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| 吉備路放浪記(5) 取材・更新記録 |
| 徳寿寺と正法寺 2002/04/28 |
徳寿寺へ行ってきました。吉備津彦神社のすぐ近くです。なぜ徳寿寺かといいますと、もともと吉備津彦神社は今の場所にあったわけではないようです。
この写真は吉備津彦神社の境内に掲示されているもので、古代御社図と書かれていますが、
古い境内の位置関係を示しています。つまり吉備津彦神社は本殿をはじめ、今の場所とは少し違う場所にあったということでしょう。
拡大してみますと、左の上のほうに徳寿寺のある場所が描かれています。
康永元年という文字もみえます。そこで早速、康永について調べてみました。三省堂大辞林によりますと、 康永(こうえい)北朝の年号1342−1345。暦応の後、貞和の前。光明天皇の代。 となっています。つまり今から650年ほど前には吉備津彦神社は今の場所ではなく、もう少し 徳寿寺よりにあったのではないでしょうか?そしてその頃からこの徳寿寺はこの場所に あったということでしょう。この徳寿寺は、歴史のあるお寺だったのですね。 詳しくは吉備津彦神社へ参詣されて古代御社図をご覧下さい。 また、社務所にお聞きになれば親切に教えてくださいます。 吉備津彦神社へは こちらからどうぞ。
以前、正法寺の山門の瓦になにか書いてあるといったことをお知らせしましたが、
きょう写真を撮ってきました。よく見ると正ニ位藤原大納言という字が見えます。 正二位について調べてみると 三省堂大辞林によりますと「位階を上下に分けたときの上位」<-従->。とあります。 これは成親の位をあらわす言葉のようです。では大納言はといいますと 「律令制で、左右大臣に次ぎ太政官の次官にあたった役職」とあります。これからしますと 成親は大納言という大臣に次ぐ役職で、位は正ニ位であった、ということでしょうか? いずれにしても、相当の大物がこの地に流されてきたということです。どうしてここに 決まったのでしょうか?興味のあるところです。 |
| 幻の特殊器台 2002/04/21 |
特殊器台の発見・・・ではありません。これは先日、吉備路郷土棺でもとめた、特殊器台を模した花瓶です。 よくできていると思いませんか? あまりにも本物に似ているものですから、つい買ってしまいました。 入っていた説明書には次ぎのように書いていました。 特殊器台形土器 花器 特殊器台形土器と特殊壷形土器は、弥生時代の終わり頃に吉備地方だけ作られた土器で、 吉備政権にとって象徴的な土器であったといえるでしょう。これらの土器は、セットで 葬送儀礼の際に使われたもののようです。この花器は西江遺跡(阿哲郡哲西町)出土の ものがモデルです。 岡山県立吉備路郷土館 特殊器台の写真は持っていませんので、お見せできませんが絵でよろしかったら こちらからどうぞ。 |
| こいのぼり 2002/04/20 |
吉備津彦神社に鯉の大群が泳いでいました。吉備津彦神社の社務所が発行している「一品宮」(いっぽんのみや)に、次ぎのように 書かれています。 子安神社例大祭 五月五日の端午の節句は、中国では邪気をはらう行事があり、その風習が伝来し、 現在は祝日子どもの日となっています。 当神社摂社子安神社は、縁結・安産・育児の神を祭祀しており、五月五日には 例大祭が斉行されます。多数の方々の参詣を期待しています。 なお、五月一日からは、子どものすこやかな成長を願って、境内駐車場にこいのぼりを 飾る予定であります。 また、例大祭当日は、こども神楽も行うこととしています。 子安神社は吉備津彦神社のページからご覧下さい。 こちらから。 |
| 吉備路郷土館 2002/04/14 |
備中国分尼寺の近くに吉備路郷土館があります。弥生時代の土器をはじめ特殊器台形埴輪など多数展示されています。 場所がわかりにくいせいか、皆さんあまりご利用されていないようですが、 ぜひ一度ご覧になってください。 ところで、4月14日の山陽新聞の特集天空の城(6)の中に造山古墳の陪塚榊山古墳の 記事が出ていましたので、さっそく行ってみました。詳しくは こちらから。 その記事の中に陪塚(ばいちょう)とふりがなをふっていましたが、現地の説明板では (ばいづか)となっています。 どちらが正しいのでしょうか?さっそく調べてみました。 三省堂大辞林によりますと、ばいづか->ばいちょう となっていて (ばいちょう)を調べると 大型の古墳に近接する小規模の古墳で、その大型古墳に関連して営まれたとされるもの。 ばいづか。とあります。つまりどちらも正しいということです。しかし(ばいちょう)とは 読みにくいですね。 |
| 備中国分寺 2002/04/13 |
備中国分寺の五重塔の一層目が開放されていました。今まで何度も五重塔に行きましたが、中は見ることができませんでした。 いろんな如来様が祭られていました。写真の白い動物はどうやら象のようです。 ところで以前この五重塔に登った記憶があると書きましたが、きょう ここで説明をしてくださった方にお聞きしますと確かに昔は登れたそうです。 |
| 一宮天神山古墳群 2002/04/06 |
この天神山の丘陵尾根上には古くから前方後円墳1基と円墳3基が知られていた。ここに移築復元した2つの石室は、前方後円墳の後円部の墳頂中心で発見された 竪穴式石室で、一つの石室は古墳の長軸に沿って所在し、二つ目の石室はこれに 直交してT字形に築かれていた。 一つ目の石室は長さ約4m幅約1mに割り石を積んでいた。石室内は盗掘のため青銅鏡片が 残されていたにすぎないが、盗掘の及ばなかった天井石の上には鉄製の刀・剣・斧や 銅鏃(青銅のやじり)などの遺物が置かれ、厚く何層にもおおわれた良質の粘土の間には 赤い顔料が塗られていた。 二つ目の石室は、長さ3.3m幅約0.6mで、レンガ状の板石を用いて積み上げている。 この石室は盗掘を受けておらず埋葬時の副葬の様子がよく残されていた。 この石室の中には遺骸の頭の位置から順に青銅の櫛歯文鏡や捩文鏡・硬玉製勾玉・碧玉管玉 などが、壁ぎわには鎌・斧・槍・剣・刀子などの鉄器類が置かれていた。 また、墳丘には円筒埴輪がならんで確認されている。 以上現地案内板より 天神山団地の一角にあり、公園になっています。写真の石の下に石室があります。 上の説明にもありますように移築復元されたようです。 |