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| 吉備路放浪記(8) 取材・更新記録 |
| 吉備津彦神社 2002/11/22 |
今月末、吉備津彦神社の行事などを紹介する本ができます。いままでこのサイトでご紹介してきたことが、詳しく載っています。 御田植祭など、プロが撮った、迫力ある写真がたくさん載っています。 一冊千円だそうです。私も早速予約しました。 お問い合わせは、吉備津彦神社社務所まで・・・ TEL086-284-0031 一冊千円だそうです。 |
| 常山から両児山(続き) 2002/11/18 |
| 常山から両児山 2002/11/17 |
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以前から気になっていたことを、調べに行ってきました。
誠に簡単な地図で申し訳ありませんが、左の地図をご覧下さい。疑問というのは、宇喜田軍が西から攻めたとき、備前側の両児山はどうなっていたのか? という疑問です。 今日、与太郎神社を管理されている、大下商店のご主人にお会いして、お話を伺いました。 そして、その疑問は一挙に解けました。宇喜田軍は西から攻めたのではなく、東から攻めた のです。 地図で備前片岡と備中箕島を結んだ延長線上に高松城があります。つまりこれより東が 備前分ということになりますが、児島湾が大きく入り込んでいますので、備前側は両児山へは 行けません。 大下商店のご主人に伺いますと、備前側は船で北の宇喜田本陣から両児山に派兵し陣取ったとお聞き しました。 毛利方は麦飯山(むぎいいさん)に陣取り、宇喜田側は両児山に陣取って 対峙した。宇喜田の一軍が麦飯山の麓の柳畑まで、進んで戦いの火ぶたが切って落された。 宇喜田軍は毛利方に押されて、撤退を始めた。そしてついに、宇喜田軍の総大将である 宇喜田与太郎基家は与太郎神社のあたりで、殺された。 それから宇喜田軍の反撃が始まり、国富源右衛門をはじめとする、七本槍の活躍があった。 ということになります。 その後、この戦いがどうなったのかは知りませんが、とりあえず疑問は解けました。 大下商店のご主人、ありがとうございました。 これに関する写真はまた後日、掲載させていただきます。 |
| 高松 最上稲荷 2002/11/10 |
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申し訳ありません。更新が遅れております。この取材は、昨日のものですが
なにかとおわれて、アップが遅れてしまいました。 本当に久しぶりに、稲荷へ行ってきました。 昔は毎年四日に、ご祈祷をしていただいたものです。 どこを見ても懐かしい風景ばかりです。 最上稲荷の写真は こちらから |
| 吉備路紅葉前線 2002/11/05 |
| 古戦場 2002/10/30 |
吉備路とは直接関係のないところへ行ってきました。左から、柳畑古戦場跡、辻の堂五輪の塔、大塚家五輪の塔です。 柳畑古戦場 天正九年八月(1581年)二回目の八浜合戦のとき、毛利軍と宇喜田軍の戦いの 発端となった地。 この戦争によって宇喜田与太郎基家戦死、両軍共に多数の戦死者が出た。 その戦死者達の霊を慰めるために建立した供養塔である。 大崎観光協会 辻の堂の五輪塔 天正四年(1576年)麦飯山の戦いで戦死した城主、明石源三郎の墓。 大崎観光協会 大塚家の五輪塔 常山城落城のとき、怱門二の丸の侍大将 国富一学はこの地に逃れ、帰農土着して 大塚姓を名乗り、大崎の組頭を勤めた国富の流れを汲むという古い系図が残っている。 この五輪塔は、この一族のものといわれている。 玉野市 以上のような案内が書かれていました。 ところで、秀吉の高松城水攻めが1582年ですから、その一年前にこの地で宇喜田軍と 毛利軍が戦ったことになります。 前後はわかりませんが、常山の戦い、麦飯山の戦いに続き両子山をめぐる戦いがあったのでは ないでしょうか? 高松城から南へ備中と備前の境目があったと思われます。 宇喜田与太郎基家は、与太郎神社として今も奉られています。 この神社は足の病気にご利益があることで有名です。 そして、この与太郎神社のあたりを昔は馬返しとかいったそうです。 ここでの戦いの後、高松城での対峙が続き、その最中に本能寺で信長が殺害され、そして 1600年の関が原の戦いへと続くわけです。 |
| イカ焼きの達人 2002/10/20 |
尾上八幡宮のお祭りのシーンです。この町内には、イカ焼きの達人と注目されている方がいます。 もちろん、この方はイカ焼きが本職ではありませんが、いかにも本職らしいいでたちで、 お祭りの人気者です。 このほかにも、いろんな屋台が出ています。お祭りのようすは こちらから |
| 流鏑馬 2002/10/20 |
吉備津彦神社の流鏑馬を見に行きました。地元の尾上八幡宮のお祭りと重なるため、見ることができませんでしたが、今回はじめて 見させていただきました。 勇壮な神事でしたが、馬がこんなに早く走るものとは知りませんでした。 馬が全力で走るのを、はじめて見たものですから・・・ 流鏑馬写真集は こちらから |
| 百射山神社 2002/09/22 |
左の写真から、百射山神社は三輪神社と御崎神社をあわせて、おまつりしていることがわかります。問題は右の写真です。何やら難しいことを書いていますが、要約すると次のように書かれています。 1)式内社である。 2)祭神は大山祗命(おおやまつみのみこと)である。 3)相殿は御崎神社で吉備武彦命(きびたけひこのみこと)をお祭りしている。 4)もう一つの相殿は三輪神社で猿田彦命(さるたひこのみこと)をおまつりしている。 5)問題は由緒ですが、伊予国(愛媛県)大三島に鎮座された後、吉備の国百射の山島に奉祀 された、とあります。 難しい言葉が出てきましたので、少し調べてみます。 以下は全て三省堂大辞林によるものです。 式内社:延喜式神名帳に記されている神社。 大山祗命:「大山祗神」山を支配する神。記紀神話では、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の子。 大山祗神社:愛媛県の大三島町にある神社。 相殿:同じ神社に、二柱以上の神を合祀すること。 ここで一つ気になることがあります。それは百射山の場所です。 これについては、また後ほど調べてご報告したいと思います。 前回の取材で、見逃していた石室の写真を撮りました。詳しくは 三輪山古墳群 をご覧下さい。 |