋文センターの皆さん、前日からの大雨にもかかわらず周到な準備と 丁寧なご説明をありがとうございました。
造山古墳つくりやまこふん
造山古墳 造山古墳の現地説明会に参加しました。この調査は岡山大学考古学研究室 が行っているもので、今回は第一次の発掘調査です。
写真は造山古墳の全体像です。左が前方部、右が後円部です。

造山古墳 今回は左の絵のように、2箇所にトレンチを掘っています。 今回の主な目的は、周濠の有無と全長の確定だと聞きました。

造山古墳 造山古墳 造山古墳

この写真は、後円部のトレンチです。 このトレンチからは、たくさんの葺石が出土しております。 中央の写真、土層の中段に見えるものが葺石だそうです。そして 右の写真が、出土したものです。

造山古墳 この写真は、前方部のトレンチです。

造山古墳 これは今回出土した土器です。
今回の調査では、残念ながら周濠の跡らしきものは発見できなかった ようですが、全長は350m程度になるようです。ただ弥生時代の土器片 が多数出土したようです。次回からの調査では、周濠とあわせて弥生 時代のものが何か発見できるかも知れません。
現説資料の引用は許可されていませんので、詳しく書くことは できません。詳細につきましては、以下のサイトをご参照ください。 岡山大学考古学研究室 造山古墳発掘調査速報ホームページ